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西洋では人名を地名につけるけれど(アレクサンドリアからスターリングラードまで)、東洋では人名を地名につけることが少ないのはなんでですか?

むしろ日本だと地名から人名をつけてるような・・・(田中、谷川、exc...)

A 回答 (13件中1~10件)

 たぶん、西洋人は自己主張が強く、東洋人は奥ゆかしいからではないかな。


 また、ヨーロッパは地続きなので、勝ち取った土地に自分の名前を冠しておく必要があったからかもしれません。
 参考程度です。
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日本などの漢字文化圏では一文字ごとに意味があるので2つだけで「意味のある」新しい単語が出来上がるので、地名をどんどん「作れる」からではないかとおもいます。


たとえば早稲田・三軒茶屋・新宿などはその漢字からそこがどういったところだったか想像ができます。

また、集中豪雨などで冠水したりがけ崩れの起こった場所の名前をニュースで聞くと、被害を受けた場所には共通した漢字が使われていることがあります。
災害に遭いやすいところには地名でわかるように先人の知恵が込められていた、ということです。

ここ最近に付けられた地名は現在は単に見栄えと語呂のいい地名が量産されて、100年後の人がそこがどういう土地だったのか何もイメージできないような地名ばかりになるのかもしれません。

参考URL:http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__223 …
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日本でも、その土地の功労者の名前を地名にしているところがあります。


(豊田市、埋立地の地名(○○新田)など)
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うちの近所に「永井久太郎」という地名があります。

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大阪ミナミの道頓堀は堀の名前であると同時に、町名でもあります。

安井道頓から付けられています。

他にも宗右衛門町、久左衛門町というのがあります。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95% …
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織田有楽斎→有楽町


服部半蔵→半蔵門
ヤン・ヨーステン→八重洲
ウィリアム・アダムス→按針町(今は使われていませんが)

けっこうありますね。
日本以外の東洋の国ではどうでしょうか……ベトナムのホー・チ・ミン市、イランのニーシャープールといったところが思い当たります。西洋と東洋でそれぞれ人名由来の地名をカウントするなど、「本当に東洋では人名を地名につけることが少ないのか」というところから考えていったほうがいいのかもしれません。
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日本のような(おおざっぱな見方での)単一民族国家、中国のような


単一文化圏と異なり、
西洋では異人種・異教徒・異言語の住人や土地を征服・支配することが
多いため、その土地や都市の住人に「誰がおまえたちを征服したか」
「誰におまえたちは支配されているか」を認識させるために人名を
地名につけさせたり、反対に
憎むべき支配者から解放してくれたそのお礼と喜びの証としてその
解放者の名前をつけることが多いからです。
前者のいい例がスターリングラード、後者はアレクサンドリアでしょう


ただ、前者の場合はやはり支配者が変わったり住民の意識が変わると
名前が変わる場合がおおいですね。
(スターリングラードなどソ連の大都市や東ドイツのマルクスなどの
名前は体制変更後すぐに変わってます)
対して、後者はアレキサンドリアのようにペルシャ王国から解放して
くれたうえ、ナイル川の治水工事やエジプトの神を尊重してくれた点
で住民から支持されたせいか長く残っています。
フランスに行くと、ドイツから解放してくれた政治家や軍人の名前を
地名に見かけることも多いですが、それもそのうちの一つでしょう。

そりゃ、日本にだって人名からついた地名もいっぱいありますよ。
でも、地図帳で太文字や大きめの文字で書いてある地名に人名はほと
んど見ませんね。
人名をつける(その都市・土地の素性や正体を知らしめるという行為)
は、その都市が他の分野や文化への発展を妨げると、
日本人は本能的に思っているからじゃないでしょうか。
だから、和光市は「本田市」に改名することを断念したのでしょう。
そういった意味でいえば、
(真田や足利といった昔の支配者の名が残っているところは別にして)
豊田市や天理市というのは、感覚的に「鼻につく」ぐらいの異質感を
感じます。
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マイナーですが北茂安町という町がありました。

(平成の大合併で消滅)これは筑後川の治水に貢献した戦国時代の武将から名付けられた地名です。昔は南茂安と言う地名もあったそうですが・・・

もう一つは地名では無く駅名で方谷駅という名前の駅があります。これは幕末の改革者から名付けらたそうです。

前者は佐賀県。後者は岡山県にあります。他にも日本全国探せば沢山あると思いますが・・・
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日本では地名を付けるのは神聖な行為であり、安土桃山時代以前は、天皇にのみ許された行為でした。


その為、人臣が勝手に都市名を付けたり、変えたりすることはタブーであり、ましてや自分の名前をつけるなど、とんでもないことです。
他の回答者が上げた地名は、大抵は安土桃山時代以降に付けられた地名であり、有楽町や道頓堀などはこれ以降のことになります。
それ以前は、足利とか新田というように、地名を一族の名前にすることが普通で、古の藤原京も、藤原氏以前から地名があったようです。
つまりわが国においては、古代中世は人名を地名とすることにタブーがあり、信長が美濃を岐阜としたあたりから、このタブーが薄れ、活躍した有名人の名前を冠した地名が出来てきたのでしょう。
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No.4さん。

京都市伏見区桃山町永井久太郎ですね。これ、永井さんと久太郎さんは別人なのですよ。かつて伏見城の城下町だった時の大名屋敷の名残で、久太郎さんの名字は堀です。永井家と堀家の屋敷にまたがる地域だったのです。この地名の人に手紙を書く際に、「永井久太郎様方」と書く人がいたという笑い話を聞いたことがあります。伏見城下には、この他にも大名屋敷に由来する地名が多く残っています。

No.7さん。話が逆です。足利などの地名が先にあって、それに由来する名字を名乗ったのです。

人名を地名に付ける例は他にもあります。例えば淀屋橋(淀屋辰五郎)。これは公式の地名ではないかもしれませんが、京阪の終点として余りにも有名です。

神戸市中央区加納町というのもありますね。確か、この地の有力者の加納さんに由来するもので、何か(具体的なことは忘れたが、川の付け替えだったかな?)に貢献した人です。

なお、門真市と守口市の合併話がありましたが、潰れてしまいました。もし合併したのなら、「松下市」が相応しいところでしたが…。両市ともに松下の工場があり、守口最大の会社三洋も松下の兄弟のようなものですから(松下幸之助の義弟が創業者)。
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