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よく戦国のドラマなんかで、政略戦略で嫁いだ先で、けっこう夫婦仲むつまじくやるなんていうパターンがありますが、まったくランダムに送られてきた相手が偶然気に入るという事はあまりないように思われます。情が移ってくる場合もあるでしょうが、まったく水と油で悲劇になるということもしばしばでしょう。
もっともその目的からして、本人同士の気持ちなどは考慮していないわけですから仕方がないとしても、その仕方ないなりに最善を尽くすというか、せめて写真指名(写真はないのでお見合わせとか)とか、そういう措置が取られる事はないのでしょうか。そのほうが、本当の意味で、相手の「情」もとりこめるのではないでしょうかね。もっとも持ち駒がなければそうもできないでしょう。

A 回答 (8件)

つい、明治、大正まで、見たこともない男と結婚するのが、普通でした。


昭和まで、下ると、写真だけは、見たり、一度くらいは、逢ったりです。
他に選択肢はなく、「そういうもん」だったからです。
疑問の余地がなかったからです。
質問の意図は、身も知らぬ敵地に送られる可哀相なお姫様ではなく、どこの誰ともわからぬ、姫を送りつけられ困惑する若君ですね。
とうの立った、バツ2の花嫁を送り込まれた家康は、往生したでしょうね。
粗略に扱うわけにもいかないし。
立場のある人は、自由恋愛など、返って蔑んだのではないですか。
そういう風に、教育されているでしょうし。
政略結婚でも美しい恋愛話は、いくらでもあります。
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この回答へのお礼

江戸から続く明治大正は野蛮時代。昭和は半野蛮時代ですね。
当時の社会風潮というものが、いかに個人をないがしろにするものか、改めて認識できました。しかし、ある面そういうほうがかえって楽ではあります。

お礼日時:2007/03/26 11:45

大名家の結婚は、外交関係樹立や条約履行装置。

と、考えた方がよろしいです。
嫁が、身一つで来るわけではなく、お付きの家来を沢山連れてきます。
現代で言えば「この駐日大使、顔が気に入らない!」なんて言えるわけがない。
さらに言えば、現代の企業でたとえれば、資本の相互持ち合いによる企業連合化みたいな側面もあります。
戦国末期の前田家から豊臣家に養女になっていた豪姫の輿入れでは、豪姫とともに前田家豊臣家から宇喜多家に入った家臣が多く、宇喜多騒動での一方の主が中村刑部だったりします。
宇喜多生え抜き組と、前田家から来た人間の軋轢でもあるのですが、大名家運営における、宇喜多伝来手法と、豊臣(前田)手法との経営手法の対立でもありました。

ドラマで仲むつましく
これは、単に現代人が見るドラマだから、夫婦は仲むつましくあってほしいという、現代人の希望が反映されているだけです。
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この回答へのお礼

本人たちの問題というより、背後の組織的な問題なのですね。そう考えると、納得できるものです。そういうリアルな描写のほうが面白いですね。

お礼日時:2007/03/26 11:43

江戸時代以前の武士階級以上の話ですが、結婚と言うのは親同士がきめるもので、「結婚式の時に初めて新婦(新郎)の顔を見る」ことが珍しくなかったようです。

同じ藩の中で、同程度の禄高の家同士で縁組するのが普通でした。気心が知れているということで、遠縁同士(またいとこ くらい)で縁組することも多かったようです。

「まったくランダムに送られてきた相手が偶然気に入るという事はあまりないように思われます」
「政略結婚」とか大げさなことを言わなくても、普通の武士が嫁を貰う時も全く同じで「相手は選べない」なのですから、「嫁を気に入らない」と言うオプションはありません。

一方、嫁に来る側の武家の娘も「武家の娘としての教養と家事技術を身につけ、いずれは生家と釣り合う家に嫁ぐ」ことを目標に教育されています。極端に言うと、どの家の娘を貰っても、どの家に嫁いでも大差はないとも言えます。

もちろん、武士が全て文武に優れて品行方正であるわけではなく、武家の娘が全て良妻賢母の資質を備えているわけではありません。
「夫が酒乱で、嫁に殴る蹴るの暴行を加える」
「嫁に家事能力がまったくなく、家が荒れ放題」
なんて理由で「離縁」と言う結果になることはあったでしょう。ただし、あくまで「レアケース」で、普通は「上手く折り合いをつける」ものでした。

質問者様は、現代の「恋愛結婚が原則」の時代の考えで昔の武家の婚姻、大名同士の政略結婚を見ているから「当人同士に不満はなかったのか?」と考えるのでしょうが、その心配はありません。「不満を持つ」という発想自体がなかったのです。
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この回答へのお礼

そいういうしきたり社会常識なら、なんら疑いの余地はないわけですよね。そういう相手方に有無を言わさずに行ったとしても、しつけによって文句をいわれることはないはずだというプレッシャーをかけるという思想もあったのですか。なかなか参考になりました。

お礼日時:2007/03/26 11:41

選んで指名した話では…吉川元春(毛利元就の次男)と熊谷信直の娘の場合が有名かな?



元春は、敵方の武将の娘で不美人として有名だった相手を指名して娶り
父親も味方にし、さらに夫婦円満な家庭を築きました。

http://www.mmjp.or.jp/askanet/lady_yamaguchi_jik …
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この回答へのお礼

そういう逆手的必勝法もあるのですね。

お礼日時:2007/03/26 11:39

ヨーロッパの中世から近世にかけての時期は、貴族間では、お見合い用の肖像画がかなり出回っていたようです。


美人だと思って結婚してみると、かなり修正されていて、画像の面影が全く無い事も有ったそうです。

肖像画を大量にばらまくのは、大抵爵位を継承できない次男や三男だったり良い嫁ぎ先を探している女子がほとんどでした。
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この回答へのお礼

肖像画ってそういう利用法もあったのですね。勉強になります。

お礼日時:2007/03/26 11:39

いや、夫婦って難しいもので、最初が相性よかったからってそれがずっと継続するものでもないですよ。



例えば、ロシアの文豪トルストイ。
もちろん見合い結婚ではありませんが、結婚当初は熱愛状態だったにも関わらず、トルストイが中年になってキリスト教への傾斜を深めると、夫婦仲は極端に冷め切ってしまいます。

逆に、カナーリ不利な条件にあっても、夫の心をがっちり掴んでしまう逞しい女性もいます。
代表例は淀君の妹で第二代将軍秀忠の正室、おごうの方。
バツ一で秀忠に嫁ぎ、しかも姉は徳川家の宿敵であったにも関わらず、彼女は夫にほとんど浮気を許さないほど、しっかりとその座を確保していました。

もちろん、写真が実用化されたのは近代になってからであり、それ以前の前の時代には写真での見合いなど出来ようはずもないのですが、夫婦がうまくいくかどうかは結局は本人どうしの努力しだいかと、私は思います。
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この回答へのお礼

確かに最初よければずっとよしなわけではないですね。問題は、本人の意思が入っていないことです。ただ、それらは入る余地がない時代なのだから、全く納得するしかないわけです。

お礼日時:2007/03/26 11:38

これは若い人の考えだなぁと思います。


そもそも、そういう結婚でなくても、昔は親や親族の紹介で、顔も見たことのない人と結婚するほうが普通でした。昭和でも初期の頃に結婚した人は、ほとんどがお見合い結婚だったと思います。
結婚してみるまで、どんな性格かもわからないような人と結婚し、子どもを生み育てて、夫や義父母の世話をしながら年老いていくというのが、一般的な女性だったのです。

ましてや、ずっと昔のしかも支配階級では、女の人はそもそも人を選ぶどころか、外へすら出ないので、政略結婚でなくても、自分の意思で結婚相手を選ぶ例などは、かなり稀だったはずですよ。
たとえ家臣への下げ渡し婚でも、親や親族である、大名の意思が強く働いていたことでしょうし、逆にお互い顔を見て「ぶさいくだからイヤ」などという話になろうものなら、面目が立ちませんから関係が一挙に悪化してしまうことでしょう。
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この回答へのお礼

結婚観人生観はずいぶん変わってしまったものです。こういうことが通常行われていれば、納得するしかないでしょう。そういうことに気付きました。

お礼日時:2007/03/26 11:36

その様な甘いことは無いでしょう。

 女は道具でしかなかったから、必要がなくなったら呼び戻して他に嫁がせることもあったようです。 
ただ、殿様は綺麗な女子に手を出していたので、子供はそれなりに美男美女が多かったようです。 初対面の相手がブスブ男ではかなわないですよね。 その辺では救われていたようですね。
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この回答へのお礼

女性観哲学はずいぶん変わってしまったものです。おそろしい時代が非常に長かった。やはり、器量というものも事前考慮的に行われていたかもしれないですね。

お礼日時:2007/03/26 11:35

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