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 こんばんは。

 古今東西、歴史を学ぶ上で歴史と「宗教・戦争・食糧事情」は切っても切り離せないものだと思っています。
 そこで、「歴史と宗教が結びついて、『平和が保たれている例』、そして、『争いが起こった・激化した例』」をできる限り挙げていただきたいのです。例えば、「もともと共通性のない民族の人々が宗教を通じて手を結び合った」、「宗教が元で殺し合いが起こった」などということです。

 抽象的・具体的に関わらず、広く意見を聞かせていただきたく思います。
 よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

ユダヤ人は人種・民族の名前ではなくユダヤの宗教に属している人のことなので


最近だとその辺が大きい戦争でしょうか?

国対国の陣地争いをする前の古い時代はみんな絡んでるんじゃないですか?
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??? 歴史を学ぶ上で


『歴史と「宗教・戦争・食糧事情」は切っても切り離せないものだ』と
いうこと自体がどういう意味かわかりませんよ?
歴史とはなんぞや、というところが違うというか、
言葉の選択を間違っているのか、どちらかではないでしょうか。

歴史とは、人類社会の過去における変遷・興亡のありさま、またその記録に過ぎません。
Historyの語源が(派生語からの関係で)”真実の物語”と定義されうることからもわかるように
それ以上の意味を持たせようとするのはむしろ間違いだと私は思いますね。

歴史と宗教が結びつく?ということが具体的にどういうことか
サッパリわかりません。もっと説明してください。

「もともと共通性のない民族の人々が宗教を通じて手を結び合った」という事例は
個人レベルならかなりあると思いますが、
国家レベルだと宗教は強く”支配”と結びついているので、
”手を結び合った”というような和やか形には到底なりませんね。
神や信仰と、世俗的団体としての宗教とは全く別で、
一般に、現実社会では、宗教とは大衆を支配するあるいは操る道具なのです。
穏やかな形ので布教であれ、強制的なものであれ、その本質は変わりません。

また逆に「宗教が元で殺し合いが起こった」ということも実はありません。
これは双方の様々なプロパガンダの影響で誤解されることが多いですが、
そういう場合には宗教は単に”口実”として利用されるだけで、
実際には常にもっと具体的な利害の衝突があります。
だから宗教戦争があっても、宗教家同士が和解して決着したような戦争は
一回もないのはそのためです。

宗教は時に過大に時に過小に評価されますが、
実際には単なる人間の政治的・思想的団体に過ぎませんから、
その影響は他の団体が及ぼすものと違いはないのです。
何しろどんな悲惨なことが起きても
神様が前面に出てきたことは一回もないですからね。
人間が起こして、人間が解決するのみであれば、
人間の行動のみに注目すればいいのであって、
信仰とか教義とかなんとかはほとんどさしたる影響も与えません。
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>歴史と宗教が結びついて



というのは「宗教が歴史を利用して」と言い換えてもいいでしょうか?
以下の回答はその解釈の元、行っていきます。

まず、大きな例としては「キリスト教における、ローマ教皇の優位性」があげられますね。
この思想は、「イエス・キリストがペテロに天国のカギを預けた」という新約聖書の記述と、「ペテロがローマで殉教した」という「歴史」とを結びつけることによって成り立っている論理です。
この結果、原始キリスト教当時7つあった教会のウチ、「ローマ教会が頂点に立つ」という思想が生まれます。
そして、この思想を利用して後のラテン=ヨーロッパの歴史が動いていく事になります。

>もともと共通性のない民族の人々が宗教を通じて手を結び合った

この例は、「カール大帝の戴冠」があげられます。
この歴史的意義は、「ゲルマン民族」と「ラテン・ガリアなどのローマ帝国圏の人々」との「文化的・宗教的」融合です。
もともと、「ゲルマン民族」は「ローマ帝国圏」の外の民俗でした。
結果、宗教も文化も違いました。(厳密には、古代ローマ帝国はテオドシウス帝以前は多神教の国(信仰の自由を認める)だったので文化・宗教も多岐に渡っていましたが。)
その後、有名な「ゲルマン民族の大移動」がおこるわけですが大小様々な部族が互いに争いながら、「ローマ帝国圏」の人々を支配下に置いていきました。
このときに、徐々に有力になっていったフランク族が「フランク王国」を築きます。
そして、カール1世がフランク王国の実権を握ったときに、彼はカトリック=キリスト教に改宗しました。
そして、時のローマ教皇「レオ3世」より「西ローマ帝国の王冠」を授かり、「西ローマ皇帝」になりました。
結果、ゲルマン民族も「キリスト教徒」となり以後のラテン=ヨーロッパが形成されていきます。

>宗教が元で殺し合いが起こった

この例は、「宗教改革」があげられると思います。
これを、簡単なスローガンにすると「聖書に返れ」です。
つまり、「カトリックの思想」以前に戻ろうとする動きです。
そして、ローマ教皇の優位性を否定していきました。
その結果、カトリック=プロテスタン戦争とも言うべき争いが各地にひろがっていきました。

以上が、「宗教の歴史利用」による「戦争と平和」の例でしょうか。
そして、細かく観ていけば、常に底流に「食料事情」があるでしょうね。
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この質問の趣旨についての論議がなされてるようですが


ごく普通に考えて「宗教・戦争・食糧事情」が歴史に与えた影響という観点から回答すれば良いだけの事ではないでしょうか。
すなわち
「歴史上における、宗教の影響で平和が保たれた例」「同じく戦争・紛争の発端や激化の原因となった例」を挙げれば良いと言うことですよね。

国語の問題はこの辺にしまして、歴史の話に移ります

宗教の影響により保たれた平和の実例は
今現在我々が体験享受していますね。
戦後60年の日本の平和も宗教とは無縁ではありません。
日本人は皆さん自覚が薄いでしょうが神道の影響を強く受けています。
「自分は無宗教だ!」と言い張ってる人も例外ではありません。
それは神道の宗教行事を行ってるかではなく、神道の思想や慣習の影響下にあるかという事だから自分が神道の信者であるとかの自覚は殆ど関係ありません。
神道はキリスト教等と違い全体を統括する総責任者や協議を網羅した聖典が無いので、信仰の自覚が芽生えにくいのです。
神道的な思想の中に「和を尊ぶ」「穢れを忌避する」と言うものがあります。
「和を尊ぶ」は聖徳太子の17条憲法にも謳われてますよね。早い話が争わず平和にやりましょうって事です。
「穢れを忌避する」の穢れの最大のものは死穢なんです。ですから死の大量生産大会である戦争は神道にとっては忌避すべきものです。
太平洋戦争であまりにも多くの死穢と接した反動で、戦争そのものを否定する平和大好き国家日本になったと言う訳です。
付け加えるなら
日本人にとって原爆などの放射能は「穢れ」です。
日本人が核兵器に対して外国人より過敏に反応するのも神道の影響があります。

宗教の影響による紛争・戦争の実例は
現在中東でアメリカが継続しています。
こちらは詳しい説明は要りませんよね。

以上、現代も歴史の一部だと言う視点で回答しました
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