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話をするにも、文章を書くにも、「それは~かと。」を使う知人が居ます。
私はこの使い方が気に入らず、「では、それは、~ではないかと自分は思います。という事なのか。」と問いただして見ました。
回答は、「いや、自分は断定したり、思ったりした訳ではない、そうではないか、と世間一般的なことを例に出したまでだ。」という何とも曖昧な、自分の言葉に対して責任を持たない、逃げるようなものでした。

私は、この「~かと。」という話し方、書き方に非常に違和感を感じるのですが、皆様はどのようなお考えなのでしょうか。今後の会話の参考にしたいので教えて下さいませんか。よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

断定嫌いなので言い切りを避けたがる日本民族の総代ですよ、その人は。


「思う」を省略したそのような文末で発言を終わるということは、
卑怯者であり、無責任であり、男らしからずとも自信が無いとも言えます。
国際的な活動は決してできぬ人ですね。
英語はもちろん絶対できませんよ、そんな人は。
global社会不適格者ですね。

日本語の構造では文末を言わなければ何も言わざりしことと同じです。
それゆえ、その人はとんでもない、伝達拒否思想人間ですよ。
ならば口を開くべきにあらず。
山奥で一人で隠遁生活をするしかありませんね。
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この回答へのお礼

はっきりしたご意見、ありがとうございます。
知人と実際に話をしているとイライラします。~かと。と言わなくてもいい会話まで、かと。と付けます。実例ですが、「大福と饅頭のどちらか選べ。」「どちらかというと大福の方がいいんじゃないかと。」「大福!と言えばいいじゃないか。」
もっと酷いと、電車を使う時にも、「どの駅まで行くんだ。」「~駅かと。」「おい、自分が行く駅を断言できないのか。」と言った状態です。
口癖に近くなっていますが、会話にしても文章にしても、かと、かと、ばかりなので、たまに怒鳴って怒ってしまう事もあります。
憶測を含んで、断定することに問題のある会話内容なら、「かと、」を使っても「思われます。」を省略しているな、と判断するのですが、自らが決断した事にまで「かと、」を付けるのは異常に思えてなりません。
爽快なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/25 21:32

既出の回答者諸氏の書き込みを拝見しましたが、総体的に「変」と感じてるようですね。

私自身もそう感じますが、これも一種のネット社会の弊害のように思います。特に2チャンネラーの間ではこう言う言い方(書き込み)をするのが一種のステータスのようになっているようで、多分、質問者さんが違和感を持たれている相手もここが元になっているものと思います。

この「~かと。」という話し方に限らず、最近の若者言葉やネット上での書き込み自体、日本語の使い方がおかしくなっています。以前、「ら抜き」言葉が話題になりましたが、私はいまでもこの「ら抜き」が大嫌いで、中でも「食べられる⇒食べれる」と言うのを聞くと、違和感どころか憤り感さえ覚えます。ただ、この「食べれる」と言う言葉も、今では正当な言葉のようになってしまっており、長年使っているとこれがごく当たり前のように使われ、一つの言葉として定着してしまいます。

このように今回の質問にある「~かと。」と言うのも、いずれは正当な言葉として定着してしまう可能性を持っているかもしれません。言葉遣いや書き方のかっこよさを勘違いして使用しているように思いますが、今の若者(に限ったことではないですが)はみんなと同じではないと取り残されると錯覚し、まわりの人間と同じように振舞おうとする傾向にあるようです。周囲の女子高生なんかを見るとみんな同じ服装で、画一化されており、個性と言うものを感じません。没個性と言う状況が話し方にも影響しているように思います。

その知人さんも同じ状況下(掲示板サイト)で、みんなと同じように振舞いたい(振舞わないと取り残される)と思い、このような使い方をしているのではないでしょうか。質問者さん本人が違和感を覚えるなら、それは質問者さん自身が正しいと思われる使い方をしている証拠ではないでしょうか? 私は絶対「食べれる」とは言いませんよ。

何を言いたいのか自分でも分からないような書き込みになってしまい申し訳ございませんが、回答としては「変だ」と言う事にになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
このご回答に対しましては、色々考えたのですが、適当な文章が出てきません。なんと返答してよいやら。困りました。取り急ぎお礼申し上げます。お話はとても理解できる事でした。

お礼日時:2008/12/29 19:03

こんばんは。


使い方に自信があるわけではありませんが。
私自身は「かと……」という表現は、目上の方にそれとなく悟っていただきたい場合に使うものだと思っていました。

食事でのマナーのことですが、おしょうゆやナフキンなどは遠くの者が手を伸ばしてとらず、近くの人にとってもらうものなのだと聞いたことがあります。その時に、近くの人が目上の場合「○○を……」と語尾をあえて言わずにおくものだと聞きました。
日本の文化として、目上の方には自分から物申すことを避ける一面があると思います。
ただ、基本的には多用するものではないと私も思いますし、知人という立場同士ならば、使う必要はないように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。きっと、ご回答にある使い方が本来の好ましい使い方だろう、と私は感じました。口癖になってしまい、それがかっこいいと思いこんでいる知人と会話していると、怒りが込み上げてくる時が多々あり、昔の会話に戻れないものかなあ、と溜息が出てしまいます。
ご意見、参考になりました。感謝いたします。

お礼日時:2008/12/27 18:16

No.4さんの意見に同意します。



「私はこう思ってるのですが、あなたは違うのですか?」
という、反論を含んだ意味あい。 また、

「私はこう思ってるのですが、世間もそうです。」
という、いわば「逃げ」。

どちらを意図しているかは、そう言った本人の立場でないとわかりませんが、私も多用は相手に困惑を与えるので、積極的に使うのは良くないと思います。
ただ、アイマイな表現にしておくのも、断定による硬さ・押し付け感を柔らげますので、決して「ダメ!」とは言い難いですね。
・・・この回答自体、曖昧ですみません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私はダメと切り捨てる考えまでは持っていませんが、何でもかんでも曖昧なままで、攻撃はするが自分は逃げる、といった悪意の籠もった使い方は嫌です。
使い方に問題があり、本当に必要な場面で奥ゆかしい使い方ならよい効果を生む事でしょう。
ご意見、参考になりました。

お礼日時:2008/12/27 18:08

私も大ッ嫌いです!


な~んかエラソーな印象しかないですね。何様!?と思います。
単なる省略だとしたら、省略する理由がまたサッパリわかりません。
そんなヘンな言葉、一体いつできたんだろう?と思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この質問をしてからはっきりしたのですが、多分、悪意ある逃げのための「かと。」だったので不快になってしまったのだと思います。
知人はネットで某掲示板に頻繁に書込みをする事を覚える前は、自信はなくても、普通に、「そうじゃないかなあ、と思うんだ。」という話し方をしていました。「かと。」を連発するようになったのは2年ほど前からです。

察して欲しい、奥ゆかしい話し方ならもっと丁寧です。先ほども少し話をしたのですが、「かと。」で会話が終わるのはかっこいいと思わないか。という返答で、そう思っている人は多いんだろうな、と感じました。

私の考えが古くて、こんな些細なことで口喧嘩になる事が変、と言われればそれまででしょう。ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/27 17:59

私の文章の中で「と思います」を使っていますが、「かと」はこれの省略形ですね。

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この回答へのお礼

ご配慮ありがとうございます。よくわかりました。

お礼日時:2008/12/27 17:42

私もよく使います。


これは一種の婉曲表現ですよ。他の方も言っていますし、本人もそう言い訳しています。

ただ毎度毎度使うと無礼な印象になって質問者様のように怒りを買いますから気をつけています。
それに文章では自分の意見がどっちなのかはっきりしない(逆にとられかねない)場合がありますのでやはり気をつけています。
しかし婉曲表現が全部いけない、なくすべき、かというとそれもまたおかしな話と思います。

結局その友人の口癖になってしまっているのが人をバカにしているようで耳障りだという事だと思います。
何となく「オレは物をわかってるんだけど」「お前とはこの問題で正面から付き合う、議論する気が無い」というニュアンス、態度の悪さを感じますからね、度が過ぎると。
ある程度近しい間では婉曲表現は気をつけて使わないとかえって失礼になりやすいですね。
またいつも近くに居るとなんでもないことでも気に障ってしょうがない場合もあります。
拒絶する側にも気持ちの事態の分析や心づかいみたいなのは必要ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「かと。」を連発する人間と会話していて率直に感じる事は、「オレはお前みたいなバカと会話する気はないんだよ。」とビリビリ伝わってくる使い方をすることです。攻撃するための、そして、自分は安全圏に逃げ去るための「かと。」を使う。断定はしていないんだから、「お前バカだな」と言われたと感じるのはその人の勝手。自分は一言もそんなこと言ってないよ。という自分にだけは優しい使い方です。

奥ゆかしく、「自信が持てないので察してください。」という使い方をする時は、同じ「かと。」でも発音と含まれた感情がまったく違います。文章でもその前後を読めば察しがつきます。

この質問をして沢山の人から回答を頂いて、使う人だけに優しい悪意ある使い方と、奥ゆかしく察して欲しい使い方があることがはっきりしました。質問した甲斐がありました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/27 17:41

断定的口調の回答で人を信じ込ませたが、結果は間違っていた。


あいまい口調の回答をしたが、結果は間違っていた。
両者ともに責任を取らなかった。
このコミュニティでは責任を取ろうとしてもとれません。
断定的口調の方が悪いかと。無責任かと。
断定的口調の人=責任を取る人 ではないようかと。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。断定する会話、文章よりも、判断は相手の善意の憶測に任せる会話、文章が好ましい、と感じていらっしゃるのですね。凄く参考になりました。

お礼日時:2008/12/25 21:46

直接的に言うと角が立つからではないかと。


性格的にやさしい人ではないかと。
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この回答へのお礼

驚きました。そのような考え方もあると今知りました。ご回答ありがとうございます。
直接回答を避けたい、責任を回避したい、論争したくない、言語は他人からの引用だと印象付けたい、自分の意見に自信も責任も持てない優柔不断な人間だと判断してしまいます。私の場合、会話していると「こいつ、オレをバカにしているだろう。」と思う事が多々あります。余計角が立ちます。性格的に優しい、と思う人もいるのですね。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 22:42

場合によります。


「かと」で言いさすのは一種の朧化表現であることは間違いないので、たとえば裁判やビジネスなど厳密な事実や意志が問題となる場合に多用するのは問題だと思いますが、日常会話で使うぶんにはまったく気になりません。

こういう表現は日本語の特色の一つととらえれば、それほど気にならないのではないでしょうか。
『源氏物語』でも『徒然草』でも、たとえば「…とかや」で言いさしたりする例なんてそれこそ山のようにありますし、逆にそれらをいちいち厳密に言い切っていたら、奥ゆかしい雰囲気のようなものがだいなしになってしまうということもありえます。
国際化の時代にそれでいいのか、という考え方は当然あると思いますが、「そこまで言わなくても気持ちが伝わる」というのが日本語の便利さでも美しさでもあるし、そのような場合に「それは…という意味なのか」などと問いただしてみたりするのは、日本語のわからない野暮なやつ、と思われるおそれもなきにしもあらず。

まあ、考え方は人それぞれではありますが…
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この回答へのお礼

そのように奥ゆかしい雰囲気だと判断している人もいらっしゃる事がわかりました。私の場合は、知人は何でも「~かと。」で話を終えるので、非常に耳障りで、質問してみました。

奥ゆかしい優雅て耽美な世界なら構わないのでしょうが、その場で本人の意志を確認している場合や、お客様の質問に回答している時まで、~かと。を連発するのは優柔不断・不愉快と思われても当然だと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 22:32

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