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最近「ピラミッドは奴隷が作ったものではなく、公共事業だった」
という説が有力になっているそうですが、私が疑問に思うのは、目的です。
今のように資本主義が発達しているのならともかく、
何が悲しゅうて、民から税を徴収してあんな馬鹿でっかいもの作って、
また税を民にばらまかなければならないのでしょうか。

A 回答 (9件)

ふつう公共事業という言葉を聞くと、フーバーダム建設のような景気刺激と税の再配分を目的としたものがイメージされます。

しかし、ここでいう「公共事業」とはもう少し幅の広いもので、そのニュアンスは「広く社会全体を巻き込んだもので、その意義を経済的合理性や宗教性、権威の発動などの単一の目的に帰することができないもの」という風にとらえるべきなのだと思います。

そもそも、古代社会やアルカイックな社会を解釈する際に、知らず知らずのうちに現代的な視点を持ち込みがちになることには注意すべきですが、「経済的合理性」や「機能主義」の観点から社会のあり方を読み解くことには、特に慎重であるべきです。というのも、往々にしてそのような視点そのものが近代の所産であるからです。

例えば、北米インディアンに見られたポトラッチという風習は、部族間の贈与合戦のようなもので、時には贈与物や村落の大規模な破壊にまで至る奇妙なものですが、これを経済的視点で論じることはそもそも不可能です。
このポトラッチを考察した人類学者のモースは、経済という単一の切り口がもたらす弊害に非常に自覚的であって、「全体的社会的事実」という表現でもってこれらの現象を表現して、「経済」や「法」や「権利」などの我々文明の側からする概念を「一度るつぼに入れたほうがいい」(『社会学と人類学』)と書いています。
(あるいは、経済人類学の旗手たるポランニーも、経済というのは社会に「埋め込まれた」ものであって、経済関係を政治構造や宗教から分離して取り出せないことを何度も力説しています。)

彼らが強調するのは、古代やアルカイックな社会の分析には、むしろ人間を根底で規定している無意識や象徴性といった視点からアプローチすることが必要であって、決して経済的合理性だけをあてはめて解釈してはならないこと、そしてそれはむしろ植民地主義的な思想の変奏になりさがってしまいがちである、ということです。

また、経済的視点がもたらす問題としてもうひとつ、「経済」の考え方そのものの誤謬が指摘される場合もあります。つまり、ふつう経済とは、資源の希少性という前提にたってその最適配分を目指す学問である、とされます。しかしバタイユがはっきり指摘したように、実際には人間の活動は「希少性」よりはむしろ「過剰性」をめぐって行われるものではないか、と考えるべきなのです。

南米インディアンであれ現代の日本人であれ、暴力や破壊、消費から宗教に至るまで、人間の生活はむしろ本来的な過剰性の処理としてトータルに理解すべきなのであるとすれば、「希少性」をめぐるものという前提をもった「経済」の視点を持ち出すことは、二重の意味で社会の理解を困難にするのではないか、と言えるかもしれません。

抽象的なことばかり書いていてもいけませんので、ひとつだけ事例を書かせて頂きます。
アンデスでは(エジプトよりは少し時代が下がりますが)、農耕定住が始まるか始まらないかという早い時点で神殿の建設が始まっており、しかも何度も繰り返してこれを作り、しかも段々巨大化するという事実が明らかになっているそうです。つまりアンデスでは、「農耕生活によって生まれた富をめぐって権力や宗教が発生した」という通説は全くあてはまらないというのです。

これについて、アンデスの研究家である関雄二らは、「神殿建設は権力者による強制ではなく、住民の自発的行動であって、権力はむしろその結果として生み出されたのではないか」という興味深い仮説を提示しています。神殿を何度も更新していくことは、経済的合理性では説明がつきませんが、なぜかそれによって社会の活力が保たれ(ここには一部、労働者が食物にありつける、といった狭義の『経済』的効果もありますが)、そのことがやがて社会の分業をもたらした、というのです(『古代アンデス 権力の考古学』)。

いずれにしても、ピラミッドが「公共事業」だというのは、上に書いたような意味でのトータルな社会的活動としての事業として理解すべきだと思います。それは、一義的にはイデオロギー的な歴史観に基づいた「権力による搾取」という視点を排除するものですが、同時に、文字通り単純に、現代的な景気刺激策のイメージを投影することも厳しく排除されるべきでしょう。
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No.3です。


人は、お互いに支え合って生きていくものでありますが、基本は自立です。各自自立することが前提です。
しかし自立するためには、労働をする必要があります。
労働はきついこともありますが、それによって自分自身を高めることも出来、充実した日々を過ごす事が出来るのです。
つまり人は、自立してはじめて本当に充実した、幸せな日々を過ごせるのです。
遊んだり、趣味に時間を使うことも大切ですが、それは人間としての本当の幸せではありませんよ。
そういうことです。
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おはようございます。



最近経済学からは離れているので回答が怪しいかもしれませんが、
面白そうなので参加。

> だから、ファラオは自分で金を作る事は出来ないから、給料は税から出すのでしょう?
> 思いっきり分かりやすくいうと、
> ピラミッドを作らなかった場合、
> 農民の収入を100とします。(もちろんピラミッド関係以外の税は除いた話)
> ピラミッドを作った場合、
> 農民から50の税をとって、20をピラミッド製作費にあて、
> 30を人件費(要は製作員の給料)にしたとします。
> その時農民の収入は、100-50+30=80
> で、ピラミッドを作らなかったときより少ないのです。
> もっというと、自分らでただ働きしてかつ20の出費して作るのと同じコストな訳です。
> これで何故理にかなった公共事業なのでしょうか。


↑のモデルがエジプト農民全体に毎年当てはまるなら、
公共事業は必要ないです。

なのに何故当時のエジプトでは「公共事業」なのか?
それについては、No.6さんの御回答の焼き直しになるのですが、
ここで問題となってくることは3つ。

1)ある年の農民収入は、全員が100を得られるわけではない
2)1年を通して一定の収入があるわけではない
3)毎年変化せずに100の収入を得られるわけではない


日本の古代史で、
 「狩猟時代の縄文期には貧富の差がなかったが
  農耕が行なわれているようになって貧富の差が…」
ということを習ったと思いますが、
農耕社会であるエジプトでもどうやら、
130を得られる農民と70しか得られない農民が出てきた
のではないかと。

そうすることの対策としては、
まず基本収入に応じて税の負担を変化させ(累進課税制度)、
農民に公共事業に参加させ給料を支払うことによって
再配分すると。
そうすると、もともと70しか得られない農民でも、
ある程度の収入は得られるようになるという感じですかね。


また、その年の農民の収入は基本的に、
ナイル川やその土壌という環境要因にかかっているわけで、
ある年には110の収入を得られた農民でも、
大干ばつ等の変化が起こった場合には収入が激減します。

あるいは、異常気象で農地がやられたり、
何らかの理由で農地を追われて農耕ができなくなる農民が
出てきたということも考えられます。

そういう場合には、
作物が豊作の時に取っておいた税としての穀物や、
エジプト国が他国と取り引きして得た食料を、
公共事業を通して、
異常気象で農耕ができなかったり収入が激減した農民に
給料として再配分するわけです。

1930年代のアメリカの大恐慌による超不景気時代にも、
合衆国政府が他国から借金することで財源を作り、
テネシー川の工事という公共事業に
職が無い国民を就かせて定期収入をもたせる、
ということを行なっているわけです。

こういう話と組み合わせると、
税で集めた穀物を閑農期に定期的に再配分する仕組みが
合理的になってくるんじゃないかと思うのですが。

公共事業は、集めたものをそのまま返しているわけではなく、
合理的な時期と対象に再配分しているわけです。


公共事業についてはこんな感じだと思うのですが、
国民側にとって税を取られたりで
収入のうち10~15ぐらいは失うかもしれませんが、

現代とは違う当時の国家の様子を考えると、
ファラオは現世の神であり
国民である自分達は神の恩恵を受けて生活しているわけで、
(公共機関からのサービスを期待する現代とは異なり)
税は当然のものという感覚が現代よりは強いでしょうし、

ただ税を搾取される社会構造よりは、
 ・国家(ファラオ)や神殿に税を支払い感謝する生活
 ・ファラオや国家の威光を示す巨大建造物ができて
 ・公共事業で貧しい人に富が再配分される
ということで、それほど悪い仕組みではなかったのかも。


回答は以上ですが、
上記の回答は「現代の公共事業」の概念および効用を
エジプト社会に当てはめて説明してみただけなので、
これらが全部正しい保証はありません。
妄想に近いですね。
(累進課税制度の概念が存在するかなどは自分でも疑問)

エジプト社会に詳しい方のさらなる説明待ちです。
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失業対策=雇用創設 → 富の再配分のだった(と思う)?



サハラ砂漠が北上、リビアの放牧民が難民化しナイル川流域に集中、食料増産の要求から労働集約的な経済の組織化による生産性の向上を図る過程で産まれた都市文明ですので開始から無産市民が掃いて捨てるほどいたかまたはスタートが平等な農民でも時間が経つと貧富の差が拡大2極化し有力農場主と借財で土地を失うなどした没落農民が多数でる。
王=徴税主体は有力農場主が没落農民を奴隷として吸収するのを見過ごしてもよいが
、有力農場主の富の集積拡大を防ぐ(豪族化阻止)目的で資産家から課税し無産市民か貧乏人に富の分配をする方法として雇用創出をした。(ただで分配するより何か生産したいのは現代と同じ)

近年、ピラミッド建設職人家族用住宅街?も見つかった(奴隷=タコ部屋の見方が変わった?)様で専業従事者もいたらしい。

ピラミッド建設が流行らなくなって久しいBC2000年頃、地方の豪族や知事が強力となって、中央政府である古王国が崩壊し、エジプトは小国割拠の状態となる。
↑(妄想)
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まず事実として、古代エジプトの農民が苦役としてではなく、太陽神への感謝とファラオへの献身から、ピラミッドを築いたらしいということは、当時の石切場にある農民の落書きに表われています。



「王ばんざい」「仕事が終わったらパンとビールだ」などと書かれているようですから。

なぜファラオが必要だったのか。それはラーを中心とする神々に祈る(特に豊作を祈った)、外敵の侵入から国を守る、暦を管理してナイルの増水や大規模な穀物生産を統括するためです。ファラオがいなければ、エジプトは国家としての纏まりがなくなり、農民は安定した生活が営めなくなります。

当時のエジプトは地中海世界で最大の穀物生産地で、農民が自分の食べる分まで、ファラオに搾り取られていたと考えるのは間違いです。農閑期に蓄えた穀物を農民に与えることで、ピラミッドや神殿を築くのは、理にかなった公共事業といえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

だから、ファラオは自分で金を作る事は出来ないから、給料は税から出すのでしょう?
思いっきり分かりやすくいうと、
ピラミッドを作らなかった場合、
農民の収入を100とします。(もちろんピラミッド関係以外の税は除いた話)
ピラミッドを作った場合、
農民から50の税をとって、20をピラミッド製作費にあて、30を人件費(要は製作員の給料)にしたとします。
その時農民の収入は、100-50+30=80
で、ピラミッドを作らなかったときより少ないのです。
もっというと、自分らでただ働きしてかつ20の出費して作るのと同じコストな訳です。
これで何故理にかなった公共事業なのでしょうか。
(念のため。反語表現でなく、純粋な疑問です)

お礼日時:2006/03/01 22:27

No.1のお礼へのコメントです。



>正直、農民がそれほどアホなら王朝が興る前にとっくに死滅してると
>思うのですが。

全部が全部くたばるわけではないでしょう。
しかし、農民を一箇所に集めておいて国が食料を配給すれば、飢え死にする
連中はほぼなくなります。
農業生産人口が減られなければ、翌年の収穫も期待できるわけです。

そして、農民を動員して作った神殿やピラミッドは、エジプト王の繁栄を内外
に示す効果も得られるわけです。(宗教的な意味合いについては、No.2の方
の回答を参考に)

どちらにしても、エジプト王にとっては損はない話であるわけです。
農民がどう思うが関係ないわけで。
ただエジプトの農民にしても、仕事がない時期に働けて食っていけるのです
から、それほど不満はなかったと聞いています。

この回答への補足

申し訳ないのですが、皆様私の質問の意図を理解していないようなので、補足します。
ピラミッドが「公共事業」だとすると、当然給料は民からの税から支払われるわけです。
「一旦税として食料を持ってかれて、それがピラミッド製作の給料として戻ってくる」というのと、
「始めから税を徴収しない」を比べると、農民にとって明らかにプラスマイナスゼロどころかさまざまなコストがかかる分前者がマイナスな訳です。
なのに「ピラミッドは実は圧政による遺産でなく、実は民のためのものだった」
なんて説明になるのかが分からないのです。

補足日時:2006/03/01 19:52
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人間にとって労働は大切です。


しかし当時のエジプトでは、ナイル川が大氾濫を起こす数ヶ月間、農作業が全く出来なくなります。
そこでファラオが、民に仕事を与えようと公共事業を開始したのです。

でもなぜピラミッドなのか…というと、ファラオや民が太陽神と合一するためです。太陽神との合一によって人は幸せになれるという考えです。

以上、早稲田大学の吉野教授による学生です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>人間にとって労働は大切です。
ここが分からないんです。
労働の何が大切なのですか?暇なら昼寝するか詩でも読むか趣味にうちこめって思うのですが。

お礼日時:2006/03/01 20:03

当時エジプトは毎年ナイル川が氾濫し、周辺の農地は水没しますが、上流からもたらされる肥料成分で施肥の必要なく農作が繰り返せたのです。

  当時のエジプトは有数の農産地でした。

この為洪水の季節やその程度の予測が必要で暦学や天文学などが発達したといわれる位です。

従って洪水期には農作業は出来ず、暇をもてあます事になります。

古代エジプトは多神教で国王も神ですからその王墓の建設に参加する事は神に対する奉仕行為でした。
しかもそれに対し食料などの給付があるのです。
収穫後の秋祭りのように国民も奉仕の喜びをかんじたのでは・・・
しかも作業の成果は積み上がっていく石の高さで眼にすることが出来ます。
もちろん王権の誇示や団結の確認といった狙いもあったでしょうが、エジプトに残る多数の神殿はみな神えの奉仕の精神で建造されたものと思われます。

当時の宗教観は素朴なものでした。
現代のように税金は取ったら自分のものと考えて国民への還元を忘れるどこかの国とは異なります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>従って洪水期には農作業は出来ず、暇をもてあます事になります。
これって季節がある国ならどこでも同じだと思うのですが。日本だって農閑期に地酒作りや工芸品が発達しましたよね。
>現代のように税金は取ったら自分のものと考えて国民への還元を忘れるどこかの国とは異なります。
結局返すのだったら最初から税をとらなきゃいいと思うのですが。
結局、労働力を搾取したという「奴隷説」と金銭(当時は穀物でしょうが)を搾取したという「公共事業説」はあまり変わらないのでしょうか?

お礼日時:2006/03/01 15:32

私もその話を聞いたことがあります。

(リソース忘れてしまいましたが)

好意的に考えると、民心の安定が王の権力基盤の強化につながったからでは
ないかと思います。
国を富ますには、まず民を富ませとは、中国においても説かれていた思想です。

古代エジプトにおいては、一年の半分は農業をできますが、もう半分は気候の
ため(乾季の旱魃か雨季の洪水かは失念しましたが)農業ができませんでした。
教養のない農民を半年間も放っておいたら、蓄えた作物を食いつぶす家が
少なからずでることは、用意に予想できます。

そこで王が税として穀物を徴収して、ピラミッド建設などの公共事業をさせ
ながら、蓄えた穀物を農民に分配するというシステムは、しごく道理にかなって
いると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ちょっと疑問に思ったのが、
>教養のない農民を半年間も放っておいたら、蓄えた作物を食いつぶす家が少なからずでることは、用意に予想できます。

正直、農民がそれほどアホなら王朝が興る前にとっくに死滅してると思うのですが。

お礼日時:2006/03/01 15:24

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