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終ってしまった理由を知ってる方教えてくださいたのみます

A 回答 (7件)

 18世紀半ばまでに耕地面積が増大し、農業が発達するに連れ、農民は商品作物に手を出す一方で、貨幣経済に巻き込まれて没落する農民が増えていきました。



 その一方で、幕藩体制の大量消費型のシステム(参勤交代や江戸・国もとでの二重生活、贅沢な暮らしなど)があり、しかもその幕藩体制が農民支配に依存していたからです。

 経済的に幕藩体制を支えていた農民たちが没落していけば、幕藩体制が終焉を迎えるのは当然のことです。

この回答への補足

そういう資料とかありますかできればインターネットで

補足日時:2003/01/13 22:45
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明治政府発足の際に(だったかな?)江戸幕府が大政奉還で政権を天皇家に返したからです。


サイトは「大政奉還」で検索すると山のように出てくるので、わかりやすいところを読んで納得して下さい。
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 私が述べていることは、私が大学時代に勉強したことを述べたまでです。

20年以上前のことですからねぇ。

 しかし、この程度のことであれば、高校日本史の参考書に書いてあると思います。ネット上で探すのが、もっと大変ですよ。
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江戸幕府がいつ終わったのかにもよるかも。


大政奉還で終わったと見るなら、大政を奉還したから。将軍職から退いたんでしたっけ?
ゴジョウカク(漢字が思い出せません:汗)で終わったのであれば、戦争(内乱?)に負けたから。
まあ、いずれにせよ、それに至るまでの経緯は色々あるわけで、「理由」ですよね。ん~、

黒船にのってきたペリーさんの脅しに徳川さんはびびってた。
家康さんのころから徳川さんを恨んでいた島津さんと毛利さんが、ここぞとばかりに逆襲を開始。
徳川さんより偉い人、天皇さんを担ぎ出そう。でも島津さん、毛利さんをだしぬいて自分だけ天皇さんと仲良くする。毛利さん恨む。
毛利さん徳川さんに成敗される。
幕府の体制下、不満がたまっていたので、「さばく」だ「きんのう」だと、島津・毛利・徳川さん等のとこの若い連中が京都で暴れ始める。
でもみんな外国が攻めてきたらヤバイと感じていた。
徳川さん、毛利さんに喧嘩を仕掛けるも負ける。
土佐の坂本さんいま喧嘩してる場合じゃないからと、島津さんと毛利さんを仲直りさせる。
徳川さん、今のままではいろいろヤバイので、山内さん(土佐)のすすめもあって、政権を天皇さんに返すことにする。「大政奉還」
島津さん毛利さん、天皇さんを脅して錦の御旗を手に入れ、徳川さんに逆襲をはじめる。
江戸無血開城。
会津で白虎隊自刃
徳川さん函館まで逃げるも降伏。

たしかこんな経過でしたよね。でもなんで「大政奉還」したのか分かんないですね。

あぁそうです。NHKの「徳川慶喜」を見て下さい。もうビデオ出てるでしょう、きっと。これをレンタルすれば、天下のNHKですからばっちりわかるはずです。
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田沼意次によるバブル時代による破産と、松平定信による金縮政策による社会の閉塞感があり、経済的に息詰まっている所に黒船登場!


これによって、幕府に不満を持つ人たちの大爆発。
又 本来日本人の宗教は神道ですが、先進国の仏教と文化(医学・科学等)の押し売りにより、神道が妨げられてきた歴史に疑問を感じていた人々による、現体制(社会)への不満の爆発により、内乱が勃発し。
江戸幕府は黒船等の海外との折衝を知らず危機感を覚え投げ出した感があります。
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 一因として組織の老朽化・硬直化を挙げておきます。


 時代が米経済から貨幣経済に移行しようとしているのに、江戸幕府のシステムは石高による米経済から脱却出来なかった。
 徳川吉宗の享保の改革も末期はその辺りのギャップに喘いでいたように思えます。
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