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1185年に守護・地頭が設置されたようですが、平家没管領500ヵ所(関東御領)に置かれたのは地頭。そして守護は一国に一人ずつ設置されたとありますが、これは頼朝の支配権が承認されている平家没管領などに関係なく全国的に設置されているんですか?

A 回答 (1件)

はじめまして。



Wikiによると、1185年の頃の頼朝の勢力は、
単なる関東の一大私兵集団でしかなかったそうです。
この1185年に頼朝の義父である北条時政が
後白河上皇との折衝で、守護・地頭の設置を勅許されたそうですが、
これも名目上は義経追討のための捕獲組織、というもので、
当初は西国ではなく東国~奥州への地固めに利用されたと
考えた方が正しいのではないでしょうか。

もと平家の所領であった西国への進出についても、
頼朝が征夷大将軍となってからも、後鳥羽上皇が守護職を勝手に任命・罷免したりと
その立場としては非常に弱いものだったようで、
「全国的に」設置できたかは疑問です。

守護・地頭が九州や関西の所領にまで広がり、
その権限が強められていったのは、
1221年の承久の乱によって後鳥羽上皇派だった関西の御家人が
所領を没収され、その替わりに幕府側の御家人が領主として
移り住むようになってから、ということのようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%AD%B7
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