
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
種子島か、坊津か、これらの複数ルートだと思います。
信長が堺を直轄領とした1568年以前であれば、堺でも入手できたでしょうが、少なくとも石山合戦が起きた1570年以降は、上記ルートのみだと思います。
その当時、日本はムガル帝国治下インド産硝石を輸入していましたが、鉄砲の威力に着目していた信長は、1568年、京都を制圧するやすぐに堺を直轄領とし、境以東の武将が硝石を入手できないように手を打っています。
だからこの時以降、堺の鉄砲と硝石は信長の監視下に置かれたと推定できます。
このことは、1570年、石山合戦が始まると、石山本願寺・顕如上人が雑賀衆に鉄砲一千挺を早急に調達するよう要請した証文も残されていることからも納得できます。
http://www.hinet.jp/magoichi/suzukimagoichi.htm
雑賀衆が、海上交通に長けていたことは、上記URLをご参照ください。
なお、五箇山製硝場で作られた加賀硝石の上納は、慶長8年(1603年)から始まっています。
硝石小屋で仕込みをしてから7,8年かかって良質の硝石が得られるので、逆算すると1595年ころの仕込みとなりますね。
文禄の役(1592-93年)で朝鮮の捕虜から知識を得たのではないかという南坊平造氏の説があります。
回答ありがとうございます。
時代考証も考えると信長支配下の堺からの1ルートもあったのでしょうが、やはり開戦後はそれでは無理になりますね。
では、2ルートが有力説になってきます。「昔阿波物語」のように、薩摩などのルートを使う。また、加賀、越中など北陸生産の硝石を遠路迂回路となる航路を使って雑賀に取り入れていた。
複数ルートでなければあれだけの数の鉄砲を撃つ硝石が手に入らなかったでしょうね。
またURL拝見しまして、その財力が豊かであった背景を知りました。
ここでも私が以前ここで質問しました「種子島銃とその後」に回答してくださった「早合わせ」(早合)が出てきました。
海民としての生活と米の生産、ものづくりの技術、宗教性など雑賀衆への興味はつきません。
詳しい解説ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
捕捉ですが
近世以前に、馬屋の土を用いて硝石を作る、との文書が存在しますが、この場合、一度取った場所で次に硝石が取れるには、30年ほどかかります。
慶長期に編み出された土硝法では、数年の準備が必要ですが、一応、毎年取れるようになります。
ちなみに、アジアでの硝石の産地は山東省・四川省、インドのビハール州ですが、ビハール州の硝石は1600年ごろに発見されました。
No2の方ですね。再度の回答ありがとうございます。
馬屋の土と言うのは例の尿から、の方法ですか。土硝法と言う確立された製法があったのですね。
輸入元としてはアジアでは中国の山東省、四川省。なるほど、そうだったのですか。やはり中国ならどこででもというわけにはいかなかった。
インドの例では戦国期に間に合いませんね。
私の1から3まで(その他回答くださった分も含め)の海外ルートや、
尿を使った生産法、天然鉱物資源としてあったものなど、多くの手を使ってかき集めていたことも良くわかりました。また、雑賀衆の財源と財力のことまで判り、皆様には感謝しております。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
NO.5です。
ちょっと補足を・・・慶長8年から始まった五箇山を産地とする加賀硝石の上納は、加賀藩から幕府に対し行われたものです。
「養照寺由緒書」や「羽馬家文書」という文献によれば、1572年には五箇山で生産された火薬が日本海経路で運ばれ、これを本願寺が使用し信長と戦ったとあるそうです。
再度の回答ありがとうございます。
加賀硝石産出については日本海経由で輸送されていたのですか。毛利との関連を見ると関門海峡を使って瀬戸内海を航行し、雑賀に入れていたと考えられますね。
この硝石生産説に古文書があることで私の1から3までの輸入ならびに
輸送ルート説以外にも「生産して輸送」というのが加わったと感じています。
これらの複数ルート+生産輸送をするなど、大量の火薬の根源がかなりわかってきました。ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
火縄銃が伝来した時、火薬の製法も伝えられました。
最初に日本に入って来た火縄銃は2丁で、その1丁を根来寺の僧、津田算長が買い上げ、火薬の製法と共に、本願寺に伝えたと言われます。その後、火縄銃が戦で多用されると共に、本願寺では、火薬の生産に取り掛かりました。
場所は本願寺の勢力の強い加賀などで、五箇山などで生産された言われています。この地方では明治時代まで生産が行われていたそうです。
ここで作られた火薬は本願寺に運ばれ信長との戦いに使われたと言われています。
富山県東砺波郡平村で編纂された「塩硝ー硝石と黒色火薬、全国資料文庫収蔵総合目録」によると、火薬は最初は堺の商人を通じて外国から輸入し、間もなく本願寺の仲介により生産が始まったとあるそうです。
雑賀衆の火薬については、はっきりしませんが、やはり堺か本願寺から仕入れたか、「昔阿波物語」にあるように貿易によってではないでしょうか。
回答ありがとうございます。
津田算長とは、津田監物といわれていた人物と同一なのでしょうか。
火薬生産説のうち、加賀、越中などやはり本願寺勢力下での生産が主だったところなのでしょうね。しかも明治時代までとのこと。かなりの量産(トータル産出量)だったのではないでしょうか。
「塩硝ー硝石と黒色火薬・・・目録」というのがあるのですね。初めてしりました。資料の存在を知り、より具体的になってきました。やはり1の堺説が有力のようですね。
ここでも回答くださった「昔阿波物語」の貿易説も興味深い資料であります。
回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
あくまで、小説ですが
二宮隆雄さんの『雑賀孫一』では、ポルトガルとの交易地である種子島との行き来をする雑賀海賊が登場します。これらが、硝石を運んできたようで・・・(^^ゞ
『昔阿波物語』には、「紀州のものは、土佐前を船に乗り、薩摩あきないはかりまつる」とあり、対明貿易の拠点の薩摩・坊ノ津へ船を出して交易をしていたようです。かれらは、和冦の末裔であり、明沿岸まで荒らし回り、多量の金品を雑賀にもたらしました。それらで大量の鉄砲を買い付けたとありました。
雑賀孫一や土橋氏など雑賀海賊は倭寇の子孫。だから海外も種子島も有り得るのでは。「昔阿波物語」の記述は私の2説に近いものがありますね。
海賊商売の収穫で鉄砲を買いつけていたのですか。やはり土佐、薩摩の2説もありえるのですね。
回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
可能性が最も高いのは1又は2です。
九州→瀬戸内海→堺又は石山(大阪)→紀州→伊勢→駿遠三→関東→東北→蝦夷地(北海道)というのが当時の海の「メインロード」ですからね。
その他のルートとして考えられるのは、土佐ルートですか。九州→土佐→紀州は、裏ルートではあるのですが、一つの大きなルートですね。
もう一つは密輸ルートですが、敦賀辺りから運ぶことを考えるとちょっとないかな、と思います。もっとも「信仰の力」は偉大ですから。
回答ありがとうございました。敦賀は盲点でした。
私は敦賀も可能性として有り得ると思います。理由はやはり北陸は一向一揆の拠点だからです。敦賀も良い港であるし、後世外国との繋がりもあるので。
土佐ルートもありそうです。薩・土がからんでいそうなところが興味深いです。
歴史的興味から雑賀を訪れたことがありますが、入り組んだ港であり、波静かで、なかなかの良港でありました。雑賀海賊の本拠としてはこじんまりしていてなんだか納得するものがありました。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
日本で硝石の製法が確立するのは慶長年間(もっと早いとの説もあります)ですが、これは数年かけてわずかな量を得られるだけなので、とても合戦に必要な量はまかなえません。
堺と大阪(すなわち本願寺)でしょう。
回答ありがとうございます。慶長年間なんですか。採れたことは採れたのでしょうね。でもあの大量の鉄砲生産に対して、硝石がどこからやってくるのか疑問です。
堺の会合衆も信長嫌いで、本願寺との方が仲は良かったのでしょうね。すなわち堺ルートの1説、となるのでしょう。
琉球ルート(中国から)で薩摩経由、豊後経由等はなかったのでしょうか。
ありがとうございました。
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