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こんにちは。最近 このカテのとある質問の回答の中に「語学で大切なのは文法でなく、音を聞き取る力です。」と力説された方がおりまして、それに対して「語学でまず大切なのは文法の基礎です。」と反論された方がおりました。後者の言い分では“文法をないがしろにする人は「暗記」でしか語学を習得できないのです。”だそうですが、前者の考えによると「言葉を覚える上で一番大切なのは文法でも暗記でもありません。」だそうです。しかし、残念ながら その質問は締め切られていて、文法や暗記より大事なことについては言及されていませんでした。

私もどちらの言い分も一理あるように思えます。

そこで質問ですが、英語がある程度話せる人ってどのように勉強して来たんでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

この前大学に英語の特別講義に来てくれた方が言ってたのですが


専門家でも意見が分かれるそうです
その方は最初英語が苦手だったそうですが
単語を覚えつつ
中学の基礎的文法を理解するように勉強したらしいです

ついでにその方は英語は堪能で
昔アメリカの大学でアメリカ人に講義をしていたらしいです

後、英語を日本語で理解するより
英語を英語で理解するようにすればいいと言っておりました
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/03/07 10:12

私もKseniaさんと同じく、どちらのご言い分にも一理あると思います。


どちらも間違いではないと思います。
我々が日本語を話す時、文法を意識して話すことや暗記してつらつら話すようなことは普通無いと思います。ですが、文法的に正しくないことを言うと伝わらなかったり、誤解を生じたりすることもありますよね。
ここは仲良く、どちらも頭に入れておく必要がある、くらいでいいのではないでしょうか。
私自身は(ある程度、にも幅はありますが)それなりには話せると思っております。海外にも5年ほど在住していたことがあります。私は学校の教科書を暗記したり(笑)、NHKのラジオ講座を聞いたり、好きな洋楽の歌詞を覚えたりなど、いろんなことをしてきました。しかし、振り返ると、仕事で英語を使うようになって以降自分の会話能力が急激に上ったように思います。必要に駆られて、というのが一番いいのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/03/07 10:13

私は、接触量の問題と思います。

中学校で習う文法は基本中の基本ですが、高校になると急激に難しくなりますよね。中学校から高校になる間の部分で簡単な英語を使ってどんどん会話していく時間をもっと多くとるとある程度英語が話せるようになるのではないでしょうか??大学の英文科など出ていても、接触していなければ英語は話せなくなるし、まして周りは日本人の中で生活しているわけで・・なので、接触量のが多いことがいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど、接触量なんですね。

お礼日時:2009/03/07 10:14

実は、どっちも大事なんです。



学校の英語の授業で自然に文法力を身につけてしまった人は、それだけでは英語を話せるようにならなかったのに、あとで音を必死で聞く練習をすることで英語を使えるようになったので、「文法なんかやっていてはダメだ、音が大切だ!」と言います。でも、本当はもとから文法力があったので、音の練習が生きたんだと思います。

中学で落ちこぼれて基本的な文法力を身につけてこなかった人は、CDをいくら聞き続けても、なかなか英語を使えるようになりません。ところが「やり直しの英語」のような本で、実用的な文法知識を身につけたとたんに話せるようになって、「やっぱり文法は必要だったんだ!」と言います。

意見が違うように見えるのは、結局そういう違いじゃないでしょうか。

あと、目的とする英語力が、総合的なものか、会話に特化したものか、大学を卒業したネイティブと対等に渡り合えるようなところまで行きたいのか、海外旅行で困らない程度でいいのかといったところでも、何が重要かという意見は違ってくるように思います。

あなたのいう「英語がある程度話せる人」というのがどのくらいなのかというのも、人によって全然考え方が違うんですよ。困ったことに、日常会話で困らない程度の低レベルで「自分は英語に困らない」という人もいるけれど、ネイティブから「あなたの英語は完璧」と言われるくらいなのに「自分はまだまだ英語を使いこなしていない」という人は多いんです。それがわからないと、話がすれ違っていることに気づきにくいですね。

私の考えでは、英語をある程度話せるようになるには、一番大切なことは、文法でも暗記でも音でもなく、「ある程度の知識を身につけた上で練習することだ」と思います。文法も、音も、練習してはじめて使いこなせるようになります。暗記は重要ではありません。文法や音の練習しているうちに、自然に覚えてしまうからです。練習せずに盲目的に暗記しただけの知識は、実用英語では、あまり役に立ちません。

こういうサイトが参考になるかもしれません。
http://homepage3.nifty.com/mutuno/
http://www.hbs.ne.jp/home/saso/tatujin1.htm

なお、専門家によっては、ひたすら音を聴いたり、ひたすら読んだりしているだけで、文法力も自然に身に付くと主張する人もいます。ただ、それは身につける文法力の種類や手法の問題であって、文法力がなくてもいいと言っているわけではないと思います。ほとんどの日本人は、日本語の連体詞だとかサ行変格活用だとかは知らないけれど、日本語の文法力は持っているので、「ワタシ、ワカルナイ」なんて言いません。

文章をきちんと作れる文法力を身につけるのに、ひたすら読み続けたり聴き続けるだけでいいのか、ある程度解説を読んで理解したほうが早いのか、それは人によって意見が違うようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>暗記は重要ではありません。文法や音の練習しているうちに、自然に覚えてしまうからです。練習せずに盲目的に暗記しただけの知識は、実用英語では、あまり役に立ちません。
まだ引っかかる部分がありますが、少し分かってきたような気がします。

>こういうサイトが参考になるかもしれません。
私も前の質問でも同じサイトを紹介されていましたが、微妙にこのサイトに規約に抵触していないでしょうか?

お礼日時:2009/03/07 10:21

#4の方におおむね同意します。



私見ですが、語学を習得するために必要なこと

1.文法を習得する
2.語彙を習得する
3.音を認識する
4.多量に触れて、1-3を身体にしみこませる
5.文化を理解する

文法と音とでどちらのほうが大事とかはないと思います。
挙げられた二者の意見は、どちらも「文法」という言葉をわりと狭く捉えているように感じます。
学校英語で一般的な「不定詞の副詞的用法がどうのこうの…」みたいなものだけを「文法」とみなしているんじゃないでしょうか。

でも、文法は言葉のルールですから、別にそういう文法用語をつかって分析する手法以外にも、文法を身につける方法はありますよね。

>>文法をないがしろにする人は「暗記」でしか語学を習得できないのです。

とおっしゃっているようですが、別に丸暗記で文法を習得してもいいんじゃないでしょうか。身につけばいいわけですから。
(個人的には非効率だと思いますが)

ネイティブは、子供の頃からひたすらに量に触れることで、小難しい理屈を学んだり、意識して暗記したりすることなく
文法・語彙・音(+文化)を身につけていったわけで、決して文法を知らないわけではありません。

ただ、われわれ「大人」が「外国語」として語学を習得する場合、ネイティブと同じ道を歩むのは非効率だと思います。
ネイティブの子供が4だけをするのは、単に子供であるために1-3を知識として身につけることが不可能だからであって、
大人はすでに母語でいろいろな概念を理解できるのだから、全部やったほうが上達は早いんじゃないでしょうか。

ということで。

文法の勉強して、単語覚えて、音を聞き取る力を鍛えて、たくさん読んで聞いて書いて喋る。

全部やりましょう(笑

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに一般的な方法ですが、この方法だと
リーディングとリスニングのギャップが出来ないでしょうか?

お礼日時:2009/03/07 10:24

はじめまして



強いて言えば「慣れること」だと思います。
リスニング・スピーキングならばたくさん聞いて、たくさん発音練習をします。
リーディング・ライティングなら、たくさん読んでたくさん書きます。
聞くだけ・読むだけと「インプット」ばかりだと、聞いているつもり・読んでいるつもりになってしまうことがあります。
発音したり、書いてみたりと「アウトプット」を行うことが大事です。

アウトプットを行うと自分の“弱点”も分かります。聞いたり読んだりして「分かったつもり」になっていても、いざ発音してみたり、書いてみたりするとできないことがあります。その部分はまだちゃんと身についていません。
アウトプットできることならインプットされても分かります。自分が発音できることは、聞き取れますし、自分が書ける内容なら読んでも理解できます。


文法は「いらない」とは思いませんが「意識しすぎない方がいい」と思っています。インプット・アウトプットを繰り返しているうちにパターンが分かってきます。
例えば「SVO」を知らなくても、
I like the red flower.
の中で、
「~は」
「~する」
「~を」
にあたる部分がどこに来るのかが分っていれば、応用で
He likes the blue stone.
と表現できます。

(三単現のsも、「主語がHe, She または人名のときだけ」、動詞がs付きになるとパターンを覚えておけば、「三単現」と言う言葉を知らなくても構いません。)

文法と堅苦しく考えずに、いろいろな表現を通して「ルール」をつかめればいいと思います。
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数日英語圏へ観光旅行しても買い物、食事などは何とかできるのではと思っている英語独習者です。


書店にはおびただしい数の英会話の本がありますが、今でも一番納得しているのが、「科学的英会話独習法」(吉野義人著/研究社)です。
絶版で、また内容も古いと言う方もおられるます。以下は同書からの質問に関係する部分の抜粋です。
1)英会話は知識として学ぶべきものではなくて練習して身に着けるものである。
2)重要なことは今回も前章同様眼で覚えずに耳で覚えることであって、....
3)「感情」を離れて「会話」というものは有り得ない。その「感情」は個々のsituationから自然に出てくるものである。そのsituationに即して英語を言うのでなくては体に附いた英語にはならない。
4)繰り返して言えば、和文英訳と英文法を経て英会話に到るのではなくて順序を逆にして英会話が出来るようになってから高等な和文英訳と英文法を学ぶ方がよい。  
5)この段階を終えたならば当然正しい書体英語の為の文法や英作文の学習に進まれることが望ましい。

1)については、全く同感で、大学時代の先輩でnativeの先生からほめられた方がいましたが大学に入ってから、前述の本の流れをくむアメリカ口語教本で繰り返し勉強され中、上級の練習問題をすべてやり終え、機会を捉えてはnativeの方と積極的に話す練習をしたそうでです。(当方も試みましたが、すぐにダウンしてしまいました)。
2)については紙で覚えた表現もあり、同感というわけではありませんが、たとえば、キャスターやアナウンサーのThank you for being with us. Thank you for dropping by. やGood day, good news and good luck.など一度聞いただけで覚えてしまうフレーズもあります。
3)についてですが、「感情」が大事なことは、英語に不自由している人が海外旅行してもなんとかやっていけることがあることからも納得できると思います。会話では英語以外の態度、表情などのbody languageの要素が大きいと思います。
4)についてですが、英文法は全く不要とまでは述べていません。初歩の英文法は当然ながら必要ということかと思います。音声、表情などが加わらないwritingではルールに従わずに発信しても意図が伝わらないのは当然のことです。逆に会話では、ルールを瞬間的に忘れるのか、意図的なのかは分かりませんが、Iを主語以外で使用したり、逆に主語にMeを使用したりすることがあるようですし、三単元のsについても、たとえばビートルズのticket to rideのshe don't careのような文法無視の表現もしばしば耳にします。多少の文法的間違いがあっても目的の情報は日常生活では何とか伝わることが多いのではと思っています。

結局、目的によって文法の比重が変わるということであり日本人が、日本で生活している限り、英語の学習に程度の差はあれ文法が不要ということはまず考えにくいと思います。 あえて文法よりも大切なことはなんですかと聞かれれば、きざですがFeel (in) Englishということかと思います。
http://eigokyozai.blog82.fc2.com/blog-date-20070 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/03/07 14:05

こんにちは。



>「言葉を覚える上で一番大切なのは文法でも暗記でもありません。」

・文法とリスニングの二元論の前にあるもの

もしかしたら、質問の主旨から離れるかもしれませんが、例えば、ブルースリーという人は、テレビ番組の『グリーンホーネット』では、日本人役で出ていましたが、ちっとも日本人っぽくないっていうか、テレビの中で違和感を感じませんでしたね。彼は、香港出身で、反日感情が強かったようですが、映画でも、中国人らしい英語が、妙になじみました。ジャッキーチェンとは、隔世の感がありますが。

私が昔勤めていた社長は、英語はあまりできませんでしたが、誰に会っても恥ずかしくない対応をしていました。彼は、お金に任せて、かなり海外旅行を繰り返していたせいもあったので、それで学んだなのかもしれません。

それはともかく、外国の人に対して、言ってよいこと悪いことというのがあるのだと思います。

英語はネイティブ並みにできるひとでも、とんでもないことを言う人がいます。「政治と宗教の話は避けろ」とは言います。相手が中国人ではなくても、「南京大虐殺はなかった」などというのは、いくら信じていても、ディベートという制約でもない限りは、普通の会話では、まずいですね。別の場所でも書いたのですが、日本人や韓国人は、どうも、語学とは別にうまくない応対があるように思います。総じて、個人が個人の立場で話しているように感じません。ロジカルな説明をしなかったり、感情的な対応をしたり、ナショナリズムや自国の歴史観や論理も度が過ぎる傾向が強いようです。

また、オーストラリア人で、イギリスの皇室になぞらえて、日本の皇室の話を同じように言った人がいましたが、それは、非常識だと思いました。

日本人の多くは、宗教に深い知識がないので、自分と同じだという立場で、平気で何でも言う人がいますし、食べ物に対しても無頓着に言ったり勧めたりします。横で聞いていてハラハラすることがあります。日本人の言う「無神論」と彼らの言う「無神論(atheism)」の重みは、まるで違います。また、同じ仏教国でも、「小乗仏教(上座部仏教)」を'Small Vehicle' というのは、ひどく失礼です。有名な同時通訳の人が、外国の宗教の専門家に、日本の神道を、インドの神々と同じような多神教だと説明していましたが、それも非常識です。

もう6~7年前にテレビのビジネス英語で、異文化交流ということをテーマの番組を半年間していたけれども、異文化に対する常識的な対応ができない人は、いくら語学ができてもダメなんだろうなって思います。相手の文化を理解するということは当然なのでしょうけれども、一旦、日本の習慣や常識を切り離さないといけないのでしょうね。

多くの国の人と出会うことで、身に着けていくしかないのかもしれません。語学を学びながらでも、相手の国の文化や社会への理解が必要だと思うのです。それを守らなければ、いくら語学ができても、シュリーマンのような愚を冒すことにもなりかねないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/03/07 14:06

これまで他でも同様に解答してきましたが、私もどちらの言い分も正しいと


思っていますし、偏るべきではないと考えます。

スラブ語研究者でNHKラジオ講座を持っておられる黒田さんの
「外国語の水曜日」でも言及されていますが、膨大な量の英文を暗記する
わけにはいきません。
例えば
This is a pen.
I have a book.
などと言葉のバリエーションを延々と覚えるわけにはいかないのです。
だから
主語 動詞 目的語
などというふうに言葉のルールを覚えて応用していくほうが効率的です。
難しい文法用語などはわからなくても、このように単語を並べるルールがある、とか
こんなふうにすると過去のことを表す、などその言語がどのように使われて
いるのかをまとめたものが文法です。

しかしながら、いくら頭で理解してもそれを使えるかどうかというのは別です。
言語(手話のようなものは除いて)は必ず音声を伴うものですから
音を聞き分け、発音するという練習も必要です。
それから単語は丸暗記の世界です。もっとも語源などを知れば未知の単語に出会っても
意味を想像することはできますが、少なくとも初級段階では暗記に頼る必要が
あります。
文法を身体にしみこませるために文章を丸暗記することもありますよね。
人間は体で覚えたものは意外にずっと覚えているものですから、耳で覚える、
口で覚えるということは大変重要です。

私の場合は少々特殊な環境であった為、皆さんがされてきたような受験英語や
英訳・和訳中心の学習経験がありません。会話練習もありませんでしたが。
ですから、大人になって本格的に文法を勉強して、会話練習を始めました。
今でも形容詞だと副詞だの言われると?となります。

日本語と英語はしょせん別の言語で1対1ではないので
例えば
There is a pen on the desk.
と見聞きしたとき、私の頭の中は「一本のペンが机の上にあります」ではなくて、
その絵がもや~っと頭の中に浮かんでいるだけです。
ですからthat節があろうと戻り読みすることもあまりありません。(ないとは言い切れません)
ただし、意味が分からなかったり言いたいことがまとまらない時には日本語が
浮かびます。
文法・聞き取り・暗記なども大切ですが、いかに状況・概念を言語を結びつけるか
というのが大事なように思います。

大学の先生からもうひとつ大事なことを学びました。
大人が外国語を学ぶ場合、ネイティブスピーカーのようにはなれないかもしれないが
今まで得てきた常識や想像力を活かし、その状況を見ながら判断することは出来ると。
上記の例でいえば、There is a pen on the desk. の全部が聞き取れなくても、
また文法がわからなくても、相手の指さす方向や聞き取れた単語のみに頼って
机を見ればペンがあるとわかる、ということです。
そこでもう一度ゆっくり言ってもらうとか書いてもらうことで、状況と言葉が一致し、
そしてこのこのはこう言うんだと学んだということになりますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/03/08 09:49

 「語学でまず大切なのは文法の基礎です。

」を提唱する一人です。

 「アメリカ人は理屈なんかなしに自然に英語を習いおぼえるのだから、日本人も文法を教える必要はない。習うより慣れろだ」という英語教育論があります。そして、実際に、現在の中学・高校の英語教育にはこの教育論が導入され、特に中学生では品詞も5文型も教えないことになっています。その結果、生徒は英語がどんどんわわらなくなっています。我々はそういう間違った教育論の犠牲者なのです。

 アメリカ人が英語を母国語として習う場合には、それは自然に習い覚えるでしょう。しかし、日本人が外国語として習う時にそれがそのまま適用できるわけでないことは、理性ある人間なら誰でもすぐに理解できることです。言語というものはきちんとした論理で構成されています。それは日本語でも同じことです。ただ母国語の場合はあまりにも身近なので、なかなかそれには気づきません。それが、外国語になると客観的に観察できます。だからこそ、学問の基礎として、外国語は適した材料になるのです。

 「英語は言葉なのだから、理屈だけでは説明できないんだ」としったかぶりをする人がいますが、それは、その人がその論理を理解できないだけの話です。会話が重要だと執拗に言う人はリスニングCDを売りたい業者の陰謀です。

 話は変わりますが実際例として、英語ができない友達がヘリの免許をとりにアメリカにわたりました。当然英語は話せるようになりましたが、会話ボキャブラ以外の言葉は話せません。日本の英会話学校に英語の基礎ができない人間が行ったって英語が出来るようにならないのと同じです。

 会話ができなくても文法と語彙力が私には多少あった高校時代に友達と英会話を習いました。外国人が英語で英語を教えること事態に疑問を持ったのですが何度か習うと英語が全くできない友達と比較して私は5倍の早さで上達していきました。友達は英語の文法が分らず言いたいことが単語になって文を構成できない。単語自体の意味が分らないから、聞き取れない以前の問題でした。

結論として文法の基礎をやってからでも会話、リスニングは遅くないと思います。独断的意見で批判を受けやすい回答ですいません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>結論として文法の基礎をやってからでも会話、リスニングは遅くないと思います。
これは文法が得意な人は、英語以外の外国語にアプローチする時も、
文法から入った方がラクだというのもあるでしょう。ただ、このやり方だと 常にリーディングが先行して、音読やディクテーションをしながら リスニングがリーディングを追いかける形になりませんか? gadovoaさんにとってこのスタイルが合っているなら、人それぞれですから それでいいんじゃないですか?

お礼日時:2009/03/08 09:57

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