dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

高1男子です

中学時代は、勉強は凄く大事なものだと信じ、とにかく勉強のために生きました。

現在は、自分の通える距離の高校の中でトップの学力の高校にいますが、ここんとこ数ヶ月さっぱり勉強しておらず、テストの順位は下りまくっています。高校に入り、生き方について色々と考えたら、もう勉強する気がほとんど抜けてしまいました。


聞きたいのですが、

勉強や学歴は、そんなに大事なものですか?

クラスメートや友達との“友情”を犠牲にしてでも、高めねばならないものですか?

部活や趣味を殆どおろそかにする、など、汗と涙の“青春”を犠牲にしてでも、高めねばならないものですか?

学歴至上主義であるがゆえに周りから陰湿なものとして扱われ、イジメ行為の対象にされ続けても、おかげで毎日の学校が“心を許す事のできない場所。いっときもリラックスをできない場所”となっても、そうしてでも、高めねばならないものですか?

私は現在、中学のクラスメートたちが「中学は楽しかったよ」と言っている時に「俺はつまらなかった」と反応をするのが、凄くむなしいのです。このむなしさを大学にいっても味あわねばならないのでしょうか?「俺は高校つまらなかった」と言わざるをえないようにしてでも、またそのむなしさを味わう事になっても、そうしてでも高めねばならないものですか?

私を中学を通じて、このような犠牲を払ったと思います。これからもこのような犠牲を払ってでも、勉強・学歴は高めねばならないものですか?そんなに将来に必要なものですか?そんなに将来に大切なものですか?
漠然とした質問ですが、ご回答をお待ちしています。

A 回答 (19件中1~10件)

勉強は、クラスメイトや友人とのつきあいとどちらか一方というものではなく、十分両立できるものです。

ただし、その比率は常に変え続けないとだめかもしれません。

本当にできる人は、片方を犠牲にしたりせず、まんべんなくこなします。でも、みんなができるわけではありません。だから、どちらに重きを置くかを、そのときそのときで変えるわけです。

どうも、「どっちか一方と決めたらそれで貫く」と極端な考えに染まってしまっているようですね。どちらかを重視すべきときには重視し、片方があまり必要でない場合は力を注がずに重要な方に注ぐ。それだけのこと。自分に余裕がでてきたら、すべてにまんべんなく注ぐこともできるでしょうが、それができないなら、その日その日とか、ある一定時期ごとにバランスを変えればいいだけです。

それから、申し訳ないけど、あなたの人生はまだこれから今までの何倍もの時間があるわけです。中学までの友人だなんだというのは、中には一生のつきあいになる人もいるでしょうが、全員がずっとつきあい続けるわけではありません。もちろん、充実して楽しく過ごせるに超したことはありませんが、もしそれができない時期があったとしても、それは人生のほんのひとときのことです。

実は私も、高校時代がかなり暗黒時代で(笑)、クラスメイトの名前や、どんな教室だったか、など、ほとんど思い出せません。でも、今は結婚して家族もおり、仕事も充実しているし新しい友人も増えています。高校3年間、中学3年間がなんですか。どうってことないんですよ、そんなの。友人関係でしくじったりつまらないことになったら、その分の力を、勉強やその他のことに注げばいいだけです。その分、将来なにか違うカタチであなたにその「注いだ力」は返ってきます。

とにかく、

・何事もバランス。極端はダメ。
・今がダメでもまだ先は沢山ある。気にするな。

です。その程度でむなしい、とか言ってたら、この先に待ちかまえているもっとすごい苦難(絶対あります)なんか耐えられないですよ。失恋、別れ、失敗、挫折。この先てんこ盛りです。その程度でねをあげないこと。
    • good
    • 2

勉強はすごく大事です。

正解です。

でも、目標のない勉強は辛いですよね。

どうして勉強が必要なのかというと、多くの人にとっては
夢を叶えるツールだからです。
道具がなくてはスタートラインにすら立てない場合があります。
でも私は若い頃はそれに気づきませんでした。
夢も自分の学力にあった夢を半分無意識、半分意識的に設定してしまいました。

高校時代は一番私は楽しかったです。それは仲の良い友達に巡りあえたから。しかしそれは勉強をしていなかったから、めぐり合えた友達では
ないと思います。
なぜなら、彼女達はいつでもそれぞれの考えを尊重し応援してくれるからです。
私がかりに勉強に明け暮れていても、夢があるから
勉強を頑張っている!と宣言すれば、応援してくれるのが本当の友達。
本当の友達がいたから、高校時代が楽しかっただけの事です。
質問者さんは夢がありますか?
何でもいいと思いますよ。
「女にモテモテになりたいから、東大に行く!」
とかでも。現実には東大生なら誰でもモテる訳ではないと思いますが
皆に宣言できる夢があると、目的を見失わないのではないですか?

心から学歴が大事じゃないといえるのは東大卒の人だけだと思います。
それを実感する為に東大を目指すのも目的ですね。
支離滅裂でごめんなさい
    • good
    • 2

じゃあ、僕の経験から言うと、それが出来るのは、「頭のいいヤツ」だ。

君は若いんだから、野望は大きく持つべきだし、頭のいいヤツを目指そう。「馬鹿」では、間違いなく両方とも達成するってのは無理だぜ。

ここで一つ考えないといけないことがある。
「頭がいい」ってどういうことだろう?ちょっとマジになって考えてみてくれ。

テストの点がいいのは「頭がいい」のではなくて「テストの点がいい」んだよ。しかし「頭がいい人」はテストの点もいい可能性が、高い。
だからテストの点がいいのも、頭のよさのひとつだ。

君が、勉強は置いといて、遊ぶと決めたとしよう。何をする?じゃあ、趣味をしよう。例えば、楽器を弾こう。練習しよう。「頭がいい人」は、楽器を「3ヶ月」で曲をマスター。これは「テストの点がいい」からといってできることじゃないだろ?必要なのは、楽器を早く上手くなる頭の良さだ。

友人を作ろう。何をするにも仲間が居ないとおもしろくない。どうやって友人をつくる?友人をいっぱい作りたくて、実際につくれるのは「頭がいい人」。これは「テストの点がいい」からといってできることじゃないだろ?友人と楽しくやれるのは、テストとは関係がないよね。
必要なのは友人と楽しくやる頭の良さ。

他にも遊ぼう。じゃあ、彼女をつくろう。まずは女の子と知り合う。楽しい思いで作ろう。じゃあ、笑わせなきゃね。そこで、女の子を笑わせられる?笑わせられるのが「頭がいい人」。「テストの点がいい」からといってできることじゃない。女の子を笑わせられる頭の良さが必要。

頭がいいっていうのは、「自分がしたいと思った事を、達成できる能力」のことを言うんだ。君は、そんな頭がいい人になれ。そしたら両方諦めないでも済むよ。

君がもしかしてバカにしているかもしれない人の中には「楽器を早く上手くなる頭の良さ」を持つ人もいる。「女の子を笑わせられる頭の良さ」や「いろんな悪さをすぐに思いつく頭の良さ」や「一回通った道をすぐに覚えられる頭の良さ」や「世の中のために、自分がつまらない地味な事でもやりぬく事の価値を知っている頭の良さ」等々。。。いろんな頭の良さを持つ人が驚く程いっぱいいるんだよ。それは君も感じた事があるだろう?だからこそ、学校の勉強なんて何の役に立つんだ?って疑問がわいているんだ。

それでいいんだ。今までの数少ない環境が勝手に決めた価値観に縛られずに、いろんな「頭の良さ」を持つ人と接してみよう。いろんな「頭の良さ」を持つ人と接すればするほど、自分もどんどんいろんな頭の良さが身に付いてくる。そしたらいろんな頭の良さを駆使して、自分のやりたい事を達成させよう。

あのね、今はなかなかわからないだろうけど、言っておきたいことがある。数学でいい点がとれる頭が良さと、友達と楽しくやれる頭の良さって、違うと思うでしょう?実は、同じなんだよ。頭を良くするための勉強って、どれも共通しているんだ。実は。

だから、「本来の意味での勉強」というのができていれば、学校のテストの点が上がれば、女の子を口説くのも上手くなるし、楽器をマスターするのも早くなるんだ。友達と遊ぶ事で、勉強がもっとできるようになるんだ。意味が分かるかな?

なにごとにも、コツというものがあるってことだ。そのコツを見つけ出して、上達させることにおいては、どんな分野も同じことなんだ。
本質を見るんだ。本質を見る事が出来れば、両方可能だ。何も諦めなくても良い。時間に捕われなくても良くなる。

そういう意味の、本当の頭の良さを身につけようとすればいいよ。

いろんな経験をしたほうがいい。勉強だけしてれば、テストの点が良くなるというのは違うよ。いろんな経験をすることで、テストの点の上げ方もわかってくるんだ。

君が本当の意味で頭が良くなる風にがんばれば、
君は将来幸せになれるよ。いい企業に入れるとか、やりたい仕事ができるとか、理想の奥さんをもらえるとか、そういうことを
目指すんじゃなくて、自分が本当の意味で頭が良くなることを求めるんだ。君が本当の意味で頭が良くなった結果として、そういうものはついてくるんだ。

がんばれ!
    • good
    • 3

とても良い質問だと思うよ。



要するにこういうことだな。
君は、クラスの、部活の、街の、いろんな友人と、一緒に汗を流したり、同じ目標に向かって真剣に練習したりしたい。そしてまた、バカな事言い合って笑い転げたり、仲間たちと一緒に若気の至り的な悪さをしたり、時には喧嘩をしたり、悩みを相談し合ったり、将来の夢を野望を語り合ったり、女の子と遊んだり、女の子に冗談を言って笑わせたり、口説いたり、彼女とデートしたり親友とダブルデートしたり、おしゃれな格好したり、趣味を満喫したり、友人の家を泊まり歩いたり、夜遊びしたり、携帯をピコピコしたり、いっぱい携帯が鳴ったり、ラブラブメールしたり。。。ようするにこういうことがしたいんだな。君は。

それらを全部した上で、さらに、自分の成績が学年でトップで、さらに自分の望む高学歴な大学にも受かりたい。そうすれば、良い会社に入れるだろうから、と。

実際にこうなれば、文句ないでしょう?そしてこれが、君の欲望だ。
俺も羨ましいよ。君がもしそうなったら(笑)

でも、だったら、それを目指せばいいだけなんだよ。
だけど、問題は、それって、難しいだろ、ってことだよね。

君は、欲が多いんだよ。欲が多い。悪い意味でいっているんじゃないよ。君くらいの年齢で欲が多いのはとても良い事だ。

学歴社会で上に立って良い会社に入りたいし、学校生活もエンジョイしたいって、つまり両方手に入れたいところが、欲が多いんだよ。
両方手に入れたいから、君は達成できそうにないと思って、じゃあ、どっちを犠牲にするかって考えになる。両方手に入れたいからこそ、悩むんだね。

「中学をエンジョイした」っていう君のまわりの人は、君ほどは良い高校に行ってない人が多いんじゃないの?彼らは、君ほど良い学校に入りたいっていう「欲」がなかったから、遊べたんだよ。だから、遊べた代わりに、君ほど良い学校へは行っていない。だけど、遊べた。

しかし君は、両方ほしい。遊んで、良い会社にも行きたい。

まず、君の欲望の整理を勝手にしたわけだけど、これでいいよね?
    • good
    • 1

私の「勉強」に対する考えはこうです。



「勉強」つまり「強いて勉める」ことですね。
「むりやりにでもやる」ということでしょうか?

私は中学、高校時代の「勉強」を「悪習慣」だとは思いません。
「いじめ」も「差別」も「勉強する」中から派生してきたことでは無いからです。

「基礎学習」としての学習が高中学の役割です。
「基礎」というのは「社会人になったときに必要になるデータベース」という意味もありますが、
「勉強することに付いての免疫性」を今から高めておきたい、という意味合いも含んでいるはずです。

社会人になってからも「学習」はありますし、怠ると何よりも「仕事」にならなくなってしまいます。
ですから「最低限の」基礎的訓練を促すための「勉強」であり「受験制度」である、と考えています。

問題なのは「順位に対しての評価」が、最近はあまりにも「目立ちすぎて」しまっていることでしょう。
「人それぞれ」の基準を尊重することが重要なはずなのに、それが「ないがしろ」になってしまっていることは「不幸」です。

人間の評価を「順位で」下すことほど下らないことは有りません。
「成績」というのは「自分が努力研鑚した結果」を指し表すためのもので、それが本人の「評価」だと考えるのは、あまりにも「お粗末」といっていいでしょう。

ただし、社会に出てからは「会社の繁栄と発展」が社員の「共有目標」となっていることが「建前」ですから、そう「素直」でばかりいることはできません。
そこらへんは「学校」でも教えてはくれませんし、おいおいわかることだから良いこととします。

以上、そんなところです。
    • good
    • 0

勉強をするというのは学生の時だけではありません。


社会に出てからも勉強をする必要はありますよ。

学生のうちにやることは基礎的な部分の知識を増やすことと、勉強のやり方を習得することだとお思います。

大学に行く本来の目的は学歴のためではないと思います。
自分が興味あるものを専門的な勉強するために、最適な場所に行って学ぶことだと思います。
しかし、学歴のために選択してしまうと、有名でよい会社に就職できるところを目指すことになるでしょう。

学ぶための姿勢が変わってしまうとその後の生き方にも当然影響があると思います。
自分のために勉強した人は勉強を楽しんですることができると思います。
そして人生も楽しめるのではないかと思います。
何か(学歴など)のために勉強した人は勉強することはあまり楽しくないし、何かを失わないようにするために、常にやりたくないことをしているような感じになってしまうのではないかと思います。

勉強はできるなら楽しくしたほうが良いと思います。
深刻な気持では頭に入らないと思うから。
そして、何かを楽しむことができると、他のことも楽しめるようになると思いますよ。
学校生活も楽しんでみましょう。
    • good
    • 0

上げ足取りかもしれないけど、「学歴至上主義」だったのが問題だったのでは?


「至上主義」って事はもしかしたら、それ以外の事を馬鹿にしてなかったのではないかな?
勉強せずにスポーツに汗を流している人や、マンガを読んで喜んでいる人を馬鹿にしてなかったかい?

もしそうだとしたら、つまらない学生生活を送る事になっても当たり前だと思います

自分が頑張っている事と、人が頑張っている事や好きな事を受け入れれる人間は、勉強をしまくっていても楽しい学生生活を送れるはずだよ
そしてそんな人はいい友人が沢山できるはず

ちなみに学校の勉強は意味がないとは言わないけど、その内容自体はかなり意味が薄い
しかしその方法論や勉強したという経験は将来凄く役に立つよ

また、進む道によっては勉強しなきゃ到達できない世界もある

勉強って物凄く広範囲な事
これは社会に出れば直ぐに理解できるはず
人が生きていく事は、それ自体が勉強


取りあえず、頑張る方向性が間違っていたのは確かだと思うので、広い心を持って尚且つ方向性をちょっと変えて頑張ってみてください

そして、「勉強も面白かったし、友人との学生生活も面白かった」と言える生活を送って下さいな

ほんとに頑張って下さいね
    • good
    • 1

学歴も勉強できる時間も、出来る時にしておかないと一生手に入りません。


そういう意味では「勉強でベストを尽くさなかったこと」は一生の後悔になることもあります。
だから大人は今勉強しろと五月蠅いのです。

ところでトップ校に行くような人でも陰湿に扱われない人もいれば
部活や学校行事も楽しんでいる人も居ます。
部活を疎かにするのは何故ですか?勉強や塾を理由に練習を休むと言うことでしょうか
自分の勉強や塾のスタイルに合う活動状況を選べば良いのでは。
学校行事、例えば遠足や体育祭の間も参考書を眺めていたのですか?
積極的に楽しもうと想えば楽しめたと思いますよ。
勉強が出来る人も出来ない人も積極的に楽しもうとせず、つまらないつまらないと言っている人は居ます。

あとは要領の問題もあるかもしれません。
長時間やっても効率が悪い人もいるし
勉強を理由に部活を辞めても、実際はテレビは見ていたりゲームをしている人もいるし。
私は他の兄弟の進学や、経済状況のため確実な安全圏を狙うために
トップ校からワンランク落とした学校へ進学しました。
同じ塾の同じクラスはトップ校狙いのクラスだったので多くのクラスメイトがトップ校へ行きましたが
趣味や部活で全国大会に行く人もいました。
また、母校ではラグビー部の生徒は結構成績が良かったです。
3年の12月まで部活があるために受験を心配されたり
「そんなに部活をしてるから勉強できない」と言われるのが嫌で
みんな勉強していました。授業中の集中力もすごかったです。

あなたは勉強へのプレッシャーのあまりに他のことが楽しめなかったり
友人達にも上手く楽しい態度がとれないのではないでしょうか?
勉強は自分のためにやっている貴重な時間です。やらなければいけない、のではありません。
もっと能動的に捉えてみて下さい。
私も一応進学校だったので休み時間も単語帳を開いていたりするクラスに1年の時は殺伐とした嫌な物を感じました。
みんな友達よりも勉強、って感じに見えましたし。
でも一番仲が良いのは高校時代の友達です。当時は辛いことばかりに思えました。
でも同じくらいの学力、価値観を持って競争した仲間とは特別なものがあります。
登下校の会話に織り交ぜる漢文や古文からの引用など勉強してるからこその楽しい会話もありました。
また、将来あなたが「これがやりたい」と思った時に学力、学歴が足りなくて後悔する時、もう取り返せません。
あっても役に立たないこともありますが、なくて悔やむのとは訳が違います。
そういう意味では大切です。「できるけどしませんでした」は誰も認めてくれません。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31631099&O …
こういう本もありますから読んでみて下さい
    • good
    • 1

君は今、人生の転機を迎えているのです。



君にとっては、高校に入ったことが転機だったかも知れないけど。

本当の転機は、その高校でどう過ごすかを考えることにあります。

どうする?勉強やめちゃう?

それとも、上を目指す?

勉強”だけ”をがんばるんじゃなくて、勉強”も”がんばればいいんだよ。

中学時代の君は、勉強と遊びを両立できていなかった。

でも、それに気がついた。

気がついたら、修正は簡単だよ。

悩みは、気づきによって解決されるのだ。

下を向いちゃいけないよ。下には限りがないんだから。

上を向こう。上も限りがないよ。

なかなか上に行けなくて、もがくこともあるだろうけど、きっとたどり着くさ。
    • good
    • 0

トップ学力の高校に入ったこと偉かったと思いますよ。

よく頑張ったんだね!でもそのために君は受験勉強だけに集中して中学時代の楽しい思い出が残らなかったのかな?それはちょっと残念でしたね。

君は高校に入るために無理な「勉強」の仕方をした反動で気力が続かなくなってしまい(まあ、そりゃ人間としてある意味、当然の成り行きとも言えるかもね)、勉強をさぼったら順位が下がってますますやる気が無くなって「勉強や学歴は大事じゃない」と考えることで今の自分を正当化しようとしてるのかもね?それに今いるトップ校じゃあ周りも優秀なヤツばかりだから、中学の時以上に努力をしないとよい成績が取れないし、それもやる気をなくして「勉強なんて意味が無い」と思いたがる原因のひとつになってるのかもね。

でもね、本来勉強というものは、他の大事なものを疎かにしないと出来ないものだったり、ただの苦行だったりするわけじゃないと思うよ。人間の知識欲を満たす面白いもので「やるな」と言われてもやりたいものだと思うよ。君も貧しい国や政情不安定な国の子ども達が「学校に行きたい!」「勉強がしたい!」と目を輝かせているのをTVで見たことがあるだろう?君が中学の時、信じてそのために生きたという「勉強」は多分、「受験のためだけの勉強」でだから面白くなかったんだろう。君が本当の勉強の仕方に巡り合ってないだけではと思うよ。

「受験が悪い」と言っても仕方ないよ。よい先生のいる高いレベルの勉強が出来る学校には誰もが行きたいしそれなら何らかの方法で入りたい人を選ばざるを得ない。お金?「身分」?試験にさえ受かれば入れるならまだ平等なよい社会だと思うよ。
中学の時の勉強の思い出がよいものじゃないなら君の勉強の仕方が悪かったんだと思う。趣味や友人を犠牲にしなくても勉強は出来ると思うよ。「味気ない勉強」じゃなく、試験のためだけじゃなく真に興味を持って前向きに勉強すれば自分も楽しいし結果的に試験も通ると思うよ。
世の中から勉強や研究が無くなったらどうなる?人間の進歩だってなくなると思うよ。自分の経験した「高校受験勉強」が勉強のすべてと考えずにいろいろもっと「勉強」について考えてみて。
君の学校には君のように「中学時代、受験勉強ばかりでつまらなかった」という子も多いかもしれないけど、「クラブもやったし友達とも遊んだよ」という子もいるんじゃないかなあ?

それから生きるために学歴は必ずしも必要じゃないけどでも学校で勉強することは有意義なこと。学んだことはムダにならない、というか、ムダにならないように勉強しないとね。
就職や資格試験の条件に「学歴」を挙げている場合も多いし、学歴が無いと不便だよ。大学出てなくて大学教授になっている人もいるけど、そうなるためには大学出た人の何倍もの努力と才能が必要だよ。そこまでの才能と根性の無い凡人は大学を出ておいた方がます賢明だろうなあ。

「君の高校受験の時の勉強のやり方が勉強のすべてではない。趣味や友情を犠牲にするのが勉強じゃない。」
「当面の辛さ、面倒くささから逃れて今の自分を正当化するために勉強なんて意味が無いと考えてないか?」
「じゃあ、本当の勉強って何?」
などについていろいろ考えてみたらどうかな。
それからせっかく「中学時代の楽しい思い出」まで犠牲にしてトップ校に入ったのに「さっぱり勉強してない」じゃもったいないじゃん。君が必死で勉強するためには家族も協力してくれたんでしょ?成績下がりまくりじゃあ親もかわいそうだよ・・・。君は当然出来る子なんだろうからもうちょい頑張っておきな。
勉強さぼる時もさぼり方があるんだぜ。さぼる時は、またやる気になった時に取り返せるやり方でさぼるんだ。一旦ここでさぼったら後で取り返すのは大変と思える勉強のときは面倒でもやっておく。ということで高校生活は楽しんでくれたまえ♪(笑)ある程度の成績はとっておかないと心楽しく過ごせないよ。単に「勉強から逃げてるだけ」と思われたらシャクじゃないか?成績さえある程度取れてたら、趣味だってけっこう堂々と出来るよ♪
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!