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日本が東南アジア諸国で最も早く先進国入りしたのはなぜですか?東南アジア諸国それぞれと比較した回答をもらえると非常にうれしいです。

A 回答 (7件)

まず、日本がそのような地位を築けるようになった土台として


建国以来の長期的な視点で見てみると2つの事案が浮かんできます。

まず、第一に天皇制。
これが日本の国体を為す上で重要な地位を占めてきます。
天皇というのは不思議なもので、どの時代にも崇められ、脅かす存在もなかった。
例えば天皇廃止の危機に最も近い存在だった信長でさえもそんな気は毛頭なかった。

第二に武家社会の主従関係があります。
これを極力強化したのが徳川家康で今日でいう官僚化の礎をつくります。
お上から出されたお触れに下々のものが従う日本特有の国民性がここで強化されました。
こんな感じで2000年も生活していますから、一致団結する国民性は強固なわけです。

それに加えて日本人はキチキチしていて、その上意外と想像力も豊かなのです。
キチキチしているというのは物作りをしっかりとするということ。
これが東南アジアに行くと10個中1個くらいは・・・となるのです。

想像力という点に関しては技術力の高さはいうに及ばず、
娯楽にしても少し前はカラオケ、今はアニメ、ゲームは世界を圧巻しています。
囲碁将棋にしても今の囲碁は日本からの逆輸出になっていますし、
世界の将棋でも駒の再利用ができるのは日本の将棋だけというように
創意工夫は世界的にみても相当に高いレベルにあります。

アジアという一角でみると日本人が突出して優秀なのです。
続いて人口のゴリ押しで優秀な人材を輩出できる中国が続きます。

東南アジアは地理的に不利だと思います。
他の方も書かれているように暑さは思考を奪います。
持論ですが、南国では先進国の仲間入りをするのは無理があると思います。
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1■冷戦で有利な位置にあった。


アメリカの核の傘で、軍備負担を節約できた。
その分、道路工事や企業への補助金にまわせた。

戦後、コリアで戦争が起きた。連合国側の前線補給地として、工場が稼動した。

アメリカは、ホント日本を骨抜きにしたかったんだけど
ソ連と微妙だったから、日本の経済成長を認めた。

だから財閥解体とかも、コリア・ウォーで、緩和された。強力な寡占企業もつくれた。

2■政情が安定していた。
ベトナムやインドネシア、なかなか政情が安定しなかった。日本には世界的に
見ても断トツの伝統を持つ「皇室」があった。「皇室」を中心に一致団結できた。
戦後も、アメリカ単独占領だったので、内戦の不安も無かった。

コリア・ドイツ・ベトナムは、米ソの狭間で苦労した。

3■産業革命に柔軟に対応した。
日本人の宗教観は、かなり柔軟なので、新しい革命の凄さに早い段階で気づき、
追いつけた。まあ、無節操とも言えるが。日本人は、漢字輸入しても、平仮名と、
英語輸入してもカタカナ語として併用する。かなり器用な民族。
仏教伝来しても、日本式仏教に改造したし。黒船にびびっても、またたくまに自力で国産できた。
モノマネが、すごい上手、素直。大戦後になって、ようやく、他のどんがめアジア諸国は、日本の留学制度を真似はじめた。

他の仏教圏・儒教圏の国々は、迷信に縛られて、フットワークがとろく。
視野が狭かった。大航海時代の宣教師に出会って、素直な好奇心でもって、
学び盗んでやろう、どんどん、西洋に留学生を派遣しろ、という発想が
できたのは、日本だけだった。第一次大戦後か、徳島の軍人は、ドイツ人捕虜からも、技術を学ぼうとした。
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No3の方が「臨戦態勢の軍隊がいる国で発展は無いです」とおっしゃってますが、


韓国と台湾は臨戦態勢とは言わないまでも、北朝鮮と中共との緊張があったから発展したとういう説もあります
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「明治政府」が富国強兵策を柱にしたからです。

政権初期に岩倉具視を頭にして政府要人の半分以上が西欧近代国家見聞に出かけています。こんな国はかってなかった。西欧が100年以上かかった「近代化」を40年でやってしまった。インド・中国が植民地にされていたのであわや日本もといった危機感があったので最初は「攘夷運動」しかし「徳川幕府」は長崎出島のオランダ商館長から西欧の情報は知っていたので米国の不平等条約に調印せざるを得なかった。「黒船」の脅し・・「植民地」の運命が見えていた。調印した井伊大老は水戸藩士に暗殺された。幕府軍と勤皇派が内戦状態に。財政の潤っていた薩摩長州連合が幕府を追い詰め「大政返還」。明治政府の樹立となった。西欧事情を熟知する能力があったからでしょう。内戦が続けば西欧の介入で「植民地」の運命で「アジアの近代化」はいつになっていたか分からない。
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戦争の主役になるくらいの力を持っていた国でしたから当然でしょう。


鎖国が続いたので開国して50年ほどで早急でしたが戦後からの時間が有れば欧米にも余裕で追いつくでしょう。

敗戦しましたが本土決戦は無く国体は護持しました。
共産の脅威も来ないので天皇も現在の二世三世が躍進する政財界の金持ち子孫が生き残りました。
戦場となった他アジアは国体がボロボロです。
臨戦態勢の軍隊がいる国で発展は無いです。

その国を良いように経済植民地として下請けで使えたのが大きいです。
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関ヶ原の合戦のときに世界の鉄砲の半数は日本にあったーーという文章を以前どこかで読んだことがあります。

ネットで検索したところ以下のURLなどが見つかったんだけど。
http://www3.ocn.ne.jp/~chigiran/nihontou3.html

種子島に漂着した外国人から鉄砲なるものを得て、短い期間で国内生産するようになって、(数字の根拠はあやしいものの)世界の半数の鉄砲が日本にあったということはいろんなことを示唆しているんじゃないかと思う。
 優秀な民族だったといえば、そうなんだろうけど、異常なエネルギーを感じます。そういうエネルギーがアジアで初めての近代化とか太平洋戦争、先進国入りに直結していると思う。
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まず、日本は東南アジアではなく極東です。


それと日本以外のアジアでは今なお、先進国入りした国はありません。


日本と東南アジアを比較すると地理的な条件が一番違うと思います。
平均気温が26度~28度のシンガポール、タイ、フィリピンと比べ働きやすい環境にあることが第一です。
最近でこそクーラーが主要な施設にありますが、暑さは勤勉さえを奪います。

上記の条件に当てはまらないのが台湾と韓国ですが、両国とも戦前の産業はみるべきものがありません。

それに比べ日本は、教育水準の高さと勤勉性、加えて、ゼロ戦、戦艦など製造業のレベルの高さが加味され、アジア諸国の中でトップに立ったのです。
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