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お世話になります。
「日清談判破裂して~日露戦争はじまった~」という手まり歌があるのを知ってますが、歌詞の全容を教えてください。「(ナントカカントカ)ロシアのステッセル」という一節もあったと思います。

また、作曲家・作詞家がいるのでしたら併せて教えてください。

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A 回答 (12件中1~10件)

 一列らんぱん破裂して 日露戦争はじまった


 
 さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵

 五万の兵を引き連れて 六人残して皆殺し

 七月八日の戦いに ハルピンまでも攻め寄せて

 クロバタキンの首を取り 東郷元帥万々歳

 十一万歳ばばんざい 十二肉弾三勇士

 十三寒いは北海道 十四四国の金毘羅さん

 十五御殿の八重桜 十六ロウソク白いもの
 
 十七七士の討ち入りで 十八浜辺の白兎
 
 十九楠正成は 二十二宮金次郎
 
 
 唄を記憶している人から聴いたのによります。単なる数え唄でとりたて深い意味はないようです。
 また、これは地方や編年によって変化して伝わるものでしょうから、「これが正しい」とは断言できないと思われます。

 ちなみに、「一列」とは日露会談の時の机の配置のことでしょう。
 
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 高島俊男氏の快著『イチレツランパン破裂して』(お言葉ですが第6巻、文春文庫)に表題のエッセーが収められています。


 この中で、著者は結城昌治「俳句つれづれ草」を引用して、「一月談判破裂して日露戦争始まった」という説を紹介されました。
 確かに、一月に日露交渉が頓挫し、2月に開戦したので、史実と合致しています。また、数え歌としても、一月から始まるのは説得力がある。しかし、イチゲツと読ますとしても、高島氏の指摘するとおり、イチレツになるのはやや不自然でしょう。
 それでも、まったく無意味な一列談判よりは頷けるような気がします。
 なお、東郷元帥までは全国どこもほぼ同じですが、十一以後は多くのバリエーションがあります。これも高島氏の著書に紹介されています。
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つまらないことですが、歌詞の変種で


> 東郷元帥 万々歳        当時は 東郷大将 万々歳 です。
この手毬歌は未だ日露交戦中(1905年?)にできたと思われますから、当時は東郷平八郎は大将ですね。元帥になったのは1913年で符牒は合ってます。しかし、陸戦の歌なのに突然海軍大将が出るのも妙な話です。

話は変わりますが、日露戦争のときの軍司令官だった奥保鞏、野津道貫が元帥になっているのに、黒木為もとと乃木希典がなれなかったのは、当然とはいえ厳しいものがありましたね。昭和期の乱発(?)に比べ大違いです。
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No.7です。

No.8さん有難うございます。  うっかりしました。  一節だけですから歳に免じて勘弁して貰いますか。
ところで気になるので、外出ついでに図書館に行きましたら、「日本のわらべうた」なる本に載っていました。
「一列らんぱんはれつして」とあります。   らんぱんとは談判の訛りだそうです。   また「クロバトキンの首を取り」となっています。   クロパトキンの誤りだそうです。    子供に唄い継がれているうちに変ってしまったようです。
kuropatokin とは云いにくいので kurobatokin となるのは 仕方ないが danpan が ranpan になるのは判りません。
当然作詞者不明。   曲の方は音符も付いており、当時の軍歌「道は六百九十里」と同じですから、この作曲者を探せばよいということです。
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ありゃりゃ。

折角著作権が残存しているから全文引用はご用心と書いているのに。
「水師営の会見」の作詞者佐々木信綱は1963年まで長生きし、著作権は未だ切れていません。
「手毬歌」の作詞者は不明でしょうから安全とは思いますが。
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 子供の時歌っていたのは      こういうのもありました


一列談判 破裂して
日露戦争 始まった
さっさと逃げるは ロシアの兵
死んでも尽くすは 日本の兵
五万の兵を 引き連れて         五万の敵を 撃ち破り
六人残して 皆殺し
七月八日の 会戦で          七月八日の 戦いで
ハルピンまでも 攻め落とし
クロパトキンの 首を取り
東郷元帥 万々歳        当時は 東郷大将 万々歳 です。

  ステッセルの出てくる「水師営の会見」の歌は
旅順開城 約なりて      敵の将軍 ステッセル
乃木大将と 会見の      所はいずこ 水師営
庭に一本(ひともと)棗の木  弾丸跡も 著じるく
崩れ残れる 民屋(みんおく)に 今ぞ相見る 二将軍・・・・
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関連ですが、ロシアが出てくる、遊び歌で、エンドレスのしりとりというのがありました。


昭和20年代生まれの叔母が愛唱していました。
「メジロ、ロシヤ、野蛮国、クロポトキン、金の玉、負けて逃げるは、カンカン坊主・・・」と、ここまでしか、覚えていないのですが、メジロに戻ることができます。
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 No.4です。

「一列談判」ってこんな言葉は辞書には載っていませんね。
 例によって想像してみました。
 交渉会議の情景だろうと思います。
 長いテーブルの向こう側に露国側が『一列』に並んで座り、こちら側に日本側が一列に・・・ということなんじゃないでしょうか。
 今の形式と同じですね。
 江戸時代までの国内の直接談判では、このような形式は少なかったんじゃないかと思います。
 トップとトップが最前列で向かい合い、それ以下のものは後ろに控えて座るという形が普通かなと思います。
 まあ、一列談判の意味を理解しようとすると、上のようなコジツケ気味の解釈になりました。
 「一裂談判」で検索すると少し出てきましたが、「裂」だと後の「決裂」とダブりますしね。「一列」はこれで合っていると思います。
 
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 小生も質問者さんと同じような記憶がかすかにあり、この際調べてやれと、チョッと検索してみました。


 手まり唄はNO.1さん,NO.3さんご紹介のものが正調?の感じがしますね。
 そこには「一列談判破裂して」とあります。
 これが、質問者さんの「日清談判破裂して」だと『二』からスタートすることになり、チョッとヘンなように思います。
 「ステッセル」のことですが、正調?手毬唄には出てきていないようです。一方旧文部省唱歌の「水師営の会見」に「ステッセル」が出てきます(NO.3さんのおっしゃっていることと同じ)。
http://www.z-flag.jp/blog/archives/2007/01/post_ …
 そこから次の2ケースを推理してみました。
1.質問者さんの頭に残っている手毬唄は正調?なものではではなく、キチンとした数え歌にはなっていない手毬唄であった。この手の唄は各地へ伝わっていく間にドンドン変化します。
2.質問者さんの頭の中に、手毬唄と「水師営の会見」がゴッチャになって残っている。

>作曲家・作詞家がいるのでしたら併せて教えてください。
 こんな唄は自然発生的に起こり流行したものだと思います。もちろん最初に作詞した人(多分大人あるいはマセた子供)は居たと思います。そしてその人が古来のメロディで歌ったものが、各地へ伝わったものだと思います。
 ですから、作詞者も作曲者も不明ということだろうと思います。
 各地へ伝わっていく間にドンドン変化し、また子供が意味もわからずに歌うものですから、ヘンな歌詞で各地に残っているものが多いんじゃないでしょうか。
 
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No. 1 のものです。

「一列談判破裂して」で検索したら下記のサイトが見つかりました。
http://www.tbs.co.jp/inpaku/warabe/sad03.html
5~8の歌詞は忘れたのではなくて全く記憶がありません。最初から覚えていなかったようです。

> 作曲家・作詞家がいるのでしたら併せて教えてください。
うっかりしていましたが、もし作詞者が日露戦争当時20歳として、80歳まで長生きしたとすると、まだ著作権は切れてませんね。遺族が抗議するかどうかは別としまして。全文引用しなくて良かった。

「庭に一本棗の木」で始まる、乃木将軍とステッセル将軍の降伏会見を歌った歌がありますが、こちらが上記のような事情で著作権が切れていないんです。用心用心。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。今まで「日清談判」かと思ってましたので検索しても出てこず、おかしいなと思ってました。「一列談判」で検索すると、結構ヒットしますね。しかも実は数え歌になっていたとは目からウロコの思いです。
・・・ところで「一列談判」って何でしょう??

お礼日時:2007/04/18 11:29

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Q数え歌の歌詞 10番目をご存知の方教えてください

一番初めは一宮 二また日光東照宮 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺

 五つは出雲の大社 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡宮

 九つ高野の弘法さん とうで東京焼け野原

  埼玉県に縁故疎開をしていたとき、東京の空が空襲で真っ赤になるのを見ながら

 鞠つきをしていました。今頃になって、10番目の本当の歌詞はなんだろうと気になって

 仕方ない老人です。 全く急ぎませんから、教えていただけないでしょうか。

 

Aベストアンサー

地方によってうたわれる差異はあるようですね。

一番はじめは一の宮 
二は日光東照宮   
三は讃岐の金比羅さん 
四は信濃の善光寺
五つ出雲の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さん
十は東京招魂社
これだけ心願かけたなら
浪子の病も治るだろう
ごうごうごうと鳴る汽車は
武男と浪子の別列車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐くほととぎす


wikiから引用しました。ご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%AA%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AF%E4%B8%80%E3%81%AE%E5%AE%AE

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qさつきとつつじの違いについて

「さつき」は「つつじ」の花を小さくしたような花ですか?

Aベストアンサー

いわゆる「さつき」は、花もですが葉も小さいです。

つつじは種類も多いですが、道路の歩道の植え込みなどに使われている普通の「つつじ」「さつき」で比較しても、葉については

つつじの葉は長さ5~7cm、巾約1.5cm、光沢がなく、葉の裏側は服などに付着し易いく、子供がワッペンの替わりにして遊びます。

一方[サツキツツジ]の所謂[皐月:サツキ]の葉は、長さ2~3cm、巾も6mm程度、表側の光沢はつつじとは別種かと思うほどです。

一般に「つつじ」と言われる方は落葉性で、「さつき」と言われる方には常緑樹が多いようです。

ツツジは4~5月頃紅色、ピンク、絞りなどの花をつけ、俳句の季語は[春]なのに対し、さつきの季語は[夏]なのです。

サツキの名前は陰暦五月皐月に咲くところからきていますが、こちらはツツジよりやや遅く5~6月頃、真紅、淡い紅色、ピンク、

絞りなど多様な花をつけ、たしかにnekomusumeさんのご質問のように、小さい花で特に真紅の色はサツキらしい色だと思います。


ツツジ・サツキとも低い植え込みや他の樹種と一緒に[大刈り込み]などにしますが、山野に自生するツツジなどは、木の高さが10m位

までなると聞きましたが、サツキの方はどの位まで成長するのか知りません。

一般人の目に付く所で有名なのは、箱根芦ノ湖、湖畔の[山のホテル]の庭園ですが、つつじの花のシーズンには、戦後植えたつつじの

植え込みが園内通路をアーチのように蔽い、たしか宿泊客以外にも開放していると思いますが、ぜひ見ていただきたい光景です。

   *ここは三菱財閥岩崎別邸の跡に、戦後アメリカ進駐のために作られたホテルですが、4万坪以上の庭園に
    3000本以上のつつじというのが[売りの一つ]で人工的ですが見事なものです。

いわゆる「さつき」は、花もですが葉も小さいです。

つつじは種類も多いですが、道路の歩道の植え込みなどに使われている普通の「つつじ」「さつき」で比較しても、葉については

つつじの葉は長さ5~7cm、巾約1.5cm、光沢がなく、葉の裏側は服などに付着し易いく、子供がワッペンの替わりにして遊びます。

一方[サツキツツジ]の所謂[皐月:サツキ]の葉は、長さ2~3cm、巾も6mm程度、表側の光沢はつつじとは別種かと思うほどです。

一般に「つつじ」と言われる方は落葉性で、「さつき」と言わ...続きを読む

Qインターネットの画面の文字を大きくするのはどうしてらいいでしょうか?

インターネットの画面の文字を大きくするのはどうしてらいいでしょうか?

突然小さくなってしましました。

XPを使っています。

Aベストアンサー

[Ctrl]キーを押しながらマウスのスクロールホイールを回してしまったか
[Ctrl]キーを押しながらテンキーの [-]キーを押してしまったのでしょう

Internet Explorerの場合は、メニューの「表示」から「文字サイズ」→「中」を選ぶと元に戻ります
Firefoxなど他の webブラウザを使用しているなら
[Ctrl]キーを押しながらテンキーの [0]キーを押してください
「表示」から「ズーム」などサイズ変更に関わる項目を見つけて修正してもOKです

Qメニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

メニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

10日ほど前に新しくパソコンを買い替えました。 NEC の LAVIE です。うれしくて かちゃかちゃやっていたら メニューバーや ツールバーが消えてしまいました。 何か設定をかえたようですが覚えていません。
インターネット ワード エクセル の画面で メニューバー等が 消えていまして メール(Windows Live Mail) では メニューバー等が ちゃんと表示されているのです。
またペイントソフトでも ファイル とか 編集 とかの 項目 が 無いのです。

自分でも 質問集などでしらべまして ALT をおして Vキーを おしてみたりとか してみたのですが
全然表示されません。

どうしてこんな重要なものが消えてしまうような設定があるのかわかりませんが、とても困っています。

どうすれば表示されるか おしえていただけませんか。 OSは ウィンドウズセブン です。

なお初心者ですので 難しい用語はわかりません。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

参考URLがヒントになりませんか?

参考URL:http://win7.tk/2009/10/post_16.html

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q通りゃんせの歌・・・帰りの何が怖い?

通りゃんせの歌で
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と歌いますよね。

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むしろ細道の行きの方が感覚的に怖く感じます。子供の成長についても7歳までのほうが7歳からよりも危ないような気がしますし。

なにか魔物の伝承でもあるんでしょうか?

Aベストアンサー

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じような地平の話というか、心の状態なのだと思います。「神隠し」とは何かというと、子供が行方不明になるのですが、これも散文的に理由を考えると、例えば、人さらいにさらわれたとか、山人とでもいうか、サンカとか、山男とか山姥などと呼ばれている人々が連れ去ったとも言え(サンカと山人や山姥との関係は必ずしも明確でありませんが)、または、迷子になって死ぬ子供とか、または、食人の野生人が山にいたのかも知れません。
 
  散文的な話ですが、子供が遊びにでかけると、行く時は、遊びに行くので楽しいが、帰れるかどうか分からない……「神隠し」に会う可能性があるぞ、という歌なのではないかと思います。「帰りは怖い」は、行って帰って来て、帰りが恐ろしいのではなく、帰ろうとすると恐ろしいものがたちふさがるということを警告している、あるいは、遊んでいる子供達は、直観的に理解していたのかも知れません。
 
  「七つのお祝いに、天神様の細道」ですが、天神は怨霊を神として祭ったものです。非常に古い日本の伝統的な宗教観が、怨霊は神として祭らねばならないということを教えるのです。そして「七」というのは、吉兆数ですが、神秘数でもあり、諸星風に言うと、「異界」への数とも言えます。
 
  諸星の話からの連想だと、「神隠し」の背後には、子供を神の生け贄にして殺すという儀礼が背景にあった可能性も想定し得るのです。七歳の祝いの日に、子供に晴れ着を着せて、神界への細道を進ませ、そして子供は消えて、帰って来なくなるのです。
 
  行きは、「神界」へと晴れて行くのですが、帰りは、「異界=黄泉の国」へと帰って行くのです。それでもよいなら、「通りゃんせ」という歌なのでしょう。
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s683.htm

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じ...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q戦争中の歌で、「ロシヤ~ヤバン国~」という歌を探しています

「ロシヤ~野蛮ゴク~クロバトキン~キーンタマ」という民間伝承歌をさがしています。
うちのおばあちゃんが言うには、子供が大人から教わっておもしろがって歌っていた、とのことですが、歌の名前まではしらないと言っていました。

なんという歌名だかご存じのかた、いらっしゃいますか?

「キーンタマ」よりも後の歌詞が延々続いているのでしょうか?

また、どんな背景があったのか(たとえば旧日本軍部が意図的に流したとか)ご存じのかたがいらっしゃいましたら、宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

詳しくはわかりませんが、しりとりになっているようです。

ロシヤ→野蛮国→クロパトキン→・キン玉→まっくろけ→けつ(尻)のふんどし→締めた→高シャッポ(帽子)→ポンヤリ→陸軍の→乃木さんが→凱旋す→すずめ→めじろ→ロシヤ(初めに戻る)
・・・と続くようです。

他にも色んなバージョンがあるようですので、検索してみてください。

http://www.katch.ne.jp/~k-lovely/page012.html

http://www.aichi-pu.ac.jp/for/~kshiro/orosia1.html

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sakui/kosiokaru.html

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sakui/kosiokaru.html

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む


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