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カテ違いかもしれませんが・・・
私は父と二人暮らしです。
父はガンで、今夜がヤマですとDrに、何れいわれるであろうことを、今から覚悟しているつもりですが、いざ、そうなったら、普通の精神状態では、いられないだろうと察しがつきます。
私が、病的になるであろうと、察しがつきます。

が、今、親類の家では、まさに、そのヤマを迎えているようです。
案外、冷静な対応で、私はちょっと驚いています。

もともと、ガンだったようですが、急変し、緊急入院になったようです。
私には、考えられないのですが・・・
いざ、そうなったら、人間て覚悟ができるものなのでしょうか?

A 回答 (5件)

人間は必ずいつか亡くなります。


遅かれ早かれ。

突然の事故などならばいざ知らず、病気療養(治療)の末であれば
普通は覚悟ができるものです。

今のうちに自立する用意はしておきましょう。

あなたが精神的におかしくなる暇などまずありません。
(お葬式の手配や後始末など。)

ニートだったり父親に寄生している場合はなおさらです。
今のうちから準備はしておきましょう。

そのほうが父親も安心できるというものです。
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「自分の死」以上に「肉親の死」の現実を


受け入れるのは難しいと思います。

 通夜&葬儀に気丈にふるまってた方がいて
(周囲の人も「とても精神的に強い方ね」と思っていた)
矢先に、「その人がこの世にいないんだ」という
その現実の辛さが徐々に心を蝕み、ぽっくり
自殺というケースも少なくありません。

 精神的に辛い時にクールに振る舞うことは、見てくれは
かっこいいですが、クールに振る舞ってた人ほど
心に対する反動が大きいです。
 やはり、精神的に辛い時には(周囲からどう思われようが)
自然の流れに従って
めいいっぱい涙を流し嗚咽すべきだと思います。

「死に対する覚悟」など、たとえ高僧であろうと
不可能でしょう。強弱はあれ、誰だって「死直前の恐怖」
「死後の空虚感」は避けられないものです。
人間としての宿命みたいなものですから。

 ただ、「その後」の方が心のタフさが問われるかも
しれません。(数年は仕方がないとしても)何年も何年も
めそめそしていると周囲の家族にまで精神的に
悪影響が出て家族全体が陰気な雰囲気になるわけですし。

 あと数十年もすれば貴殿も寿命がきてこの世から
いなくなるのが人生の摂理ですし、
(気の持ち方も難しいとは思いますが)「天国でまた会えるから」
と気楽に思っていた方が心が落ち着くと思いますよ。

 いつまでもめそめそした生き方をしていたら、それこそ
「亡くなった方」に失礼ですし、遺族が残された人生を
如何に有意義に過ごしてくれるかを 「亡くなった方」
も最も心配していると思いますし。

 ただ、「今夜がヤマ」ですと言われてもまだ生きている
ことは事実ですし、(たとえ植物状態でも)残された時間に
めいいっぱい感謝の気持ちを耳元でささやいてください。
(無意識の世界とはいえ、心には伝わっているものですから)
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気持ちの中では難かしい問題ですが、いずれその現実を受け入れる日が必ずやってきます。

受け入れる、といううより「受け入れざるを得ない日」というべきでしょうか。私も両親や祖母の3人を、すべてガンでなくしました。一番最初は私がまだ18歳の頃で、相手は母親でした。見舞いにきた母の妹さんから「もう、残念だけど、ダメだね!」といわれた時、なんとなく自分でも感じていたはずなのに、「なんて冷たい事を言う人なんだ」と逆に思いましたね。自分でもそれなりに理解していたはずなのに、まだ病気から回復する奇跡を信じていた頃でしたから、突き付けられた現実に逆恨みもしました。そして母親との別れを機に、当時の私は随分変わったように思います。中途半端なことはしなくなりましたね。勉強にも仕事に対しても、今の自分に出来る全ての力を注ぐようにもなりました。「もし、明日死んでしまう、と言われた時、今日までの自分は精一杯生きてきたのか?悔いはないのか?」と、自問自答するようになりました。それに現在でも、何かにつけ、左右の道をどちらか選択しなくてはならないケースがいっぱいあると思うのですが、その決断をする時は、そのどちらを選んだ場合にも「最悪のケースになった時はどうなるのか」と、まず、最悪の場合を自分で予測してから取り組んでいます。最初に覚悟を決めてから、ものごとに向かい合う、という気持ちです。これは、就職や転職をする場合や結婚をする場合、また自分の子供が受験をする場合など、様々なケースに立ち向かう時にあてはまります。これは現実から逃げるのではなく、予測できる未来を「自分で納得してから向かい入れる」ということです。こんな考えを持つようになってから、多少は打たれ強くなりましたね。めったな事にも驚かなくなりつつあります。「まあ、これはこれで、しかたない事か!」「では、次ぎはこうありたいね!」というような感覚です。気持ちの中では割り切れない事も、割きらなくてはならない時もあります。人生は色々なことの積み重ねでしょうか。経験や体験を通してしか、自分の人生は成り立ちません。例えば「親類の家での冷静な対応」というのは決して冷たい事とは思いません。もうその事に関しては「ケジメ」の決断をされているからだと考えられます。たぶん、その先に起こる現実、例えば「葬儀」だとか「お墓」のこと等まで考えていらっしゃるかも知れません。実は私の父親に対する場合もそうでしたが、事前に「葬儀」の会社などにも連絡をし、心だけでなく様々な準備をしていました。医師からは「申し訳ないのですが、今の医学ではどうしようもありません。失礼ですが、あとは時がくるのを待つだけです。」と言われていましたから。
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私は、母をなくし父をなくしました、母をなくした時は父が喪主、身内5人で相談して段取りして初7日まで事をすすめましたがさみしくて、かなしくいて、涙がとまらず泣き顔でいました、2週間くらいで気持ちが落ち着いてきました。


困った事が、起きてもまえもって(数日前に)準備しておけば、何とかなります
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各語なんて言っていられないでしょう。


葬式の準備で。

医師から3ヶ月前に言われたのでそれなりに用意しましたが、表情に出したらば、患者が早く死ぬので、異化しておくつもりならば表情を変えられないのです。
変えたらば、アウトなのです。
長男には話しておきましたけど、気合と根性ですね。長男に「苦労がなくて良いね」と言い残して自殺した同級生がいました。家では表情が帰られないので、学校で練習していた様です。「苦労している」という表情を患者の前で出せないのです。
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