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世界遺産の文化遺産についての本を読んでいます。

スペインのテルエル(teruel)という都市は、アルゴン地方の南部にあり、テルエルとは雄牛の意味。

「キリスト教徒に対抗し牛を放って攻撃したことからこの町の名前になった」と書いてあります。

キリスト教徒に対抗するために牛を放つだけで、有効な攻撃になるんでしょうか?
そのあたりの歴史はどうなんでしょうか?ほかにもそういう記述はあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

コメントありがとうございます。

No.3です。

>ひとつだけ疑問なのは、牛を放ったのはいいとして、諸刃の剣ではないかということです。自分たちには襲ってこないの、という疑問が生じます。

牛は群れで前に進みますから(たまに横に行ったりするのでそれは危ないが)、前に行かせるようにして、放った側の人たちは後ろにいれば大丈夫だったんじゃないでしょうか。

牛追い祭り情報がありました(日本語)。
牛の動向が書かれていますので、ご参考まで。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4724/page04. …

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4724/page02. …

http://www.spaintour.com/oet2004/events/matsuri- …

どこで放ったかにもよると思います。
狭い道なのか(スペインの旧市街は道狭い)、城壁みたいなのの中か外か・・・
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こんにちは。



「アラゴン地方」ですね。昔はアラゴン王国でした。

私もその闘いのことは知らないんですが、No.1さんの挙げてらっしゃるウィキペディア・スペイン語版http://es.wikipedia.org/wiki/Teruelを見ると、街の名前の由来として、

El nombre procede de la conjunción de las palabras aragonesas Tor (Toro) y Uel (Estrella).

と書いてあります。
あとは伝説とか言い伝えとかよく分からない(理解できない)のですが、街の名前は、アラゴン語のTor(雄牛)+Uel(星)から派生したものということのようです。
どうも何種類か伝説があるようですが、いずれも「雄牛と星」が出てくるらしい。

最初はイベリア人がTurboletaと呼んでいて、ムスリムがやって来てから(8世紀以降)Tirwalと呼ばれた、とかいう情報もありました・・・

ちらほらネット上の日本語情報を読みますと、1171年か1172年(1171年という情報が多い)にはもうキリスト教勢が土地を奪っているらしいので、No.1さんのおっしゃる1347年より前ですね・・・・。
でもキリスト教勢が来たあともイスラム系の人々が残っていたとのとなので、後でも争いがあったということ?
私にはそのへんがよく読解できませんので、誤読してるかもしれませんが。

かつてはユダヤ教徒がいた町でもあるようです。
(スペインのユダヤ教徒は15世紀にイサベル・カスティーリャ王国女王&フェルナンド・アラゴン王に追い出された)

が、肝心の牛を放った話が見つかりません。
でももし牛攻撃をしたら、No.1の方がおっしゃるようにパンプローナの牛追い祭り的にえらいことになりそうです。
現代でも人が死ぬことのあるお祭りです(地元民でなく外国人が死んだり負傷しやすいという話)。

ちなみにテルエルでの戦いというと、1930年代のスペイン市民戦争(内戦)が有名みたいです。


単に私がスペイン語を読めてないだけかもしれないので、自信なし。
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この回答へのお礼

皆さんぼくのために骨身を惜しまず説明していただいてありがとう。

ひとつだけ疑問なのは、牛を放ったのはいいとして、諸刃の剣ではないかということです。自分たちには襲ってこないの、という疑問が生じます。

お礼日時:2006/08/21 10:31

この戦いのあった頃はスペインは永らく続いたイスラムの支配に対しキリスト教徒が反撃に出てスペインを奪還しようとしたレコンキスタの時代でした。



イスラム側は各地に孤立し、次第に劣勢になり遂にスペインを放棄しアフリカに去ります。

この時テルエルの都市を攻撃したキリスト教軍に対しイスラム軍が牛の大群を暴走させて敵陣の混乱を狙ったのだとおもいます。
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まず、テルエル攻防戦がどういったものだったのかちょっとわからないので・・・牛の軍事的利用という面だけでの回答になりますが・・・


牛を放つという戦法は、実際に有効です。
簡単に言えば牛を暴走させるのです。牛というのは結構脚は早いですし、重量もあります。
同国で、牛追い祭りというやつがありますよね。毎年けが人を出す危ない祭りなんですが・・・あれをさらに大々的、かつ攻撃的にやると考えてください。

なお、日本でも同様の戦法があり、木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いで行ったとされる、火牛攻めが有名です。
数百もの牛の角に松明をくくりつけて、暴走させました。牛は火が頭の上にあるのですからものすごい勢いで走り、相手をなぎ倒します。
もっとも、これは後ろが崖だったために相手を壊滅させられたのですが・・・

なお、この戦が行われたのは1347年のようで、レコンキスタの終盤間近ですね。
この「キリスト教徒」というのは、カスティーリヤ王国のことで、この都市を奪還しようとしたのを迎撃した際の伝説と考えられます。どちらかというとその本の書き方不足で、もちろん軍対軍の争いです。
http://es.wikipedia.org/wiki/Teruel

参考URL:http://www.eurasia.co.jp/nittei_04_shimo/04_s_eu …
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