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どの宗教の信者の方でも、無神論者の方でもよいのですが、
私は以前から神(仏)はどこにいるんだろう?と疑問に思っていました。

誰もそれを教えてくれないのは、それがわからないからなのではないか?とも思います。

知ってる方がいらっしゃいましたら教えてください。

宜しくお願いします。

A 回答 (16件中11~16件)

仏はちょっとニュアンスが違うので、神としますが…。


私達が見聞きしている神は人間が描いたもので、神のほんの一部、あるいは人間の扱いやすいように描かれていますから、これを基準にして考えても答えなど出ません。

神は居るのではなく、在るのです。
神がどこかに居るのではなく、私達が神の中に居るのです。
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この回答へのお礼

>私達が見聞きしている神は人間が描いたもので、
>神のほんの一部、あるいは人間の扱いやすいように
>描かれていますから、
>これを基準にして考えても答えなど出ません。

これは納得。

>神がどこかに居るのではなく、私達が神の中に居るのです。

これはよくわかりません。
もし、神が人間の(無神論者でない人の)心の中にあるとすれば
私達が神の中に居るというのは、つじつまが合わないと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/26 16:21

No.4です。



ティファレトのリンク先 間違えました。

http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%83%86%E3%82%A3%E3% …

ここでした。
神の座はやっぱりティファレトかな。
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それぞれの宗教が言う全知全能 なんでもできてしまうマジシャン的なものを、私は神などとは全く思いません。


マジシャンの王様みたいな概念を神だと言う人は、私はペテン師だと思っています。

ということで、そんなのが神だと言う人たちから見れば、私は完璧な無神論者です。


その私から言うのもなんなんですが、、、、

ヘブライ語は抽象概念が不在の言語だと言う人がいます。
(私はヘブライ語がわかりませんので、「そうだ」 とも 「いいや違う」ともいえませんが)

そのヘブライ語では
男は45、女は19、そして神は26の数字になるそうです。(ゲマトリア)
男45-女19=26
従って神は男と女の間にいることになります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD% …
ティファレト。
生命の樹の中心に座します。 調和。
神名はエロハとなっています。

http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3% …
【"運動の中の静止、音響の中の静寂" と説明される過去と未来の融合点。】
つまり 「私はある」ってことですよね。
過去にありて未来にありし者であるってこと。
古代ヘブライ語には現在というものが無かったと思います。
ここが神の座????

ただ、エローア(エロハ)って女性形だったと思います。
女性というより創造の主ってことで、生み出す原動みたいなものでしょうか。
現在が全てを生み出す。
なんとなーく古代の人が言っていることはわかるのですが。。。
難しいですね。
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自分の心の中にいませんか?宗派があるように、自分の考え方で違ってくるのです。

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この回答へのお礼

「感じる」「思う」「想像する」
そういったことで出てくるものは、この世に「存在する」とは言えないと思います。
そういったものは、「空想上のもの」「架空のもの」であって
「存在」ではないと思います。

お礼日時:2006/11/25 00:28

 仏教者ですので仏教について私が感じていることをお話します。


 『仏』という言葉は『ブッダ』というインドの言葉を中国語で音訳したもの、『仏陀』の頭文字です。仏陀とは「真理を見出した者」という意味を持つ言葉で、中国語では意味の方をとって『覚者』とも訳されています。
 一般に私たちが「仏様を拝む」という場合、私たちには「誰か実在する人物に尊敬と感謝の気持ちをあらわす」といった気持ちがあると思います。とすると、上の意味からは「真理を見出してくれた人」を指すことになる。一般にはお釈迦さんが最初に真理を見つけた人です。が、後にお釈迦さんの教えを受けて真理を見つけた人はたくさんいます。少なくとも一人ではありません。
 ところで、実のところ私の場合、覚者に対して尊敬と感謝の気持ちを持つのはもちろんですが、むしろこういう覚者教えを通して『真理』そのものに限りない信頼の念を抱いているといった方が、気持ちとしてはピッタリするのです。としますと、『真理』はどこか遠くにではなく、「いまここに充満している」ということになりませんか。
 私にとって「仏様」はそういう存在です。
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この回答へのお礼

>むしろこういう覚者教えを通して
>『真理』そのものに限りない信頼の念を抱いている
>といった方が、気持ちとしてはピッタリするのです。
>としますと、『真理』はどこか遠くにではなく、
>「いまここに充満している」ということになりませんか

私は物理学科出身なので、『真理』を科学的に考えてしまうたちなのですが、
ある相対性理論の教授の著書に「相対性理論はお釈迦様でもわからなかったことです。それをあなた方は理解できるのだから素晴らしいことではありませんか?」というようなことを書かれていました。
相対性理論は、お釈迦様でもキリストでも見出せなかった真理です。
しかし、現代科学でもブラックホール・暗黒物質・宇宙の果てなどなど、解明されていない真理がたくさんあります。
つまり、この地球上に真理をすべて見出している人はいないでしょう。

>『真理』はどこか遠くにではなく、「いまここに充満している」
これは賛成です。真理は宇宙空間全部にあるわけですから、「いまここにもある」わけです。
ただ、ここにあっても、それを見出してる人はまだいないのではないかと思います。

神と真理が全く同等なものだと考えると、おっしゃるとおりなのですが、
様々な宗教が言っている神仏と、科学者の追及している真理とは大きなズレがあるようにも思います。

大変参考になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/25 00:20

[私は以前から神(仏)はどこにいるんだろう?と疑問に思っていました。

誰もそれを教えてくれないのは、それがわからないからなのではないか?とも思います。]
そうですね。目には見えない霊的世界にいますからね。でもいますよ。仏陀、イエス様、モーゼ様 みんないと高い霊界にいますね。一般人でもまれに霊的に見えることもあるのですね。ずいぶん前にはなりますが見たままを、象徴的にいえば釈尊仏陀は霊界では奈良の大仏を何倍も大きくしたようですね。イエスさまは雲の上で天蓋の下で弟子を従えて下界を見下ろしてましたよ。遠くからでしたから羽がついていたかどうかは見えませんでしたがね。実際は巨大な羽をつけてるようですね。モーゼ様は、イスラエルの民があんな調子だから、険しい顔をして高いところを飛び回ってましたね。神の心子知らずでよね、見えないということは怖いことだね。みんな雲の上の仏神の長だから見上げるような高いところにいましたよ。それから巨大な黄金に輝く直径数十キロはあろうと思われる円盤状の零体がありましたね。見上げるだけで我を忘れましたが、おそらく全知全能の神の本体でしょうね。ということで聖書や仏典にあるような全知全能の神、仏・神・天使・精霊といった人々がみんないる世界は確かにありますね。なぜそういう世界が見えたかわかりませんが、おそらく質問者さんのような方々に回答するために見せてくれたんでしょうね。見てないと答えられないものね。
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この回答へのお礼

大昔の人が言った事を鵜呑みにする感覚は私にはわかりません。
昔の人が言ったことでも、例えば、ニュートン、マックスウェル、アインシュタインが発見したことで、何度実験しても確かに成り立つことは、私は信じますが、
お釈迦様、イエス様、モーゼ様、それらの方々が言ったことが本当なのか?(その方々は空想・幻覚なので感じたかもしれない可能性だってあります。本人達は、自分の感じたことを正直に言ったのかもしれませんが。。。)

実際、一部の宗教の教えで実験事実と異なることも多いのは確かです。

「目に見えないもの」でも電磁波・素粒子など科学的に確かなものは数多くありますが、霊界はどういうふうな説明ができるのか、どこにあるのかも疑問です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 00:42

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