痔になりやすい生活習慣とは?

物理や数学が得意な方、専門にしている方、勉強している方にお聞きします。物理や数学を勉強するとき、暗記ということは必要なのでしょうか?暗記を全く否定する気はありません。しかし、物理や数学に比べて生物学などは、暗記が多くなると、勉強する意味があるのかなぁと思ってしまいます。例えば教科書を勉強するときは、一つ一つの数式がもつ意味を理解しながら読まれているのでしょうか?"人に説明できて初めて理解したことなる"とよく言われます。しかし私は、教科書を読んだり演習問題を解いたりするときは理解しようと努めているのですが、人に説明するときになると、いつも勉強したことが頭の中からすっかり消えてなくなっていることに気付きます。これはまだ理解度が足らず、もっと勉強しないといけないということなのでしょうか?これからも私は、スタンスとして、できるだけ暗記する努力を無くし、理解に重みを置いていこうと考えています。このような、物理や数学に対する私の姿勢に対して、ご意見いただければと思います。

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A 回答 (6件)

science_zeroさん、こんにちは。



私は常々学生諸君(学部1~3年生)には、「物理に関しては暗記をしてはだめ」と言い続けています。学部4年生~大学院生になると、さすがに暗記しようとする人はいないので、言う必要がなくなります。

気をつけてほしいのは、知っている状態・知識の多い状態になることと、暗記する努力は別物だということです。知識が多い物理学者は、いわゆる単語帳に物理式やらなんやらを書き、それをひたすら覚えるような意味での暗記で知識を増やしたのではないです。

暗記というものの定義にもよりますが、今ここでは、文字ベースの記憶と定義しましょう。文字ベースの記憶は、物理に関しては殆ど役に立たないです。(間違いやすい符号のつき方やらは覚えておくと便利ですが、それでも使っているうちに覚えるほうが良い。)

例えばma=Fという式も、文字ベースで覚えている人は、応用できません。意味が分かっていないからです。それよりもこの式をいろんな問題に適用して、自然と覚えてしまっている状態になるほうが、応用も効きます。つまり、ma=Fというものを文字で覚えるか、意味で覚えるかです。意味で覚えてないと、使えないということです。

英単語や歴史の年号などは暗記すれば、それなりの力はつくでしょう。しかし、英語の先生でも良い先生は、「単語を暗記するのではなくて、使っている中で覚えるのだ」と言いますし、歴史の先生さえも「年号を丸暗記するだけではなくて、歴史の流れを掴むように」と言います。

物理に関しては、仮に大学受験ぐらいまでは暗記で何とか点数がとれても、その後は、どんどん内容が広く深くなりますから、次第に暗記ではどうにもならなくなってきます。

そうすると、だんだんと、自然と「暗記ではだめ」と言っている意味が分かってくると思います。例えば、大学院レベルで、何かの物理を暗記で勉強したという話は、長年やってますが、聞いたことがありません。

しかし、習慣をつけるなら若いうちのほうが良いです。暗記での勉強を徹底して踏襲していけば、いよいよ行き詰ったときに、わかっているようでわかっていないこと(試験などでは点数がとれてても)が沢山ある状態になっているおそれがあります。そうすると、また初歩的なところに戻って勉強しなおす必要が生じてしまい、かえって効率がわるくなります。

> 物理や数学を勉強するとき、暗記ということは必要なのでしょうか?

私は物理と数学に関しては、殆どか全く暗記をしたことがありません。必要ないと思います。使っている間に自然と覚えてしまうのが良いと思います。

> 例えば教科書を勉強するときは、一つ一つの数式がもつ意味を理解しながら読まれているのでしょうか?

「意味を理解する」の解釈が難しいのですが、複雑な式一つ一つの「物理的意味」を納得するという意味なら、それは困難だと思います。「物理的意味」を解釈するポイントがあるので、そのときにそれをします。ただし、できるだけ多くのところで、「物理的意味」を考えられれば、それに越したことはないでしょう。

もし、「意味を理解する」の意味が、式をきちんと数学的にフォローすべきかという意味なら、いわゆる「教科書」を読むときには、ぜひそうすべきです。また、十分にできるように書かれているはずです。もしできないとしたら、前の段階のものに戻り、基礎から勉強するほうが早いということになります。

ただし、それでもたまに、どうしてもわからないことがあるかもしれません。そのときは、あまり長い時間そこにとらわれずに、とりあえず読み進むのも良いでしょう。そうこうしているうちに、わからなかったところの意味も分かるかもしれません。また誤植かもしれません。

物理の教科書は、行間に沢山の論理が隠されている問題集のようなものと考えると良いでしょう。「A。従ってBがわかる。」と書かれていたとして、AからBに到達するのに、数枚の紙に計算が必要になることもあります。それを埋めるのが「問題」というわけです。

これをきちっとやらないと、やたら読むのは早かったけど、後になって何もわかってなかったという状態になりかねません。

一方、学術論文を読むときには、教科書を読むようなわけには行かないでしょう。学術論文は一人前の研究者を対象に書かれていますが、学生の場合はまだそこまでは到達していないからです。最初はわからないことが沢山出てくるでしょう。そういう場合は、わかることはわかる、わからないことはわからないとして、意識しながら読んでいくしかありません。しかし、それでも、できるところは、行間を埋めるようにすべきです。

> 人に説明するときになると、いつも勉強したことが頭の中からすっかり消えてなくなっていることに気付きます。これはまだ理解度が足らず、もっと勉強しないといけないということなのでしょうか?

端的に言えば、そういうことになってしまいます。
ただ、あまり完全主義になりすぎてもいけないと思います。
わかっていないことがわかったということは、どこを勉強すれば良いかがわかったことになるのですから、それが第一歩になると考えれば良いと思います。

そして、普段から、他人に説明するようなつもりで、いろいろ考えながら勉強すると良いかもしれません。例えば、同学年の友達に、どう説明するかなど、想定するわけです。

例えば、大学教員でも、ある授業を担当して講義ノートを作ったときに、はじめて本当の意味がよく分かった、などということもよくあることなんです。


以上ですが、最後にひとつ付け加えますと、物理学というのは大変広い学問分野で、様々な能力や特徴を持った人が自分の長所を活かしながら活躍することができます。何か一つの一次元的な座標軸に投影して、右から順番に活躍できるというような単純なものではないのです。そういうつもりで、気持ちを広くもってやっていくと良いのではないかなと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。"文字で覚えるのではなく、意味で覚える"という言葉と、専門家さんのアドバイスということで、自分の勉強の仕方に自信が持てました。これからも、理解することを何よりも大切に、知識は自然に付いてくるものとして、勉強を続けていこうと思います。

お礼日時:2007/09/16 00:20

こんにちは。

幾つか引用してみます。


分からない証明も繰り返しノートに写して暗記してしまうと自然に分かって
くるようである。現在の数学の初等中等教育ではまず分からせる事が大切で
分からない証明を丸暗記させるなどもっての外という事になっているが
果たしてそうであるか疑問である。
(数学者 小平邦彦)


朝九時ごろから数学の勉強を始めて、夢中になって、ハッと気がつくと
夜中の十二時になっていることがある。
(数学者 ジーゲル)

「ジーゲルですごいのは、講義の時、絶対にノートを持ってこないんですね。
どんな難しい式も全部頭に入っている。あれは不思議ですね」
「つかえる事はないんですか」
「絶対につかえない。僕がプリンストンに行った年には三体問題の講義を
していましたよ。一学期毎週三時間全然ノート無しで」
「計算違わないんですか。書いていて」
「絶対違ったりしない。一時間喋るのに、六時間くらいかけて準備するんだとか。
ジーゲルは毎学期全く違う講義をしていました。
三体問題、アーベル多様体、整数論。
なるほど高級研究所というのは大変な所だと思いました。」

ザリスキー教授の家でパーティーが開かれていた。広中・グロタンディーク・
テイト・マンフォード・アルティン・小平などがこのパーティーの常連であった。
夜の九時頃から十二時過ぎまでお酒を飲みながら数学の話を続けたのには驚いた。
数学以外の話は殆ど出なかった。

「朝起きた時に,今日も一日数学をやるぞ、と思ってるようではとてもものにならない。数学を考えながらいつのまにか眠り,朝目が覚めた時は既に数学の世界に入っていなければならない。どのくらい数学に浸っているかが勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」
(数学者 佐藤幹夫)

暗記も理解も必要のようです。一番大切なのは「集中力」とそれを支える「情熱」かも知れません。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。夢中である、ということが最優先で、その後に理解や暗記が自然についてくるものなんですね。貴重な情報の数々ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/21 20:01

理工系の院卒、仕事も理工系のオヤジです。



私は、物理や数学は、暗記ではないという姿勢です。
しかし、あえて物理や数学で暗記が必要なことを思いつくまま列挙してみますね。

・ギリシャ文字の読み書き ・・・英語のアルファベットより2つ少ない24個です。(大文字小文字の両方で48個)
http://e-words.jp/p/r-greek.html
 覚えておかないと、ギリシャ文字が入った式を見るだけでアレルギー反応を起こします。(=私の大学1年時代の失敗談)

・物理で使用される単位(次元)、および、単位同士の関係
  ~ たとえば、電界の単位は、N/C(1クーロンの電荷が受ける力)でもあり、V/m(1メートル当たりの電位差)でもある。
 N = J/m、 C = A・s
 よって、
 N/C = J/(m・A・s)
 ところが、J = W・s = V・A・s なので、
 N/C = V/m
単位(次元)を知るということは、実は、基本的な物理法則を自然と暗記していることにもなりますが。

・三角関数の加法定理 ~これを覚えておけば、2乗や倍角の公式も導出できる。

・初等関数の微分公式 ~ x^n、e^x、logx、sinx、cosx

・合成関数の微分 dy/dx = dy/dz・dz/dx
 例: sin(ωt+k) → ω・cos(ωt+k)

・オイラーの公式 e^(ix) = cosx + isinx

・基本的な物理法則
 とりあえず覚えてしまった後に、頭の中で少しずつ定着します。
 思考実験が大事です。
 たとえば、簡単な例として、
 ニュートンの法則 F=ma を暗記しますと、
 ・・・なんで、そうなるんだ?
 5kgの鉄球は 5×9.8=49 の重力を受ける。
 10kgの鉄球は 10×9.8=98 の重力を受ける。
 5kgの鉄球を軽い棒で結んだ鉄亜鈴は、10×9.8=98 の重力を受ける。
 ニュートン目盛の量りに乗せると、それぞれ、49、98、98になりそうだな。ふむふむ。
 もしも、月の上に行って同じことをやったとしても、aが9.8より小さくなるだけだから、やっぱり成り立ちそうだな。
 だから、Fはmが定数のときaに比例、aが定数のときmに比例しそうだな。ふむふむ。
 あとは質量と加速度のほかに力に関係することはなさそうだから、要らぬ定数なんか付けずに F=ma という式にして、Fの次元をそのまんまkg・m/s^2 にしてしまうのが合理的だな。ふむふむ。
 ・・・となります。

以上のことは、あまり考えなくても、すらすら出てくるようにならないといけませんね。
つまり、暗記+定着が必要ということです。
あんまり大した量じゃないですが。(笑)


あと、私の経験から一つ挙げますと、
ケプラーの第2法則(面積速度一定の法則)というのがあります。
http://www10.plala.or.jp/taikan/pleiades/kepler/ …
高校時代に習いましたが、なぜそうなるのかの説明はありませんでした。
「なんでそうなるんだろうなー。不思議だなー。」
という印象を受け、単なる興味で記憶していました。
ところが、これを記憶していたおかげで、大学入試で九死に一生を得ました。
(面積速度一定の法則がなぜ成り立つかを習ったのは、大学3~4年の頃でした。向心力が距離の2乗に反比例しない場合でも成り立つことを知って、目から鱗でした。)


>>>
"人に説明できて初めて理解したことなる"とよく言われます。・・・・・人に説明するときになると、いつも勉強したことが頭の中からすっかり消えてなくなっていることに気付きます。これはまだ理解度が足らず、もっと勉強しないといけないということなのでしょうか?

私が思うに、これは、2つの面がありますね。
頭の中にあるものを言葉として表現する能力、そして、分からない人を分かるようにする能力です。
うまいもんの味、素晴らしい音楽のこと、これらは本来言葉にできるはずがありません。直接的な表現としては他人と共有している言葉(甘い、辛い、悲しげ、迫力がある、など)がせいぜいで、後は、話し相手が知っている物事に例えなくてはいけません。
自分が理解しているようでも、FだのmだのF=maだの記号として考えていると、説明するときに言語として口から出てきません。

「本質」を理解するということも大事です。
たとえば、マクスウェルの4つの方程式の一つである
∇・D = ρ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF% …
は、「電場の源は電荷であり、電場は距離の2乗に反比例する」ことを示しています。

原子力工学の用語で「放射平衡」というのがあります。
http://kyoto.cool.ne.jp/zebedee/equilibrium.html
これは、「式は知っているのに本質を理解している人の率が少ない」例です。
これの本質は、「ある放射系列において、祖先の放射性核種からn回の崩壊の後に安定核種に到達する場合、合計の放射能は、祖先だけの放射能のn倍になる」です。
ウラン238の場合、ウラン単独の放射能は質量と半減期から簡単に計算できます。そしてウラン238から鉛206(安定)まで14回の崩壊があるので、合計の放射能は、その14倍になるということです。
http://www.ne.jp/asahi/radioactivity/mineral/use …

次に、
分かっていない人を相手に説明して分かってもらうには、その人がすでに知っている概念の範囲で例え話をすることが必要です。
パソコンの初心者に操作を説明するとき、
「ファイルをコピーするには、コントロールキーを押しながらアイコンをクリックしてマウスドラッグします。」
と説明しても駄目だということは分かりますよね。
大学1年のとき解析学を習った教授は優秀な方でしたが、残念ながら、そういうタイプの説明しかできない人でした。ですから、入学後2ヶ月目にして私は数学嫌いになってしまいました。(数学好きに戻ったのは、応用数学を学んだ大学3年頃だったと記憶しています。)

手前味噌ですが、私の最近の回答例を。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3135266.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3251618.html

本質を捉え、さらには、たとえ話や例を挙げることを常日頃心がけていれば、人に説明して分かってもらえるようになると思いますよ。
説明する、教える、ということは、自分の理解が高まるということでもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。物理や数学は暗記ではないという言葉と、記号として覚えていると人に説明できないという言葉に共感しました。

お礼日時:2007/09/19 10:51

専門家として、受験用ではなくて長い目で見た立場から回答します。

私は今アメリカにいますが、私の周りにはノーベル賞を受賞した方や、それを疾っくに貰ってもおかしくない方がいらっしゃいます。

どんな分野でも、教科書や専門書を読む時には、判ってから先に進むような読み方をしてはいけません。判らなくても先へ先へと読んで行くのです。今習っていることが今貴方の持っている知識で判かるような物はほとんどありません。もっと先に進んでから、やっと以前にやったことの意味が理解できる場合の方が圧倒的に多いのです。ですから、何度も読み返さなくてはいけません。要するに「習うより慣れろ」です。

もう一つ、物理や数学ではただ読んでいるだけではなく、手を動かす必要もあります。でもその段階で計算が判らなかったら無理に判ろうとはせずに先に進むべきです。

以上は物理や数学の専門家の卵として特定の先生に師事する以前の、初心者としての心得です。

さて大学院等で先生を見付けたら、できるだけ早くその先生に次の2つのことを要求すべきです:

(1)先生がやっている問題の分野で、歴史的に重要とされている論文を教えてもらうことです。そんな論文は幾つもありません。また、普通は昨日今日というような新しい論文でもないはずです。場合によっては20年前とか50年前の論文であることもあります。日本人ならそれを全部日本語に訳したノートとその計算ノートを作って、一行一句理解することです。そうすれば、一挙にその先生のレベルに到達できます。今流行りの論文ばかり読ませようとする先生だったら、要注意です。

(2)研究テーマの問題をできるだけ早く貰うことです。研究と言うからには、その答えは先生のみならず誰にも分かっていない問題です。そして、その研究テーマを解くことだけを目的にして、改めて昔教わった教科書やあるいは新しい専門書や論文でその問題に関係している部分だけを読みます。そのように実際の問題を解いているうちに、教科書や専門書に書いてあることがだんだん判るようになるものです。

若い時には貴方の全時間を注いで(それこそ、石にかじり付き血の涙を流しながら)、(1)と(2)を実行すべきです。(1)と(2)が同時にできないようだったら、先ずは(1)を優先させるべきです。

大成していらっしゃる先生方にも、大きく分けて2通りあります。一つは如何にも「man of knowledge」といえる方で、何でも大変良く知っている方です。もう一つの場合として、私の知っているノーベル賞を受賞した方は、「自分はあの人ほどman of knowledgeではない」などと時々言っていました。この先生は、始めて出会った問題をどう解決するかは知っているのですが、何もかも覚え込んでいる方ではありませんでした。

ですから暗記の能力に優れている方も、知識は少ないが深く理解している方も、ともに必要なのです。しかし、この両方の能力はどちらかと言うと相補的で両立し難いものです。互いの持っている強みを提供しながら共同研究ができるのが理想的です。自分がどちらに強いかは、研究生活を続けて行くうちに判って来るはずです。

日本での私の先生は「人生の高みに登って行くには下から登って行っては駄目だ。いきなりヘリコプターで頂上に登らなければいけない」と言っておりました。私は日本ではー流大学とはされていない大学院を出たのですが、この先生の言葉を実行して、何のコネもなくいきなりノーベル賞を受賞された先生に弟子にしてくれとアタックしたら、あっさり受け入れてくれました。ほとんどの先生方は、自分が大成するのが忙しいし、まだ十分に研究資金がないので、コネもなく一流大学を卒業していないような若者を受け入れるのに躊躇するものです。反対に大成された先生は精神的にも金銭的にも余裕があり、コネや過去の成績にとらわれずに、元気で野心のある若者にチャンスを与えるのを面白がっているようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私も、分からないところはとりあえず置いておいてどんどん勉強し、一度全体を把握して、そのあと疑問に思ったところをまた勉強する、という感じです。私は、どちらかといえば、知識の量はほどほどでも、考えることを大切にするタイプを目指したいです。

お礼日時:2007/09/16 00:09

自問自答されている中に既に答えがあるような気がしますが。

。。私は暗記が完璧にできれば言うことないなぁと正直思います。しかしキャパが少ないため完璧には程遠い状態です。とはいっても例えば公式なんか何回も使いこんでいくと自然と頭に染み付いてきますし、特にこの式は一体何を意味しているのだと苦悶しだすと尚更ですね。計算が進められるということとその式が意味していることがわかるというのは必ずしも1:1に対応していないように思います(←少なくとも私は)。

>人に説明するときになると、いつも勉強したことが頭の中からすっかり消えてなくなっていることに気付きます。

「”対象を理解する早道はそれに関する教科書を書くことである”という至言がある。理解したから書くのではない、理解するために書くのである。」どこで読んだか忘れましたが、目から鱗が落ちました(笑い)。

>できるだけ暗記する努力を無くし、理解に重みを置いていこうと

暗記の努力を否定するのはいかがなものかと、、、暗記を意識して否定するのではなく、理解のプロセスの中で自然と暗記がついてくるという気持ちでいいのではないでしょうか。以上、蛇言でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。理解しようとした結果、覚えてしまうことも大切ですね。

お礼日時:2007/09/15 23:52

”意味のない”暗記は不要です。


基本的に日常の事柄と関連づけたり、問題同士が関連ついたり、
必然(難しいかな?)=理解でほとんど済みます。
私は物理は絵書けば式が出てくるようになっていました。
数学も暗記は因数分解の公式や特殊な微積分の式くらいだった
ような?
これも大学でその手のこと突っ込むと覚える必要はなくなりますが、、

高校レベルでは感覚を磨くために練習(これは暗記か?)は必要と
思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。"必然=理解"の意味を、もう少し簡単に説明していただけると嬉しいです。

補足日時:2007/09/16 00:22
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