ガキの頃から気にはなっていたのですが…
たとえば、
・源頼朝(みなもとのよりとも)
・平清盛(たいらのきよもり)
・小野妹子(おののいもこ)
この3者には全て姓と名との間に「の」が挿入されていますが、これはなぜなのでしょうか?普通に「みなもと よりとも」「たいら きよもり」ではいけないのでしょうか?加えて、
・足利尊氏(あしかがたかうじ)
・織田信長(おだのぶなが)
・徳川家康(とくがわいえやす)
この3者には「の」が挿入されていませんが、これは何なのでしょうか?前者の3名と後者の3名にはどのような違いがあるのでしょうか?
また、仮に家系そのものを表現する「源家」「源氏」は「みなみとけ」「みなもとし(げんじ)」などと言い、「みなもとのけ」「みなもとのし(げんのし)」などとは基本的に言いませんが、これは何でなんでしょうか?
詳しく説明できる方、いますか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
「姓」と「苗字」の違いです。
苗字 姓 名
足利尊氏 ⇒ 足利 源 尊氏 (あしかがみなもとのたかうじ)です。
松平在原元康(まつだいらありわらのもとやす) ⇒ 得川藤原家康(とくがわふじわらのいえやす) ⇒ 徳川源家康(とくがわみなもとのいえやす)
織田藤原信長(おだふじわらののぶなが) ⇒ 織田平信長(おだたいらののぶなが) に改名しています。
(No.3の回答者:Scull様が「忌部信長」と答えていますが、織田氏は忌部氏から派生した可能性はありますが、信長は忌部氏を名乗っていないので間違いです。)
他の有名な戦国武将は
「伊達 藤原 政宗」
「木下 平 秀吉」⇒ 「羽柴 藤原 秀吉」 ⇒ 「羽柴 豊臣 秀吉」
「大友 藤原 義鎮」
「長尾 平 景虎」 ⇒ 「上杉 藤原 謙信」
「武田 源 晴信」
「島津 惟宗 義弘」
「長宗我部 秦 元親」
「北条 平 氏康」
「毛利 大江 元就」
また、「木曽 源 義仲」なので、木曽義仲が天下を取り、源頼朝が伊豆で一生を終えていれば、「伊豆頼朝(いずよりとも)」と呼ばれていた可能性もあります。
みなさん詳しく説明していただきありがとうございました。
「姓」と「苗字」の違いですね。納得しました。
どうもありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
この板の定期質問ですね・・・月1回くらい同じ質問がでています。
以前は似たような長文を連ねていたのですが、コピペも申し訳ない気がするので・・・
以下のURLを確認していただければ、疑問は氷解すると思います。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2612631.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2208886
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2239491
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2416158
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2459619.html
簡単に言えば姓(天皇から賜るもの。源平藤橘、菅原等)は「の」を入れる風習(氏への所属を示しているとされます)があり苗字(勝手に名乗るもの。基本は地名。熊谷、足利など)は入れない。
ただ苗字でも鎌倉初期までは「の」を入れている節があり、それは、「○○(地名)というところの~」といった意識でいれていると考えられる。
No.3
- 回答日時:
本姓(氏姓)と、苗字の違いです。
氏姓ではその人の「氏族」、つまり血統を表して天皇より賜るものとなっています。源平籐橘、豊臣、伴などがこれにあたります。本姓は全国に散らばる為に、~氏の血筋の誰それさんという事で「~の」といいます。足利尊氏、徳川家康は共に「源氏」なので、源の(朝臣)尊氏、源の(朝臣)家康です。信長は忌部(いみべ)氏から平氏になったので、忌部の(朝臣)信長または、平の(朝臣)信長です。
それとは別に勢力基盤を表す「苗字」があります。足利は現在の足利市に基盤を持っていましたし、家康は新田氏の亜流「得川」に基盤を持つと自称して徳川を名乗りました。
「源家(げんけ)」「源氏」に「の」が入らないのは当然で、「家」「氏」は個人名ではありません。源氏に「氏」さんがいれば「源の氏」と呼ばれたかもしれませんが。
この「の」がつくつかないは「時代には関係ありません」。平安時代の武将「源の頼光」には頼光四天王と呼ばれる配下がいました。内の筆頭「渡辺綱」は源氏なので「源の」ですが、名字が渡辺なので渡辺綱と呼ばれます。
正式に呼ぶ時は「徳川(苗字)内大臣(官職)二朗三郎(通称)源(本姓)朝臣(取り敢ず天皇の家臣なので)家康(諱)」となると聞いた事があります。
No.2
- 回答日時:
本姓と苗字の違いであると思われます。
本姓と名の間には「の」をいれ苗字と名の間には「の」を入れないのが
通例です。例外はありますけど。
足利尊氏(あしかがたかうじ)は苗字と名で、源尊氏(みなもとのたかうじ)が本姓と名です。
織田信長(おだのぶなが)も苗字と名で、平信長(たいらののぶなが)
が本姓と名です。
徳川家康も源家康(みなもとのいえやす)が本姓と名です。
ちなみに豊臣秀吉も豊臣は天皇より下賜された本姓で(とよとみのひでよし)が正式だと思います。羽柴秀吉が苗字と名です。
No.1
- 回答日時:
基本的に、平安時代と鎌倉時代を境目と考えてください。
鎌倉時代以前は、姓名の「姓」に当たる部分は、「なになにの家系」や「なになにの場所にいる」なにがしという意味合いでした。
しかし、鎌倉以降は、「姓」に当たる部分が現在のような「苗字」に変わっていったのです。
ただ、鎌倉時代の初期は、「みなもとのよりとも」のように千時台を引きずっている者もあります。平家物語の世界では、ほとんどそうです。
歴史上の人物を思い浮かべてください。
鎌倉時代でも、「北条時宗」は「ほうじょう の ときむね」ではありませんね。
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