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高校の国語の先生が言っていた話なんですが、「高校とかの教員は正直努力でなんとかなるけど、大学の教員は努力ではどうにもならなくて生まれ持った才能がないとなれないんだよ。文系なんか大学院に行くのは博打と同じ」と言っていました。大学教員になる人は一般人とかけはなれた才能を持った人しか無理なのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

全くその通りだと思います。


特に文系で大学院に行くことは社会的にほとんど意味がなく、ただの自己満足に終わる可能性が高いです。
なぜなら、文系の人は理系の人と違って、企業などで専門的な知識を要されることはまずないからです。つまり、仮に文系で大学院修士課程修了の学歴を持っている場合、企業側としては「わざわざ高い初任給を払ってまで修士を採用するより手ごろな額で大卒を採用したほうがまし」とされるのが一般的でしょう。
また、大学教員になるのは文系では極めて難しいです。理系と違って研究対象に明らかな結果がない場合が多いですから。

また、理系について言えば、理系の場合は修士課程修了者までは価値があります。大卒であれば事務方や営業方に回されますが、修士で採用された場合研究分野に就くことができるでしょう。
ここで問題になるのは博士課程修了者です。現在の日本において、博士の学位の社会的地位は他国と比べ非常に低いです。博士課程=フリーター養成課程とも言われたりします。
企業側としても、「わざわざ高い初任給で博士を採用するより、ある程度の専門知識があって手ごろな額で修士を採用するほうがまし」とされます。
理系の場合は大学教員になれる確率は文系よりは高いですが、それでもなお人生を棒に振る可能性が伴います。下手したらフリーターになってしまいますから。
しかも、企業に就職したほうが待遇もよく、安定しているでしょう。大学教員を目指すなら、全てを犠牲にして学問を極める、という意志がないと無理です。
「白い巨塔」というドラマがありましたが、医学部の教授はあのくらい権力があって華やかな感じかわかりませんが、他学部は少なくとも全く逆のように思えます。一生研究室にこもる生活、私には耐えられません。もっと楽しい世界があるんじゃないでしょうか。

なお、文系で博士課程に進学するなど論外です。
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才能って何でしょうか・・・。



自分は理系の大学教員ですが、どんな才能が必要なのか知りたいものです。
曖昧な才能という言葉ではなく。
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>大学の教員は努力ではどうにもならなくて生まれ持った才能がないとなれない



この「生まれ持った才能」が何を表すか次第です。
確かに大学教員にはある程度の能力は要求されるので、脳に異常があって言語を理解できない場合などは厳しいでしょうから、その程度の才能は必要かと思います。


>一般人とかけはなれた才能

大学教員も、社会全体から見るとまさに一般人の構成員ですから、一般人の才能で十分でしょう。
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大学教員です.



「努力だけではどうにもならない」
というのは間違いないと思います.
「特別な才能」はなくても良いですが,そういう人は「運」などが無いとダメですね.
というわけで,
・特別な才能
・運など
のどちらかを持っている人だけがなれる職業だと思います.
ちなみに,私は運.

文系の大学院に関しては,博士課程についてはその先生が言っていることで間違いないと思います.
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大学院へ行こうと思うこと自体が才能といえば才能。


大学院へ行くより手近な教員とか企業とかの方がずっと安定。
文系大学院は博打は本当。途中でさっさとあきらめて高校教師になった方が安定。へたに研究の才能発揮して、研究職めざし、でも就職のコネや運を持たず、その結果、一生フリーターになる人多い。
ただ、高校教師から大学教員になる例もあるので、高校教師でも研究を続けて研究職をめざし、みごとゲットする人もいるということ。その先生はあきらめたわけだから、あきらめない才能、どこにいても研究を続ける才能を持たない人だったわけだ。
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大学に最短9年もいた挙句、ほとんど就職先が無い。

ましてや学位とった大学か、それ以上の大学に行ける可能性なんて、微々たるモノ。就職したといっても、教授のポケットマネーで雇われる特任○●とかで、数年の任期。こんなキャリア環境で、平然と研究を進められるんですから、一種の特殊な才能があるのかなぁと思います。鈍感力というか・・・。笑
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確かに高校の教員は採用試験という定番コースがあり、世の中には採用試験の予備校までありますから、ある程度努力で何とかなります。


しかし、大学はそもそもこういった定番的な物が無く、教員免許すらありませんから、以前京都の大学の医学部で、戦前の小学校しか出ていない先生(婦人科の在宅診断で当時としては画期的な方法を開発した方)もいた記憶ですし、お笑い芸人やスポーツ選手が教員になることもありますから、努力以外のファクターはあります。
当方、理系の大学に出入りしていますけど、教室の顔ぶれを見ると、必ずしもできる方が助手から講師になるわけでも無いですし、大学院からそのまま教員になるわけでもなく、ほとんど忘れ去られたような助手が、他大学に移り、尋ねていくと立派な先生になっている例もあります。
その高校の先生は、恐らく研究職志向で大学に残りたかったけど、残れなかったグループでしょうね。
どういう基準かは解釈が分かれますけど

>大学の教員は努力ではどうにもならなくて生まれ持った才能

社交性だったり人脈だったり、運だったりします。
飛び抜けた能力ということではなく、そういったことですから、一面は真実でも一面は誤りです。

>文系なんか大学院に行くのは博打と同じ

うちの甥も大学院卒ですし、私の友人達も社会人入学で大学院に通っていますが、甥は通信系大手に就職できましたし、友人達も法科大学院で資格を目指したり、生涯のテーマを決めたりで、別にハイリスクハイリターンではないです。
最悪学費が無駄になる程度で、それなりに潰しは利きます、昔の彼女が芸術系の大学院卒で、経済的には苦労していましたが、それとこれとは別問題で、大体芸術で飯が食える方が運がよいということです。
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>努力ではどうにもならなくて生まれ持った才能がないとなれない



才能だけではなれないが、才能がなければなれません。
努力も、努力する才能がなければ努力できません。
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そんなことはないと思います。


確かに昔は大学の教師は高級職だったので努力でというのは難しかった
でしょうが今は違います。
しっかり勉強し大学生に教えられるだけの知識と就職先を見つける運が
あればなることは可能です。
失礼ですがあなたの先生は考え方が少々古いかと・・・
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その先生が自分の愚かさを卑下してそういったのではないでしょうか。



知り合いの東京大学院大学助手(?)なる人は、色んな意味で普通の方でしたし。
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