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旅順攻囲戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/旅順攻囲戦
日本軍が長期間にわたり、何度も攻撃し、とうとう陥落させたという印象があります。
ロシアのほうが近代的な武器を揃えていたのなら、どうして負けてしまったのでしょうか?
要塞に立てこもったままでは勝ちはありません。
積極的に打って出なかったのはどうしてでしょうか?
愚将だったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

日本軍も大量の脚気患者(死者多数)を出しています。

ビタミンに対する知識の幼稚さは双方とも同じです。
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これは細かく説明する必要があります



   兵器面
 小銃は両軍とも同レベルです、日本軍は三〇年式小銃(6.5mm5連発銃)を使用。ロシア軍はM1891モシン・ナガン(リーニアゲージ)小銃(7.62mm5連発銃)を使用しております。
 機関砲は日本軍はホチキス式機関砲(6.5mm25連発)を100挺ほど配備しました。ロシア軍はマキシム式機関砲(7.62mm500連発)及びガトリング式艦載機関砲を50挺地上に下ろして使用しています。両者の大きな違いは、日本軍の機関砲は4人で携帯できる駄載方式だったのに対してロシア軍のは馬懸架式(大砲と同じ大きさ)か、固定砲座方式だったことです。
 野戦砲は両軍とも1世代前の方式でしたが、重砲は最新型のシステムでした。日本の15cm砲はロシア軍の物よりも精度、射程が優れていました。有名な28cm砲は、実はかなり旧式な大砲でしたが、要塞攻撃及び湾内への砲撃には支障がなく、元々攻城砲であったため、要塞攻撃に威力を発揮しました。
   戦力面
 日本軍は64個歩兵大隊を要したのに対してロシア軍は27個歩兵大隊(南山の戦いで兵力は消耗している)しか戦力を持っていません。保有重砲も日本の半分以下です。
   戦術面
 日本軍は、7月末段階で要塞線正面への展開を終了し、2週間かけて要塞の構造を分析しました。それに基づいて包囲攻略戦を企画しましたが大本営より8月中の攻勢を求められました。当時の日本軍には攻城戦の教科書が翻訳されておらず、工兵大隊を全て後方に下げ再教育を行うという事態に遭遇します。これは上原大佐の失策です。そこで仕方なく歩兵による磐龍山攻略と、重砲による二龍山及び松樹山重砲陣地の破壊を試み、9月までに3ヶ所の重砲陣地は全て沈黙します。その成果により28cm砲が設置され、湾内への定点砲撃(湾内を碁盤の目のように区切り、毎日一ヶ所づつ砲撃を加えるという戦術)を開始します。その後は時間をかけて要塞を攻略しました。

 さて、質問者の『ロシア軍は積極的に打って出なかったのはどうしてでしょうか?』ですが、戦力比が64:27です。打って出ればどちらが勝つか目に見えています。だから打って出なかったのです。

司馬遼太郎やその他作家などは史実をかなり捻じ曲げていますので鵜呑みにしないでください。
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医療関係者です



ロシア軍は新鮮な野菜や果物が補給出来ずビタミン不足の為の壊血病で兵士の病人が増えてとても戦闘に耐えられなかったと言う当時のロシア側の記録があります

ビタミンの知識がまだ幼稚だったのでサプリや医療品も無かったらしいです

戦争後に日本の医学者がロシア軍が乾燥豆を食べて戦ったと言う事を聞いて、豆でもやしを作るべきだったと書いた論文を読んだ覚えがあります
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ちょっと、別の観点から。


ロシアの戦史を調べると、彼らが勝つには一定のパターンがあることに気が付きます。

(1)
まずは相手に先制攻撃させて、広大なロシアの領土奥深くに誘い込む。
この段階では、相手に負けてもかまわない。

(2)
相手を誘い込んだら頑強に抵抗し、またゲリラ戦でもって、敵の補給を妨げる。
敵軍は国境から離れるに従って、敵軍の物資の補給と兵員の補充が厳しくなるため、自然と戦力が消耗する。

(3)
敵の戦力が消耗し尽くしたら、反撃に出る。
その際、ロシアの厳しい冬を活用すれば、敵はたいていロシアの冬に慣れていないので、効果は倍増。
後は、敵を押しまくるだけでよい。

ナポレオンのロシア遠征から第二次世界大戦に至るまで、ロシアはこのパターンにはめて、敵に勝利してきました。
一方、こちらから攻める戦いや篭城戦にはあまり強くなく、自分からのこのこでかけたロシア遠征前のナポレオンとの戦いや、東プロシアに攻め込んだ第一次世界大戦、あるいは篭城戦となったクリミア戦争のセヴァストーポリ包囲戦では敗北しています。
(冷戦期のアフガニスタン侵攻も、イスラム系の反政府軍によるゲリラ戦で苦しめられたあげく、撤退に追い込まれています)

まあ、篭城戦で最終的に勝つこと自体がかなり難易度が高いですが、ロシアの場合は必勝パターンに持ち込まない限り、敵に勝つ要素はあまり無かったと言えるでしょう。

例外として日本とソ連が軍事衝突したノモンハン事件がありますが、あの時点では機械化されたソ連軍と歩兵中心の日本軍では戦力に差があり、そもそも負ける戦いではありませんでした。
それでも、特に戦いの初期ではソ連は日本軍に苦戦しており、最終的に勝ちましたが多くの被害を出しています。
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まず、両軍の武器に差はありません。


日本の小銃(三○式)もロシアの小銃(1891式ミリーニャ)も5連発のボルトアクションで、連発銃を制式採用した国同士の戦いは世界初でした。
日本はフランスのホッチキス機関銃を国産化し、個々の戦いでは日本の機関銃の方が数が多かったほどですが、故障が頻発し、目立った活躍はしなかったようです。
また、塹壕や鉄条網などの野戦築城と機関銃を組み合わせれば、守備側が圧倒的有利とは、第一次大戦以降に常識になりますが、日露戦争の時点で、そのように認識していたのが、旅順要塞陸上防衛指揮官コンドラチェンコ少将でした。ロシアにおける築城・要塞戦の第一人者であるコンドラチェンコは、要塞司令官ステッセルから指名されて旅順へ赴任。短期間で難攻不落の要塞を構築しました。機関銃に日本軍が苦戦したのは、武器の性能ではなく、運用法に差があったのです。
ロシアは積極的に反撃を行ない、一つの陣地の主が日に何度も変わるとの記録は珍しくありません。ただ、兵力は常に日本が優勢でした。
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日本も(特別な近代思想はないかもしれませんが)二八センチ榴弾砲という、当時の陸上兵器としては常識はずれな(据付兵器以外ではちょっとありえない)化け物を投入しています。


近代兵器投入も大事ですが、近代兵兵器以上に強力な化け物の投入が大きかったと思います。

ロシア軍、しかも極東に配備されている部隊となると、必ずしも錬度は高くはありません。奇襲突撃が得意で大好きな日本軍に打って出るのは、躊躇われたと思います。要塞守備部隊と、遠征軍ではどうしても錬度が違います。しかも日本の陸軍は島国で数が少ない分精鋭、士気は近代史では他に例を見ないほど燃え上がっています。さらにいうと、突撃すると弾薬以外の武器は損耗が激しくなります。二八センチ榴弾砲なんて化け物が出てこない限り、篭って守れば、バルチック艦隊到来、あるいは満州軍の到来まで持ちこたえる自信があったでしょう。まさか東京を空にして、誰も戦場まで運んだことのない戦艦の大砲と同等のものを持ってくるとは、普通想像もつきません。錬度が低く、武器の補給が利かない要塞の司令官としては、いたって常識的な指揮に思えます。
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まあ、敵将が愚将だったということでしょうかね。


それはともかく。
日本が戦いを始めた時期は、シベリア鉄道完成前でした。
つまり、ロシア本国からの増援が困難な時期でした。
また、ロシア軍も、旅順要塞の難攻不落を信じていたというのもあります。
それだけの防備も施してありました。
日本側も、当初、旅順は無理に攻略せず、放置する計画でした。
しかし、海軍が極東艦隊の殲滅に失敗し、封鎖作戦にも失敗したため、陸路攻略を決定したものです。
映画「二百三高地」等でよく知られていますが、日本側の対応もほめられたものではありませんが、御指摘のとおり、本来、旅順要塞は、ロシア本国からの増援を受けたロシア陸軍極東軍が、日本軍を撃破するのを待つというのが、旅順要塞の戦略でした。
それを防いだのが、開戦時期と明石元帥による諜報活動です。
特に欧州における諜報活動は、周辺諸国やロシア帝国国内における旺盛反対論者、共産主義者等を扇動し、極東ロシア軍への大規模な増援を不可能にしています。
ロシア太平洋艦隊回航時、イギリスとともに妨害・諜報活動を行ったことは知られていますが、欧州においても、増援を阻止する工作が続けられ、大きな成果を挙げていたのです。
この工作のひとつが、後のロシア革命の萌芽となったのは歴史の皮肉ですね。
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別に近代的な武器を持ったほうが必ずしも戦闘に勝利できるわけではないでしょう。


理由として上げるなら、ロシア軍の戦力(要塞の状態・ロシア軍の兵数・砲数)が日本軍を撃退できるほど無かったから、としかいえないでしょう。

積極的に打って出るといっても、戦力比が違いすぎていますので普通に打ってでたらロシアは勝てっこない、旅順要塞は早々陥落したことでしょう。
だからといって篭りっぱなしというわけでもなく、先日日本軍に奪われた陣地を翌日逆襲、奪還したりしています。
あと旅順攻防戦はバルチック艦隊到着まで旅順が持ちこたえれば勝利であるという状況考える必要があります。
勿論、指揮官が悪かったから敗北というわけでなく常識的に戦い常識的に負けたそれだけかと思います。
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