よく、スポーツ選手のインタビューなどで、「攻める気持ちを忘れない」というのを聞きますが、その逆はどうも聞きません。相撲や、ラグビーの「前へ」とかいうのも、この類ですね。実際の勝負は、守り勝つということもよくあるはずです。相手によっては「自滅を避け極力相手を自滅に追い込む」という戦略もある。もちろん相撲で引き技も有効であり、ラグビーでも時として一本やりな攻撃より意表をつくことも有効。
もちろん、その基本は攻める姿勢、前への圧力であるとは思うのですが、それにsてもなぜ、なぜ、「後ろへ」とか「横へ」とか「守る気持ち」を前面に出してはいけないのでしょうか、あるいは、ないがしろにさえする傾向がある。
あるいは、この姿勢がステレオタイプ的に繰り返される心理的メカがあるでしょうか?
No.6
- 回答日時:
補足意見として書かせて頂きます。
通常は、呪文のようなワンフレーズと、前に述べた哲学的要素の中間を言うのですね。
ワンフレーズが100、哲学的要素をゼロとした数直線を引くと、
大体90~80くらいの言葉がいいのではないかと個人的には思うのです。
ただ、これは対象となる人によって、このバロメータを変更する必要はあります。
私としては、
「元来勝つ資質と資格がある私達が、苦しい練習、訓練に耐えてきた。
この試合に勝利する権利がある。義務もある。」
で、この後に各パートの人間に具体的な案で声をかける・・・。
などなどが、有効なのかなー、と思っておりますが、
きちんとそうした指導教育を受けておりませんので何とも言えません。
配下のチームの士気が萎えているのにも気付かず、
「気持ちを前へ」「前進しろ」というワンフレーズのみを連発する人は、
チームの士気というのも勝利に直結する要素である為
指導者として工夫が足りないと言わざるを得ません。
※但し、選手が既に士気が充分に上がっている場合を除く。
----
戦う事の意義を教えられた兵士が、ただ単純作業を命令された兵士よりも強くなるというのは、
日露戦争時のロシア軍内で証明されております。
また、更に戦争を例に引き出すと、
ローマ時代に、カエサルとポンペイウスが激突した際に、
戦線を破り、カエサル中央軍を叩く為に投入したポンペイウス側の騎馬軍団に対し、
カエサル側は第十軍団に「守りきれ」と命令し、第十軍団に騎馬軍団を包囲させ、
通常は戦略的にポンペイウスの勝利と思われた所を見事に死守し、
カエサル側の勝利を導きました。
カエサルの第十軍団はよく訓練されていた文字通り百戦錬磨の軍団であり、
カエサルの戦争をする意義についても充分説明を受けていた+軍団兵士に練りこまれていたので、
ここから先は私の想像+余談ですが、ポンペイウス戦では第十軍団は
その時の戦争の意義についても、そして作戦についてもよく聞かされていた上での
戦争であったから勝利に導く事ができたのだと思います。
----
戦略的後退や拮抗状態を保つというケースは、
最終的な勝利に繋がるのであれば、それはあるのかもしれません。
どうもありがとうございます。
哲学的、ワンフレーズのたとえはよくわかりました。こういう場合にほとんど大脳不在言葉って言うのは有効なのかもしれません。
戦う意味合い、というものも勝利に貢献するものです。そのとき「守り」という柔軟性拡大解釈も可能ですね。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
#3です。
再度回答致します。前回と同様、私見の回答で、一般論でない事に注意して下さい。
>なにか呪文のような無意味な言辞になっている可能性がある
ここですが、経験則ですがこれは選手によって効果が得られる言葉が違うのです。
勝利を得る事を基本的な目標とし、それに疑問を持たない選手には「前へ」という言葉を暗示的にかける事により、同じ方向を見てプッシュする人間がいるんだぞ、お前さんに協力している人間は沢山いるんだぞという精神的な支えを作り出す事ができます。
優秀な選手はここに疑問を持たないケースが多かったように思います。
理由抜き、理屈抜きで勝利を本能的快楽として捉える才能を持つ人間です。
これは皮肉ではなく、スポーツをする上での基本的才能の一つなのです。
こうした人間には「呪文」を唱えるだけでその効果が現れるので良いと個人的に思います。
しかし、ここを深く考え込んでしまう人間にはこの言葉は向きません。
競技とは何ぞや、勝利を得るのが第一目標で・・・という所から説明するのですが、如何せん話しが長い+説明下手な為か余り聞いてくれません。
私もそうした深く考え込んでしまう一人であった事を告白するのですが、「勝利を得たい」というスポーツに必要な基本的本能が本人に備わっていない場合には、本格的な選手にするには不向きなのです。
こうした私を含めた人間達は「こういう理由で『前へ』と言っているんだよ」という説明が欲しいのですね。
これを競技向きの人、競技向きでない人に分けた場合、競技向きの人達には『前へ』という言葉はプラスになるのですが、競技向きでない人達には、『前へ』という言葉は本人にそうした意欲が元々備わっていないので理由を述べなければならない状況になります。逆に理由も分からないのに上からの『前へ』という命令に従っていると強制された勝利となり、本来獲得すべき、勝利による本人の快楽足りえません。
競技向きでない人にとっては、この言葉には自分が動きたいとは思わない方向へ強制的に動かすニュアンスがあるので、ストレス、抵抗を感じたり、あるいはそれに従う事で何故これをやらなければならないのかという疑問から心理的葛藤に陥り、精神的スタミナを消費してしまいます。これは明らかに選手にとってマイナスの要素となりますので、事前に対策を打つ必要があるのです。
ですが、スポーツの指導などは、その構造上トップに立つ人間の指導方針が上意下達的に伝わりますので、「前へ」という姿勢が競技スポーツを行う人間全員にあるという前提で実施する事になります。なので、その中間で説明が省かれるのですね。
逆に、競技向きの人にこうした説明をしても「ふーん、だから? 」「それはいいから、勝つ戦略とか考えてないのか」という反応が返ってくるのが目に見えます。ですので、競技向きの人には精神的に応援している、後押しをしているという呪文をかければOKだと思っております。
いろいろと個人的意見を述べましたが、雑感はこんな感じです。
これは、みごとなご回答ですね。
大変納得しました。
要は、スポーツ向きの言葉、そうでない思考がある、そこのところをクリアーにしないと混沌に陥るということです。なんでも、その場所向きの言葉とそうでないものがありますからね。一種の集団催眠のようなものでしょうか。どうしても勝ちたい、その執念エネルギー闘志が旺盛な人間(向き)な人間がいる一方、私のように(ご回答者様のように)勝負にこだわるよりも、真理を追い求める?という人間もいる。
同時にした拙質問「ドンマイの心理」にも通じるお答えだったと思います。この集団催眠的文脈という考え方でそちらも説明できる気がしました。
No.4
- 回答日時:
>「守りきれ」と言われても結構意欲湧きますけどね。
:試合に臨むということ自体が攻撃態勢ですからね。
守るだけのスポーツというのは無いでしょうし、相手を攻撃するのがスポーツでしょう。
戦略としての守りはわかりますが、あくまで二義的なものではないでしょうか。
圧倒的に自分の非力を認めた場合などですね。
非力の状態を試合で露呈しなくて済むように厳しい練習をこなすわけですし、
最初から守りが眼目であるなら、そもそも試合に臨む意味があるのだろうか、ということになりそうな気もするのですが。
尤も、やってきたことを信じてとことんやってみろ。
といったような精神論は含まれているのでしょうね。
つまり、それだけの努力を普段からやっていることが前提になりますから、そういった意味での自信というか自負というか、そういったものも攻めの姿勢強調に一役買っているのかもしれません。
再度投稿ありがとうございます。
たしかに、攻めという姿勢がないとスポーツとして成り立たない、必然性がある言葉だと思う半面、おっしゃるような精神論、大脳不在の呪文に陥っている面もあるきがします。人を動かす方便とか。
No.3
- 回答日時:
私見・散文・長文ですが、一助の参考になればと思い、回答致します。
基本的にスポーツとは点を取り合った結果で勝敗を決する、という
人間の本能的部分を社会活動に変換した行動様式です。
スポーツの目的としては、必ずどのような状況でも競技者である互いのチームが勝利を目指さねば、
その存在意義が失われてしまいます。
攻めるという意味は、言わずもがな「点を取る」という事ですが、
攻が「得点する」
守が「失点しない」
と言う意味に置き換えて検証してみます。
球技などでは、一点を取得したらそれで終わり、というような一発勝負の競技は普通にはなく、
通常、球技などのスポーツでは得点を取得するターンが複数存在し、その構成戦略上では
(1)「この相手に対して、このパターンで攻める方が一番得点を取れる確立が高い」(得点パターンの確立)
(2)「この相手に対して、このパターンで守る方が一番得点を取られる確立が低い」(失点パターンの防止)
という戦術をより繰り出した方がシステム的に勝つ、というのが基本戦術なのだと個人的に私は思っています。
これを相手に対して続けられれば、自然と作業工程上自分が勝つ仕組みが構築されます。
そしてこれら二つとも気持ちとしては「前進」をイメージしなければなりません。
とは言っても、実際のフォーメーションが前に移動するのではなく、
「ポイントを取り、勝利に向かって前に進む」というのが根底にあるのです。
「後ろへ」というイメージは「敗北に向かって後退する」というイメージがあるので
競技者が持っている事を想定した場合、そもそも勝利する事を最終目的として参加する
競技としては成り立たないのです。
必ずしも勝利が最終目的ではないスポーツもありますが、対戦相手がいる種目であれば
それは自然とレクリエーションから競技へと洗練されるので、
勝利が目的となります。
----
また「守る」という気持ちがスポーツで全く無い訳ではありません。
但し競技者が直接持つ「戦術」上の気持ちよりも、「戦略」上に近い部分のイメージになります。
例えば、日本プロ野球にハマの大魔神佐々木がいましたでしょう。
あの人が試合の終盤に出られると相手チームはなかなか点が取れない
=守るというイメージに近いものがあるかと思います。
なので、横浜と試合をするチームは佐々木が出たら守りが堅くなってしまうので、
その登板前に点を取る、という作戦を練っていたと聞いています(うろ覚えですが)。
----
サッカーワールドカップでもありますね。
前2試合で勝ち点が溜まっており、今の試合は何もしなくても決勝に行けるので、
守りに徹する例など。
但し、飽くまで「前2試合で勝ち点が溜まった」という、
「既に勝ち組」という状況があるからこそ、守りに入れるのであって、
負け組であれば攻勢のスタイルを通さなければなりません。
攻めて、結果を取得したからこそ守りに徹する事ができるのです。
----
ちょっと見方を変えます。
説明の為、Aが自分、あるいは自チーム、Bが相手、あるいは相手チームとします。
仮に、ある程度点を取った状態で、「こちらが攻撃すれば向こうもその倍の意気を持って反撃して来る」
というのであれば守りに徹すればいいのですが、多くの場合そうではありません。
どんな状況でも相手は隙あらば弱点をついてきますし、こちらが攻勢でなければ、
守勢に立たされる事もしばしばです。
「攻撃は最大の防御」とよく言われますが、このパターンが野球以外の殆どの球技で
攻防一体になったゲーム形式を備えているからです。
ですので、私なりに質問を読み替えて、
スポーツでは、「(2)失点パターンの防止」が「(1)得点パターンの確立」よりも優先されないのは何故か、
と言う形にすると、
・(1)得点パターンの確立をせず、(2)失点パターンの防止のみにすると、
そもそもスポーツとして成り立たない。
・(1)得点パターンの確立よりも、(2)失点パターンの防止を優先する、という事を考えると、
これで勝利の公算が大きくなるのであれば良いが、相手の持つ戦術、戦略が不明確なのも手伝い、
このプランが必ず取得されるとは言えない。
(既に勝っている状況があり、それを存続させたい場合を除く)
となります。
----
AとBの話しに戻しますと、
Aは(1)得点パターンの確立、(2)失点パターンの防止を図る。
この状態で望めばゲームの作業工程上、勝利を得られますが、
通常は相手(B)も黙っておりません。
得点を取られるパターンがAに確立する前にBは上記(2)失点パターンの防止を行使し、
隙あらば攻勢に転じなければなりません。
こうして拮抗状態が生まれるのですが、
仮にAの得点パターン、失点パターンがそのゲームにマッチして、ゲーム中盤に明らかなAの優勢になった場合、
Aが持つその戦略プランをAは「守」らなければならないのです。
自分がやれる事を「守」り、地味でも良いから冒険はしない事を貫くのです。
仮に他のプランがあったとしても、それで点を取れているのですから、それを破ってはいけません。
また対するBは、今迄選択して来たプランがNGであったので、プランを変更せねばならないのです。
(攻めの状況になります)。
ただ、戦況から見た際の選択プランは攻守それぞれ分かれるのですが、
試合中は「攻」「守」どちらも最終的には勝利を獲得する事を目指す訳ですから、
気持ちとしては「前へ」という事になります。
----
結論としては、繰り返しになりますが、「基本的にスポーツとは点を取り合った結果で勝敗を決する、という人間の本能的部分を社会活動に変換した行動様式」が凝縮された結果、「前へ」という気持ちを打ち出さなければならないのです。
日頃勝敗を決する必要の無い人間にとっては「何故気持ちを前向きに持っていかなければならないんだ? 」「何故前進しなければならないんだ? 」「何故勝利しなければならないんだ? 」と違和感を覚える事になっても仕方はありません。
但し、過去の人達がそうした勝利に向かう気持ちややせ我慢などの気持ちで努力していたからこそ、社会的に達成できたという部分などは少なからずあります。ここの部分は軽んずる事はできません。
※余談ですが、「隙あらば攻勢に転じなければなりません。」とは書いたものの、「こちらが守れていれば積極的に攻撃しなくてもいいんじゃない? 」という姿勢が丸わかりで怒られそうですね。
どうも、長文ありがとうございます。
大変納得するものがあります。
で、もちろん「攻めることの必然性」ですね。それはご説明のとおり、基本的に攻撃姿勢と言うものがなければスポーツにならないと言う点で合意です。攻勢が土台にあって守勢があるということも同意です。
大きく同意なのですが、疑問は、こういう必然性があることから離れて、なにか呪文のような無意味な言辞になっている可能性があるという点ですね。こういう「大脳不在」な言動は避けたいものだと思うところです。
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