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「英雄、色を好む」っていうのを、
私なりに違った角度で解釈するなら…。

男は誰でも、大抵は色を好む。
英雄になればおおむね、
そんな「色を好む」という理想を現実のものにできる。
また、「色」の方も英雄に惹きつけられるケースが多い。

以上の私の解釈に対して、
なにか感じるものがありましたら、教えて下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

男なら当然「色」を好むでしょうね。



しかし、この場合の」「色」というのは「精力」を指すのではないでしょうか?
つまり、英雄というくらいの人は精力も絶倫だということではないでしょうか?

>>「色を好む」という理想を現実のものにできる。

とありますが、「色を好む」という理想を現実にしたいと強烈に思うということでは?それほど「色」にたいして執着を持っているというか、よくわかりませんが、「色」にたいする「執着」の度合いが一般人をちがうということで・・・
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こんばんは。



>男は誰でも、大抵は色を好む。
>英雄になればおおむね、
>そんな「色を好む」という理想を現実のものにできる。
>また、「色」の方も英雄に惹きつけられるケースが多い。

確かに、そういうこともあるでしょうねぇ。いやはや英雄になりたいものです。
辞書で調べてみると、
英雄というものは,力があふれているため女色を好むものだ。(新辞林)
ということだそうです。
この言葉、何も英雄にまだ、なっていない人にも使うことがあります。ものすごい色事の好きな奴が、なんだかんだで、後に英雄になったとき、「あー、やっぱり英雄、色を好むというわけだったのね」という使い方も出来てしまうんです。と、この用法をしてしまうと、せっかくのYOMNさんの解釈は崩れてしまいます。
たとえば、中国、漢の劉邦などは、英雄などというものになる前から、相当な好き者だったそうです。地元では評判の悪いごろつきであったそうです。毎日、毎日、来る日も来る日も飲んだくれては、新しい女を抱いていたそうです。このときは英雄ではありません(もっとも後の劉邦を英雄というのか、という気もしますが)。
要するに、この言い回しで問題となるのは、男としてのパワーということになるんだと思います。しかも、それが常軌を逸しているということが条件でしょう。男なら誰でもというレベルではないんでしょうね。
こんなパワーを持った奴は、生物としてみても、勝ち残るだろう、とこういうことではないでしょうか。
己を考えてみると、およそ、そこまでのパワーを発揮できそうもないので、英雄になるということはなさそうです。
では。
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モテるってある意味才能なのでは?


才能に惚れたり‥といった事もあるでしょうし。
元々才能のある人だからモテるとか。

>男は誰でも、大抵は色を好む

好むだけで寄ってこなければ色にはならず。
ネームバリューに惹かれる人はいるでしょう。
でも男のロマン(夢)に惹かれるというのはあるかも。オーラとか。
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女性の英雄だってありますね。

ジャンヌダークとか巴御前とか、彼女らもやっぱり色を好むだのかなあ。回答になってない、ごめん!
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#2です。


英雄という言葉を改めて、辞書で調べてみました。

知力・気力・武力にひいで,大事業を成しとげた人。

ということだそうです。要するに生物としてみた場合、パワフルな人というのも大いに条件に入ってくるようです。やっぱり、桁違いなパワーを発揮しているんでしょうね。
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「英雄だけが色を好む」のではなく、「英雄は色を好む」だと思います。

どなたかおっしゃっているように英雄と呼ばれる人の多くは、仕事にバイタリティーあふれているので私生活も元気(健康)だということでしょう。
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適者生存の見地からこれを解釈すると、要するに「仕事のできる人ほど精力も強い」ということだと思います。


人類がまだ生まれたばかりの頃、いくら外で仕事(狩りなど)ができる男でも、家に帰ったら疲れて寝てしまうというのでは、子孫を残すことはできませんよね。
外で仕事をしてきて、くたくたになってもまだ性欲はちゃんと残っているような、そんな男(オス)がいて、初めて人類が栄えたのだということもできます。
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こんばんは。



私なりの解釈では「英雄、色を好む」っていうのは、
「英雄は、大事を成し、更に色も好む」と読みます。

もし私に「英雄」と呼ばれるほどのことができたら、そっちに熱中して「色」なんてどっちでも良くなりそうです。
でも「英雄」は、そんなの関係なしに「色」も好むんですね。
その懐の深さ、絶大なるパワー、見習いたいものです。
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この回答へのお礼

No.1 ~ No.8  まで、
ご意見下さった方、有難うございました。
新たにふっと思ったのですが・・・
英雄の女性関係については大目に見るどころか、
それをバイタリティの現われとして、
評価するような見方もあるような感じですが、
一般の人があちこちに女性関係を持った場合は、
大抵は非難されるのが普通だと思います。
この差はいったいどこから生じるのかと、
疑問に感じてしまいました。

お礼日時:2002/09/07 22:47

再再度の書き込みです。

え、もういいって、そういわないでくださいませ。結構、この問題気に入ってるんです。
と、前置きはこのくらいにしまして、英雄の色事は大目に見る、がしかし、一般的には非難の対象となるというご指摘、大変興味を持ってしまいました。
私の挙げた例の劉邦に関しては、ゴロツキだった時分はたいがいの連中に白い目で見られていたようです。この人に関しては、勝てば官軍というところでしょうか。
基本的には勝てば官軍というのが実情かも知れません、が、やはり、並外れた精力を誇る人というのはあまりいないのではないでしょうか? ちまたの絶倫男は、きっと歴史的な色を好んだ英雄と比べるときっと中途半端なのでしょう。何事も中途半端ではないということで、認知されたのかもしれません。
で、さらに思いますに、現代社会においては英雄というものが必要とされていないというのが、一番、英雄の出現を阻んでいるのでしょう。英雄を待望していない社会において、英雄の器を持った人間が仮にいたとしても、英雄になれず、ただの好色ということになってしまうんでしょうね。
とはいえ、英雄の色事の中身に関しては分からないので、きっと、今時の好色男よりも、遙かに、その方面でのエネルギーのそそぎ込み方が違ったと考えるのが一番いいのかもしれません。なにせ、先進諸国は少子化傾向にありますので。
こんな感じに考えてみましたが、いかがでしょうか? では、失礼いたします。
(^_^)
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この回答へのお礼

>再再度の書き込みです。え、もういいって、そういわないでくださいませ。

いえいえとんでもないです(笑)
たびたび有難うございます。

「英雄の色事は大目に見られるが、一般人の場合は非難の対象となる」
に関してご意見拝見させてもらいました。
なかなか鋭いご指摘だと思います。
ただ、私は別の観点で、私なりの答えを考えましたので、明記させてもらいます。

個人差があるということは前置きしておきますが……
大抵の男は(特に若ければなおさら)、本音では、多くの女性と関係を持ちたいと思っている
(お金の仲立ちがない状態で)。
ゆえに、それが行いやすい立場にある人間(例えばタレント・ミュージシャン・プロスポーツ選手など)は、
一般的な男性よりははるかに多くのその方面の経験を持っている。
一般的な男性は、一部のモテル男性を除けば、多くの女性と関係を持てる状況にない。
なので、身近に多くの女性と関係を持っている男性を見ると、本音ではそれを渇望していても、
本音を押し殺して、「それは不道徳なことだ!」と言う。
それを「いけないこと」と見なすことによって、それができない自分に芽生える嫉妬心を押し殺そうとする。
が、英雄に関しては、その奔放な異性関係をある意味平静に受けとめることができる。
なぜかというと、英雄がリアリティのある存在でないので(自分とは比較の対象にならないということで)、
嫉妬の対象にはならない。
よって、英雄に関しては、男の本音の部分だけを冷静に受けとめることができるので、
その奔放な性生活に目くじらを立てるようなことはしない。

以上が、私なりの思うところです。

お礼日時:2002/09/08 05:17

明治維新で権力の頂点に立った人々は.多くは下級武士で.遊郭に通っていた人です。

ですから.権力者になっても遊郭通いがやめられず.自分達専用の遊郭を作りました。

江戸時代.徳川を除くと.財産分割の問題があり.権力者はかなりの禁欲生活が要求されました。その結果.貴族院議長当ての質問状に.(貴族院議員は).世間でいわれているおかばしょと言うところに出かけて良いものか.という内容がアルト聞いています。

まあ.成り上がり者が「英雄」として称されるからご指摘のような内容になるのでしょう。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/09/08 12:15

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