第二次世界大戦について、その責任と謝罪が問題になりますが、ほとんどが外国との問題です。

よく考えると、日本国民はどうなるのでしょうか。当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。

天皇、政治家、軍部その他。

(謝罪は、戦争に勝てなかったことを詫びるのではなく、戦争を始めて国民を抑圧したことです。)

教えてください。

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A 回答 (14件中1~10件)

最近の日本人(特にgoo教えての投稿者さん達)には、理解の範囲を超える面があるかもしれないと考えましたのでアドバイス投稿しますね。



時代の違いを少し説明します。

>当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。
当時の日本国の権力者が謝罪する相手は【天皇か上官か組織】です。  権力者達にとっては『国民って誰のこと?』というレベルの感覚です。 当時の国体は今現在の日本人平民の感覚でいうならば【ヤクザ組織】に似たところがあります。

戦後になって主権者は国民であり、天皇は象徴ということになりましたが、あいかわらず天皇制という制度については変化が無い(?)というか、変化させまいとする意思が終戦直後から現在まで働きます。  現在の北朝鮮の国内状況を作ったのは元日本人達です。


戦後、天皇の臣下達は【天皇の戦争責任】の追求を回避するという目的であれば、いかなる犠牲があっても当然と考えます。 また、それは当時の大人(皇軍兵士)達も止むを得ないと考えます。 例えば、

南京大虐殺が東京裁判の判決であり、これを認める事が【天皇制を守るために必要と考える】のであれば諸外国に対して謝罪する必要ありと判断されました。 まず天皇を守る事を優先します。 なぜなら彼らは天皇の臣下だからです。 同時に【日本人という人種の凶暴性の責任】にする事でGHQ(米国)に協力する天皇制為政者達の面目も保たれると考えます。 なぜなら戦時中の米国人は【日本人という人種を絶滅する意思があった】事は米国人も認めるはずと考えるからです。

東京裁判と諸判決は、サンフランシスコ講和条約以後も有効であり、これは天皇制を守るために必要・有効であると考えられています。 右翼はもちろん、GHQ、保守合同、勝共連合、戦中の大人達(皇軍兵士)にとってだけ必要であった訳ではありません。 終戦後、一般の日本人は争って占領政策を歓迎しました。

そして、日本国民(現在の朝鮮人・台湾人を含む)にとって功績のあった人、日本の軍国主義を諫めた人、捕虜に親切にした人、現地人と協力するために苦労した人、・・・・ これらの人々が【戦争犯罪人】であり、日本人はこの戦争犯罪人どもを『徹底的に追求して処罰すべきである』という論に乗ってなんと【遺族や親族が差別、虐待される】という例が戦後あります。 まあ裁判所は行政管理監督者として、公表しないでしょう。

終戦直後、東京裁判の諸判決に異議を唱える国民を代弁したのは野党社会党でした。 もちろん、政権政党はGHQ、米国の要求に応えると同時に【異議がある国民の期待に応える】必要もありました。 政治状況が180度一編したのは朝鮮戦争、レッドパージ以後です。

>当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。
【戦争に負けた】結果について、天皇陛下に詫びて腹を切った国民の大半は名無しなんですよ。 もちろん戦死者の後追い自殺の意味もあります。
ですから謝罪するという事であれば【謝罪の意味内容を、もう少し詳細にする】努力をしていただく事が歴史を知る上で必要なんですよね。

乱文、参考意見についてお詫びいたします。 
尚、記憶が曖昧なまま投稿しましたので、間違いの指摘は歓迎ます。が議論できませんので2度目投稿はしません。 よろしくお願い致します。
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>謝罪は戦争に勝てなかったことを詫びるのでなく、戦争を始めて国民を抑圧したことです。


まず日本国民を抑圧したのがアメリカだと言ふことを知っていたから国民は米英との戦争を受け入れたことを知るべきです。開戦当時の国内の雰囲気は良く遣ったと軍部の行動を支持する世論であったはずです。戦力的にもアメリカに充分対抗出来る軍備を備えていて山本五十六が描いていた真珠湾攻撃をしていたならそれ以後の海戦はもっと違った戦闘になっていた可能性があります。アメリカの排日政策により石油を止められた日本では木炭自動車が走り国民には不満と怒りが満ちていたことで
国民を開戦に踏み切らせたことを知るべきです、当時のマスコミでもし米英と戦争になったらなど心配する論調などないはずです。第二次世界大戦までは一般住民が攻撃対象ではなく戦争は軍人同士の戦いで一般住民は戦場から避難すれば殺傷されることはなく、戦火の収まるのをまてばよいものであったのが、第二次大戦でドイツのドレスデンの爆撃で一般住民を虐殺されてから日本も都市爆撃されることを恐れて疎開を考えるようになったようである。アメリカには伝統的に異人種の虐殺を罪悪視しない風潮があるようで、日本人のような有色人種など虐殺の対象でしかなかったはずです。戦勝国の開いた裁判では敗戦国の日本の言い分
を発表せずアメリカの一般住民の虐殺などとりあげられませんでした。あの裁判を公平な裁判と印象ずけたいならアメリカが原爆投下をまず謝罪するべきである。日本の謝罪の時もアメリカが謝罪するならと前提を付けて謝罪すべきであったと思っている。
日本人で日本国民に謝罪すべき人がいるなら軍人でありながらその任務を充分果たさず敗戦の責任を問われる者達はいると思うが、そのような詮索は戦後すぐにやらないかぎりいまさら無理だろう。戦争を始めると国民を抑圧することになるのがいやで、外国の抑圧を受け入れる政府など国民からの支持はえられないだろう。それでなくとも2、26事件など青年将校などが不穏な動きをしていた時代である。国民には誰に責任をとってもらったら適当かなど判断できないだろう。
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最後の陸相であった下村定大将が、敗戦後、帝国議会に於いて(改憲前なので)、答弁を行っています。



http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/ …
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東京裁判が正しいとは思わないが判決が出て絞首刑。

天皇は退位、軍首脳部、政治家は切腹していれば今頃になってああだこうだと言われる事はなかったと思う。日本人が自分たちで決着つけなかった事が一番の原因だ。
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戦犯裁判で1068人も処刑されたからそれでいいんでない?



そのせいで、国内責任問題が吹っ飛んじゃったとも言えそうですけど。

しかし、切腹した人も多数居られますし、遺族年金は支払われていますし、

そもそもあの戦争を仕掛けたのはアメリカですからね。
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少なくとも, 昭和天皇についていえば「立憲君主制を守る」という意思を持っていたふしがあります (これは, 昭和天皇が崇拝していた明治天皇も同じですが). その結果, 自分が反対していても下から挙がってきた意見はだいたい通しています. 自分の意見を押し通した事例は, 226事件と降伏受け入れを含めてもわずかしかないはず.


これは「天皇の政治責任」とも, 「立憲君主制における理想的な君主の姿」ともとらえることができます. 前者ととらえれば「責任をとる」という話になるでしょうが, 後者ととらえれば「責任ってなに?」ということになるでしょう.
いずれにしても, 「政治責任」をうたうなら, 「当時の法に照らしてどこが不法行為であったか」を指摘する必要があると思います. まあ, これを推し進めるとドイツみたいに「戦争で被害を与えたかもしれないけど, それはドイツ国内法に鑑みて不法行為じゃないから謝罪しない」となったりしますが.
以下余談:
今の北朝鮮の国内状況を作ったのが元日本人ってのは, ある意味当然だよなぁ. 朝鮮戦争自体, 「元日本人同士の戦い」でもあるわけだし.
でもって, 東京裁判における判決の効果は, 今は消えているはずです. 確か, 国会で決議してるし講和会議参加国も認めているはず.
あと, 戦前に共産主義者が収監されていたってのは, 治安維持法違反も多いんだけど, 暴行罪や殺人罪などもちょくちょく見受けられます (当時は, どうも内ゲバが盛んだったらしい). 先日亡くなった宮本名誉議長なんかも, 「治安維持法違反が罪状に含まれていたので恩赦をうけた (実際には暴行罪なども含まれていたのに)」と言われたりしますね.
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あくまで私個人の見解ですが、天皇人間宣言は昭和天皇なりのある種の謝罪だったと思います。


ただ、天皇に戦争責任を求めるのはちょいと酷な面がありまして、そもそも当時において天皇が自ら「ああせい、こうせい」というのはタブーだったんですね。もう、システムがきっちり出来上がっていて御前会議(天皇が出席する国家の重要な決め事をする会議)で「陛下、こうなります」といわれたら「うむ」といってそれにハンコを押すだけの形骸化したものになっていたんですね。
これは、今でも内閣の大臣を任命するときもそうですね。最終的に、天皇から親書が渡されるわけですよ。この親書がないと「公式に」大臣になったとはいえないんですが、天皇が「アイツは気にいらねえなあ」と親書を渡すのを拒否することってありえないですよね。それと同じです。
でも日米開戦が近づいたときは昭和天皇は再三「アメリカと戦争して本当に大丈夫か」と質問しています。しかもとうとう、本来は天皇の発言はない御前会議で「発言する」と言い出して侍従たちを慌てさせたこともありました。昭和天皇自身は日米開戦に反対だったようです。

戦後、昭和天皇は全国各地を回りますが、それは彼なりの国民へのお詫び行脚じゃなかったかなあと思います。
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戦争責任とか謝罪要求とかは



戦勝国が負けた相手に要求しているだけのことです

非があったから責任があり謝罪するのでは無く

負けたから、勝ったほうが要求することを認めざる得ないだけのことなのです(条件付講和に持ち込め無かったため、理不尽な要求で有ろうが言いがかりであろうが鬱憤晴らしであろうが、全ての責任を押し付けられただけです)

講和条約を締結して以降、そのような要求に応じる必要は無かったのに、一部マスコミと政治家が扇動して、おかしな風潮を作ってしまい
それに付け込まれているのが現状です

>(謝罪は、戦争に勝てなかったことを詫びるのではなく、戦争を始めて国民を抑圧したことです。)

これは、他の回答にもあるように質問者の調査不足を露呈しているだけです
特高云々は、ごく一部の、特定の思想に凝り固まっていた人には恐怖だったかも知れませんが、大多数の国民には関与しないことです

もっともらしく思えることも ほとんどが 後付です

この有名な例は 少年H です

お調べください
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確かに、敗戦の責任をとって自決したり、戦後は隠遁生活を送った将軍(例えば、今村均)や、戦争についての「反省」を公言した政治家は散見されますが、公的に国民に向けて謝罪をした為政者はいないでしょう。



大日本帝国憲法の下では、「天皇主権」ではありましたが、他の回答者様が仰るように、敗戦の時点でも国会(帝国議会)が機能しており、形式的ながら民主主義は存在していました。
戦犯容疑者にされた岸信介が、戦後復活して首相に上り詰めたことは有名ですが、他方で、戦後は「非武装・中立」を主張して、平和主義の権化のように振舞っていた社会党の指導者達でさえも、戦前・戦中において、国会議員に在籍していただけではなく、時勢に乗って積極的に戦争遂行の片棒を担いでいたのです。
共産党関係者だけは、戦中一貫して身柄を拘束されていましたが、これは獄中闘争にとどまり、国内で組織的なレジスタンス(抵抗運動)をしていたわけではありません。
マスコミや一般国民については、むしろ、為政者よりも情緒的に開戦を煽るムードが高揚していたともいえます。
つまり、特定のファシズム勢力が、国民の意思を抑圧して戦争を行ったという認識は、戦後の史観による「後知恵」です。

このことは、例えば、後年、政府の政策的な誘導によって起きたといわれる「平成バブル」において、殆んどの国民が財テク・投機等に興味を示す等、「いけいけどんどん」の雰囲気の中で、皆が拝金主義に狂奔しながら、それが崩壊した後で、その当時のことを全否定する風潮と似ているように思います。

結局、戦中は、「戦争貫徹」の国策の下で、最低限の国民の意思が一致していたのです。
国民の戦争責任に関しては、終戦直後に東久邇宮首相が「一億総懺悔」を唱えて猛反発を受けましたが、歴史的な文脈においては、正鵠を得ている側面も否定でいないと思います。もちろん、それで為政者の責任が100%免罪されるわけではないことは当然ですが。

最後に、百歩下がって、公的に国民に謝罪した場合にどのような事態になるかを考えなければなりません。
そうすると、軍人に対する補償だけでなく、空襲等による非戦闘員(一般国民)への人命・財産についての全損害を政府が補償する必要が生じます。それでは、国の財政が逼迫し、後の高度経済成長もなかったかもしれません。さらに、この考え方を突き詰めれば、当然にアジア諸国の個々人への補償の問題も生じるでしょう。
歴史認識やイデオロギーの議論を抜きにすると、このことが、御質問に対する回答になるかと思います。

蛇足ながら、他の回答者様も提起している戦前の民主主義に関しては、坂野潤治・田原総一朗著『大日本帝国の民主主義――嘘ばかり教えられてきた!』(小学館)を一読されてはいかがでしょうか。

参考URL:http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0209389242
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言葉で謝罪したわけではありませんが、私は宇垣纏中将も謝罪にあたいするものを実行したのではないかと思っています。


(特攻を指揮し多くの若者を死なせたが、最後には自分も特攻に行った人です。しかし、玉音放送を聞いた後に部下を引き連れて行った為、かなりの批判を浴びました)

私は宇垣中将は好きなのですが、小澤治三郎中将などからは、かなり批判をされてたようです。

では小澤さん自体どんな謝罪をされたのかは、私は知りません。

むろん、大西中将、阿南陸相などは自決され、遺言もあることなので、国民に謝罪していると思っています。

あとNO3さんのご紹介くださった、批判三軍人は、調べれば調べるほど腹の立つ軍人です。いや軍人とはいえないかもしれません。

しかし私の一番嫌いな軍人は、ルメイに勲章を推薦した軍人です。
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さて、欧州では中世以降、外交的対立によって対立軸がまるきり変わるというのはしょっちゅうでした。

ナポレオン戦争ではフランス対イギリス、オーストリアとドイツ諸連邦(プロイセン含む)、ロシアといった各国が対立しました。
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その後に行われた普墺戦争(とイタリア独立戦争)ではプロイセン、イタリア対オーストリアという構図です。もっともこの2つは2国間の戦争ですけどね。
その後の普仏戦争ではプロイセン対フランス、という構図です。まあ、これも2カ国間の対決ですけど。といってもこの3国(イタリア、ドイツ、オーストリア)、あとで共同歩調をとります。

また、中国利権に関するアロー戦争では、イギリスとフランスは共同歩調を取っています。


なお、日清戦争で勝利した日本は、中国での利害対立からフランス、ドイツ、ロシアの3国と対立します。いわゆる三国干渉です。つまりこの3国はこのときは共同歩調。

20世紀にはいってからは・・・
日露戦争では日本とイギリス(日英同盟)、フランスとロシア(露仏同盟)という対決軸を見ることができます。もっとも、イギリスとフランスの代理戦争とも見れますけどね。
この時代(20世紀初頭)の対立軸は英・露仏・独墺伊の3すくみです。

しかし、10年後には英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟という対決軸となっています。
しかし対戦直前、独墺伊からはイタリアが抜けてかわりにトルコが入り、英仏露伊、独墺土という構図に変わります。

このように19世紀以降の大規模な動きを見るだけでもめまぐるしく対決軸が変わるのが欧州情勢です。アメリカと日本は、第1次も第2次も、この軸に巻き込まれたと考えたほうが良いでしょう。

当時の外交は、まだ欧州中心で考えるべきですね。アメリカは当時原則的に「欧州不介入」ですから、まだ世界をアメリカ中心で捉えるべきではないのです。
質問者さんはどうもアメリカ中心で考えておられるようで・・・この見方は第2次大戦終結後ならば正しいのですが、それ以前はやはりまだ世界は欧州中心です。

さて、欧州では中世以降、外交的対立によって対立軸がまるきり変わるというのはしょっちゅうでした。

ナポレオン戦争ではフランス対イギリス、オーストリアとドイツ諸連邦(プロイセン含む)、...続きを読む

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どう思いますか?

Aベストアンサー

戦争は対話といった方法で解決できなかった問題を
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まず、対話をしてそれでもダメな場合は戦闘状態に
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Q第二次世界大戦の戦争責任について。

高校生の者です。
世界史の先生が授業中に第二次世界大戦の戦争責任について

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僕は分からなかったので正直に分からないと答えたのですが先生が回答を教えてくれませんでした。

なので図書館に行き関連資料を調べたのですが詳しいことが載っていないので困ってます。

世界史の知識をもっと深めたいのでどなたかご存知の方おられましたら、回答をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 この種の問題については多種・多様な見解があるので、時間をかけて調べたうえでご自分なりの考えを持つことをお薦めします。とはいうものの時間も限られていることでしょうから、偏向がないと任じている者として、課題に対する見解を200字以内にまとめてみましたので参考にしてください。
 教師の方が偏った考えを持っていると、この範例に対する評価は期待できません(笑)。

「第二次世界大戦後に連合国が敗戦国の戦争犯罪を起訴し、ドイツではニュルンベルグ裁判が、日本では東京裁判が開かれた。連合国側は日本の戦争を侵略戦争と断定し、東条英機以下の被告を戦争犯罪人として死刑を宣告したが、原爆投下や無差別爆撃等の戦勝国側の非人道的行為は不問とした。戦勝国に対する賠償については、ドイツはナチによる非人道的行為を謝罪すべく個人に対する賠償を、日本は国家賠償で対応している。」

注1)東京裁判に関しては、国際法上から見た種々の問題点が指摘され未だに論争になっている;日本への石油禁輸に伴う戦争への誘導行為、広島・長崎への原爆使用、都市無差別爆撃等の非人道的行為など。
注2)戦争犯罪は厳密には「平和に対する罪(侵略戦争など)」「戦争犯罪(戦争の法規または慣例の違反)」「人道にたいする罪(一般人民に対して行われた殺害など)」に分かれる。
注3)ドイツの戦争犯罪と日本のそれとは内容が全く異なるため、賠償方法の差異を一義的に論ずるのは無理がある。

 この種の問題については多種・多様な見解があるので、時間をかけて調べたうえでご自分なりの考えを持つことをお薦めします。とはいうものの時間も限られていることでしょうから、偏向がないと任じている者として、課題に対する見解を200字以内にまとめてみましたので参考にしてください。
 教師の方が偏った考えを持っていると、この範例に対する評価は期待できません(笑)。

「第二次世界大戦後に連合国が敗戦国の戦争犯罪を起訴し、ドイツではニュルンベルグ裁判が、日本では東京裁判が開かれた。連...続きを読む

Qなぜに湾岸戦争で戦車戦が起きる?

スカパーで世紀の戦車対決:湾岸戦争73-イースティングの戦いという番組があったのですが、
なぜに湾岸戦争で有る程度まとまった数の戦車戦が起きるのでしょうか?
1両とか2両だけどっかに隠してあったのが突然出てきて攻撃してくるとかならまだありそうなのですが、戦車が砂漠のどこかにまとまって陣地を作っていて、双方が打ちあうというのはどうも腑に落ちません。

開戦前に相手の戦車部隊の位置を常に監視し、陸上侵攻をする前に航空攻撃で徹底的に相手の戦車を叩いてから陸上侵攻するものではないのでしょうか?

Aベストアンサー

そもそも湾岸戦争の時代は、アメリカ側はイラク側の戦車の配備状況を把握することが技術上できなかったということでしょうか?

アメリカ軍のプロパガンダとして、湾岸戦争ではめちゃくちゃハイテクで、ピンポイント攻撃をした・・・なんて言っていますが、あれはうまくピンポイント攻撃ができた成功例を見せていただけ、湾岸戦争とイラク戦争との間には大きな技術上の進化があります。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B5%E5%AF%9F%E6%A9%9F
現時点で人工衛星による解像度が 50センチ程度
解像度50センチというのは、簡単に言うと、50センチを一ドットとして地図を書くようなものです。
こっちは、湾岸戦争の前から実装。
日本の自衛隊が打ち上げるのもこのレベル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%8F%8E%E9%9B%86%E8%A1%9B%E6%98%9F

光学系の方が分解能のいいのですが、曇天とかによわいのでSARで電磁波でも観測します
※ なので 情報収集衛星では 光学系とレーダ系でセットになります

人工衛星ですと、短くても数時間に一回観測対象上空に来るときにしか撮影機会がないので、偵察機が戦術的にはメインになります。数時間も立っていれば、敵は移動してしまいます。

米軍の偵察機で言うと
http://ja.wikipedia.org/wiki/RQ-1_%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
1996年からの本格導入
http://ja.wikipedia.org/wiki/RQ-4 こっちが航空機でイラク戦争あたりがデビュー戦
「SARスポット・モードでは30.5cmの解像度」
上記を、簡単に言うと「この辺にいそうだから、じっくり見ろ!」「30.5センチ×30.5センチが パソコンの画面の 1ドットになる」ということです。

なんとなくの戦争映画とかで見せられる写真は、細かいようですが、実際の戦争に使われているカメラのレベルは上記のレベルです。
※ 攻撃後の状況を見るために撮影する写真などは高密度です、なんせ破壊された場所が特定されているので、高性能のカメラを使えます。ところが戦術的に使うときには、どこにいるかわからないので、ものすごく広い範囲を短時間に収集する必要があるので、カメラの精度は上記くらいが実用的となります。

※ 人工衛星での分解能50センチというのは、ナマの写真が50センチの分解能というのではなく、コンピュータ処理した結果として50センチの分解能になる(コンピュータ処理している時間がかかる)ということになりますので、これも戦争の現場では、あまり実用的でない。細かい写真情報が出てくるときには、数時間後で、対象物が移動している可能性が高くなりますので。

30センチとか50センチの分解能でも無人偵察機を バンバン飛ばして、リアルタイムで画像処理をして前線の部隊に情報を提供できる・・・といのは、すごい話で、イラク戦争でようやく実用化された。

※ 前の回答にも書きましたが、現場の軍人は実証された兵器でないと信用しませんので、文官のラムズフェルドが OK OK 大丈夫 と推進しています。

そもそも湾岸戦争の時代は、アメリカ側はイラク側の戦車の配備状況を把握することが技術上できなかったということでしょうか?

アメリカ軍のプロパガンダとして、湾岸戦争ではめちゃくちゃハイテクで、ピンポイント攻撃をした・・・なんて言っていますが、あれはうまくピンポイント攻撃ができた成功例を見せていただけ、湾岸戦争とイラク戦争との間には大きな技術上の進化があります。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B5%E5%AF%9F%E6%A9%9F
現時点で人工衛星による解像度が 50センチ程度
解像度50...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメ...続きを読む


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