プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ある掲示板で議論になっています。支那事変(ママ)を遡らずに今から
「大東亜戦争」の一部とするところからして、中国については侵略戦争だと思うのですが、満蒙は日本の生命線だったとして、日中戦争を自衛戦争と断言
する人もいます。自衛の立場でも侵略だったとの立場でも結構ですので、なぜそう考えるにいたったか理由を教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

自衛論にハルノートを持ち出して云々するのはいかがなものでしょうか。

。。
確かにハルノートを突きつけられればルクセンブルクやモナコなど平和を愛する小国でも自衛の為に立ち上がるでしょう。この場合は立派な自衛戦争と言えます。
しかし、当時の日本は平和を愛する国とはいえません。既に10年余りの間(途中に停戦はありましたが)中国を侵略しつづけていたのです。その10年間米英は数々の警告(日本の侵略は九ヵ国条約違反の為)を発しますが日本は無視し続け、結果として経済封鎖やハルノートに至ったのです。
封鎖されるべくして経済封鎖され、突きつけられるべくしてハルノートを突きつけられたのを、日本の自衛戦争に結び付けられるでしょうか。

又、ソ連の脅威があるからといって、日ソ両国間の間にある国を占領してよい、ということにはなりません。
日本の国防上、満州国や華北分離工作は必要な措置であったかもしれませんが、それは中国を無視した日本の自己中心的・独善的な考え方です。

「満蒙は日本の生命線」だったのでしょうか。。。
この言葉は柳条湖以前から言われていたようですが、当時の満州における日本の既得権は、関東州(遼東半島の先端部分)と満鉄付属地だけであり、面積比で満州全土と比べればハナクソ程度のものです。とても生命線などと呼べる代物ではありません。
この言葉の裏にある日本の本音は、「小さな既得権だがこれを獲得する為に数十億の国費と百数十万の英霊の命を費やしているので易々とは手放さない。」という自己中心的考えがあるだけにすぎません。
又、満州族が東三省(満州)を中心に住んでいたのは清朝前半までのことであり、清の中国統一後に民族の流入出が起きた為、柳条湖の頃には東三省にいる満州族の割合は1割にも満たないものでした。満州国の建国は満州族の自主的独立を助けたものだ、などとは言えないはずで、石原莞爾などが考え出した対外向けの宣伝文句に過ぎません。
    • good
    • 0

補足です。


#3での自衛的意味合いとは「自衛戦争」の定義を言っているのではなく、自衛の目的であったかどうかのことです。
これは、ソ連(ロシア)の拡張主義とハルノートを前提として言っています。
ハルノートの内容を全て飲むとなると、アメリカの属国になることを即意味していると思います。ここは意見が分かれるところだと思いますが、少なくとも、それまでの経済が保たれると考えることは当時として困難だったでしょう。そのまま、国力が衰退してソ連の支配下になる恐怖は当然抱くのではないでしょうか。
ハルノートを拒絶すると(ハルノートの内容がそのまま実行されるとしたら)石油がこなくなるわけですから、日本の生存は困難で、そのままソ連の犠牲になったことは容易に想像できます。
戦後にソ連が北海道を要求したように、ソ連の領土拡張の意思は確実で、当時はリアルに植民地への恐怖があったのではないでしょうか。それが満州国につながったと考えられるのです。

ちなみに、ハルノートは正式文書ではないわけですし、まだ外交手段があったと思っていますし、日中戦争は自衛の目的も役割もないと思っています。

余談ですが、#7のこの場合の定義「他国に武力をもって入っていって、その国の主権を侵す」は新しすぎる定義のように感じます。主権のない場合、つまり新大陸の先住民(アメリカ・カナダ・オーストラリアでの先住民族との土地問題は未だ続いていますよね)や既に植民地になっていた領土の場合について定義されていません。例えば、植民地の主権は宗主国ですから宗主国にとって侵略ではあってもその国にとっての侵略ではないことになります。定義により単純に解釈しても、現実は簡単にはなりません。ビルマ(ミャンマー)とかでは解放者と扱われたりしているのですから、「侵略」の定義を個別の事例のほとんどに該当させようとすると難しいものです。
    • good
    • 0

質問のお答えになるかどうかはわかりませんが、侵略戦争だと思います。

単純に、「他国に武力をもって入っていって、その国の主権を侵す」というのが「侵略」だと思っていますから。自衛戦争は、それに反撃するものでしょう。(反撃の一環として、相手の国に入るのはどうだ?と聞かれると、ちょっとだけ悩みますが、今の話とは関係無いですね。)
(例えば)ヨーロッパ列強のアフリカでの植民地争奪戦も、当然「侵略戦争」と言うべきでしょう。

後は蛇足みたいなもんですが、
・ 「ブロック経済」、「帝国主義」の当時からすると、日本が植民地になる可能性は高かった、というのはちとつらくないですかね。例えば、日本の対英米輸出額は、満州事変のあった1931年からは順調に回復し、1937年には大恐慌直前のレベルを上回るところまで戻っていますから(参考URLの前のほう)。国際連盟を脱退した後ですら、貿易は伸びていた、という事です。だから、「状況が悪くなっていって、ついにやむにやまれず」というパターンには、私には見えないんです。
それに第一次大戦後、建前としては「民族自決」という事になって、「剥き出しの帝国主義」は退潮期に入った、と考えるのが普通だと思います。第一次大戦後には、それなりの経済的・軍事的地位を築いていた日本が、「植民地化」の危険性が高かった、というのは、どうですかね。(「列強としての地位を守るためには」というのなら判らない事もないけど、それを「自衛戦争」というのは結構つらくないかなぁ)
・ 「満蒙生命線論」に関しては、石橋湛山の満州論のような議論(『満蒙』の経済的価値を否定している点にご注目ください)もありますから、ご参考まで。(参考URLの後のほう)

参考URL:http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/yusyutu.h …
    • good
    • 0

列強でないということは、生殺与奪権を他国に握られているということです。


北欧についてはバルト帝国崩壊後、フィンランドは自治権こそ与えられていましたがロシアの支配下になっていますし、ノルウェーはスウェーデンの属国ですから、スウェーデンの中立のことを指しているとは思いますが、もともと列強でありロシアとはフィンランドを見捨てることで妥協ができていますから、地理的に見て他の列強の侵攻が難しかったためだと思われます。日本に応用するのは難しいでしょう。北海道をソ連(ロシア)に差し出すようなものですから。
南米については、南米を主に支配していたポルトガル・スペインの没落と南米には様々な民族・国家からの入植者が入ってきていたわけですしすでに白人支配が固まっていたり混血が進んでいたりと、再度、植民地にしずらかったということが原因でしょう。
また、ポルトガルのように、大国から滑り落ちると、イギリスやフランスの支配を受けたりしていますから、国力(軍事力)を維持できるかが独立の決め手になります。
人種差別撤廃については、戦前からあった奴隷制反対運動→第二次世界大戦→植民地独立時代の流れを無視して、戦後突然に戦争の影響とは関係なく誕生したというのは論外です。これこそ「きちんと史料を読み、考えていった結果が本人にとって受け入れがたいものであったとしても、それを違うと強弁し、史実と異なる方向にねじ曲げようとしても意味はありません」ということではないですか。
ブロック経済の崩壊と自由貿易の誕生が戦争の反省から生まれた事については反論がありませんので、同意してもらっているとは思います。
確かに、アメリカの援助も国民の努力も戦後の繁栄に不可欠ですが、だからといって自由貿易なしでも繁栄できたとは思いませんが、別な要素もあるから、その要素は無意味だとかいう論理は変ではないですか。
同じように、戦争を避ける手段が在ったから自衛戦争ではないというのも強弁でしょう。その戦争が自衛の意思で始まったか、自衛のための有効な手段であったかが問題にするべきことがらです。
    • good
    • 0

No.4さんに質問ですが、


>武力・軍事力によらない問題解決の道があったのではないか

ハルノートを突きつけられた日本は平和的に解決するのにどのような方法が
あったのですか?

平和的解決をするために日本はかなりの譲歩をしていますよ。
それ以上の事を米国は日本に要求しています。
いくらこちらは和平を望んでも相手が戦争を望むなら戦争はしかたがなかったと思います。
    • good
    • 0

議論になることを避けるのであれば無視すべきなのでしょう・・しかし、#3の方の考え方が典型的な自衛論ですし、これをあとからお読みになる若い方に対しての責任がありますから、あえて書かせていただきます。



揚げ足をとったり、詰まらない些事をとりあげての話にしたくありませんが、まずはこのような議論をする方の無意識の思いが出ていますので指摘させていただきます。

>植民地にならずに列強として生き残る
             ^^^^
日本が植民地になる可能性が一番あったのは幕末維新のときです。英によるインドの植民地化、仏によるヴェトナムの植民地化などの過程を見れば国内の内乱、あるいはそれに準じる争いが植民地化のきっかけとなっています。日本においても戊辰戦争という内乱があり、それに乗じて英仏などが兵を動かす可能性があったのにもかかわらず外国の干渉を受けずに乗り切ったのは、幕府側の勝海舟などの、倒幕派の西郷隆盛などの見識によるものが大きいと思われます。それはさておき、一番の危機を乗り越え、日清・日露・第一次大戦を戦ってまがりなりにも西欧諸国に認められる国家に成長した日本にいかなる植民地化の危機があったのか私には疑問です。「列強」でなくなる危機はあったでしょうけど。

>領土の拡張を侵略戦争と定義すれば、中国、ロシア、アメリカ、カナダ、オーストラリ
>アなどは完全な侵略国家です、もっと言い換えれば当時、植民地でなかった国家は全
>て侵略国家ではないでしょうか。
この議論には弱点が少なくとも2つあります。一つは、いつの時代のどのような行動を領土拡張と考えているか明確でないこと(名前のあがっている中国・ロシア・アメリカについてもそうですが、特にオーストラリアとカナダの侵略行為を明示して欲しいですね)。今一つは、例えばスペイン・ポルトガルの植民地から19世紀前半に独立した南米諸国のように、植民地でもなく、侵略も行わなかった国家の存在を無視、または忘れていることです。もちろんそうした国は他にもあり、スウェーデン、ノルウェーのような北欧の国もありますし、第一次大戦前にヨーロッパ諸国の領土拡張の的となったオスマン・トルコ帝国の後裔であるトルコ共和国などもあります。

なお、別の観点から論点になりそうなところを指摘しておきますと
>戦後の繁栄は、第二次世界大戦の反省により、自由貿易と人種平等が認められたから
ここにも論点はいくつかあります。「反省」をしたのはどこの国か。「自由貿易と人種平等が認められたから」と書かれていますが、それが日本以外の国にも当てはまるかどうか。あるいはまた、人種平等が第二次大戦直後に(直後というのを20年程度の幅をとったとしても)果たして認められたといえるかどうか。一例として1960年代のアメリカ合衆国における「公民権闘争」の存在をあげておきます。

あらためて戦後の繁栄について言わせてもらえば、東南アジア諸国・南アジア諸国なども同様に戦後に繁栄したといえるでしょうか。遅れて独立したアフリカ諸国などについても同じ疑問が成り立ちます。戦後日本の繁栄はアメリカとの軍事同盟の下で(もっと有り体に言えばアメリカの保護の下で)アメリカの援助によって始まり、それを受けた日本人(現在60歳から90歳ぐらいまでの方々)が経済繁栄に向けて努力した側面が大きいと思います。また、ドイツやイタリアも急速な復興を遂げ「奇跡の経済回復」と言われたことも忘れてはならないでしょう。とは言え、この繁栄についてはさまざまな議論が成立することも確かですが。いずれにしろ、#2において私の言いたかったことの一つは、「武力・軍事力によらない問題解決の道があったのではないか」ということであり、当時の問題の解決策がただ戦争のみであるとは思えないということです。

ついでながら、私は英仏などが侵略によって領土(植民地)拡張や権益の拡大をしなかったとは言っておりません。また、19世紀末から世界は帝国主義の時代に入って、植民地獲得競争を行い、第二次大戦が独伊日による植民地再配分(世界新秩序)を求めてのものであったことも否定しませんし、問題の解決法として軍事力を用いるのが当然とする時代の風があったことも確かです。だからといって、実態が侵略戦争であるものを自衛戦争であると言おうとするのは牽強付会であろうと思います。

あとからお読みになる方々は、私が上に述べたようなさまざまな問題点、疑問点についてご自分でお調べになり、その上で侵略戦争であったか、それとも自衛戦争であったかの結論をご自分で考えることにより求めていただきたいと思います。
    • good
    • 1

第二次世界大戦前の殆どの戦争は侵略戦争ではないかと思いますが、日本の第二次世界大戦への参戦は自衛的意味合いが強いのではないでしょうか。


戦後の繁栄は、第二次世界大戦の反省により、自由貿易と人種平等が認められたからであって、ブロック経済・帝国主義時代の当時としては植民地へと転落する可能性は高かったと思われます。当時としては侵略戦争が植民地にならずに列強として生き残る自衛のための戦争であったのではないかと考えられます。
満州の建国は侵略であると同時に自衛のためのロシアの封じ込めの一環と考えてもよいかと思います。
ただ、満州国は国際世論の賛同を得て進められていますが、華北・華南への進出はよく目的が理解できません。
領土の拡張を侵略戦争と定義すれば、中国、ロシア、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどは完全な侵略国家です、もっと言い換えれば当時、植民地でなかった国家は全て侵略国家ではないでしょうか。
    • good
    • 0

「大東亜戦争」にしても、「支那事変」にしても、明確に侵略戦争です。



というのは例えば「満蒙は日本の生命線だった」というのは日本側の勝手な理屈であり、議論をする為だけのの言い分であるからです。単純に言ってしまうと、敗戦により満蒙(この地にも日本は侵略して進出したのですが)はおろか、台湾も朝鮮半島をも失った日本の現在の繁栄をどう説明すれば良いのでしょうか。植民地を失って出来たことが、植民地を持っていたとしても不可能であるとは思えません。つまり、協調主義をとっていてもそれなりの成果があったはずと私は考えるからです。

あの戦争を「自衛戦争である」と言いたい人は「侵略=悪」であるという認識はありながら、またそれ故に、「日本が侵略を行った」ということを正面から受け止められず真摯な反省を個人としても国としても行いたくない、というような思惑があると思います。

日中15年戦争から始まり太平洋戦争にいたる日本の戦争について、その原因や理由を考えることは重要なことであり、きちんと反省すべきであると思います。同時にきちんと史料を読み、考えていった結果が本人にとって受け入れがたいものであったとしても、それを違うと強弁し、史実と異なる方向にねじ曲げようとしても意味はありません。自分に都合の良い史料だけを出してきて議論するような態度は知的な態度とは私には思えませんし、そのような方とは論争になるようなことをしたくありません。
    • good
    • 0

中国という国の見方にもよると思います。


中国は多民族国家です。
例えばユーゴスラビアが分裂しクロアチア等に分かれようとして内戦の時期が有りましたが、それと同様で満州は中国漢民族に支配されていたと考えると、満州の民族には、独立を考えるのは当然です。
それを支援し、日本の属国としていた背景によるものです。
どちらの立場で物を見るかです。
満州族?漢民族?
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!