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今現在では、教えて!gooとかで、情報交換を全国からできますよね?
でもパソコンが無かった時代、どのようにして、昔の人は自分がわからないことを解決していたんでしょうか??たとえば僕の趣味の格闘技だったら、○○っていう技どうやってするの?って聞こうとしても、周りに格闘技の道場がなかったり、身近に格闘技経験者などがいなかった場合、それと、格闘技協会みたいな総合的な場所のところも自分の周りにそれを知っている人がいなかったりした場合などです。もう一度質問繰り返します。どうやって昔の人は解決したんでしょうか?
そういう歴史に詳しい方教えてください!!!

A 回答 (9件)

パソコンはもちろんなく、テレビ・ラジオもなく、郵便もない時代、例えば江戸時代としましょうか。

そして質問者さんが、大名などのようなエライ人ではなく、普通の家の若者だったとします。
 普通の若者の情報伝達や情報交換は99%口(くち)です。
 残りの1%は、文字が読める人であれば手紙です。これも今のような郵便ではなく、誰かに頼んで手紙を渡してもらうわけです。近所の人に頼む場合もあれば、遠方であれば飛脚という商売の人にお金を払って依頼しました。
 以下は架空の話です。江戸時代に総合格闘技はなかったので、剣術であったとしましょう。

 質問者さんは剣術を独学で勉強していました。最初の手ほどきはお父さんにしてもらいました。お父さんは現在遠方に長期出張中です。
 ある技について疑問を持ち、誰かに聞きたいと思いましたが、お父さんは遠方ですので聞くわけにはいきません、困りました。
 そこでお母さんに相談したら、お父さんは500メートル先の家のAさんと剣術仲間であったことがわかりました。
 質問者さんはAさんの家までテクテク歩いていって、Aさんに技について聞きました。ところがAさんの腕前は大したことはなく、その技についてロクに知りませんでした。
 しかし、Aさんは親切な人で、○○(お父さんのこと)の息子ならば、剣術の大家のB先生に紹介状を書いてやろうといって、書いて渡してくれました。
 そして質問者さんは翌日、紹介状と握り飯の弁当をを持って、8キロ先のB先生のところまでテクテク歩いていって、B先生の教えを受けました。
 
(1)今と違って地方の人間は、日本で最新、最高の知識をすぐに得ることは出来ない。B先生も大した先生ではないかも知れないが、それでがまんするより仕方がない。

(2)今と違って情報の入手は、他人の口コミが頼り。従って人付き合いは今よりずっと大事。お父さんはAさんとの付き合い方が良かったので、紹介状を書いてくれ、質問者さんの目的が達せられた。

(3)今と違って、一つの情報を得るのは物凄く大変。時間もテクテク歩きの労力もかかる。情報の洪水のような今の時代と大違い。
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この回答へのお礼

分かりやすい話、最後にはまとめをしていただきありがとうございました。
素晴らしかったです!!

お礼日時:2007/04/12 17:22

江戸時代のことですが、中公新書「元禄御畳奉行日記」の著者は「元禄の世の人はテレビも新聞もなかったこの時代、人々はいつも情報に飢えていた」というように書いています。

  この通りでしょう。  情報は関心の有る人の所には集まったでしょう。
これは尾張藩の畳奉行の日記ですが、藩内の事件は多く集まっています。   口こみでしょうが、すぐ広まるものらしい。
この日記の原本には江戸、京都の事件も多く書かれていて、伝わっていることが判ります。  元禄浅野浪士の討ち入りは伝わるのに10日あまり掛かっています。   
大事件は藩の飛脚によると思いますが、他国の事件は旅行者、商人の話がたよりなので、江戸詰の重役以外はくわしくないと思います。
藩内のことは庶民にも広まっていたと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/12 17:22

昔という定義を何時の時代に遡るのか,何処の国なのかにより回答が異なると思いますが,共通して言える事は”情報が国家の繁栄を左右する”と言えるのではないでしょうか。

チンギスハーンが史上最大の帝国を築き維持できた最大のポイントは「情報の伝達手段」が優れていたからと言われいます。驚異的視力による烽火や騎馬民族の特性を活かした駅伝制が方法論です。
日本でも信長が桶狭間で大逆転劇が成功したのは密偵から今川義元の情報を細かく受けていた結果です。日本がWW2戦争でアメリカに負けた要因の一つに情報技術が劣っていた事が上げられます。
庶民の情報は現代でも同じみの,いわゆる”くちこみ”や江戸時代では”瓦版”が上げられます。今でも一部に使われる速達は”飛脚”として知られています。
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この回答へのお礼

やはり くちこみ ですか・・・。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/12 07:57

情報交換の基本は、人がナマで出会うこと。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC% …
イギリスにおいては、コーヒーハウスの各店舗の差別化のために各種の情報交換ツールが作られた。
江戸時代においては、各藩の江戸詰の藩士同士が、藩の経費で、吉原をはじめとした社交場で情報交換しておりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/12 07:56

#4さんの回答ですけど、確かにです。


私の若い頃はオークションなどありませんから、雑誌を買うと「売ります/買います」コーナーというものがあり、自分が売りたいものを載せたり、買いたいものを募集すると、手紙が来て、これはと思う相手と取引をするという方法でした。
プライバシーも煩くなく、文通相手を募集するときは実名ということすらありましたね。
この頃ですと、少年誌に連載してる漫画家のところに読者が尋ねていって、直接サインを貰うこともあったようで、それだけのんびりしており、情報も広がらない時代でした。
今では考えられませんね。
この頃は何か習い事をしたいとき、周囲に全く詳しい人がいなければ、それらしい人を紹介してもらいました。
剣道を習いたいけど伝がない、近所の人に町内会長を紹介してもらう。
町内会長は保護司などを兼務してることがあって、警察に出入りしてるので、警察関係の方を紹介してもらう。
そうすると、警察には剣道の師範が教えに来ますから、その方を紹介してもらう。
その方が道場を持っていなければ、自分の仲間内で道場を開いてる方を紹介してもらう。
このように、直接の知り合いでなくても、次々に紹介しあって、目的に人物に会う事は可能でした。
江戸時代もこんな感じだったのではないのかな。
親に頼んで庄屋さんに会いに行く、庄屋さんに紹介状を書いてもらって、町の有力者(商人とか)に会いに行く、その有力者が然るべき人物を紹介してくれる、というように順繰りに。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
もういちど聞きますが、

>道場の師範や同輩から情報を聞いて、江戸などの大きな道場に修行に
>行くなど。

とありますけど、そんな事して、「この者は、この道場に誇りをもっていないのか。」と嫌われそうなんですが、昔(パソコンが無かった時代で日本)はそんな事して嫌われなかったんでしょうか????

補足日時:2007/01/24 00:06
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/12 07:55

はっきりいってしまうと、情報の交換のしようがなかったのです。

いや、しようがなかったというとちょっと語弊がありますね。情報にコミットできる人が限られていた、というのが正確だと思います。

昔は雑誌などの巻末に「文通相手募集」や「同好会メンバー募集」というコーナーが必ずといっていいほどありました。身近に情報ソースが持てない(特に地方に住んでいる人と都会に住んでいる人の情報格差は今以上でした)人が情報を手に入れたいと思ったら自ら人脈を開拓する必要があったのです。例えば、touzinさんがお好きな格闘技なら同じ格闘技ファンの人と文通したり格闘技同好会のようなところに顔を出したりして情報交換をしたのです。
えっ、面倒くさいって?そうです、面倒くさいんです。だから、昔は趣味の世界もそれほど細分化されていませんでした。今は格闘技ファンもプロレスから打撃系、総合系と細分化されていますよね。でもかつては格闘技の好きな人はおおむねプロレスファンでもあったのです。初期のK-1やプライドを支えたのは(特に新日系の)プロレスファンです。
また、深い情報を得ることは極めて限られていたのでちょっとした情報を知っているだけでも大きな満足感を得られました。例えば、新日の選手の名前を全部知ってるだけでも「おおー」となったりしたのです。

昔、初代タイガーマスクブームというのがありました。タイガーマスクの正体は誰かということに全国のチビっ子(死語)はもとより物好きな大人たちも興味津々で、あるゴシップ雑誌が数百万円の懸賞金までかけて情報を募集しましたが、申し出る人はいませんでした。当時、あるレスラーにサインを求めると「タイガーマスク」と書き、写真を撮ると「ごめんね」といってフィルムを抜かれる選手がいることが熱心なプロレスファンに知られていましたが、一般には知られていませんでした。今だったらネットの掲示板ですぐ書かれてしまいますよね。

だから、もしtouzinさんが昭和時代に生きていてプロレスではない格闘技ファンになったとしても、その情報はほとんど得られなかったですし、そもそもプロレス以外の格闘技は非常に限られた世界にのみ知られていたので、まずプロレス以外の格闘技の存在を知ること自体がなかったと思います。

もっと古い時代になると、人づてにその道に詳しい人を訪ねていったり、手紙を送ったりしていたと思います。
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この回答へのお礼

その時代の情報交換は確かにめんどくさいですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/12 07:54

インターネット以前は書籍でしょう。


皆、図書館や百科事典で調べました。
それ以前の時代や、書物に載らない秘技・秘伝に関して弟子入りして口伝で…。

ちなみに、
情報の共有を目指す運動として「百科全書派」という存在が世界史の教科書に載っていたと思うけど?
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C9%B4%B2% …

この回答への補足

>図書館や百科事典
上で、
「格闘技だったら、○○っていう技どうやってするの?って聞こうとしても、周りに格闘技の道場がなかったり、身近に格闘技経験者などがいなかった場合、それと、格闘技協会みたいな総合的な場所のところも自分の周りにそれを知っている人がいなかったりした場合」図書館や百科事典で知ることはできるのでしょうか?

補足日時:2007/01/08 21:10
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/11 18:53

昔の人は狭い範囲で生活していたはずなので


周りの人が格闘技を知らなくて経験も無ければ
必然的に自分も格闘技というもの自体しる手段が無く、したがって、分からないということ自体おきなかったのではないのかと思いました。

周りにあるごく少数の情報、しかも詳しい年配の人がいる状況のものだけを知ることができていたのではないかと推測します。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
周りに聞いても知らないような情報が知りたいときは、やはり自分の足で歩いて、人にあったら「何かよい情報はないか?」と聞くしかないのでしょうか?

補足日時:2007/01/08 20:37
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
最後に、質問なんですが、「周りにあるごく少数の情報、しかも詳しい年配の人がいる状況のものだけを知ることができていたのではないかと推測します。」の「状況の「もの」」の「もの」は何を指してるんでしょうか?
回答本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 20:56

情報はほとんどなかったと考えたほうがよいと思います。


例えば、大名の屋敷の住所ですけど、時代劇のように表札があるわけではないので、「武鑑」という住所録のようなものを頼りに訪ねます。
この武鑑には、藩士の名前なども詳しく書いてあり、他藩の人間が目的の人物と会うときの参考にしたり、行列と行き違うとき、これで家紋を照合して、どこの大名の誰かを確認したりします。
こういった系統だった書物があればそれで参照しますけど、後はほとんど口コミではないかな。
剣術をやりたいと思えば、周囲の人に聞いて評判のよい道場に通う、その道場の師範や同輩から情報を聞いて、江戸などの大きな道場に修行に行くなど。
商店などですと「引札」といって、チラシを配って集客してますけど、

http://www.kahoku-orikomi.co.jp/hikifuda_gallery …

武道の道場では卑しいと考えて、やはり口コミでは。
全く情報がなければ、もう飛び込みでいくしかなく、新撰組などのドラマでも、そういうシーンがあったような。

この回答への補足

回答ありがとうございます!!!


>道場の師範や同輩から情報を聞いて、江戸などの大きな道場に修行に
>行くなど。

とありますけど、そんな事して、「この者は、この道場に誇りをもっていないのか。」と嫌われそうなんですが、昔(パソコンが無かった時代で日本)はそんな事して嫌われなかったんでしょうか????

補足日時:2007/01/08 20:12
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 20:47

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