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欧米人の基本的な学力というか知識について質問です
個人差もあると思いますが、実際に欧米人の一般的な知識はどのようなレベルなのでしょうか。 

欧米の人々の数学的知識の低さをよく耳にします。
「アメリカでは分数の加減計算ができない高校生がザラにいる」とか、店でお釣りをもらうとき「欧米の店員は
920円の買い物に1020円受け取り100円玉で釣銭を出す、という計算ができないので、レジではいったん
80円受け取ってから20円足して100円と両替してもらわなければならない」など。

その一方で、映画や本では普通の紳士が当たり前のように難しい会話をしています。
「それはハムレット第1幕第4場のセリフだ」
「第○○代のアメリカ大統領は第○○代に比べてこうだ。他にリベラル派といえば第○○代と○○代だな」
「マタイ伝第○○節の言葉を君も知っているだろう」
「すべての14行詩(ソネット)を諳んじているわけではないが、ワーズワース程度なら一通り知っている」
「それならシェイクスピアの『間違いの喜劇』に出てくる双子の名前に似ているね」
「洋の東西を問わず、常識のある知識人ならチャールズ・ディケンズの名を知らぬはずはない」などなど。

特に文学や歴史の分野において、まるでついさっき調べたことのようにすらすらと知識を披露し、相手もすかさず
それ以上の知識で応酬するという場面を頻繁に見かけます。 そして登場人物は全員、常識人なら知っていて当然
という態度で疑問を持つことはない様子です。

欧米では「食事やパーティのときは仕事の話をしてはいけない」という鉄則があるようですが、確かにこれだけの
知識を皆が持っていれば話題に事欠くことはないでしょう。

私もかなりの読書好きで知識豊富だと思っていますが、シェイクスピアの戯曲の詳細を暗唱したり、チャールズ・
ディケンズの著書を複数答えろと言われたら立ち往生です。

日本の社会でも、最近は英会話の習得が当たり前のようになっていますが、いくら日常会話ができても、欧米人
にこのようなレベルでジョークや質問を浴びせられたらお手上げです。 日本の歴代内閣総理大臣の名前とその政
治について英語で論じる知識を持つ日本人がどれだけいるでしょうか。

「欧米の一般的な常識人」というのは、本当にこのレベルの会話がすらすらできて当然なのか、そこが知りたい
です。 よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

以前元千葉ロッテマリーンズの小林至氏がコロンビアビジネススクール留学時の事を語ったことがあったので書いておきます



米国の教育水準は人物の多様性やゆとりを生む原因となっている良い面はあるのかもしれないけど極めて低いものです とくに数学は醜い こんな話があります米国の13歳の生徒たちを対象に計算機をつかってもいから 1128人の兵士を輸送するのに36人のりのバスが何台必要かという問題を 出したところ正解32を答えられた生徒はほとんどいなかったということです ここには諸説ありますがいまだに国際的に通用しない度量 16進数のオンスですとか12進数のインチなどありとあらゆる計算方法がごちゃまぜになっているためどんぶり勘定などではということです
ビジネススクールは米国エリート教育の象徴ですがその入学審査の1つにGMATという数学と英語を計る統一試験があります 日本人を含めたアジア人は満点ないしはそれに近い点をとります ところが大概の米国人はからっきしできないのです一般にアジア人ほどは数学に強くない欧州の留学生でさえ数学の以前のレベルとあきれている試験ですそのため国語(つまり英語)が半分しかできなくても合格したりする コロンビアビジネススクールの入学審査官も日本人の数学力は何故こんなに高いのだろうと驚愕の声をあげてますがそれ以前に自国民の数学能力の低さを嘆いたほうがいい いさ入学して最初の授業でも腰を抜かしました 簡単な微分積分に入るとほとんど米国人がお手上げでまったく進まないのです仮にも全米で五指に入る大学院の学生です 米国の養育は創造性を生み日本は丸暗記という定説がありますが それは真っ赤な嘘です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど実際の学生レベルでもそのような差があるわけですね。
12進、16進法が日常的に使われる社会は本当にややこしいです。 機械部品の寸法が5/8インチとか
17/32インチと分数で表記されていて、電卓を叩いてミリに換算せねばなりません。 換算後も少数以下3桁まで
使わねばならず大変扱いにくい単位体系です。 
まぁ単純な算数や微積分の初歩を理解できないからといって、その国や人の価値を低く見積もってしまうのは間違いですが。
でも、情報の共有化によって人類全体の平均寿命が延びている例からもわかるように、無知による目に見えない損失という
のは大きいと思います。 教育の問題は難しいですね。

お礼日時:2008/01/07 13:51

例に挙げていらっしゃる会話は、すべて同じ映画の、同じ人たちによる会話でしょうか?


もしそうなら、私の意見は参考にならないと思うのですが、そうでないなら、それはそういう会話のやり取りで、どういう人たちかを表現しているのだろうと思います。

最近では、日米欧とも、高校や大学で学ぶ知識についての差は(各国特有のものは除いて)あまりなくなりましたが、イギリスのパブリックスクールから大学の過程で学ぶものは、主に古典と歴史でした。
ですから、シェークスピアなどは一通り読みますし、有名どころの文学についてはほぼ触れることになっていたようです。
少し古い映画などでは、イギリスの上流階級を描いている場合には、こういう古典についての会話をしている描写が多かったように思いますし、また日常会話の話題としても、実際に非常にふさわしかったわけです。

現在では、国によって違いますが、ヨーロッパでは依然として美しい文章を書くためには先人に学ぶことが大事という精神なのか、名著の一部分の暗誦や書き写しなどはよく行われているようですし、大学での歴史に関する講座の種類や数は日本と比べるとかなり多いです。
日本人が日本の古典や名作文学に持っている標準的な知識よりは、ヨーロッパの場合は広汎な知識を持っている可能性は高いかもしれません。
アメリカの場合は、どちらかというと実学のほうに力点を置いているので、古典や歴史の知識は、最近は興味のある人以外は知らないでしょう。以前、副大統領がpotateのつづりを間違ったと話題になりましたが、この副大統領は上流階級の出身であり、本来的には文芸に通じていてもおかしくないはずですので、やはりアメリカはヨーロッパとは分けて考えたほうがいいでしょう。また、ヨーロッパの人は確かに、社交的な会食では仕事の話はしないことが多いように思いますが、アメリカ人は好んで仕事の話をします。

長くなりましたが、「一般的な常識」というものは、欧米でとひとくくりにはできませんし、またさらにそれぞれの出身クラスに応じて違ってきます。
上流階級の人との会話では、そのような話題が出る可能性も大いにあるでしょう、ということになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「ハムレット第1幕第4場」というのは、映画「スター・トレック」でドクターマッコイが知識を試すような
感じで台詞を暗唱した際のミスタースポックの答えです。 字幕では「ハムレットだ」となっていましたが、
「Hamlet, act one, scene four.」と言っていました。 しかも即座に。 ミスター・スポックは人類を超え
た頭脳を持つ異星人との混血、という設定ではありましたが、記憶力良すぎです。

ワーズワースのソネットや間違いの喜劇、チャールズ・ディケンズの件はアイザック・アシモフの連作小説に出てくる
登場人物の知識で、アメリカ人の友人同士の夕食会での他愛のない(!)おしゃべりの中に出てきました。

このような表現が、そこに集まったメンバーの知識レベルを表現しているというusktさんのご意見に賛成です。
アシモフは非常に饒舌な小説を多く執筆しましたが、上記の連作ミステリ「黒後家蜘蛛の会」では、王政時代に
啓蒙思想に基づく論戦を欧州貴族が楽しんだ「サロン」の雰囲気を表現したかったのかも知れません。

usktさんのコメントの中に、美しい文書を書くために名著の「一部分」の暗唱や書き写しが行われる、とありました。
やはり「一部分」なのですね。 日本の国語学習での徒然草や枕草子の冒頭の暗唱、百人一首の学習、また名作の
一部を教科書で学ぶことなどと似たようなものでしょうか。

欧米の大人の誰もがハイレベルの知識を持っているわけではないらしいので、少しだけ安心しました。
しかし反面、そのような会話を「雑談」としてできる人々が存在することも事実で、やはり上には上があると感じます。

お礼日時:2008/01/07 15:05

教養という言葉があります。

今の日本ではほとんど死語ですが、欧米では実用的に生きています。

教養というのは、大人としてまたはある社会に参加するのに必要な学問や知識を有していることですが、日本だとこのようなものが必要な社会というのが思い当たりません。
欧米は、日本人が考えるよりもずっと階級的身分が強い社会なのです。
そのためある程度の家庭に育てば、親が子供に対して躾と同様に、教養に対しても教育を行ないます。
イギリスならシェークスピアやディッケンズなどでしょう。アメリカなら聖書・国内政治の歴史が一般的です。

もっともアメリカは極端で、中流から下層だとあまりそのような教育は行ないません。上流(というよりお金持ち)がヨーロッパ人と付き合う時に、バカにされないように教養を身につけるということも多いようです。(ヨーロッパ人はアメリカ人を無教養として一ランク下にみる傾向があります)

村上春樹が「やがて悲しき外国語」の中で、米国プリンストン大学の客員教員をしているときに、日本の大学教員と米国のそれと比べて、米国の特に東部では大学社会はスノッブであると書いています。
曰く、「日本ではどてらを着て、おでんと日本酒をコタツでやりながらわいわい楽しむような教授がいてもおかしくないが、プリンストンでそれをしたら、まずつまはじきである。」(こんな感じの文章でした)というような事や、車はやはり外国車、ビールならハイネケンやドイツビール、CMガンガンのバドワイザーは肉体労働者のビールなのだそうです。

いずれにしても欧米では、階級社会というのが歴然とあるわけで、昔と違いある程度の財と地位を得れば誰でも上級社会に入れるものの、そこで通用する作法や知識、要するに教養が必要とされるわけです。
欧米人の一般を何処に置くかでものすごい違いがでてくるのです。

イギリス人でもアメリカ人でもドイツ人でも、肉体労働者だと、びっくりするほどモノを知りません。それに対して上流階級は(程度の差はあれ)ウィットにとんだ会話を行なえるように訓練しているのです。
人によって差が大きく、それに比べれて日本人は、ものすごく教養のある人は少ないですが、全体的な知的レベルがものすごく高いのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

教養とスノッブ、ですか。 背中合わせの微妙な関係ですね。

幼少からしっかりした教育を受けた生粋の知識人であれば別ですが、にわか仕込みの一夜漬けでレベルの高い知識をひけらかそうとしても、結局はバカにされるだけだし、中途半端なプライドを持ってしまった結果、自分より下だと判断した相手を蔑んでしまうイヤな人間、まさに「スノッブ」になってしまいそうですね。

以前、ハリソン・フォードやトミー・リー・ジョーンズの「ジャケットにジーンズ」ファッションが斬新だと騒がれたことがあります。 肉体労働者の衣服であるジーンズをハリウッドスターがワンポイントとして身に付けたからこそインパクトがあったのでしょう。 当時の私にはただ趣味の悪いミスマッチにしか見えませんでした(笑)

仰るように、持ち物や衣服、住んでいる場所や宗教などに対するこだわりと格差意識は、我々日本人の想像以上に強烈なものなのでしょう。

決して「スノッブ」にならず「教養」を身につけることは、本当に難しいですね。 「教養」という言葉をこのまま死語にしたくないものです。

貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2008/01/09 17:58

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