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1918年から24年にかけての日本軍のシベリア出兵についての質問です。
日本はシベリアという広大な大地に7年もの間(第二次大戦より長いです)大軍を送り込み、東シベリアの広大な地域を占領していますが、なぜ
1 その戦いを記した資料が少ないのでしょうか。あったとしても世間に知られていないのでしょうか。
2 意味のない出兵だったとされているとはいえ、大規模かつ長期に渡るものだったと思います。それなのになぜ世界史における扱いが極端に小さいのでしょうか。
3 日露戦争や第二次世界大戦の戦史マニアは多いですが、戦史マニアにとってシベリア出兵は魅力がないのでしょうか。
4 日本軍は占領に際し、どういう兵器を使用したのでしょうか。また占領政策はどのようなものだったのでしょうか。
5 ロシアとの戦争において気をつけるべきことは冬対策だと思いますが、ナポレオンやヒトラーと違って日本軍は冬将軍にどう耐えていたのでしょうか。
わかるところだけで結構です。個人的には第二次日露戦争、もしくは第一次日ソ戦に位置付けられるべき大事件だと思うのですが。

A 回答 (4件)

ウィキペディアに詳しく書いてありますね。


これは戦争と言うより政治の争いが強い感じがするから、マニア受けしないのかな?w

参考URL:http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%B7%A5% …
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>気をつけるべきことは冬対策



日本陸軍の冬季訓練中の悲劇「八甲田雪中行軍遭難事件」は有名ですね。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C8%AC%B9% …
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シベリア出兵そのものに関しては No1さんのとおり、WIKIPEDIAで見てください。



2,3に関して
両者とも、その後影響が大きかったか小さかったかで扱いが変わります。
たとえばインカ帝国の南アメリカ統一戦争などは、(たぶん)大規模で長期のものでしたでしょうが、インカ帝国の存在がその後の世界史における位置づけとして意味がないので、誰も注目しません。
3に関して詳細を書けば
日露戦争は、西欧諸国に対するアジア国家の勝利として、他の西欧諸国から圧力を受けていた諸国のいろいろな運動の契機となった。トルコとかインドですね。
日露戦争は、それまでの運動戦・遭遇戦から塹壕戦になった初めてのもので、後から考えると、欧米の観戦武官がもっとこの戦争における戦闘のあり方を検討しておけば、第一次世界大戦は違ったものになったろうと言われています。その意味で、日露戦争は戦史マニアにとって魅力があります。
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1 その戦いを記した資料が少ないのでしょうか。

あったとしても世間に知られていないのでしょうか。

シベリア干渉戦争に関しては確かに世界的な戦争は紛争から比べれば少ないといえますが、けっして資料がないというわけではありません。例えば「歴史学研究」(1951年)5,9月号に掲載された井上清の「日本のソヴエート革命干渉戦争」や細谷千博による「シベリア出兵の史的研究」(1955年)、同「ロシア革命と日本」(1972年)、和田春樹「シベリア戦争史的研究の諸問題」(1973年)、同「シベリア出兵をシベリア戦争と呼ぶことについて」(1975年)、原睴之「日本の極東ロシア軍事干渉の諸問題」(歴史学研究1980年3月号)などなど、かなりの研究書や論文が発表されています。

2 意味のない出兵だったとされているとはいえ、大規模かつ長期に渡るものだったと思います。それなのになぜ世界史における扱いが極端に小さいのでしょうか。

簡単に言えば日本での資料が少ないのは、あなたが仰るように日本国内の国民や政治家、それに現地の兵士にとってもあまりに不人気な戦争だったからですし、国際的に見てもこの戦争が世界に与えたインパクトという観点から見ればそれほど大きな意味を持っていなかったからといえます。
このまま世界が平和な時期を過ごしていればそうでもなかっただろうし、多くの学者や研究家がこの戦争をテーマにたくさんの書物を残していただろうと思いますが、その後の日中戦争や第二次世界大戦が立て続けに起こったことを考えれば、現在のような扱いは仕方のないところだと思います。

3 日露戦争や第二次世界大戦の戦史マニアは多いですが、戦史マニアにとってシベリア出兵は魅力がないのでしょうか。

日本陸軍が始めて味わった大規模なパルチザン戦、つまり対ゲリラ戦という意味からは興味は惹かれますが、戦闘に関してはひたすらゲリラに振り回されただけの戦争という見方が大勢を占めています。正直個人的にもこの戦争に関してはあまり興味は涌きません。多くの学者や研究家にしてみても大同小異ではないかと思いますね。

4 日本軍は占領に際し、どういう兵器を使用したのでしょうか。また占領政策はどのようなものだったのでしょうか。

当時使用した武器で目新しいものといえば、航空機や列車砲が挙げられますが、そのほかはどの師団も標準的な武器を使用していました。つまり重砲のような大型武器はゲリラ戦には不向きな事もあって、比較的軽量の山砲や機関銃、小銃などの小火器が戦闘の中心であったということです。
また占領政策ということですが、日本の眼目は傀儡政権の樹立であったことは間違いなかったのですが、結局民衆はパルチザンを支持したことによって、日本はその焦りと兵士たちの厭戦気分からくる士気の低下から、民衆の虐殺、掠奪、暴行、徴発を繰り返し、ますます民衆は反日に傾いたため、結局シベリアの占領政策は破綻しています。

5 ロシアとの戦争において気をつけるべきことは冬対策だと思いますが、ナポレオンやヒトラーと違って日本軍は冬将軍にどう耐えていたのでしょうか。

日本軍もシベリアの寒さを事前に研究しており、それなりに防寒対策はしていたことは事実です。兵舎には大型のストーブを設置し、工兵隊は耐寒用家屋の試作などを精力的に行いました。とはいえ兵士たちに与えられた防寒具は厚手の生地にフードをつけた外套、手袋、ブーツ程度のもので、あくまでも付け焼刃的なものでけっして十分なものではなかったことは、兵士たちが故郷に送った手紙の中で特に寒さに対する不平不満が多かったことが物語っていると思います。また寒さや衛生不良で倒れた将兵は全体の2割以上にも上っています。

以上かなり大雑把な説明ですが、ご参考になれば幸いです。
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