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大河ドラマで本能寺の変をやっていましたね。昔TVで見たのですが、本能寺の変は、実は徳川家康と羽柴秀吉の共謀による暗殺であったと。そして実行犯の明智光秀は徳川家に入り、優遇されたと。
(その証拠に、光秀の首を秀吉は確認もしなかった、2代3代将軍の名前には光秀の字がつけられている、日光には明智平という地名まである、、、)

この説というのは、日本史学的にどういう位置づけ(立場)なのですか?やはり異端説??それとも実は史実に近いと思われているのでしょうか・・・

※こういう話題好きなので、その他にもあったら教えて下さい。。(長篠の3段程度の火縄銃隊では、実は騎馬隊が来る前に充填できなかったとか・・・)

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A 回答 (65件中1~10件)

(以前、似たような質問が有った時にも上げたのと同じ内容ですが)



『戦国自衛隊』著 半村良  原作オリジナル または 田辺節雄さんの漫画版  
(映画版はリメイク含めてダメダメっ子ですな)
(この部分のみなら 漫画版の方がかっこいい からオススメ)

中身はと言うと ”菊を家紋とする所よりの下命故に”   
(初め「SFマガジン」の1971年9・10月号に掲載された同作は、= ウィキより抜粋)

この年代に コレを発言すると言うのがどれ程の事であったか=それこそ SFマガジン とかだから
こそ可能で有ったとも言える。
”イイ家”に生まれついている程、又 当時の人間のメンタリティとして =逆らえんわな~   
~と。 納得。
(ウラを取って無いですが”光秀の女房は 公家の出 で有る”と言う話も 何処かで聞いた記憶が有ります)
イヤ、まぁ 面白げな御意見が飛び交ってますようで 私も一言。 と思いましたが 
⇒ 57番 ”信長の子孫、光秀の子孫、出て来いやあ!!!” そして59番さん_他_Etc
 これはこれで面白いんだが 他の方々のも、本来の”教えて?”からは外れ始めているのでは?と < 凄ぇ重たいページに成って来てるし。
と、言うわけで2chにスレ建て直して見ませんか? 質問者 【noname#2111】さん?
(2ch本体よりも ”きぼんぬ””VIP””速”などの方が見やすくて、私は もっぱら そちらですが)
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本能寺の変の黒幕は、濃姫だという説もあるのです。


明智光秀と組んで殺そうとしたという説があるそうなのです。
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そういえば、光秀はどういった心境で謀反を行ったのか?


光秀はとても頭が良く、信長にいろいろと主張をやっていた
と思われます。
しかし、光秀は信長の価値観を理解していませんでした。
光秀の主張は現実性と理があったと思われるが、
現実性と理なんてものは、価値観とパラダイムが変われば
いくらだって変化するものです。
そういった事も理解せずに主張する光秀に対してとった
信長の行為は君主として当たり前とも言えるでしょう。

信長のあまりにも革新的な価値観は光秀には理解できない。
そして、光秀にはその価値観があまりにも危険に思えた事でしょう。

光秀が信長から受けた、圧力やストレスで感情的になって謀反を
したとは思えない。光秀は感情より理性が強いと言われているし
咄嗟の感情で信長暗殺なんて事はまずありえないでしょう。
光秀は信長を暗殺する機会を伺い可能な限りの具体的計画も
されていた方が自然です。そして暗殺する確率を高めるには共謀者が
必要です。家康や秀吉が共謀者であっても不自然さは何ら無いと
言えるのです。
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歴史というものは、


時の権力者の都合が良いように歪められて
しまうのが当たり前です。

今となっては、教科書にまでのる歴史も
異端とされる歴史の説もどれが真実なのか
解らないものです。

TVで見た信長公記では羽柴秀吉が本能寺の隠し逃げ道をふさいで
あった為に、信長は最終的に切腹したとか
徳川家康や羽柴秀吉の謀略は十分にありえますね

信長は日本を変える為に、ある時期から鬼とかして
改革を進めたのです。比叡山焼き打ちや本願寺勢力下の組織の打倒
本来の仏の道からはずれた歪んだ宗教権力を見た信長の
将来の日本を懸念した気持ちは私には理解できる。

本当に信長の信念や考え方を理解したものはごく一部の側近のみで
信長が暴走する原因の一つだったはずです。

徳川家康や羽柴秀吉にはその辺があまり理解できてなかったのでは
ないかと私は思います。当然、信長の行為は非常に気の狂った所行に
見えた事でしょう。その暴走を食い止めるために暗殺するのは仕方ないし
自然の流れだったはずです。家康や秀吉と信長の関係性から言っても
非情さから暗殺したのではなく、共感と理解のなさや価値観のすれ違いから
ではないだろうか。泣く泣く暗殺したに違いない。

信長の価値観は当時の日本としてはあまりにも進みすぎていた。
信長を理解する家臣が多ければ、暴走する事もなく
イギリスに匹敵する文明を築いてもおかしくなかったのです。
日本の閉ざされた精神の部分が多い為それは必然的な歴史の
流れでもあります。
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 信長公が目指した日本



 足りないものは他国から補う。海洋貿易立国の構想。信長公は、形骸的な地位や名誉よりも、質実を取って国益を優先する方です。早すぎた天才と申し上げても過言ではありません。室町将軍権力からの自立をはなから考えていながら、あえて1568年足利義昭を立てて京都に入り、そしてこともあろう事か、普通は考えられない、義昭公を将軍職に伸し上げたのです。義昭公あるいは朝廷は、信長公に対して副将軍でも何にでもしてあげるから、という一見成り上がりを目指す武将なら断らないだろう褒れを、あざあざと断ってしまっているのです。好きな国をあげようという彼らの賛辞も飲まずに、その代わりとして、和泉堺と近江大津・草津の三箇所への代官所設置を交通・流通・軍事の要所と捉えて要請したと見えます。上洛の後に信長公は日本各所の関所の撤廃を命令。これは今で言うところの、さながら高速道路の料金所の撤廃です。関所が意味するところの規模からは関税局撤廃とでも取ることができます。 
 最初から何てあっけらかんと凄まじい改革をやってのけるのでしょうか。とても豪気な人です。関所は当時、幕府・朝廷・貴族・大寺社などにより設置されていました。

 つまりこれだけ多くの関所を通過すると、税金だけでもたいがいな値段になるので、これは物流を阻むものだとして断固として許しませんでした。もし現代でこんなことをやる官僚がいたなら、国民は総出で大喜びするでしょう。

 天子様とばかりに奉られるかもわかりません。多くの人々が、信長公を歓迎しました。
 しかし、もうこの時点で、特権商人や不動産屋とも取れる大寺院らは金銭的な大打撃を蒙ったのです。
 それまでの時代は、橋や道路を壊して敵を防ごうとする保守的な方法であったのに、いきなり信長公は、軍事物資の輸送能力とともに軍の機動力を向上させるという大仕事に出たのです。従来のやりかたに反し、道路整備に重きをおきました。信長公は有事に備え、大きな道路を作りました。また、環境エコロジーにもいち早く目覚めた偉人であり、ストレートな道の両端には松と柳が植えられており、夏は木陰にもなり、台風をしのいだりもするわけです。また、空気の良い時代に更に良くなることは言うまでもありません。琵琶湖にも見事な橋をかけ、今で言う道の駅のような休憩所を設けました。
 驚いたことに、今までの話を単に聞いた人であれば、著者であれば、機能重視で安く橋を作ったのだろうと勘違いするのですが、信長公を見くびってはなりますまい。
 凄まじいことは史実、わざわざ遠い若狭湾から材木をとりよせてゴージャスな欄干をつけた本格的な瀬田橋を1575年に完成させたのです。
 日本海に向け、あるいは京都に向け、主要と成る道路も建設しています。
 ここでおさらいをします。

 信長公は、(1)税関を撤廃した(2)環境対応道路を作った(3)ゴージャスな欄干つきの橋を建てた(4)街道を巡らせた。
 著者はこれが全て中世既存であった権力という権力をぶっ潰すための準備であったと敏感に察しました。
 
 (1) によって税関で収益を上げていた僧侶や商人が敵になります。
 しかし、彼らは財源だと考えるとどうでしょうか。戦争は理由が無ければ成立しないものです。ただ彼らが信長公に矛先を向けるその理由に、利権の二文字があるために、戦争は必ず勃発し、憲政的に優位に立つ信長公は暴徒と化した彼ら僧侶や商人を合法的に成敗し彼らの生命と財産を奪い取るという、まるで昴と風日のシンボルをなびかせた国が、第二次大戦開戦のころ日の丸の国にやっと仕掛けたような荒業を、もうすでに500年前の戦国の大将がはじめていたのです。
 だから恐ろしきかな、信長公は頭脳の達人なのです。
 小学校の先生が歴史は学ばねばなりませんと口うるさく生徒さんに言われますが、本当に学ばないといけないことは、年号や年代よりも、史実の内容なのです。
 (2) 環境対応道路を作った。
 確かに環境という理由になることでしょう。
しかし、一つ考えてみて欲しいことは、例えばこの本をご覧になられ、かつ日本人である貴方がその場合、戦中戦後まもなくという時期を生きた経験の有る人であれば、松は燃料にもなり、油も取れることは解るはずです。つまり、それを何に使うのかということまで考えないと信長公のトリックは見破ることが出来ません。
 (3) ゴージャスな欄干つきの橋。
 民衆の憩いのために作ったのだと信じたいのですが、この橋自体が琵琶湖内の大量輸送に何らかの役割も果たすのでしょう。
 (4) 街道を作った
 なぜV字直角に比叡山をマークするような作りにしなければならなかったか。
逃げ道を完全に断つためなのでしょうか。中世の大権力であった寺院を解体することは、僧兵などを持つそれらの団体が、機能としては、朝廷の言わば外堀であるという事実を鑑みたほうが最もであるように察します。
 信長公もまた、軍人としての存在である前に人間であり、人間であるという大前提の前に、魂において、大きな男性を秘めたお方であったのだと存じ上げます。
 時は戦国。今現代以上に貧困は火急をなし、町は混乱し、信長公の御父君はいつも戦争へ出られておられたので会うことも出来なかったでありましょう。父君の愛情も充分に受けられなかった幼少を鑑みては、強烈な母性とも思える父権の存在に憧れ、「いつかこの地上の地獄をこの俺が救って見せるのだ」と心にお誓いになられてあられたのだろうとお察しいたします。

 偉大なる信長公。信長公は急ぎすぎになられました。なぜ明智光秀氏が、亀岡の帰り磐で引き返し、信長公をお射ちになられたか。もし信長公が徹底して協議によって和睦せしめる心があられたならば、この国、いや、この世界の歴史は嘆く事無く変わっていたのかもしれないです。しかし、あまりにも既存の時代を憎み、未来を夢見て信長公は独りで日本の重荷を背負いすぎました。それほどまでに、怒り心頭されておられました。本物の男、信長公は日本人に覇業の大王のとして代々語り継がれることでありましょう。
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◆分かりました◆



No60殿、ご意見承りました。

『信長は悪くない。』その共通認識に心うたれましたので
だだはこねません。真摯に連絡ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。仲良くいきましょう。
良かったら僕の知人が書きました織田信長公についての所見
もご覧になられてください。

参考URL:http://bbt888s.hp.infoseek.co.jp/rekisitolifejob …
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???


◆これは返答では無く、言い訳でも無く「疑問」になります 訂正にもなるかとも思います(ならないかな?)◆

この「疑問・訂正」の前の回答のNo59の方(名指し するようなのも失礼かと思い、番号にて)に聞きたいのですが、まず:「あなたの回答を否定していませんが?」~もちろん、いろんな意見・回答が有っていいと賛成ですが?

それと 難癖 を私が付けているでしょうか?(子孫・・・についての部分は難癖でないのですが?ただ参考までに、という趣旨で付けただけですが、参考までに、という事で訂正します) 織田 信長 公を間違っても「悪人」とは書いていませんが?(そのように受け取れる部分が有れば、誤解です)

それから 特定 という表現ですが、◆質問者の人が:「こういう話題好きなので」と書いていますね? だから 貴方が面白く書いているのと同様に 歴史雑誌を引用・参照で、ミステリー風に(明智 なので 明智 小五郎:江戸川 乱歩 ということですが?)少し、謎解き のように(貴方は血縁の人らしいので、もしかすると「真相」に詳しい ので私の意見回答は 妄想 と馬鹿らしく思えて仕方無い と思いますが)自分なりの一応、意見回答を(全然、面白く無いかも?ですが)書いたわけです 私は真相を一般人で、名家と何も つながり無いので知りませんが、◆歴史ミステリー風に◆ 少し私の推論で(一応、自分の意見回答なのですが?貴方から見ると 稚拙に見えるかもしれません):「こういう推論だと、特定できるのじゃないかね?:微笑」ということで、特定 と表現したわけです

それと、これは(も?)私の推論ですが、貴方は 徳川・豊臣・島津と名家の縁戚の家系らしいので、豊臣 氏の部分で 私が「木下」と書いたのが、貴方の家系に(そういう意図は皆無ですが)侮辱的に感じて、私の意見・回答に不満・名誉侵害ということで一言、書かずにはいられなかった のかもしれず、その点は失礼を ご容赦下さい

いずれにしても、私は貴方の意見・回答に◆何の否定・異論もして無い◆ですし、貴方が書いているように「人は人」ということで、私の意見・回答は「人は人 いろんな意見が~」に該当しませんか? 「自分は、こう考え こう思う」という通りに意見・回答を書いただけですが? 失礼したかもしれない点は、お詫びしていますが?

◆再度、これは返答でなく、疑問ですが? 余談ですが、私の文章に悪意が感じられますか? 疑問です どの点が不満なのか疑問の為、疑問を書きました 自信は無いが参考意見 とも表示していますが?◆
 各子孫の方にも失礼は無いと思いますが?それと疑問の項目無の為、
返答・回答・補足説明(質問者への)でないのでアドバイスに仕方なく、チェックを入れました
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mokshaさん、あなたのおっしゃってることは妄想であって、特定はできないと思いますよ?



それから僕は、子孫がいるのを知っていてでてこいやあと、面白く言ってるだけなので、何もmokshaさんに難癖つけられる覚えはないですけどね?

いろんな意見があっていいんじゃないでしょうか?

回答の評価者はあなたではなくて質問者さんですから。?

自分はこう考え、こう思う、でいいんじゃないでしょうかね~??

返答は不要です。

一応うちは、徳川家、豊臣家、島津家、の関係する家なんで、あなたの意見どうこうはどうでもよかったのですが、書いておきますよ。

子孫は居ますから。

現に今の天皇陛下の祖母は島津の方であるし、当代の当主さんともうちは関わっています。

だから何ってことですが、人は人、もっと自分のご意見をもってくださいね?どうでもいいことですが?
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え~、、、真説:日本の歴史 という(違ったかな?)雑誌によると ですが、


1.明智(土岐氏)光秀の居城:坂本城から京の本能寺まで、最近の検証によると、雨の為に道が「ぬかるんで」いて、明智 光秀が本能寺攻めの為、上洛したとして、到着した時点では既に本能寺は炎上していた
 とのことが判明
2.明智 光秀と織田 信長、この二人は共に合理主義者で、気が合っていたらしく、また明智 光秀は元々は斉藤 道三の家来で冷遇されていたので、織田 信長の家来になり、外様なのに 柴田 勝家らと共に
=織田家五人衆=として実は優遇されていた とか・・・
3.古今東西、殺害事件の基本ですが:「或る人が死んで、一番 得をした人間、それが真犯人」という1つのセオリーが有りますが、そうすると、織田 信長が死んで、一番 得をしたのは? です
4.織田 信長という人は当時の「急進改革者」だったようで、旧来の既得権益者から見れば、目障りな存在だったと言えるでしょう
5.徳川 家康は、この事件後、何故か慌てて三河に逃げているようです ということは・・・?
6.木下 藤吉郎(後の秀吉)の毛利攻めからの京への戻りが異常に早過ぎる点が指摘されていますが?

また、前の回答者の人が「織田 信長・明智 光秀の子孫、出て来い!」とか書いていますが、スケートのオリンピック選手:織田 信成選手は、子孫で、また明智 光秀の子孫はマリア・マルゲリータ・ルイス・明智 というスペイン系イタリア人と日系ブラジル(ポルトガル)人の混血で 織田 信成 選手と対面していますが?

さて以上から、真犯人は? ですね 徳川 家康 この人は逃げ帰っている点から、また、信長 公とは盟友だったはずで、この時点で犯人から外れませんか? 明智平の件は事実らしい・天海 僧正、この人が「明智 光秀」らしいという説が近年、有力視されているようですが?

以上から、真犯人は特定できると思いますが? ま、参考に!
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これは意見のみです。



信長公を歴史上の悪人にしているのは明治以降の天皇(朝廷)を中心とした白痴教育であって、

実際、信長公という方は、関税を撤廃したり、税を減らしたり、既得権を追放したり、民主化を進めた偉人中の偉人、

日本という国はそもそもが素晴らしいのに関わらず、信がないために、揺さぶられやすい。

各々武将は現代人以上にさらに彼らの以前の歴史について知っていたわけですし、それも当たり前の話ですが。

勝った側だけの正当性や、民衆を粗末に考える今までの思想の中においての作られた歴史になんの価値も見出せず。

今生きている人のみこれが真実であり、各地の子孫が各々の先祖を大事にして、親睦し、それぞれの流儀を以って、子孫に先祖の威徳、その教えを伝えていくことが大事かと思いました。

やっぱり、決着は素手でレスリングでいいでしょう。

信長の子孫、光秀の子孫、出て来いやあ!!!
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Q最強の戦国武将は?

最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

Aベストアンサー

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合も損害が少ないように上手に逃げます。
信長の大失敗で知られる越前攻めですが、部下を全て見捨てて自分だけ逃げ帰るような事はなかなか出来ることではありません。
途中で名も無き土民に首を獲られれば末代までの恥ですし、リーダーが逃げ出せば軍団は壊滅し、裏切り者が出て岐阜に反転し、自分の妻子すらどうなるか判らない。
私なら落城した金ケ崎城に兵を入れて浅井軍を牽制し、全力で木の芽峠を越えて朝倉を攻撃します。
運がよければ朝倉を壊滅させて浅井と対峙できますし、運悪く命を落としても武士の名誉は守れ、悲運の名将という名が残ります。
それがあんなにも大胆に逃げたのは、将に天才的な名将と言えるかと思います。
途中の朽木も、それを見越したからこそ恩を売るつもりで朽木谷を通したのではないでしょうか。

上杉謙信は結局人間の心理が読めない武将と思います。
この時代の武士はドライなもので、恩とか義理とかは余り考えていません。
実質の無い関東管領を名乗り、見入りの無い信州に介入し、部下の心は離れ、関東の諸将は冷ややかに彼を見つめ、同盟していた北条もメリットが無いとして同盟を破棄します。
戦に出ても勝ちを拾えず、砂上の楼閣のような物を得て引上げる、しかも田植えが済んでごく短期間だけちょろっと戦をして引上げる。
上杉謙信、武田信玄などは所詮はアマチュア武将であり、嘗て清原・桑田を擁したPL学園が阪神タイガースより強いのではないかと幻想を抱かせましたが、実際にはプロとアマとの間には大きな差があるように考えます。
短期の戦ではアマチュアがプロを抑える事は出来ても、決定的に破ることは出来ませんし、やがて破れていく。

上杉は運良く謙信が死んだので幕末まで残りましたが、生きていれば、北陸道を進む柴田軍と信州から進入する信忠軍、伊那から徳川軍などが進軍し、じりじり春日山に迫られ自刃したかと思います。

歴史的にも徳川家には武田の生き残りが多く仕え、彼らにとって武田信玄は神のような武将で、それに5分に渡り合った謙信は神に準じる武将と祭り上げられ、逆に家康が臣従した今川家と織田家は低い評価が付きますので、そこは割り引いて考えてもよいのでは。

最強というからには、やはり兼業武士(アマチュア)ではなく専業の武士(プロ)で競うべきで、信長を除けば、蒲生氏郷、結城秀康、柴田勝家、加藤清正などかと思います。

私の独断と偏見で。

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合...続きを読む

Q織田信長の性格 考え方

ここで、織田信長についてかなり論じられていますが、
織田信長の性格、考え方を深く知りたいと思っています。他人がどう思っているかの洞察力はかなり長けていたようです。豊臣秀吉、徳川家康よりも実際はそれ以上の大きな器の人物ではないかと思っております。

 まあ人生訓的水先人の師的にもこの人物を深く知りたいと思っています。大雑把なことはなんとなく評判だった行動(実父の死の墓前での行動、坊さんへの討伐等でわかりますが)で推測がつきますが、それ以上つっこんだ記事を見たことがありません。
 ぜひ、思われていることがあればご意見をお聞かせください。
 また、くわしい文献も知りたいです。
志半ばで倒れたので文献的には書かれたのが少ないのかもしれませんけど。

Aベストアンサー

いまだに桶狭間の戦いを梁田出羽守の情報による奇襲と信じている向きが多いようですが、この説は今では信憑性が低いです。当時信長の家臣であった太田牛一の著書である信長公記には、奇襲と読み取れる文言はありません。寧ろ正面攻撃をかけたと読み取れる内容で、正面の今川軍を鷲津、丸根両砦を攻略した後の労兵と誤認して(実際は新手)攻撃をかけたようです。
長篠合戦における鉄砲三段撃ちも江戸時代の創作であり、実際の主な勝因は酒井忠次の別働対が長篠城の救援に成功した為、腹背を敵に圧迫された武田軍が厳重に野戦築城された織田、徳川連合軍を正面突破せざるを得ない状況に追い込まれたからです。織田、徳川連合軍は第三次川中島の戦いに於いて武田軍の採用した啄木鳥戦法と同じ方法をもっと堅実にやったとも言えるでしょう。
このように、信長と雖も情勢を読み違えることもありましたし、軍事的には割合常識的な作戦行動を取る事が多いです。さらに、美濃攻めや長島一向一揆相手の戦闘で何度も敗北している事を考えると、兵農分離が精兵を養うのに有効だったかも疑問です。実際に、当時の人口構成では農兵の方が精強だったと主張する論者も存在します。信長の行った合戦で勝ちが多くなったのは、上洛以降圧倒的大軍を動員出来るようになってからです。このように見ますと、安易に信長を軍事の天才と称えるのは早計かと思います。
人材を抜擢して競争させる人事方針も、組織の膨張期には威力を発揮しますが、安定期に入ってからは害になる事もあります。どこかで方針転換が計られなければ、永久に膨張を続けるしかありません(ナチドイツと似た構造)。この点をどうするつもりだったのかは、信長勢力が安定期に入る前に信長が死にましたので、何とも言えません。
最後に参考になりそうな書物としまして、藤本正行氏著、信長の戦争-信長公記に見る戦国軍事学 をお勧めいたします。

いまだに桶狭間の戦いを梁田出羽守の情報による奇襲と信じている向きが多いようですが、この説は今では信憑性が低いです。当時信長の家臣であった太田牛一の著書である信長公記には、奇襲と読み取れる文言はありません。寧ろ正面攻撃をかけたと読み取れる内容で、正面の今川軍を鷲津、丸根両砦を攻略した後の労兵と誤認して(実際は新手)攻撃をかけたようです。
長篠合戦における鉄砲三段撃ちも江戸時代の創作であり、実際の主な勝因は酒井忠次の別働対が長篠城の救援に成功した為、腹背を敵に圧迫された武田軍...続きを読む

Q時代劇に登場する大嘘を教えて下さい

時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。

まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。

それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。

遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・

あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。

時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?

Aベストアンサー

また失礼します。m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。

元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。

虫歯になったら、麻酔やエアトームのなかった頃はまだ歯がペンチなどで掴める状態の時に力づくで引き抜く以外に治療法が無かったのです。

このために、虫歯を予防する方法として、お歯黒が開発されました。
女性は妊娠により赤ちゃんにカルシウムを取られて虫歯になりやすいので既婚女性に真っ先に普及したわけです。
また優雅な生活をしていた公家なども、甘いものを一杯食べられるので虫歯になりやすく、お歯黒が普及し、それぞれ既婚女性の、あるいは公家のステータスシンボルみたくなりました。

これが映画で見られなくなったのは、戦後、テレビで時代劇が放映され始めた初期です。
歯磨きが普及し、お歯黒を知らない世代が増えた影響でしょうか「歯が黒いと気持ち悪い」という抗議が殺到したのだそうです。
それで「明らかに間違えなのだけど」お歯黒を入れるのを止めたそうです。

また失礼します。m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。

元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。

虫歯になったら、麻酔やエアトームの...続きを読む

Q戦国武将の性格、意外な一面、暖かい話しなど

タイトルの通りですが、人格、意外な一面、暖かい話を知ってる方何が教えて下さい!最近一気に小説など読んだのですが、裏切りや残酷なことが多く少しぐったりしています…
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

 信長のはなしをひとつ 将軍義昭を奉じて 上洛し 諸事万端の段取りを済まして 岐阜に帰還 ところが それを見越して また
そぞろ 三好の一党が京周辺で動き始め 不穏な情勢に 義昭は不安になって 岐阜の信長に来援を要請しました 雪の積もる季節でしたが
ものともせず 急ぎ急行の指令を城下にだしました
そのときの顛末が信長公記にあります
荷の運搬に対して 信長は信玄や謙信のような 伝馬制度は採らず 馬借でした 城下で営業を許可しておりまして 通常は一般の請負ですが
いざというときは 独占貸切になり どこの誰が何をどれぐらいのものを積むかは すでに決めてありまして ほら貝とともに 短時間で出発できるようになっていました が そのときは何がたりなかったのか
少々混乱しまして (既定の人数にたりなかったようです)いつもより
たくさん積もうと(積めば積むほど金になる)荷持の取り合いがどうもあったみたていで 混乱したんです
信長は じきじきに 出て行って こういったそうです
京は 急いでいかなければならないので けんかするな
濃がいちいち見て採決してやるから さわぐな と
いちいち点検して これでよし  いくぞといって 出発したそうです
今で言うところの宅配便です
信長は もちろん京に間に合い 蹴散らしたそうです
馬借の人夫らと雪のちらつく中 馬の背に荷持を担ぎ上げたりしていたわけです
この距離感が信長なんでしょうね
支配するものと支配されるものの間の中間を排除しょうとした
行動の一端がかいまみれる思いです
  

 信長のはなしをひとつ 将軍義昭を奉じて 上洛し 諸事万端の段取りを済まして 岐阜に帰還 ところが それを見越して また
そぞろ 三好の一党が京周辺で動き始め 不穏な情勢に 義昭は不安になって 岐阜の信長に来援を要請しました 雪の積もる季節でしたが
ものともせず 急ぎ急行の指令を城下にだしました
そのときの顛末が信長公記にあります
荷の運搬に対して 信長は信玄や謙信のような 伝馬制度は採らず 馬借でした 城下で営業を許可しておりまして 通常は一般の請負ですが
いざというと...続きを読む

Q戦国時代のおける大名の妻のなかで、一番の妻は誰だと思いますか?

戦国時代のおける大名の妻のなかで、一番の妻は誰だと思いますか?
もし、この女性が戦国武将になったらすごかったと思う人は誰ですか?
おね、まつ、ちよ???

Aベストアンサー

賢妻は前田利家の妻まつでしょうか?

この女性が武将だったら、と思うのは
伊達政宗の母「義姫」
お家のためだったら息子も殺そうとするあの非情な血が
政宗に流れ、彼を奥州の覇者へとしたのではないでしょうか?

Q歴史上の人物のウソエピソード

以下の人たちがついていたウソや誤魔化していた、騙していたというようなエピソードを探しています。
知っている方お願いします!
森鴎外
竹下登
島村抱月
陣幕久五郎
田部長右衛門
徳川夢声
若槻礼次郎

福沢諭吉
緒方洪庵
手塚治虫
井原西鶴
幣原 喜重郎
鈴木 貫太郎
与謝野 晶子

伊藤博文
井上馨
江木翼
岸 信介
近衛 文麿
田中 義一
寺内 正毅
乃木 希典
山県 有朋

Aベストアンサー

確か福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と人間は平等だと言っておきながら、「自分の娘は、武士のところしか嫁にやらない」と言って、言行不一致をしでかしたことがあると聞いたことがあるようなないような…。記憶が確かではなくすみません。

Q上杉謙信の女性説について

高校時代に歴史の先生から、「上杉謙信は実は女性だったという説がある」というのを聞いたのですが、詳しい事をご存知でしたら、その根拠などを教えて下さい。もう、20年以上も気になっています。

Aベストアンサー

 確か、その「上杉謙信女性説」最近、友人に教えて貰いました。
 その根拠ですが
1,上杉謙信がいた地方の歌に「まんとら様は男に負けない力持ち」という内容の歌詞がある事。ここの「まんとら様」は昔の謙信の名前だそうです。「男に負けない」という表現は、男には使わないのではという事だそうです。
2,どんなに勝っている場合でも、一ヶ月に一回、数日間、決まった周期で合戦を中断している事。
3,「川中島の合戦は武田信玄と美男子を取り合う目的があった」という説がある事。この説は、他に、「上杉謙信男好き説」の根拠ともされているそうです。
4,上杉謙信の銅像等で彼がよくかぶっている頭巾が当時の女性のファッションであった事。
5,上杉謙信の絵で、彼が不自然なくらいひげを生やしている事。「女性という事がばれるといけないので、後で書き加えたのでは?」という話です。
友人はかなり「上杉謙信女性説」を信じているみたいです。
 しかし、その説にも反論があり、「謙信が女性なら出家は出来ないのではないか」(謙信は出家しているらしいです)という事だそうです。
 ご参考になれば幸いです。

 確か、その「上杉謙信女性説」最近、友人に教えて貰いました。
 その根拠ですが
1,上杉謙信がいた地方の歌に「まんとら様は男に負けない力持ち」という内容の歌詞がある事。ここの「まんとら様」は昔の謙信の名前だそうです。「男に負けない」という表現は、男には使わないのではという事だそうです。
2,どんなに勝っている場合でも、一ヶ月に一回、数日間、決まった周期で合戦を中断している事。
3,「川中島の合戦は武田信玄と美男子を取り合う目的があった」という説がある事。この説は、他に、「...続きを読む

Qおすすめの歴史漫画を教えてください

最近歴史漫画にはまっています。
書店などで面白そうなものを探すのですが、なかなか歴史物ってないですし、表紙から選ぶのも難しいです。

好みの漫画は、
 ・時代は問わないが、古代~江戸時代まで。
 ・少年コミック、少女コミックなど種類は問いません
 ・女性向けな絵が好きです
 ・戦国武将を題材にした濃~い漫画は苦手です
 ・ストーリーに恋愛系が含まれているのが好きです
 ・読み切り漫画よりも長編漫画のが良いです
 
ちなみに持っている(読んだことある)漫画は次のとおりです。
 ・なんて素敵にジャパネクス
 ・ざ・ちぇんじ
 ・きらきら馨る
 ・風ひかる
 ・大奥
 ・川村恵理先生の戦国ロマンシリーズ
 ・里中満智子先生の天上の虹など古代の漫画
などです。
何かおすすめの面白い漫画がありましたら教えてください。

Aベストアンサー

長岡良子さんの作品群がまだ紹介されていないようなので一読をお勧めします。
昔は飛鳥時代から奈良時代を題材にした
 「眉月の誓」全3巻(藤原不比等の恋の話)
 「暁の回廊」全4巻(道昭の話)
等の「古代幻想シリーズ」の話を描いていましたが、
少し前までは平安時代が舞台の
 「花散里の物語」「夢としりせば」
等のオカルトの入ったラブコメ。
最近は安土桃山時代の町衆の話
「花鎮めの祀り」等に時代を変えていますが
確かな歴史観とストーリーで安心して楽しめます。

あと紹介しておきたい作品が
諏訪緑さんの「うつほ草紙」全3巻 です。
平安時代の「うつほ物語」を下敷きにした
骨太の壮大なストーリーで読ませます。
 

Qあなたの好きな戦国武将を教えてください!

好きな戦国武将ベスト3とその武将の簡単な解説をお願いします!

Aベストアンサー

・本多忠勝
・上杉謙信
・鈴木重秀

上二名は義を重んじた点と武にも長けていた点。(かなり大雑把にいうとですが)
鈴木重秀は雑賀衆の頭領として多彩な才能を披露すると同時に、当時鉄砲を使用したことで有名な信長軍よりも鉄砲技術に優れていた点を評価。(ある意味最先端を行っていたのは雑賀かなっと。)
まぁ雑賀の寝返りまくりの「義」を無視した方針はあまり好きではありませんが。

Q血液型

織田信長の血液型はA型だったと聞きました。
ほかの戦国武将の血液型もわかれば知りたいので教えて下さい。

Aベストアンサー

豊臣秀吉 O型 血判状から判明
伊達政宗 B型 遺骨から判明
徳川秀忠 O型 
上杉謙信 AB型 誓文から判明

戦国武将で血液型が分かっているのはたぶんこれだけだと思います。

また戦国武将ではないですが
大久保利通 O型 遺髪から判明
西郷隆盛  B型
夏目漱石  A型

だそうです。


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