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これだけクソミソにけなされているにも関わらず、文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?
議論のための意見ではなく、分析/解説を求めます。

A 回答 (33件中1~10件)

『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想 というものが動き出しています。


日本人の性向からして、他国語できちんと考え、自己表現できるようになるためには、自国語でのそれらがちゃんとできていることが必須でしょう。実際、いまの国語力(学校国語だけではなく)はひどいもののようですから。そして上の戦略構想には国語教育についての行動計画も盛り込まれています。つまり、英語だけではなく他教科まで巻き込んだ抜本的なプロジェクトが動き出している、ということです。
抜本的なプロジェクトというものは常に時間がかかるものですから、なかなか我々一般人のものとなってこないのですが、ときどき思い出したように首相会見などで触れられてはいるようです。
それとは別の問題として、現場の教員全体にこの戦略構想を浸透させようという意識が文科省に見られない、ということがあります。
進学校でモデルプログラムを組んだりはしているようですが、いわゆる普通の学校ではこの戦略を知らない教員の方が多いと思います。
(たとえば、教員をやっている知人がこの戦略構想についての研修会に出席する機会があり、本気で進める気があるならなぜもっと現場に情報を流さないのかを文科省の出先と言っていいであろう県の教育庁の担当者に問いただした所、「文科省のHPに逐次掲載しています。それを確認してください」と言っていたそうです。現場の教員なら、いつ更新されるか分らないHPを毎日確認していて当然だという態度だったそうです)
いつものとおりのトップダウンですね。そして、現場で血が流れている、と。
長文ですみません。字数もつきましたのでこの辺で失礼します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
戦略構想はあるが、現場の教員全体にこの戦略構想を浸透させようという意識が文科省に見られないということですね。

お礼日時:2008/06/06 20:32

単一民族による国であるところの保存性です。


これは自然的でありそれを論理的に変えるには時間が必要でしょう。
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この回答へのお礼

単一民族による国であるところの保存性・・・ですか。
それが何なのか良く分かりませんが、ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/06 20:35

はじめまして



英語を含めて外国語を勉強している者としての回答です。

中学・高校の英語教育は「役に立たなくはない」と思います。でも、「効率的な方法ではない」「多くの生徒にとってはもっといい勉強方法がある」と思っています。

ご質問についてですが
「転換しない動機」があるのではなく「転換する動機」がないだけだと思います。
1.これまでのやり方を変えるのは面倒だという「前例主義」
2.これまでのやり方よりもいい方法を知らない
のどちらかでないかと思います。



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2.について補足です。
私が中学1年生のときの英語の教科書の出だしです。
Hello, I am Nancy.
Hello, I am Keiko.
Hello, Nancy.
Oh, You are Takeo!
ペンパルが実際に会うのは初めてという設定ですので、3行目までの会話は自然だと思います。
…事前に写真を送っていればこんな会話もないでしょうが、その辺はおいといて。

しかし、4行目はなぜこんな言葉が「突然」出てきたのか、意味不明です。ケイコとNancyが手紙のなかで相当タケオの事を話題にしていたのでしょうか?
どちらかといえば、“I am”と“You are”という「文法」の説明をしたかっただけの文章かと思います。

同じようなものでは“This is a pen”がありますが、実際に使ったことはありません。

“I am a boy”も、そんなことを言う男の子とは会ったことはありませんが、女の子と間違えられた男の子は言うかなと思います。また、映画の中でアンドロイドかロボットかが「僕は人間だ」という意味で使ったと、知り合いが話しくれたことがあります。

そんな使いもしない文例をつかって「文法」を覚えるよりも、意味は分からなくても「こういう場面では、こう言えばいい」と覚えておいた方が実際に使う場面では役に立つと思います。

例えば、「ホテルで鍵を持たずに部屋から出てしまい、オートロックのために部屋に戻れなくなった場合、フロントでなんと言いますか(英語で)」
答えはこちら
http://shakodance.com/study/2007/04/10717.html

これを見たら「閉め出されちゃったよー」という訳が思い浮かぶかもしれません。日本語と外国語は1対1には対応しませんが、同じような発想の表現もあります。

英語に限らず、外国語を勉強する方にはこちらのページが参考になるかと思います。
http://www.oka-chan.com/etc/saisoku.htm
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この回答へのお礼

なるほど、これまでのやり方よりもいい方法を知らないこともあって、「前例主義」になっている、ということですね。ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/06 20:36

結構日本の英語教育優秀ですよ。

アカデミック面では。成績下位者はどうだかわかりませんが、進学校の英語の授業はネイティブびっくりらしいです。高校で扱うイディオムもやたら文語的らしいし。
スピーキングの方はあんみつ姫のカステラ先生をクラスに一人くらいの割合で派遣したら身につくようになるかもしれません。美人なら吉。
ライティングは、文通やネイティブによる課題添削など、もっと身近に「英語通じた!」体験を感じることが出来れば生徒はどんどん文法や辞書を使うのではないかな?
まあ、異文化理解の授業を削って、学校の正課の授業でがきんちょの頃から「えーい、びぃい」とか「へーぃ、わっつ あーっ」やらせるのは無意味だと思うんですよね・・・。発音綺麗になったり親しみはわくだろうけど。お稽古事として英語を体系的に予習するとかならいいんですが・・・。
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この回答へのお礼

うーん、ごめんなさい、一言で言うとどういうことなんでしょうか。。。

お礼日時:2008/06/06 20:39

 


 英語と楽譜 ~ 習熟率10%未満の現実 ~
 
 たとえば関西地方では、国語・英語まで、なぜか大阪弁で教えます。
 標準語ではなく(方言そのものは容認するとしても)表記文字として
特定できないアクセントやイントネーションを強要するのは疑問です。
 
 これでは、日常的な会話はともかく、論理的な日本語は育ちません。
 むしろ、数学・理科・音楽に適しているのは、あきらかに英語です。
(数学の証明など、難解な日本文法のために、独特の解読力を要します)
 
 わざわざ日本語で教えるので、英語の特性が活かされないのです。
 全国的にも、英字新聞や楽譜を読める人たちは、ほとんどが義務教育
以外のところで学んだのではないでしょうか。
 
 日本語のように高度な言語に習熟したエリートが、判で押したように
「まず母国語をマスターしてから外国語を」と云うのは論外です。
 ずばり云えば、英語のできる人々が、既得権を乱用しているのです。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。数学・理科・音楽などから、英語を使って授業をしよう、ということでしょうか・・・?

お礼日時:2008/06/06 20:41

小学校3年から英語を必修にするという記事が新聞に大きく取り上げられていました。

他の外国人に比べて日本人に英語をうまく使いこなせたり、話せたりしないのは文法的な順番が大きく関係していると思います。中国語や韓国語などは記号化されていて英語とよく文法的な順番もよく似ているため、マスターしやすいのだと思います。これから、本腰を入れてやるような気がします。ただ、日本語は英語、漢字、ひらがな
、カタカナわ組み合わせてしようするため、英語的な端的な記号的分使用とは一線を画するのでちょっとその違いを十分認識して、教えたり、学んだりする必要があるのではないかと思いまする
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本語の語順が英語と違うので、日本人は他の外国人よりも英語学習が大変だ、ということでしょうか?
少なくとも、韓国語の語順は日本語と良く似ているとは思うのですが・・・

お礼日時:2008/06/06 20:54

教育に限らないのですが、お役所関係は、たとえ良い方法があってもなかなか本気で取り入れようとか変更しようとは思わないようです。


組織や体質上、取り入れられないのかもしれません。

例として、社会保険事務局の問い合わせ窓口が混雑するので「シフト勤務にして時間延長したらどうか」と言う人がいてもそうはしないとか。
関係ない話ですが献血ルーム。
最近は都会で土日もやっていたり時間延長するようになっているかもしれませんが、たとえば17時40分まででは、残業なしで仕事を終えるとしても、あれこれ片付けて献血ルームにたどり着く頃には閉まってますな。
20時ぐらいまで開けておくと会社員で献血する人が増えそうですが、2交代で早番遅番勤務なんて考えてないんでしょうね。
血液が足りないとよく言うけれど、とても本気で集めているとは思えない。

という具合に、お役所関係は「こうすればいいじゃないか」が上手く通らないようです。

組織が動きにくい・動かしにくい、
既得権益が絡む、
などもありそうに思います。
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この回答へのお礼

お役所仕事だから、組織や体質上、難しいということですね。ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/06 21:04

学校教育の最終目的は、「大学受験」です。

だから、大学受験に必要な知識を中高6年間で、身につけさせることを目標にしているのだと思います。ただ、よく「実用的な英語を教える」といった場合、どのようにやればよいのでしょうか?実際に今までの英語教師では、ほとんどこのような「実用英語」を教える実力があるとは思えません。その素地が、まったくできていないのです。教師の研修や、留学幇助などは、経費がかかりすぎる。でも、ほとんどすべての英語教師を取り替えるのも現実に難しい。また、「実用英語」をするのに、週3日では、不可能です。また、「会話重視」といっても、会話表現を丸暗記するだけで、「試験によい点をとるため」となるので、本当の実力は付きにくい。
 ただ、近頃の大学受験は、「長文読解」がメインになっています。だから、ある程度のレベルの大学を入学した方は、かなり英字新聞を読めるようになっています。だから、「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。
 また、最後ですが、こういう議論は常に「英語」のみに言われています。なぜでしょうか?、高校卒業して微積分のできる人は、何パーセントですか?国語では、高校卒業した方は、漢検2級をどれくらいの人が合格できるのでしょうか?こういう問題は英語だけに限るものではありません。日本教育全般に言えることです。高校生になっても「沖縄」のありかや、「地球が回っている」ということを知らない子供も例外的ではなく、予想以上に結構いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
次の2点ということですね。
・今の英語教師に教える実力がない。
・「話す」面ではだめでも、「読む」面では、かなりのものです。

お礼日時:2008/06/06 21:19

こんにちは!



 「英語ができる」というのが多様な意味を持っていますので、全部をひっくるめた議論はなかなか実りある議論になりませんね。

 9割以上の人間が行く中等教育で、5割の人間が何らかの形で実用に役立たせることのできる英語力を身に付けられたら、バケモノの国ですね。日本語がよくできる外国人にしても、底を探ればお寒い状況だと思います。

 あんまりとんがった意識で考えないで、ゆったりした目を持つのもいいんじゃないでしょうか。

 文法教育はまったく意味がないとか、他人の地道にっやっていることを貶めないで、いろいろあっていいじゃないか、という気持ちが一番大事と思います。この掲示板も、各自得意とするところで contribution を行えば、何らかの役に立つものだと思って参加している者です。

 愉しく学べないと学習も嫌になりますね。で、愉しさの存するところは、教師と生徒、友人同士の人間関係であって、文部科学省の示達にあるわけではないでしょう。それはいつも重苦しいものです。

 学校だけで英語ができるように思うのは大きな錯覚で、公的なシステムが何であれ、賢明な生徒は、その中から吸収できるものを吸収して、あとは自力で道を拓いていくでしょう。何をやるにも、語彙と文法の最低限の基礎が必要であることは自明だと思いますね。

 私は能天気組ですので、そんなふうに楽観しています。私が嫌なのは、非寛容な心だけです。

 以上、勝手な気持ちですが、言いたいことでしたので、書いておきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。あまり学校教育に求めすぎるな、ということでしょうか。

お礼日時:2008/06/06 21:20

アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。

 このカテで書き始めて8年目に入りました。 

この件については何百ページも書ける自信はありますが、私には文部科学省なり教育委員会の内情に関してゼロの近い知識しか持っていませんので、現実的には私個人の主張となります。

>文部科学省が日本の英語教育を抜本的に転換しない動機はなんなのでしょうか?

この件についてだけにしぼって箇条書きにするとこのようなことが言えるのではないでしょうか。

・英語教育には実践性を必要とすると感じ、更に、そのために転換させる行動を起こすだけの政治力を持った人がいない

・どうしたって受験英語と言うおかしな英語が存在する、言い換えれば受験がある限り、更に言い換えれば、メートル法のように、国の方針として受験をなくす、だけの勇気を餅政策を作れる人間がいない

・有名大学卒業生で政治の首脳になっていて英語を使いこなせる人間がいない

・英語教師の質を上げる(英語を知っていると言うだけではなく使えるように教えられる)方針が5年計画・10年計画の中で体制化されていない

・出来ない教師のリストラを考えられない

・この件に関しての世論が弱すぎる

・試験のための文法知識をいまだに重要視している(使えるための文法ではなく)

・中学の英語教師の重要性を認識していない

・しゃべれない教師が存在する矛盾への無視

・教育改革の必要性を感じていない

・国の国際化政策に英語教育改革が含まれていない

・もしかすると、非公的英語教育施設および出版からの税金を失いたくない

・官僚に保身主義を捨てる勇気を持った「出来るやつ」がいない

・この問題が解決してもその時には既に自分の政治人生が終わっていることを自覚している

・改革においての「犠牲者」と被害妄想にかかる人が多すぎる

・政治家としての人生リスクを負うことになる可能性を懸念する人が多すぎる

など、転換計画を大規模に練り、その改革を実行するには大きな壁があるように見えすぎるわけです。

英語禁止令が終わってゼロから始まってからたったの20年で今の英語中国があるのです。 政府が指揮を取らなければこの規模の改革は起こるわけがありません。

このカテでさえ、英語表現がおかしいと感じないままに一般的な表現ですと断言する事が平然と行われているのです。 今の英語教育の延長なのです。 

学校英語で英語が使えるようになれる筈なのです。 なれるだけの教材はあるのです。 しかし、使えるようになるために教えていないのであれば使えるようになるには非常に効率の悪い教育方法をしている、と言うことになるのです。

This is a pen. I am a boyなど、他の回答者の方もおっしゃっているように、使えない表現を教えてそれが基本だと言っている間は無理と言うものがあると言うことへの認識があまりにも少なすぎるわけです。

一生使うことのない単語を覚えたから英語力があるとおもわれ優越感を感じさせ、いまだにネイティブが使っている表現は文法的ではないと断言し、用語を使って言い換えただけの説明方法で満足しておかしくないと思わせている教育方法では用語を覚えるための英語教育になってしまっているわけです。

英語の短文を日本語訳を持ってこないままで間違いを探せ、能動態を受動態に変えろ、などの問題の無意味なことを押し付けていてどうやって使えるように教える事が出来ると言うのでしょう。

高校生の英語であれば、This is a penが使えない理由を示せ、くらいの問題を持ってきたって良いわけです。 しかしそれが分かる先生が教えていないのであれば高校生じゃ無理だ、と言って言い訳とするのであれば、英語維新は起こるわけはないです。

こういう風に見てくるとこの件だけで少なくともレポート用紙200枚はかけるのが分かりますね。 もう既に大学卒論テーマになるわけです。 しかし、英語教育学科を卒業する人の中でなんに人がこれについて卒論を書いたと言うのでしょう。

今の英語教育に関しての疑問をもてないのはもう既にその時点で始まってしまっているわけです。

個人主張をさせてもらいました。 不十分なところはたくさんありすぎるくらいあると思いますが、ここで私が卒論や英語教育改革企画書を書く場所ではないので終えておきますね。

現状を批判するだけの回答となりましたが、この7年で書いた物を一つの回答としてまとめることが出来れば批判しているだけではないことがお分かりだと思います。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。一言で言うと、政治家、官僚、教師、教師予備軍の大学生、すべての人たちが良くないから、ということになるのでしょうか?

お礼日時:2008/06/06 22:39
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