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セポイの蜂起はどうして起きたのか?
どうしてセポイは反乱をしたのか?
この2点の問題についてはたくさんの説があるみたいなんですが、
知っている方は回答をお願いします。

A 回答 (2件)

こんにちは



 セポイ=シパーヒーとは、イギリスのインド支配の中核であったイギリス東インド会社のインド人傭兵のことですが、かつては「セポイの乱」といわれていました。しかし、反乱に参加したのはシパーヒーだけではないので、近年は「インド大反乱」と呼ぶのが主流のようです。

 当時のインドには、旧支配層、没落した地主・土地を失った農民、さらに安価なイギリス製綿製品の流入により衰退したインド人綿職人など、多様な階層の人々がイギリス支配への不満をつのらせていました。また、蜂起がおこった1857年は「プラッシーの戦い」(イギリス VS フランス・ムガル太守連合軍)から100周年にあたり、インドではイギリスの支配に対する反感が非常に高まり、「イギリス滅亡の年」という予言も流布されます。

 反乱のきっかけは、東インド会社が採用したエンフィールド銃にありました。その弾薬包には、#1さんご指摘の通り、防湿および銃身での摩擦を少なくするために牛と豚の油脂が塗られていました。牛はヒンドゥー教徒にとっては神聖な動物であり、豚はイスラム教徒にとっては不浄とされた動物ですね。

 したがって、デリー北方のメーラトのシパーヒー兵士はこの銃および弾薬の使用を拒否します。そのため1857年5月9日、軍法会議により85名のシーパーヒーが投獄されたことが引き金となって、翌10日、メーラトの部隊が蜂起します。蜂起部隊は、有名無実化していたムガル皇帝を擁立し反イギリス闘争をよびかけ、反乱は北インド全域に拡大します。

 しかし、統一性を欠いた反乱軍はイギリスにより撃破され、皇帝は廃位されムガール帝国は崩壊します(1858.8)。それとともに、東インド会社も解散させられ、11月にはインドはイギリス本国の直接統治におかれることになります。


 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …
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この回答へのお礼

とても長い説明ありがとうございました。
わかりやすかったです。

お礼日時:2006/03/12 13:05

きっかけのひとつは信仰上の問題で、銃が新しいタイプになるのにその銃弾を包む袋を口でかみきらなければならないのに、その銃弾をカースト外の人たちが作っているのとウシの油が塗ってあるとのうわさが広まったことです。


そういうことでひとつの兵営で起きた反乱がひろまってムガル皇帝まで巻き込んだ大反乱になりましたが、やはりイギリス支配に対する不満がたまっていたからともいえます。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい説明ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/12 13:04

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