dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

以前、現代美術展に行きました。
「これは一体何?」と思う作品が多かったです。
それで、何を作ったのかな?と思って題名を見ると、その題名がなんと「無題」!!
しかも「無題」という作品が多過ぎ!!
「なんだ?こりゃぁ!!!」と心の中で叫びました。
今迄美術というと、有名な絵画等そういう感覚があり、そういうのはちゃんと題名がついていますよね。(「ひまわり」とか・・・)

まず「無題」という題名が多いのは、現代美術の特徴なのでしょうか?

次に「無題」って何でしょう?
知人曰く「それは見た人に、これを見て好きに感じて下さい、という意味だと思う」と言われましたが、でも作品者は一応「これを作ろう」と思って作っている訳でしょうし、その作品者が「これ」と思った事をそのまま題名にすれば良いだけの事なのに・・・
それとも、「これ」というものが無く適当に作って「さぁ、何作ったかは、あんた達が自分の感性で考えなさい」とでも言いたいのでしょうか?
ほとんど「美術」なるものに興味が無いので「何作ったか作品者本人もはっきり提示してないものを、なんで私がいちいち考えなくちゃいけないの?バカらしい」と思ってしまいました。
まだ題名がついていたら、「そうかぁ、作品者はそういう事が言いたくてこう作ったんだな」とか色々思えるし楽しめるのですが。
しかも、本当に「は?これ何?」という作品が多くて、題名見たらお約束の「無題」!!
どっと疲れた覚えアリ、です。

題名が付いていたら、例えば後世「おぉ、あの有名な『ひまわり』か」となると思うのですが、「無題」でしかも無題だらけなんだから後世にその名が残るとも思えず・・・(作品者の名前ではなく、作品が、です。)
「この作品は後世に残るかもしれない。」と思ったら、「無題」なんて題名付けないと思うんですが・・・

A 回答 (8件)

 視覚に訴える表現は多様ですが、少なくとも美術館に掲げる作品については、たとえ制作年やA-13というような記号であっても、作者は作品名を記すべきだと思うのです。

なぜなら、個別の作品を話題にしたり記録したり購入したり収蔵するときに大きな混乱を招くからです。
 「無題」という作品名で、何らかの影響を期待する作家はやはり世の中知らずの独善性が強い作家であるといわざるをえません。本人は、きわめて謙虚に、トマソンのような存在として眺めて欲しいと思っているのでしょうが。
 質問について、私、考えますに、(現代美術の特徴といえるほど、無題が多いかどうかわかりませんが、)無題という作品が多く生まれる理由は、二つ、考えられると思います。
 一つは、既に回答が寄せられていますが、文学性を排除し、色彩や形態だけを鑑賞して欲しいという意識の表れかもしれません。
 もう一つ、考えられる理由は、19世紀末から今世紀を通して、作家たちを捉えた「無人」の世界への憧れです。誰か人が作った作品ではなく、誰もいない美術館という空虚な浜辺に、たどり着いた漂流物のように、自分の作品を見せたいのでしょう。それはクールさへの憧れと言い換えてもよいものでしょう。
 こう書いているうちに、もう一つの理由が思い浮かびました。自意識を強烈に持つ作家は、ひとつひとつの作品に作品名を付けずに、展示した作品全体を○○○○○の世界として見て欲しいと願っているのでしょう。人生と表現を重ね合わせて見て欲しいという動機が垣間見えますが、それは案外、自分を神話化している表れなのかもしれません。
 三つの動機が考えられますが、見る者にとっては題目があってこそ、作品との対話に深みが出てくることが多いと思いますし、私も題名が欲しいと思うことがよくあります。
 額縁や台座を絵や彫刻から排除した現代美術ですが、考えようによっては、額縁や台座という脇役ではあるかけれども魅力的な表現の媒体を放棄してしまったとも言えるわけです。このことと同様に、題名の問題についても、無題という作品を作り続ける作家たちは真剣に考え直す必要があると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>少なくとも美術館に掲げる作品については、たとえ制作年やA-13というような記号であっても、作者は作品名を記すべきだと思うのです。
>なぜなら、個別の作品を話題にしたり記録したり購入したり収蔵するときに大きな混乱を招くからです。
全くその通りだと思います。
私は知人に「どの作品がよかった?」と聞かれて、返事に窮しました。
それから、それだけではなく、「2000年 A-13」と題名がついていて、その横にある同じ人の作品が「2000年 A-14」であったなら、「この二つの作品は明らかに違う作品だ。どこがどう違い、それから何を私は感じるのだろう・・・・」と、そう思えます。
これは「タイトル無し」の横にまた「タイトル無し」とあるのとは全く違うのです。

>「無題」という作品名で、何らかの影響を期待する作家はやはり世の中知らずの独善性が強い作家であるといわざるをえません。本人は、きわめて謙虚に、トマソンのような存在として眺めて欲しいと思っているのでしょうが。
これは私が思っている事、そのものズバリです。
なんだか、気持ちがすっきりしました。
実際に美術展に行ってそう思ったのですが、知人がちょっぴり素敵な男性だった為、適当に話を合わせてしまい、私の中でフラストレーションが溜まっていたのが氷解しました。ありがとうございました。

>三つの動機が考えられますが、
まず、3つの動機、どれも頷けるものでした。

>見る者にとっては題目があってこそ、作品との対話に深みが出てくることが多いと思います
そう、そう、そうですよ。その通りだと思います。
題名があれば、作品はおろか、作品者とも対話に深みが出るという感じです。
それを「自由に(私から見れば勝手に)感じて下さい」では、対話は深くならない・・・。

>このことと同様に、題名の問題についても、無題という作品を作り続ける作家たちは真剣に考え直す必要があると思います。
まず、額縁や台座を絵や彫刻から排除ですが、私も同感です。
「無題という作品を作り続ける作家たち」・・・そう総称したくなる気持ち、分かります。
私も真剣に考え直して欲しいなと思いました。

本当にありがとうございました。すっきりしました。

お礼日時:2002/09/28 00:34

質問を頂いたのでまた来ましたけれど、


本論への言及なしに、比喩として書いたことに正面から突っ込まれてもねえ...。
とりあえず
> 大きな差だと思いますが、如何でしょうか?
差が大きいか小さいかは主観的な問題で、差があることによって私の論旨が影響されることでも
ないと思います。
> でも、私が見に行った現代美術展の作品者(仮にAさんとして)は、後世もし名が残ったとしても、
> 「Aさんのタイトルが無い作品」と言われるのですよね。
どうでしょうね。「Aさんの2002年の作品」あたりになりそうな気がしますが。ひょっとしたら
「ザ・グレート」なんて、作者の思いもよらなかったタイトルがついたり、「ケッヘル550」なんて
呼ばれたり・・・あ、また音楽の話になってしまった。まあ、未発表作品ではないのですから、
作者の意思を尊重して、変なタイトルはつけないのが妥当だとは思いますが。
実際、「Aさんのタイトルが無い作品」では何か不都合でしょうか。知人の学芸員は
「美術館へ行ってもタイトルプレートだけ見て回る人が多い!」と言って憤慨しています。
(それは言い過ぎだろうと私は思いますが。)実際、作者の希望は作品を見て何かを感じてもらう
ことにあるわけですから、何百年たっても「タイトルの無い作品」と呼ばれるのはむしろ希望通り
なのかもしれません。もちろん、作品を見ても何も感じないということもあるでしょう。
別に鑑賞者が責任を感じる必要のあることでもないと思います。

この回答への補足

正面から突っ込まれてもちゃんと成立しているから比喩なのではないでしょうか?
大きかろうが小さかろうがあなたの趣旨が影響されないから比喩なのではないですか?
それに突っ込まれて、ムキ?になって言い返すようでは、その比喩は実は的を得ていないのでは無いでしょうか?
私は、それで、「あ、私の突っ込み、実は痛いとこツイちゃったんだ♪」と判断しました。本当にごめんなさいね。
とにかく、比喩とは自分の趣旨が影響されない、と思うから出せるものでしょう。
違いますか?

それから、私が行った現代美術展では同じ人が何点も作品を出していて、そのどれもが同じものを材料にしている上、同じ人が「無題」を連発してました。そんな作品者が多かったんです。
だから、こういう質問をしたのです。
「Aさんの2000年の作品」という題名にはならないでしょうね(笑)
(もしかして、同じ作品者が同じ年に作った作品に対して何点も何点も「無題」という題名をつけているのをご存知ないのでしょうか?)
一体どんな題名が後世つくのやら・・・(笑)

>実際、「Aさんのタイトルが無い作品」では何か不都合でしょうか。
では、不都合は本当に全く無いのでしょうか?
少なくとも「その人のどの作品がよかったの?」と聞かれても、その人の出していた作品に「無題」が多かったら、何も語れませんよ。

>「美術館へ行ってもタイトルプレートだけ見て回る人が多い!」
あははっ、それ私です。(まいったなぁぁぁ)
だって、質問内容にも書いたように、「何?これ?」という作品が多くて、それでプレートを見てしまうんですよ。
逆に言うと、プレートを見る事すら忘れる作品が、今の世の中、少ないのでは?と思います。
もしかして、作品者は自分の作品に自信が無くて「無題」を連発しているのか?(おっと、これは言い過ぎですね。。。)

何かを作りたくて作ったのなら、それを題名にすればよいのに・・・
「その題名を付ける事に対して、また生みの苦しみをする、それが真の芸術家」だと思ったりして。。。

補足日時:2002/09/27 22:32
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>本論への言及なしに、
「本論への言及はちゃんとゆっくり時間を取ってお礼欄でお礼としてしたい」と真摯に思っていたのですが、なんだか、上手く伝わらなかったようです。
悲しかったですが、それは私が悪いですね。だってそんな事、あなた様は分かりようが無いですものね(ToT)
No.6のあなた様への補足欄にて「全員の方にちゃんとお礼をさせて頂きます」と書いていたとは思いますが、それだけではそこまで伝わりませんでしたね(ToT)

でもやっぱり比喩は本論に言及があろうが何だろうが、いつも成立してるものだと思って、上記補足欄にそう書きました。
と言っても、それはNO2の方にお礼を書く前です。
補足欄とお礼欄を同時に書いたのではありません。
(2つを同時に書く感じ悪いヤツと思われたら悲しいな・・・と思いまして、お伝えしたかったんです。)
その間に、またのご回答があれば・・・とも思ってました。
申し訳ありません、ここまでで質問内容に対しての答えが自分の中に出せましたので、これで締め切ります。
(1歳の息子の抱っこ攻撃で、時間が取りづらいのもありますし・・・)

>もちろん、作品を見ても何も感じないということもあるでしょう。
別に鑑賞者が責任を感じる必要のあることでもないと思います。
このお言葉に甘えて、意見させて頂きます。
プレートを見て回る人が多いのは作品に何かを感じさせる力が薄いのではないか、と思います。(生意気ですね、ごめんなさい。)
知人の学芸員さん、怒っちゃうかな。。。。

>何百年たっても「タイトルの無い作品」と呼ばれるのはむしろ希望通りなのかもしれません。
う~ん、でも、あなた様のご回答でいくと、後年何かしらタイトルを付けられちゃうようですね。
「何か不都合か?」の話がありましたが、やはり不都合だから後年何かしらタイトルが付いてるんだと思いますよ。

あなた様の中では整合性が取れているのでしょうから、絶対に現代美術に関しては私なんかより、遥かに多いに楽しまれているのだろうな、と羨ましい気持ちで一杯です。

色々とご回答下さり、本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/09/28 02:17

>まず「無題」という題名が多いのは


>現代美術の特徴なのでしょうか?
現代美術、と一括りにしちゃってイイのかな?
とも思います。
過去の様式に括れないから、とりあえず現代美術と
総称しているのであろうから
作品毎に「無題」に込めた意味は千差万別なのでは
ないでしょうか?

と、いいつつも、理由になりそうなことを
幾つか考えてみます。

ひとつ、浅いレベルで「あるだろうな」と思うのは
タイトルによって先入観を与えたくない、といった
ことではないでしょうか?
抽象絵画以降「これは一体何?」といったモノが
主流になってくるわけですが
作家としては
「これは一体何?」
「タイトルに肖像画って書いてあるから顔なんじゃないの?」
などといった具合に解釈されるのはイヤでしょう。
>まだ題名がついていたら、「そうかぁ、作品者は
>そういう事が言いたくてこう作ったんだな」とか
>色々思えるし楽しめる
それは物語の楽しみ方であり、それを嫌ったのが
抽象以降の芸術だと思います。
作家として「解釈して欲しい」「分かって欲しい」のではなく
もっとプリミティブに「感じて欲しい」筈だと思うのです。
例えばイヴ・クラインの「ブルー」という作品を見て
(個人的に大好きな作品なので例に挙げますが)
(単に、一面、青く塗っただけの作品です)
「これは何?」「何だ、単に青なんだ」とは思って欲しくないでしょう。
クラインの「ブルー」は、例えば
「何だか分からないけどキレイだな」「好きだな」と
思って欲しい筈です。

もう、ひとつ、もう少し悩んで「無題」とした場合は
デュシャン以降の影響から逃れたかったんじゃ
ないでしょうか?
有名なモノではマルセル・デュシャンの「泉」や
フーコーの「これはパイプではない」といったモノがありますが
題名に込めた哲学が作品だったりするわけです。
だから、題名の方にメタ・レベルでの意図がない場合は
題名をつけないことで、オブジェクト・レベルで作品を見てくれ
といった意思表示になると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
>現代美術、と一括りにしちゃってイイのかな? とも思います。
あ、いけなかったですか?
私が行った美術展がモロ「現代美術展」という題名だったので、安易にそう一括してしまいました。
勘違いでしたら、お詫びします。

>それは物語の楽しみ方であり、それを嫌ったのが 抽象以降の芸術だと思います。 作家として「解釈して欲しい」「分かって欲しい」のではなく もっとプリミティブに「感じて欲しい」筈だと思うのです。
私だってのっけから「解釈しよう」と思っている訳じゃないんです。
「感じたい」のです。もちろん「感じる」という観点から美術を鑑賞しています。
まず自分が素直に感じたい、次に、作品者が感じた事を感じたいと思っています。
だから、まず自分が感じたい為、題名なんて、最後の最後にしかみません。
でも最後に必ず見ます。だって、作者が感じた事も感じたいですから。
でも、「何?これ?」と、な~んにも感じる事が出来ないと、すぐ題名を見ざるをえないのです。
そうですね、そこで、題名を見て「解釈」して、そして、その作品を改めて見たら、何か「感じる」かもしれない、と、あくまでも「解釈」ではなく、最終的には「感じる」を念頭において作品を鑑賞してるつもりです。
(あくまでも、つもり、ですが・・・)
でも、そこで、プレートに「無題」とあると、もうそこで「終わり」なのですよ。

クラインの「ブルー」、見てみたいです。
きっと素敵な作品なのでしょうね。

>もう、ひとつ、もう少し悩んで「無題」とした場合は デュシャン以降の影響から逃れたかったんじゃ ないでしょうか?
少しでも悩んだのなら、それは、そういう事なのだと受け止めます。
というか、悩んでも結局「タイトル無し」だった事が1つの「題名」だと感じます。。でも少なくとも、そんな風に悩まれる作品者の方は、なんでもかんでも「タイトル無し」にはならないですよね。

「感じると解釈」、自分は感じているつもりでも解釈しようとしているのか?
そう考えさせられるご回答でした。
一応上記の様に述べさせて頂きましたが、実際はどうなのか?
今度美術を観る時、作品を真の当たりにした状況で、よくその事について自分を見つめてみたいと思います。
こういう観点に気付かせて下さって本当にありがとうございました。
深く感謝いたします。

お礼日時:2002/09/28 01:29

ベートベンの有名な交響曲に「交響曲第5番ハ短調」というのがあります。


このタイトルは曲の内容を全く示していませんよね。「タイトルなし」と
ほとんど一緒です。しかし、だからといってこの曲の価値が無くなるわけでは
全然ありません。一昔前まで(今でもかな?)この曲は「運命」と呼ばれる
のが普通でした。しかし、作曲者自身がそのようなタイトルをつけたわけでは
ないのと、タイトルから受ける印象が曲の印象を限定しかねないということで、
最近は上記のようなタイトルで表記されるのが普通になっています。

印象派以降の美術は、美術家の内面を表現しようとする傾向が強くなってきて
いると思います。(一概には言えないでしょうが。)言語はコミュニケーション
の道具ですから、複数の人が共通に認識できるものを同じ名で呼ぶことから
始まります。しかし、ある人の内面にあるものは、そのままでは他の人には
分からないものですから、本来名づけようのないものです。無理に名づけたと
しても、何か少し違うという感じが残ると思います。としたら、その名づけ
ようのないものをせっかく表現しながら、「少し違う」名前を付けてしまったら
ぶち壊しだと思いませんか?言葉に惑わされることなく、作品の表現を直接
感じて欲しいと現代の美術家たちは考えているのだと思います。

この回答への補足

すみません、私は「交響曲第5番ハ短調」は「交響曲第5番ハ短調」という題名があり、決して「タイトル無し」と同じでは無いと思います。
だって、ベートーベンの「交響曲第5番ハ短調」と言うでしょう。
「ベートーベンのタイトルが無い曲」とは言わないではないですか?

でも、私が見に行った現代美術展の作品者(仮にAさんとして)は、後世もし名が残ったとしても、
「Aさんのタイトルが無い作品」と言われるのですよね。

ベートーベンの「交響曲第5番ハ短調」とは大きな差だと思いますが、如何でしょうか?

上記についてご意見があれば是非ご回答お願い致します。

この場を借りて皆様へ。
現在NO7まで回答を頂いておりますが、息子がPCを触りたがり読む事もままなりません。それで、本棚の上にPCを乗せ立ってこの文章を書き込んでいます。(足元には抱っこをせがむ息子アリ・・・)
全員の方にちゃんとお礼をさせて頂きますので、補足欄にトビトビに記入する事ご了承下さい。
それから、No3の方、補足欄では不愉快だなんて書いてごめんなさい。
お気を悪くされたらと心配です。ご了承下さいませ。

補足日時:2002/09/27 20:20
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ある人の内面にあるものは、そのままでは他の人には 分からないものですから、本来名づけようのないものです。
そうでしょうか?
ある人の内面にあるものは、そのままでは他の人には分からないものだから、今の人間社会で「言葉」というものがあると思いますよ。
現に、ここでも私は「言葉」を使って自分の内面にあるものを、他の人に分かってもらってます。
なので「本来なづけようのないもの」という事は納得出来ません。
そういうものも確かにあるでしょうが、少なくとも「本来」では決してありません。

>無理に名づけたと しても、何か少し違うという感じが残ると思います。
名づけるのも1つの芸術活動ではないか?と思っています。
それが付けられず苦しんで苦しんで、「タイトル無し」だとしたら重みがあります。
でも、何でもかんでも無題。
なんだか、それって、「はい、また題名は無題ね♪」と安易にしている印象を否めませんでした。

>言葉に惑わされることなく、作品の表現を直接感じて欲しいと現代の美術家たちは考えているのだと思います。
そうでしょうね。
きっとその方々から見たら「お前なんかに感じて貰わなくって結構!!!」
と言われて終わりでしょうね。
なんだか、悲しいけれど、仕方無いのかなぁ。。。

お礼日時:2002/09/28 00:47

作家にもいろいろなタイプの方がいると考えられたらよいかと思います。



自分の作品を分って貰いたい人と貰わなくてもいい人、分って貰いたくとも表現力がなく理解されない人もいるでしょう。

  >「何作ったか作品者本人もはっきり提示してないものを、・・・

作った作品は目の前にあるのではっきり提示(表現)しているわけで・・・

  >なんで私がいちいち考えなくちゃいけないの?バカらしい」と思ってしまいました。

芸術家は作品を「バカらしい」としか感じない方々のために創作してる訳ではなく、自己を表現したいがために作っているだけです。

  >「この作品は後世に残るかもしれない。」と思ったら、「無題」なんて題名付けないと思うんですが・・・

芸術の分野では作家が死んでから評価が上がることはよくある事で、数字などで結果がすぐ分る他の分野とは少し違います。


題名について云えば、ヒマワリを画いていても[無題]という題名にすれば、見ている人は[情熱][太陽][燃える][若人]など

見る人のイマジネーションを刺激します。

勿論、ただの[ヒマワリ]では「なんだ、ヒマワリか」でお終いの人も居れば、同じ絵から多くのことを感じる方も居るでしょう。

【無題】も「ただの名無しの権兵衛か?」と思う方も居れば[無題]なるが故に、そこから多くのことを感じ取れる方も居るのです。

この回答への補足

(1)>自分の作品を分って貰いたい人と貰わなくてもいい人、
では何故美術館に飾るのでしょうか?

(2)>分って貰いたくとも表現力がなく理解されない人もいるでしょう。
は?そんな人が表現者なの?
表現力が無く理解されない人が、表現してるって変ですよね。


(3) > >「何作ったか作品者本人もはっきり提示してないものを、・・・

>作った作品は目の前にあるのではっきり提示(表現)しているわけで・・・

でもその作品が出来た、という事は、その作品を作る方向性が作品者の中にはあるわけで、(無いと何も作れないと思いますが?)、それを提示しないのは「上からモノを見てる」という感じが否めませんが、どう思われますか?
すくなくとも「ひまわり」はひまわりのある風景を思い浮かべて書かれたものですよね。
そのように何かをまず思い浮かべる等のベクトルが作品者の中にはあるわけで、それを題名にすれば良いと思いますが、どうでしょうか?

(4)>芸術家は作品を「バカらしい」としか感じない方々のために創作してる訳ではなく、
別に「作品をバカらしい」としか感じていないのではありません。
ちょっと不愉快になりました。でも私の文章力の無さでしょうから、悲しいけれど、ご回答者様のせいではありませんね。。。
私は「タイトルが無い」という事に対して「バカらしい」と思っているだけです。
一言も「作品自体」については言及していないつもりですが?
(やっぱり文章表現無いみたいですね、すみません。)

(5)>自己を表現したいがために作っているだけです。
(1)とも重複しますが、自己表現をしたいが為に作っているのなら、自分の部屋で眺めていればいいだけの事。
美術館に飾る必要なんて無いと思いますが?

お礼欄にはちゃんとお礼として書きたいので補足欄で失礼しました。
また、息子が起きそうであせっているので乱文お許し下さい。
上記を読んで、ご意見があれば是非お聞かせ下さい。

補足日時:2002/09/27 09:49
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

まず謝罪からです。
上記補足欄(4)で
>一言も「作品自体」については言及していないつもりですが?
と書きましたが、これは
「バカらしい」と思っている事に対して、一言も「作品自体」を指していると言及していないつもりですが?
の間違いです。
言葉足らずで大変申し訳ありませんでした。
不愉快、なんてごめんなさい。(文章足りなくて。。。)
本当に「作品自体」を「バカらしい」なんて決して思っていません。
それは作品者の人格を否定する事になりそうで、怖くて出来ません。

私は「ひまわり」が「ひまわり」という題名だからこそ、より多くの事を刺激されるタイプのようです。
作品者の視点に立てる喜びがそこにはあります。
もし「無題」であったなら、それでも、あの作品であれば、多くの事を感じるとは思いますが、
「ひまわり」という題名がついている場合の方に軍配が上がります。

そうですね、「無題」だと作品者の視点に立てない、私はそういうのが不満なタイプみたいです。
こういう自分にあなた様のご回答で気付かせて頂いた事に感謝致します。
本当にありがとうございました。

>【無題】も「ただの名無しの権兵衛か?」と思う方も居れば[無題]なるが故に、そこから多くのことを感じ取れる方も居るのです。
分かりました。そういう鑑賞者もいらっしゃる事、謙虚に受け止めます。

お礼日時:2002/09/28 00:07

あ。

付け足しです。
あと美術は、文学ではないということで言葉を嫌う方もいました。題名とはいえ小さな文章なのでそこから派生するイメージと作品からのメッセージがどうしても微妙に違ってしまうのが嫌とか、あるいは海外での作品発表のときにも違訳されるのが嫌だとか。

この回答への補足

先にNo4の方の補足欄に記入する無礼、お許し下さい。

の間違いです。すみません!

補足日時:2002/09/27 09:33
    • good
    • 0
この回答へのお礼

付け足しのご回答、ありがとうございます。

教えて!gooでも芸術は文系の学問の分野になってますね。
>題名とはいえ小さな文章なのでそこから派生するイメージと作品からのメッセージがどうしても微妙に違ってしまうのが嫌とか
だったら、作品者の中にちゃんと「作品のメッセージ」があるわけですよね。
きっと、そういう作品者は「鑑賞者の感性云々にまかせる」なんて言わないと信じたいです。(だって、自分にちゃんとメッセージがあるんだから。)

ご回答頂いて、本当にすっきり♪しました。ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/27 23:46

美術の歴史をさかのぼると、芸術というよりは、現代の文字や、記録として(写真のような)あるいは権力の象徴として栄えてきました。

そのなかで作品のタイトルは、描いたものの説明的要素として、確かに必要だったと思います。(原始の時代洞窟の壁に絵を描いて何かを残そうとした古人が絵のタイトルをつけていたかは定かではないですが。__それを想像すると少し楽しくないですか?)現代美術は、言葉には出来ない思いや、何かに触発され突き動かされるように作られた抽象的な作品も多いと思います。きっとその場に作者がいればそのような思いを語ってくれたのではないかと思います。それらを凝縮し短い題名にするのが難しかったのではないでしょうか?あまり説明的な題名というのも押しつけがましいでしょうしね。
そして後世に残るということを考えると不変的な言葉を選ばなければならずそれらの言葉の中に作品に相応しいものがなかったからかもしれませんし。

ただ題名にかっこいい言葉を並べたいばかりに、かっこうをきにするばかりに言葉を選べなかったということもありうると思います。作品も大きく男性的で雄々しいようなものなのにフランス語かなにかのタイトルでしかもスペルが間違ってるなんてことが(それでその意味が私のカワイイ家とかだったら・・)・・・なんて考えてこわくて題名がつけられなかったのかもしれません。なんて。

後は題名を考える時間が制作する時間より長くなってしまうなんてこともあるようです。悩みすぎてしまい発表まで間に合わず無題なんてことも?

個人的にはよほどの事がないかぎり作品には題名をつけるべきだと思います。あまりにも無題の作品ばかりを作っている人はかっこいい作品を作ればいいと思っていて中身がないのでは?何を作りたかったのか?という質問をしたときに答えられないのではないかと疑ってしまいます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
1才の息子がもう起きそうなので、時間が無く、先にNo3の方の補足欄に記入する無礼、お許し下さい。

補足日時:2002/09/27 09:28
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やっと、お礼が書けます。(息子が寝ました。)
お礼が後になり、申し訳ありませんでした。

まず、早々のご回答ありがとうございました。
>現代美術は、言葉には出来ない思いや、何かに触発され突き動かされるように作られた抽象的な作品も多いと思います。
作品に対するそういう衝動が、一体自分のどこから来たのか?
自己表現であれば、正にそこ!ですよね。

>きっとその場に作者がいればそのような思いを語ってくれたのではないかと思います。それらを凝縮し短い題名にするのが難しかったのではないでしょうか?
>そして後世に残るということを考えると不変的な言葉を選ばなければならずそれらの言葉の中に作品に相応しいものがなかったからかもしれませんし。
その難しい作業を苦しんで、苦しみ抜いて、そして短い題名で生み出す、その題名の生み出しを持ってして、芸術家と思いたい願望がありまして・・・
それで、そんなに苦しみ抜いても題名が付けれなかった、だから「無題」。
これなら、分かります!!これはもうOKです!!

でも、同じ作品者が何作も何作も無題ばかり。。。本当に苦しみ抜いたのでしょうか?

>ただ題名にかっこいい言葉を並べたいばかりに、かっこうをきにするばかりに言葉を選べなかったということもありうると思います。
そうですね。そういうのもありそうですね。(大きく頷く。)


>後は題名を考える時間が制作する時間より長くなってしまうなんてこともあるようです。悩みすぎてしまい発表まで間に合わず無題なんてことも?
う~ん、まだそれなら・・・
どうも同じ作品者が無題連発で、安易にしてるとしか見えなかったんですよね・・・
でもその裏で本当に悩んだのであれば、今度はその悩んだ思いがまた1つの作品を生み出すかもしれませんね。
正に、「生みの苦しみ」ですよね。

>個人的にはよほどの事がないかぎり作品には題名をつけるべきだと思います。あまりにも無題の作品ばかりを作っている人はかっこいい作品を作ればいいと思っていて中身がないのでは?何を作りたかったのか?という質問をしたときに答えられないのではないかと疑ってしまいます
うわぁぁぁ!
私が言いたかった事をこんなに短い文章で!!!!
私の的をバッチリ得ていて、正にその通りなのです。
同じ意見の人っているんだなぁ、とほっとしました。
そうですよ。本当にその通りです。
はっきり言って、無題だらけの「現代美術展」に行って、
「中身が無い」→「だから無題にして、『鑑賞する人の感性云々』に逃げてる」
そう思ってしまったんです。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/27 23:39

無題って、「無題」っていうタイトルなんじゃなくて、


タイトルがついていないから「無題」って書いてあるんじゃ・・・。
そう思っていたのは私だけ????

回答になってなくてごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>回答になってなくてごめんなさい。
でも、投稿していただいてありがとうございます。

はい、私はそういうつもりで質問しています。
「無題」という事を表現したくて作った作品ばかりなのは何故?
という質問をしたいのでは決してありません。

質問は、「無題」=「タイトルがついていない」という事に対しての質問です。

あぁ、なんか、ちゃんと文章としてこちらの意図が伝わる質問文ではないのかな?と不安です。
何度も何度も確認して「よし!これならそういう誤解は無いだろう!よ~し、送信だぁ(#^.^#)」と思って送信したのですが・・・・
文章力が無いみたいです。すみませんでした。

>タイトルがついていないから「無題」って書いてあるんじゃ・・・。
そういう意味で質問しているとして、質問内容を読んでなにかご回答があれば是非お願い致します。

>そう思っていたのは私だけ????
という事は、それに疑問を持たれてないのでしょうか?
もしよろしければ、私の質問文を読んで「それでも私は疑問を持たないよ」というご意見があるなら是非教えて下さい。

投稿して下さったお陰で、これ以降の方に同じ様に誤解されるのを(もちろん私の文章力の問題ですが)防ぐ事が出来ました。
感謝致します(^^♪

お礼日時:2002/09/27 01:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!