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 「室町(戦国)以前の歴史は外国の歴史のようなもの。『日本の歴史』としては安土桃山以降を学んでおけばよい」と学校の先生が言っていたのを思い出しました。先生自身の意見ではなくそういう見方があるとの紹介だったかと思いますが。
境目が安土桃山と言う理由は、戦国時代で”ガラガラポン”が起こったからかなと想像しますが、上記見方を支持される方に根拠をもう少し詳しく教えていただきたいと思います。また、支持しない方からの批判もお願いします。
言われてみると私自身、秀吉より前はあんまり興味が湧かないんですよね…。無意識に影響されているのかな。

※上記で言う『日本の歴史』とは何ぞやという問題がありますが、その点は回答者様にお任せします。

A 回答 (9件)

No.7の方が回答されていますが、これは内藤湖南の講演「応仁の乱について」が元だと思います。



wikipediaより引用
一般に知られている内藤の発言としては、「一体他流試合と申すもので、一寸も私の専門に関係のないことであります」といういささか挑発的な前置きで始まる講演「応仁の乱に就て」で示した「大体今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆(ほとん)どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知つて居つたらそれで沢山(たくさん)です」という発言がある。この発言はおおく日本中世史を論じるときに引用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/内藤湖南

青空文庫で全文が読めます
応仁の乱に就て
http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/1734_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
安土桃山以降ではなく応仁の乱以降ですか。戦国時代も必要という見方なのですね。全文読ませていただきます。

お礼日時:2009/04/05 11:20

奈良や京都に大きな建築物があるのに、無視することはできないでしょう。


 高校の先生は、時間数でこなせる範囲という意味でいっただけではないですか?
 徳富蘇峰の話にしても、明治政府は神道を仏教の代わりにして楠正成などを英雄視したわけですですから、彼の意見をもとに「日本の歴史とはなんぞや」などと考えると頭の中が分裂します。
 たかが2千年、中国に比べれば短いものです。これ以上短縮すると、”ゆとり教育”になってしまいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>奈良や京都に大きな建築物があるのに、無視することはできないでしょう

これがつまり、外国の歴史のようなもの、ということではないでしょうか。古い建造物といえば古代ギリシャの建造物やエジプトのピラミッドなどありますが、現代のギリシャやエジプトではやはり外国のような意識はあるのではないでしょうか。もちろん誇りに思う部分はあるのでしょうけれど。このあたり(現代のギリシャ・エジプトの意識)も詳しい方にお聞きしたいですね。

学校で教える教えないという話ではおそらくないです。そもそもその先生は日本史の先生じゃなかったですし。歴史を学ぶ上での意識づけのようなものかもしれません。

お礼日時:2009/04/03 12:41

内藤湖南の講演であったと記憶していますが、応仁の乱によって、京に残されていた記録が焼失してしまったから、日本の確かな歴史は安土桃山以降しかないとの意見があります。


残念ながら、同意です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かな記録が残っているかどうかという観点も重要ですよね。

お礼日時:2009/04/03 12:35

1970年代終わりに始まったAMS法を用いた縄文時代の炭素14年代測定は、感度において飛躍的な進歩を遂げ、さらに最近は制度においても大きな進展がみられています。

その測定誤差はプラスマイナス20~30年だそうです。それによると人類の歴史で現在までに最も古い土器は日本で発見されており、今から1万5千5百年に始まった縄文時代の草創期の縄文土器です。中国や他の文明で土器が出て来るのは、それより数千年あとです。もっと驚くべきことに、他の文化の土器は全てお宮の跡から出てくるのに、縄文土器はゴミ箱から見つかるそうです。すなわち、日本人は土器を祭器ではなく、始めから日用品として使っていたようです。何と、日本人はこんなに古くから技術志向型のハイテクの国だったようです。

また、近代国家の根幹は資本主義ですが、その資本主義で最も重要な概念は「私有財産制」です。ですから、どんな国でも私有財産制の重要さに気が付くと、必ず、それを国家の基本とすることをその国の憲法に成文化します。ところで、人類の歴史の中で最初に私有財産制を成文化した憲法は、鎌倉時代の日本の貞永式目だそうです。その式目の中で、この概念を「本領安堵」という言葉で表現しております。西欧がこの概念の重要さに気が付き、それを憲法に成文化したのは、それより数百年あとのことです。

人類の歴史を振り返ると、近代国家で産業革命を成功裏に見事にやり遂げたのは、西欧と日本だけでした。他の国家はすべて失敗しております。ところで、この2カ所だけが、この2千年以内の人類史の中で、中央集権制度ではなく、封建制度という人類史的に見て例外で特殊な制度を採用していました。産業革命の達成には,それ以前に封建制度を採用していたことが、決定的だったのです。

封建制度とは、中央集権制度とは全然違った制度です。封建制度では、各地方に豪族、ないし大名と呼ばれる王がおり、その王達をまとめるための王の王(日本では将軍と呼ばれてる)がいる制度です。この封建制度では、国民は各王に属しており、王の王には直接属しておりません。これは、国にたった一人の王だけがいて、すべての国民が直接その王に属する中央集権制度とは、全然違っております。

中央集権制度下では全てのものは国王に属しているので、私有財産制の概念が生まれ難いのです。一方、封建制度下では、各豪族は自分のものとして、土地をもっておりますので、その土地の所有権を保証する制度として、私有財産制度を発展させたのです。そして、その特殊な制度を採用していた西欧と日本だけが、近代工業化に成功したのです。米国はもちろん西欧人の末裔ですから、彼等も私有財産制を十分理解しておりました。

日本でその驚くべき特異な制度を導入したのは、質問者さんもご存知のように、源頼朝の鎌倉幕府が最初です。そして、私有財産制を謳った貞永式目が出来たのは、その鎌倉幕府の時代の北条家による執権政治のときです。

このように、近代の日本人の技術志向性や、資本主義や近代産業革命の効率の良い日本人の適応性は、決して戦国時代からはじまった訳ではなく、それを理解するには、それらを可能にする土壌が鎌倉時代や、あるいはもっと古く縄文時代にまで遡って存在ていたことを考えないと訳が分からなくなってしまいます。戦国時代の堺の民主政治なども、鎌倉時代に培われた封建制度を理解していないと、なぜ突然、日本にドイツと同じような都市国家が出現できたか、分からなくなってしまいます。

また、戦国以降の江戸時代が中央集権制度でなかったことも、明治以降の近代化の成功の理解に対する、重要な鍵になっています。

上の例はほんの2、3の例ですが、それ以外にも、頼朝が幕府と言う封建制度を思い立ったのは、それ以前の平清盛の採用した制度の失敗に対する反省に基づき、そして、清盛の出現は藤原氏の荘園制度の瓦解に基づき、藤原氏の出現は天皇による中央集権制度の失敗に基づき、、、、等々を理解しないと現在の日本が分かりません。

ですから、「日本の歴史は安土桃山以降を学べば十分」等と言っていたら、現在の日本が理解できません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私自身近世以前はまともに知らないので、いろいろ知らないことが多くて勉強になりました。

お礼日時:2009/04/03 12:33

皇紀2600年ってくらいなのですから巫女さまの時代から知っておいたほうがいいと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/03 12:30

日本列島の歴史は、やはり記録が残っている時代から学ぶべきでしょう。


>安土桃山以降を学んでおけばよい
という方には
「安土桃山時代を深く理解するためにはそれ以前の歴史を学んでおかなければならないんじゃないの?」
と反論します。
安土桃山時代に突然日本列島に人間が住み着いて歴史が始まったわけではありません。それ以前に日本列島に住んでいた人間の子孫が安土桃山時代を作り上げたわけなので、先祖の作った社会のことも学ばないと子孫の作った社会のことは十分に理解できないでしょう。

ただ、どこまでが現在の日本社会と連続性のある時代なのか(それを先生は『日本の歴史』と呼んでいるのだと思います)は諸説あると思います。
私自身はそれについては判断を下せないでいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「安土桃山時代を深く理解するためにはそれ以前の歴史を学んでおかなければならないんじゃないの?」と反論します。

1さんが挙げてくださった徳富蘇峰によれば、近現代を学ぶためには安土桃山以降でいいということなのでしょう。安土桃山はあくまで付録ということではないかと。

>現在の日本社会と連続性のある時代 これを日本の歴史とすると、安土桃山以降とするのはやはり乱暴な気がしますね…。例えばギリシャやエジプトの古代文明は現代のギリシャやエジプトと完全に断絶しているようですけど日本の場合、邪馬台国は切り捨てるにしても飛鳥時代(だっけ?)からは連続してますよね、たぶん。

お礼日時:2009/03/29 22:04

日本でいう歴史は殆どが政治史なので、確かに江戸時代以降でいいんじゃ


ないかと思うことがあります。しかし、文化・思想・宗教などの分野は
そういうわけにはいかないでしょう。結局、何の歴史なのかが重要ですね。

ただ、一部の人間の突飛な考え方で、学ぶ機会を無くさせるのは
いいことではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
政治史なので江戸時代以降でいい、とは?江戸時代とする理由をよろしければ詳しく教えてください。素人考えではむしろ明治以降でも、いやそれこそ戦後だけでもいいとかなりそうですが。

お礼日時:2009/03/29 21:56

確かに「ガラガラポン」は起きました。

特に大きいのが江戸時代の親藩・譜代・外様大名の配置換えです。
これにより、例えば外様大名は「強制的に異動させられた」わけです。そしてそれに仕える武士達もともに異動しました。
しかし、外様大名の異動先は「突然現れた土地」なわけがなく、取りつぶしを受けた(攻め滅ぼされた)大名や他の「異動先」へ移ったりした外様大名の土地だったりするわけです。
当然滅んだ大名の跡を守ろうとする武士達もいたわけで、すると「潰された一族の家臣」と「敵陣に下った一族の家臣」が同じ土地に住まうことになります。
好例が土佐藩。
戦国時代には長宗我部氏の所領でしたが「ガラガラポン」で山内氏の所領に。元々の土佐藩士は山内氏の元々の武士「上士」「下士」の間の「郷士」として仕えることになりました。
この郷士が上士との軋轢などでけっこう頻繁に反乱を起こしていたそうで・・・
最終的に江戸末期、その中から坂本龍馬が登場します。
そう考えると戦国の「ガラガラポン」以前の話を無視するわけには行かないと思いますねえ。

ちなみに「ガラガラポン」ならもう1回、太平洋戦争後にも起きました。農地改革による土地の再配分です。
なら「昭和20年以前の歴史は外国の歴史のようなもの」と言えるか・・・NOですね。

やっぱり歴史は続いているんですよ。
例えば日本では青銅器と鉄器が同時に技術導入されたため「青銅器は祭祀用、鉄器は実用」とされますが、
これらを発明した中国では青銅器を発明してから千年以上「青銅器時代」が続き、その後鉄器が発明・導入されたのです。
こんなところから、いやもしかしたらそれ以前から「日本の独自性」は始まっていますから。
「古いから無視」なんてのはちょっとナンセンスですねえ。

・・・こんなことを長々と語るのも、私が奈良出身だからかも知れませんが(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですよね、他の国ではない日本列島の歴史という意味なら室町以前を切り捨てるというのは豪快すぎますよね(笑)。
大名の配置もそうですが、戦国期で多くの人々の身分が一度リセットされた(秀吉なんて最下層)、例えば中世のと江戸以降のそれはほぼ断絶しているという話も聞きました。
結局、日本の歴史とは何ぞやという話になるんでしょうね。あまり意味のない質問だったかも。

お礼日時:2009/03/29 21:52

元ネタは


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%B8%96% …
これだと思います。高校時代に日本史の先生にそういわれた。
徳富蘇峰は、明治の近代化を肉感で分かっていた人で、「近代、現代」を徳富蘇峰にとって理解・説明するために、時代をさかのぼっていったら信長まででOKだとしたそうだ。

井沢元彦的に言うと、宗教外しが行われたのが、信長の時代。これは、西洋史における近代の始まりを、1648年のヴェストファーレン条約、宗教を第一でなく、俗世間を第一に考えましょうという考えと軌を同一にするものだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり元ネタがあったですね、なるほど。近現代の理解のためには信長以降でよい、と。

お礼日時:2009/03/29 21:46

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