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中部地方(岐阜)のお話ですが、自分の祖父の家もそうですが、なんとなく山中にある地域の村などの家庭にはよく池があってそこには鯉が泳いでいます。そんな風景が多く見られますが何故どこの家庭も鯉を池で飼ってるのでしょうか。残飯等生活水を川に流す前にきれいに食べてくれると言う意味なんでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

金持ちのシンボル?


田中角栄(田中真紀子の父)が総理だった頃はそういう認識が一般的
だったと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。鯉はそんなシンボル的ないわれだったんですね。

お礼日時:2008/10/15 07:43

蛇口をひねれば水が出る


というのは、最近のレアな出来事。
基本的には、庭先に個人用貯水池が必須でした。あるいは村落で溜池。日本の農村の歴史は、水利の歴史でもあります。(まぁ日本に限らず、人類の歴史は水利の歴史ですが)

貯水池・溜池に発生する害虫(とくにボウフラ)の駆除と動物性タンパク質の確保のために、鯉は必須です。

残飯等
→ 鯉にあげる前に、豚用になります。
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この回答へのお礼

私もボウフラの駆除の為と聞いたこともありました。やはりそうなんですね。

お礼日時:2008/10/15 07:46

いました。

いました。私の親戚(中部地方山間部)の家にも。
錦鯉というやつですね。

実は以前に、ある雑誌で『なぜ黒幕政治家は、鯉を飼うのか?』という
記事を読んだ事があります。

もともと鯉には「登竜門」の故事にならって、江戸時代末期には
武士の家では広く飼われていて、
明治以降にそのステータスに憧れてお金持ち達が飼い始めたようで、
その「豊かさの象徴」にあこがれていたのか、
戦後になって、金銭的に余裕の出た日本人が一斉に飛びつき
1950年代の朝鮮特需から1960年代の高度成長期にかけて
日本では「錦鯉ブーム」というのがあったそうです。

戦後の「錦鯉ブーム」には、1匹数万円で取引される事から
骨董品と同じように「金に変えられる財産」という面があった事も
ブームの一因だったそうですが
1960年代以降には、核家族化が都市部(平野部)で進み、
そのせいで住宅事情が悪くなった事と
鯉は生命力が強いため、数が増えて値崩れが起き、財産的価値が
下がった事で急速に飼う家が少なくなりました。
山間部では、比較的土地が広く、過疎化で住宅の建て替えが進まなか
った事が最近まで鯉を飼っていた家が残っていた理由です。


錦鯉ブームは、中部地方に限らず東北地方以南の日本では
どこでも起きていましたので
中国・九州地方でも山間部に行けば、今でも鯉を飼っている家に
遭遇すると思いますよ。

ブームが過ぎると、家の建て替えのために鯉が邪魔になり
河や沼に勝手に放流する人が後を断たず、
1970年代に、平野部や都市近郊の薄汚れた沼・河川に赤白の派手な
錦鯉を目撃される様になりましたが
目立つ鯉は、野鳥の格好の餌食になりますので、現在では灰色の鯉
ぐらいしか生息していません。
そのせいか野性化した鯉はあまり話題にはなりませんが
結果的に日本の生態系を乱す事になりました。

蛇足ながら
『なぜ黒幕政治家は、鯉を飼うのか?』の答えは
故田中角栄首相が、自宅の広大な庭で錦鯉を飼っており、
鯉に餌をやる姿がマスコミによって広く広められ、それが
「黒幕政治家=鯉を飼う」というイメージになったそうです。
田中角栄の選挙区の新潟は、錦鯉発祥の地で、現在でも鯉の飼育や
出荷が盛んです。
その地元産業の宣伝目的でマスコミの前で鯉に餌をやる姿を見せていた
ようです。
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この回答へのお礼

分かり易い説明で恐縮です。歴史の流れが良く見えます。有り難うございました。

お礼日時:2008/10/15 07:47

岐阜県でも東濃の方でしょうか。

(私も東濃人です)
東濃では、珍しい客や大切な客に鯉料理を出す風習がありました。その名残で旧い家には庭先に池を作り、鯉を泳がせている家が残っています。
可児出身の故亀谷了先生の本でも、それについて触れた話があります(先生らしく、そこから鯉の寄生虫の話になるわけですが)ので、東濃に広く残っている習慣かもしれません。
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この回答へのお礼

はい私の実家は美濃の方です。でも地元の方なだけに説得力がありますね。

お礼日時:2008/10/15 07:50

単なる鯉と錦鯉では多少事情が違うような気もします、錦鯉は専門家が専用に育てないと商品にはならないので、簡単に家の庭の池などで飼うのは商売用ではないと思います。


広い庭があり、池があれば魚でも飼いたくなるのではないでしょうか。
鯉は大きく育ちますし食用にもなるうえ(鶏を飼うのと同じレベル)、飼育が比較的簡単、ただし、見た目が黒で面白くないので、安くてたいした価値の無い錦鯉なども見た目用にいっしょに飼う・・
さすがに、今は食用にはあまりしませんが、昔はご馳走だったと思います。
また、単に趣味として錦鯉を飼っている、もあるかと思います。
錦鯉だと、きれいに育てるには手間がかかるようです。
錦鯉の品評会などでは、安価なのも売られています、気に入った模様のを買ってきて育てている場合もあると思います。

庭の池に大きな魚、きれいな魚がいるなんて、いいじゃないですか。
庭に土地があり、きれいな水も簡単に引いてこられて・・自然が豊富な土地ならではでしょうか、たいした経費もかからずに何となく豪華な雰囲気って感じでしょうか。

あるいは、かつてのブームの名残もあるかもしれません、確かに、年配者が多く、若い人はあまり興味が無いようです。
鯉の滝登り、とか、ありがたい象徴っぽい感じもあると思います。
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山口県萩市などにも堀に鯉を飼っていますが、江戸時代に飢饉などにそなえて鯉を飼っていました。



また、田舎では出産後に鯉を食べると乳の出が良くなると良くいいます。
「鯉の煮こ凍り」=鯉を醤油で煮て冷ましておくと、自らのゼラチン質で固まる料理。や「鯉の洗い」=鯉の刺身で冷水で良く身をさらしたもの。醤油でなく、味噌たれで食べることが多い。
など、田舎料理のご馳走です。
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ANo.6です。

補足させてください。

昭和30年年代くらいまで、まだ、道路の整備が未熟で冷凍トラックなどなく流通が悪かった頃まで、海から遠い山間部のたんぱく質源として、沼や湖のフナや鯉などや川魚はたいへん貴重でした。その中でも鯉は家で飼うことができます。例えば田舎の庭や勝手には小川などが引き込まれ、そこに金網で柵をしておくだけで鯉は飼えます。

錦鯉については、バブル以降の観光ブームで堀の鯉を黒い鯉から錦鯉などに替えたことや、海外の鯉ブームで30年前くらいのブームだと思います。
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うちの母の実家は山陰地方ですが、やはり池があります。


母が子供時代(昭和初期)、お客さんが来るときには祖母に言われて捕まえて調理したそうです。十年以上生きている池の主のような鯉は絶対に食べなかったそうですが、人に慣れて入る為、網を池に入れるとすぐ入ってきて困ったという話も聞いたことがあります。

多分田舎は土地があるため単純に池が作りやすかったことと、昔は今のようにネットやデパ地下でどんな食材でも手に入るようなことはなかったと思うので、貴重なタンパク源でありご馳走でもあったのだと思います。
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各地域で色々謂れがあるようですが、



①縁起担ぎ的意味合い
→「鯉の滝登り」という言葉から、家が栄える、立身出世する或は健康長寿といった謂れから飼われた。

②食用的意味合い
→山深い山間地等では、魚を捕って食べる事が非常に困難であった為、食用として飼育された。また普段は食べないが、天変地異などの時に非常食として食べる為に飼育された。或は、鯉を食べると精がつくといわれ病気の時等に食した。

等の話しを聞いたことがあります。

ご参考になれば幸いですが。
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うちも岐阜の親戚がおり、鯉を買っていました。



似たような疑問を以前からもっていましたが、前テレビでみたら、錦鯉はいわゆる鯉からとつぜん変異できれいな種類が生まれ、それを掛け合わせたりしたいまの美しい鯉になったようです。
このため昔は希少性がありました。

金持ちもしくはある程度の余裕がある家でかつ山の県なので、見せびらかしの意味はあるのだと思います。
でも聞いてみてください。その鯉の中にはかならず黒い鯉もいて、年に何回かは獲って開いて(つまり刺身にして)食べているはずです。
おじいさんも、何度かやったことがあるはずです。

趣味と味覚と両方を楽しましてくれるのが、岐阜の鯉なのだと子どもの頃きがつきました。
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