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以前『歴史の勉強は「役に立つ」か?』という質問し、その中で生じた質問をさせていただきます。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1944134



「歴史はつまらない、しかも役に立たない。だから勉強の必要はない」といっている中学生や高校生をどのように説得し、勉強させる気にするべきかをお聞かせください。

「そんなことはない例えば・・・」といったかんじで答えられる具体例を教えていただきたいと思っています。

個人的な意見としては歴史の勉強は「楽しい」と感じております。
しかし「楽しいから勉強しなさい」というのは主観的で説得力に乏しいと思われます。


理科系の大学を卒業して数年間、病院で技術系の仕事をした私の経験上、理科、数学、英語などの教科に関しては「社会に出てから役に立つ。だから勉強する必要がある」といった類の説得が可能であると思います。
例えば「理科を勉強したくない」といった中学生や高校生に、私はこういった風に説得を試みると思います。
「私の経験上、勉強するまではイメージできなかったこととして医学は微分積分や統計が非常に多く必要とされ、電気の勉強には三角関数が重要である。そのために将来さまざまな可能性がある若い人は数学や理科を勉強する必要がある。」
といった感じです。


私も中学生のころには「歴史の勉強はつまらないし役に立たない、なぜ勉強するのか」と思っていました。
しかしまわりの大人は納得できる答えを誰もしてくれませんでした。
そんな私が歴史の勉強が好きになったのは、大学生のころたまたま見ていた映画の背景を以前に勉強したことがあったため「歴史の勉強を通して映画がより深く楽しめた」と感じたことがきっかけです。



皆さんならばどんな説得をするのか、ご意見、ご経験、なんでも結構です。
ささいなことでももちろん結構です。
ぜひ教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (21件中1~10件)

私は「歴史の勉強はつまらないし役に立たない、なぜ勉強するのか」とは真逆の人間です。


なぜ歴史が好きなのか、改めて考えてみると「面白い」からです。
小説・ドラマ・アニメなど、ストーリーのあるものを見ていると続きが気になることってありますよね。まさにそれです。
しかもこの「物語」は実際に私たちの祖先たちが行ったことであり、その「物語」の続きは現代の私たちが作っていくのです。
歴史の資料集の最後方のページには小泉首相が載っています。今、まさに私たちと同じ時代を生きている人です。
そう考えると、なんかステキじゃないですか?

リアルに感じられる現代史とは逆に、古代史は虚構のことのように感じることもできます。
「戦争」を例に取ると、現代史に属するベトナム戦争や第一次・第二次世界大戦は悲惨なイメージなのに、三国志の英雄の活躍や桶狭間の合戦にはそんな感じはあまりありません。
だからでしょうか、古代史は現代史よりも小説に扱われやすい気がします。
小説やマンガは歴史上の人物が教科書なんかよりもとても魅力的に描かれます。そして惚れます。(私は惚れました)
歴史モノの小説やマンガを読ませて、そこから「この小説のあとの時代はどうなっていったんだろう」と興味を持たせるのも、良い方法かと思います。(実際、私はこの方法で歴史にハマってしまいました)

付け加えるならば、歴史に出てくる人達は、歴史に名を残すような、「何か」を成しています。
それは成功だったり失敗だったり色々ですが、そこから学べることは何かしらあるはずです。
例えば、豊臣秀吉が貧農の身から天下人になれたのは?知恵を働かせて上司の機嫌を取り、なおかつ実績も残したからです。
戦国時代の軍の統率方法から経営戦略を学ぶ…という本もあるくらいですから、歴史は決して「役に立たない」ものではないと思いますよ。

しかし、「面白いのよ、ためになるのよ、だから勉強しなさい」ではダメのような気がします。
中高生っていうのは反抗期真っ只中の世代です。(私を含めて)
「物理やりなさい」と言われていた頃は意地でも勉強せず、なおかつ反吐が出る程嫌いだった私も、自分で面白さに気付いてからは自らやるようになりました。それと同じなのではないでしょうか?
その「歴史の勉強はつまらないし役に立たない、なぜ勉強するのか」という人達でも、「中国で始皇帝が東京ドーム何十個分とかいう宮殿作ってるとき、日本はまだ卑弥呼の時代にすらなってないんだよ」「古代ギリシャってホモが普通だったんだよ」と言われれば「へぇー」と言うでしょう。
そういう「教科書には載ってない」ような関係ないトリビアを混ぜていけば、テストのときも「処刑されたのは…あ、ベルばらの時代だから、『お菓子を食べれば良いじゃない』のマリーアントワネットのダンナの鍵マニア、ルイ16世か」みたいに思い出しやすくなると思います。

長々と長文失礼しました。歴史好きな人が少しでも増えればいいのですが。
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No.14です。

横レス失礼いたします。

> 理系の学問はそういう事情が無くて、ややこしくなくて良いですよね

だとよいのですが、実際はそうではありません。
意外に思うかもしれませんが、科学技術もけっこう政治的な力学に左右されます。

例えば、同じ工学系の技術者でも、電子制御を好む人もいれば、機械制御を好む人もいます。

弊社の製品開発でもこのような考え方の違いで対立があり、客観的に見て明らかに前者の方式の方が将来性があるにも関わらず、後者が主導権を握って前者をことごとく左遷し、世間の技術トレンドに逆らって後者の方式に固執したために、新技術の導入が遅れ、経営危機に陥ったことがありました。

技術者にもそれぞれ専門分野がありますが、こういう対立の原因は、自分の専門分野への「我田引水」によるものがほとんどで、開発系の人と仕事をしたことがありますが、見ていて呆れました。文系出身の私がいうのもなんですが、こういう態度は科学技術に対する冒涜ではないかと思います。

一時期、発明者が企業を訴える事件が多発し、「文系社会への反発」などと報道されましたが、実際は少々違っていて、本人の弁をよく聞くと、技術者間の対立、自分の方式・技術を技術部門の上司が採用しなかったことへの不満が何より大きいようです。

これだけさんざん書いておいて今更、と思うかもしれませんが、理系の勉強は大事です。
ですが同時に技術者倫理といいますか、そういう人間的な教育、学問に向かう姿勢みたいなものもきちんと教育してもらいたいなと思います。
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yuk2さん、こんにちは。

<(_ _)>#3で回答した者です。

>歴史の本を読むときには政治的意図により捻じ曲げられたことを意識したことはありませんでした。

世に出回っている歴史本で、政治的意図に影響されている本は多いと思います。

例えば、20世紀最大の歴史家の一人に数えられると言われているアーノルド・トインビーという英国の歴史学者の著作は、世界中の大学で、歴史の授業のテキストとして使われる事が多いのではないかと思いますが、
彼はイギリスの植民地経営(インドか南アフリカのどちらかだったと思います。)で重要な役割を果たして、莫大な利益を手にした人物の子孫だそうです。(広瀬隆さんの本に書いてありました。<(_ _)>)

そうなると、そういう人は、植民地支配の酷さを伝えるような内容を歴史書に書く事は、避ける気持ちが起こるでしょう。

別にそういう生まれの人が、歴史書を書かなくても、今の英国で、巨大な権力を持っている上流階級の人達は、過去に植民地経営で巨万の富を築いた人達の子孫ばかりなので、植民地支配をあまり悪くと英国社会で居心地の悪い思いをする事になるに決まっているので、あまり植民地支配の酷さは書きすぎないように気を使うでしょう。

そういう現象は、世界中で起こっていると思います。当然、日本でも起こっていると思います。

そんな訳で、権力者に遠慮して、歴史は大事な部分をぼかして書かれている場合が多いので、つまらなくなっているケースが多いと思われます。

理系の学問はそういう事情が無くて、ややこしくなくて良いですよね。(^-^)
理系の学問は、現代社会生活の技術を支える知識で、重要ですよね。
理系の学問を良く勉強する事のほうが立派という気もします。

私の、1番尊敬するノンフィクション作家の広瀬隆さんも、理工学部の出身で、最初は医学書の翻訳をしていたと聞きます。

やっぱり理系の勉強って大事だと思います。
最後は、話がそれてすみませんでした。<(_ _)>

参考URL:http://www.interq.or.jp/rock/ff67/hirose/books/b …
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子供、学生の立場から回答したいと思います。



「数学」に関しても塾の先生からの似たような質問がありましたが、
キライなものを好きにするなんてのは難しいですからあまり当てにしない方が良いと思いますよ(そういう工夫はあって良いと思いますが)。
私も歴史も数学も嫌いでしたが必死こいて勉強しました。
尊敬している叔父からも時々、将来の悩みについて話をするときに「自分が勉強している意味がわからなかったが目の前にあることを必死になってやった」と聞かされます。
キライだから勉強しないなんてのは単なる子供の甘えですよ。
数学や理科や社会を教えることよりも、成長することを教えるのが教育の一番大事なところだと思いますし、それが伝えられなかったらいくら社会や数学や理科ができる人造人間を作ったってそれこそ「意味がない」「役に立たない」と思いますよ。
世の中には勉強したくても出来ない人たちが大勢いるんです。「勉強嫌いだからやりたくな~い」なんてのは単なるヘタレです。世界や世の中の厳しい現実を教えて、根性を叩きなおすくらいのつもりの方が良いと思います。

「役に立たないから勉強しない」「おもしろくないから勉強しない」なんてのは勉強しないための言い訳なんですよ。
いくら現実として「役に立つ」ことを言葉で教えたって、そもそもとしてそういう動機があるのだから、究極には納得してくれませんよ。
どんなに納得させようと説明しても、何かしら屁理屈をくっつけては抗弁してくるに決まってます。
そういう言い訳のためのいいわけ、子供の駄々こねやワガママみたいなのをそのまま鵜呑みにすることが教育上望ましいんでしょうか?
私にはどうしても良いとは思えないんですが。

昔の人は、まずくても食べましたよね。すいとん。
食べ物が豊かになって今でも、食べ物を粗末にしちゃいけませんって教えますよね。

別に、「勉強をおもしろく感じさせるための努力」を否定するわけじゃないんですが、究極的にはそういう事なんじゃないかと思います

数学に関しての塾の先生の質問も似通った質問で、歴史教科の問題とそのままイコールになるとは思いませんが参考にはなると思うので、見つけたら参考URLとして貼っときたいと思います。

「数学なんて役に立たない」「歴史なんて役に立たない」というのは心理学で言う「逃避行動」なんですよ。究極的には。
本当の「葛藤」の部分を解決するのが臨床上の最終目標であって、逃道をふさいでも逃避行動は別の形であらわれますよね。←しつこい。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

勉強には確かに強制的にやらなければいけないという面が多くあるとは思います。強制的に勉強をさせられてそのことが世間で役に立っていることは非常に多いことも確かだと思います。

しかしながら私の望みはできる限り「面白い」と思わせるような授業が行われることです。
私の乏しい経験から「楽しい」とおもえる事は何にも勝る勉強の動機になるのではないかと考えております。理工系の大学に進学したのはそのためです。

お礼日時:2006/03/11 21:59

私の意見としては、興味の無いところに意欲は湧きませんので一人一人の興味の中から歴史に向かい合えるヒントを見つけアドバイスするしかないかと思います。


私の歴史への取っ掛かりは次のようなものでした。
私の勝手な思い込みですが、学問の最高峰は、哲学だと思っています。
医学も工学も経済学もその他もろもろの学問もたいていが職業関連学問です。
そんな中で、哲学に必須な学問として歴史が重要な位置を占めています。
振り返り、中学・高校の歴史の授業はどうであったかといえば、年号と人物と事件のみの暗記であり、現代まで連綿と続く人間の足跡には何も触れられていません。
そんなものを好きになれといってもどだい無理な話だと思います。
暗記が好きでそれが苦にならない人はテストの点がいいですが、歴史を理解しているとは言い切れません。
私は、歴史の授業は大嫌いでした。
テストはいつも赤点で年表を作っては単位をもらっていました。
高校卒業の日に、恩師に問うたところ、上記と同じ意見が示されました。
そして、「大学には優秀な歴史学者の先生方が見えるからその方々に師事しなさい。」と言われ、更に「君のような生徒を一人でも送り出すことができた私は幸せです。」おっしゃいました。
私はその一言で、歴史好きになったと思います。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

具体的なエピソードがとても印象的なお答えでした。
こんな学問にたいして真剣に向かいある先生こそが学生に勉強をやる気にさせるのではないでしょうか。

「現代にいかにつながるか」というポイントを踏まえた授業が行われれば私も歴史の授業を楽しく感じたかもしれません。

お礼日時:2006/03/11 21:43

恐れ入ります。

多くの方が専門的な知識を持って解答なさっているのでちと恥ずかしいのですが意見を述べさせていただきます。
歴史の勉強が役に立つかと言うことと、歴史を面白いと感じさせるということは別のことと思います。その上で、歴史が役に立つかと言う点についてはよく次のような話をします。「たとえば戦は、それに用いる道具は時代によって大きく異なるが、その原因については数パターンと大差はない。なので、何が原因で戦が起こり、それをどのように収束させたか学ぶことは今の戦略にも大いに役立つ。人がどのようなことでどのように動き、どのように解決できるのかを学びなさいと言っています。
 で、面白いと感じさせるに当たっては、マンガで読む日本の歴史を勧めています。(個人的に学研版はあまり勧めない)「ベルサイユの薔薇」がはやった頃は、あちこちの女子高で中世フランス史はとばしたと言われるくらいでした。「信長の野望」のようなゲームも良いかと思われます。いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

すべての勉強をやる気にする動機には「面白いから」と「必要だから」との2通りあるのではないかと考えさせられました。
また、説得の際にはやはり漠然と「面白いものだから勉強しなさい」ではなく具体的に「こんな面白いものがあるよ」といった方向性のものがよいのではないかと感じました。

お礼日時:2006/03/11 21:32

前回も回答させていただきました。

長文になることお許しください。

先ず、#13さんも指摘されていますが、理科嫌いな子に質問者様の説得はどの程度通じますか?もし通じるなら、これは通じますか?

「私の経験上、勉強するまではイメージできなかったこととして経済学は経済史や国際関係史が非常に多く必要とされ、政治の勉強には政治思想史や文化史、宗教史が重要である。そのために将来さまざまな可能性がある若い人は歴史を勉強する必要がある。」

おそらく通じないでしょう。説得するより本人が興味を持たないとなかなかやらないはずです(もしくは人参と鞭でやらせるか)。

学校の勉強と言うのはやらされているものであって、それは基本的に苦痛なはずです。その中でも、得手不得手があり、理科が好きな子は社会科を、英語なら数学をなぜ勉強するのか疑問に思うはずです(本当に役に立つのか?)。

学校の教科はそれぞれ意味があります。国に貢献できる人間を育てるのが第一目的だからです。例えば、数学や理科、英語、政経は実践的で役に立つのも想像出来ると思いますが、国語や歴史は「国民を作る」という側面を持ちます。これは19世紀頃から欧州で始まった、「国民国家」と言う概念によります。これは「国民として」団結しアイデンティティを育み、国を愛する心を育てるものです。「日本語と言う共通言語を持ち、日本史と言う共通のバックグラウンドを持つ」と言う認識を育てることです。故に#14さんは

>歴史を政治的な争点にしたり、政治的意図を持って捻じ曲げたりする

と仰っていますが、政治的になるのは仕方の無いことです。そのような教科の特性があるので、具体的に説得するようにしても、具体性に限界があるのです。

もし中高生に歴史を勉強させたいなら、説得してやらせるのではなく、

>歴史はつまらない

と言う彼らの認識を変える、教師の腕なり本の面白さが必要となるのでしょう。この点に関して#10さんに共感を得ます。

また別な視点から。
歴史を教科としてではなく、個人でまたは学問で勉強するというなら話は変わります。

まず何か興味の対象を持たなければいけません。当然普段から何にも興味を示さない人は、そもそも歴史に対する疑問も生まれないでしょう。
次に、興味の対象に関する史料を集めます。一つの事柄を調べるにも色々な情報が出てくるでしょう。これらを自身で精読し、使えるもの使えないもの、信頼性のあるもの無いものと取捨選択しなくてはいけません。そして最後に自分なりにその歴史を構築するわけです。その自分なりの歴史が歴史観とか歴史認識といえるものでしょう。
この中の過程も重要です。つまり、情報取捨の能力等が求められ、それが個人のスキルアップにもつながります。
ちなみに、素人(歴史好き)と玄人(歴史家)が大きく違うのは、使える史料の価値が歴史家のそれと雲泥の差があることと、歴史家の構築する歴史は学問であり、一応の客観性と他者を納得させる論理を備えていることです。

とは言え、素人さんの歴史が駄目かと言うとそうではなく、そこで導き出された個人的見解に基づき自ら価値判断が出来、なおかつ重要局面で主体的行動が取れる人間になれます。

個人的結論として、説得は難しいが歴史を学習する意義は自らの行動指針の一つとして重要である。

最後に欧州においては歴史学は法学と並んで文系教科の最高峰に位置づけられ、その卒業生は就職率で経済学よりも上です。それは知識のみならず、論理学、修辞学その他の学問分野をカバーし判断する総合的学問であるためです。つまり歴史を学習するというのは実践的なのではないでしょうか。
日本では目に見えて役に立つというイメージが無いためどうしても経済学より下に見られますが・・・

前回とは別の観点から、書かせていただきました。読みにくい点ありましたことご容赦ください。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。


確かに学校の勉強は「やらされている」感じがとても強くあると思います。しかし私の望みとしては多くの可能性を持つ学生たちに「面白い」「勉強したい」と思わせるような魅力ある授業が行われることです。

経済学に疎い私には歴史との関係性があることがとても以外です。きっと世の中には学生時代の私のように「経済学は役に立つ、歴史は役に立たない」と思う人が多くいるように思います。経済学には歴史がどれほど重要かを説く大人が周りにいたら歴史への印象が違っていたと思います。

お礼日時:2006/03/11 21:27

興味深いテーマなので、私も参加させていただきます。

ちなみに歴史は大好きです。

いろいろな言い方ができると思いますが、科学的に言うなら、人間の脳は、過去の経験・記憶を元に、物事を判断すると言われております。ご自身も「私の経験上・・・」と現に何度か書かれていらっしゃいますから、わかりますよね。

ですが、一人の人間が経験できることは、物理的に限界があります。即ち、歴史の勉強で他人の経験を疑似体験することは、これからの人生でよりよい判断をするために非常に大事であるし、逆に言えば歴史を勉強しなかった人はした人よりも、人生の判断という点では不利であると言えますね。

歴史も人類が積み重ねてきた「知的財産」なのです。いろいろな変遷を経て現在我々がパソコンを使っているように。知的財産と言っても科学技術だけではありません。自分の人生に財産を生かさない手はないですよね。

・・・と、私が長々と書いたことを、孔子は論語の中でさらりと「温故知新」と表現しています。

ちなみに蛇足ですが、以上の理由により、最近見られるような、歴史を政治的な争点にしたり、政治的意図を持って捻じ曲げたりするのは、私は感心しません。歴史的に正当化しなければ自虐的になるものでもないですし、後世の人の判断を誤らせてしまいますから。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

「多くの人の経験を自分自身の糧にする」という具体的なお答えであったと思います。

「温故知新」はもちろん知っている言葉でしたがその意味を深く考えたことが今までありませんでした。

歴史の本を読むときには政治的意図により捻じ曲げられたことを意識したことはありませんでした。
これからはこのことを念頭に置き勉強をしてゆきたいと思います。

お礼日時:2006/03/08 22:21

こんにちは、以前のご質問でNo6に回答したものです。



理科や数学のような実用性もかねた科目のほうが、社会などの科目よりも、その実用性(特に就職において)に重点が置けるので、説得はしやすいですよね。

>「そんなことはない例えば・・・」といったかんじで答えられる具体例

以前私は、
「自分が生きているこの世界で、今までどんな歴史が繰り返され、これからどこへ向かおうとするのか。その中で自分は周りの世界とどのようにかかわって生きていくべきか。」
と述べました。
つまり、歴史を学ぶ意義は、
「これから社会に出て、日本人の一員として、この国とどのように向き合い、どのような国にしたいのか。そのための冷静な判断力を持てる目を養うこと。」と説得します。

情報があふれている現在の社会では、何が正しくて間違っているか容易に判断できないことも多々あります。そんな中にあって、情報に騙されたりしない、自分の頭で考える思考力が必要です。同時に、民主主義国家日本の国民である以上、自国の政治に目を向け、あるいは投票と言う手段などで参加しながら、国家を一部の権力者の都合の良いようにしてはならない、そういう監視の目も必要です。過去の歴史を理解して初めて、そういう行動に出ることが可能です。

さて、この説得が力を持つかどうか、もうそれはNo8さんがおっしゃるとおり、個人個人の差によると考えます。
以前も書きましたが、私は、
「数学はつまらない、しかも役に立たない。だから勉強の必要はない」
と思っていて、実際今ほとんど役に立っていないので間違いではありませんでした。
そして恐らく、
>医学は微分積分や統計が非常に多く必要とされ、電気の勉強には三角関数が重要である・・
と説得されても、俺には関係ない、と思ってしまうでしょう。

「就職の際の選択肢が広がるから、理数系はやっておいたほうがいい」
と言うのと同時に、社会に出てから生きるうえで役に立つのは、一部の専門家がやる理数よりも、歴史のほうだと伝えるでしょう(これは私の立場であり、専門職のyuk2さんの立場や考えでは、もちろん異なるでしょう)。
また、歴史に限りませんが、人文系を軽視する傾向が、科学万能の思想を生み、オウムのような人間を作り上げてしまうことも危惧します。

まぁしかし、繰り返しますが、説得が「力」を持つかどうかは、理数であれ、歴史であれ、また、具体、抽象どちらでも、説得する人間とされる側に大きく左右される問題であると考えます。
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この回答へのお礼

前回に続きお答えいただきありがとうございます。

理工系の大学を出て、それに関した仕事をしている私は数学の重要性を感じています。
しかし「数学は一部の得意な人がやればよい。すべての人がやる必要はない」といった類の意見を聞いたときには十分な説得ができないのかもしれないと感じました。

数学・歴史の限らずすべての勉強において重要性、必要性を説き、勉強する意義を感じるような授業が学校で行われることを望みます。

お礼日時:2006/03/08 22:13

他の方の回答の焼き直しかもしれませんが……



「今」の状況を正しく(適切に)理解するには、過去を知らないと難しいと思います。

例えば、今現在憲法改正が話題になっていますが、なぜ憲法改正が叫ばれているのか、それを正しく理解するためには少なくとも過去10年くらいの社会の経緯を把握していないと難しいですよね? これは現代世界史になるんじゃないかと思います。(新しすぎて「歴史」にはならないかもしれませんが)
じゃあなぜ現在のような憲法が制定されたのか? これも歴史を知らないと判りません。

現在の中東情勢も、正しく理解しようとすれば少なくとも50年程度は歴史をさかのぼる必要があるでしょう。或いは古代ローマ帝国の時代までさかのぼる必要があるかもしれません。

ただ、こういう事を言って説得しようとしてもなかなか納得できないでしょうね(^^;。特に中学生には。
歴史上のできごとが現在にどのようにリンクしているか、を教えていけば少しは興味を持ってもらえるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。


例に挙げられた憲法に限らず現在の非常に多くのこと(例えば私の場合は医学や工学に関する事柄)をしっかり理解するためには歴史の勉強も必要不可欠であると思います。

このことは多くの人が仕事をしていく上でより思慮深い行いができるようにするためには歴史の勉強が必要なのではないかと考えさせられます。

お礼日時:2006/03/08 22:03

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