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こんにちは。
ソ連や中国、北朝鮮、東欧諸国の共産主義政権では、かつて大規模な粛清があり多数の人が命を落としたり、収容所生活を強いられました。
ベトナムの歴史を表層的に見た限り、あまりホーチミン(あるいは彼の側近)が粛清を行ったとは聞かないのですが、ベトナムでは起こらなかったのでしょうか?
隣国のカンボジアでは凄惨を極めましたけど。。。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

ボートピープルが、おおむねご質問の意味での粛清に当たります。


権力奪取から、権力の確立において、粛清は起こります。
奪取までは、近しい考えの人間まで含んだ、大連盟でも、奪取後に、だんだんと、不純な(権力者にとって)部分を削ぎ落とす課程で粛清が起こります。(まぁ権力を持たなければ粛清する力もありませんが)
ホーチミンがしなかった、できなかったのは、南ベトナムが存在して、南北ベトナムを含めた権力奪取が不完全だったためではないでしょうか。
ホーチミンの個人的なキャラクター云々ではなく、権力のチェック機能を持たない(反対者の存在を許さない)権力であれば、常に粛清はあり得ることかと思います。
中国の歴史で、帝国が成立したあとは、必ず粛清が行われています。
また、ヒトラーも権力を握ったあと粛清を行っています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ボートピープルは昔のニュースなどで知ってます。
ソ連や北朝鮮のように夜中に突然公安警察に逮捕され、強制収容所送りになって運が悪いと即処刑・・・というパターンではないんですね。

お礼日時:2006/10/23 22:40

ありました。

強制移住という、非常に見えにくい形で。
詳しいことは稲垣武『悪魔祓いの戦後史』(文春文庫)をお読み下さい。
戦後知識人の右往左往を書いたものですが、その中でベトナム戦争についても、詳細に記述されています。
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カンボジアのは中国の文革の余波ですね。



ベトナムでも言われているような粛正はあったかもしれませんが、規模的にはそれほどでもなかったのでしょう。
ほとんどはNo.1の方が書かれているように「ベトナム難民」として国外に流出しました。
ベトナム難民というと、共産主義下のベトナムが嫌な一般のベトナム人が逃げ出したというような書き方をされる事が多いですが、
彼らが実際にどのような人たちだったかというと、旧南ベトナムの政府や軍関係者、あるいは経済的に利権を得ていた華僑がほとんどです。
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ホーチミン市に住んでます。


北の征服側、南の負け組みがいっしょに仲良く?暮らしてますよ。
近所のおっさん、おじいさんには、75年に逮捕されて投獄生活を
おくりホーチミン市に戻ってきた人なんかがたくさんいます。
金持ち、政府要人とか、ヘンナ人殺しの経験がある人たちは、
ボートで逃げたようですけど。

ただし、政治犯刑務所はまだOPENしてます。
いまでもヤバイ事をすれば、入れますよ。
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この国でも、粛清はあったと聞いています。

 私はODAの仕事で1999年と2000年、この国を訪問しました。 南部のホーチミン市(昔のサイゴン)と南部の10県、北部の首都ハノイと周辺の三県を調査しました。 

政治権力は北の共産党が握っていますが、経済は完全に南に握られています。 南の科学者は英語もフランス語も堪能ですが、北は下手です。 この国がドイモイという政策を実施して、市場経済の導入に躍起となっています。 ますます南に主導権を奪われてしまいます。 

この国の人は頭は良いのですが、すぐに『キレル』のが玉にキズ。 だからいつも誰かと喧嘩ばかりやっているのです。 お隣のタイ国を見習ったらというと、『あいつらは、卑怯な国民だ』となります。 理屈ばかりいって、実践が伴わないところがちょっと気になりました。 
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この回答へのお礼

貴重な経験者からのご教授有り難う御座います。
タイとベトナムは非常に仲が悪いですね。以前バンコクでナンプラー(魚醤)を「ベトナムのニョクマムとおなじ物?」と聞いたら、「あんな物と比べないでくれ」と言われました(笑)。
ベトナムはラオスやカンボジアとも仲悪いし、かつて援軍をくれたはずの中国とも仲悪いですね。逆にベトナム人の好きな国はどこなんでしょう?(苦笑)

お礼日時:2006/10/24 17:31

中国や旧ロシアのような大規模な粛清はなかったと思いますが、強いて言うなら、ベトナム戦争終了後に当時のサイゴン政権下の官僚、役人それに軍人などに対しての厳しい制裁的なものはありました。



それは「再教育センター」と呼ばれているものです。表向きは南ベトナムのそれらの人々の思想的な再教育をするためというものでした。現実的には一般市民に近い人たちは1週間もしないでセンターを出ることもありましたが、多くは数年以上、中には10年間以上も収容されていた人たちも多くおり、そのほとんどの人たちは持てるすべての財産を没収されています。

この「再教育センター」はベトナム全土に作られ、別名「強制収用所」とか「労働キャンプ」、それに「思想改造キャンプ」などと呼ばれ、その実態はかなり残虐な行為もあったようですが、現在のベトナム政府はその事実や実態を公表することもなく、従ってそのような事実はなかったというスタンスを取っています。

またベトナム戦争中にも占領した当時の南ベトナムの都市などでは、北ベトナム軍がサイゴン政権下で働いていた市民や一部の外国人を、そして地方では米軍に協力したり米兵と恋に落ちた女性などをかなり残虐な方法で殺害し、周りへの見せしめにしていたこともよく知られた事実です。これも粛清と言えなくもないかと思います。
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