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歴史についてよく知りませんが、疑問に思うことがあってお聞きします。

たった数十年前の歴史でも正確な情報は困難だというのに、さらに数百年前、数千年前といった歴史はどうなのだろうか?と思うんです。
思想信条が、歴史を歪曲したりしたことが最近やっと気づいたりするありさまなんですから、歴史の難しさを思うんです。さらに昔となると、古文書だけの資料とわずかな考古学的検証しかないわけだから、大ざっぱなことしか分からないのではないのだろうか?なぜあんなに何年何月何日、何々があったと断言出来るのかと不思議に思いました。ですから歴史の教科書は一体どのようにして作られるのか?と思っています。科学、数学等は人類の知識の産物だから分かるが、歴史となると人間の感情が入って時代とともに変わるようでは、科学的な学問でない気がします。違うのだろうか?

というのは、歴史を科学的に検証しようとしても強固に否定したり政策にも使われたりして村山談話に使われたりしているから、そう感じました。

A 回答 (14件中1~10件)

♯13です。



>単純に思想・信条を排除した純粋な科学のみで組み立てられた歴史とはそもそもどういうものか、難しいと感じています。

とのことなので、もう一度説明を試みます。その前に、Hiroiさんの疑問は、歴史的資料そのものが特定の意図に左右されているので、それに基づく歴史学や考古学の成果の正確性には疑問があるということでよろでしょうか。一応、そうだということで進めます。

歴史学の正確性を、絶対的な真実からの距離と捉えると、厄介です。絶対的真実の所在は誰にも分からないのですから、距離が近いのか遠いのかもまた判断のしようがないからです。それを前提にしながらも、時の中にわずかに残された資料を頼りに、その資料から主張できる事実を積み重ねるのが歴史学でしょう。当然のことながら、生存者はいませんから、書かれていないことや、証拠のないものについては、小説などは別として、言及できる範囲はずいぶん狭くなります。そのうえ、わずかな資料さえ必ずしも信頼できるとは限りません。ご指摘の通りある意図をもって作られたものであるかもしれないからです。

しかし、研究者は、自ら信頼する資料をもとに、他の資料との整合性をとったうえで仮説を構築します。これができたら、査読付きの論文を書いて、学術誌に発表し、他の研究者の批判や再テストにゆだねます。不備が見つかればその段階で棄却です。当然、他の研究者はかなり厳しい目で資料の信頼性を追試したり、論理的誤謬の有無を再考察します。特にベースになった資料の信頼性には強い疑いの目を向けるでしょう。こういう手続きを何年も、場合によっては何十年も繰り返し繰り返し行い、それでも生き残って徐々に確からしさを増して、やがて誰からも異論が出なくなると、その時点で最も確からしい仮説として、断定口調で一般書籍などに記述されるわけです(※)。ただし、それでも、研究が進んで反証されることは珍しくありません。

たとえば、荒神谷遺跡が発見されるまでは、長い間、銅鐸と銅剣、銅矛は異なった文化に属し、同時には出土しないというのが定説でした。当時の考古学的資料からすると、こう考えるのが最も確かだったからです。ところが、荒神谷で一挙にひっくり返りました。では、荒神谷以前は「確か」ではなかったのでしょうか?いやそうではありません。科学的な考察から定説のように考えるのが確かだとされていたのです。しかし、これを覆す反証が発見されたので、従来の定説が棄却されるにいたったのです。まさに絵に描いたように科学的な展開です。しかし、この新たな定説もまたいつか反証され覆るかもしれません。他にも、鎌倉幕府の成立年とか、従来の定説が覆りつつあるものはたくさんあります。資料が増えたり、その信頼性に揺るぎが出たり、研究者が増えたりして研究が進めば進むほど無限にこういうことが起きるわけです。

つまり、断定口調で語られる学問的(科学的)事実は、常に最も確からしいとされる暫定的な事実なのです。また、歴史的資料が意図(思想信条)や偶然に左右されやすいからこそ、前述のような迂遠とも思える手続きを通して徐々に嘘を排除するわけで、このような仕組みこそが科学の営みです。

いかがでしょうか。

※一般書籍に記載された歴史に関する言説すべてがこういう過程を経ているわけではない。むしろ、著者の思い付きレベルの物の方が圧倒的に多い。
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この回答へのお礼

hakkeiさん

再びご解説どうもありがとうございます。これこそ、まさしく科学的な歴史学問ですね。また他の方も含めて大変参考にさせて頂きました。感謝します。
だいぶ期間が経ってしまいましたので、締め切らせて頂きます。

また、よろしくお願い致します。

お礼日時:2009/04/20 23:24

歴史を扱うものに、絶対的な真実というものはありません。

真実は神のみぞ知るものだからです。

身近なものでは訴訟があります。訴訟も直近での出来事(これも歴史です)を扱うものですが、刑事事件であれば検察官と被告人が、民事事件であれば原告と被告がそれぞれ証拠を提出したり、証人を立てたりして、自分の言い分こそが真実であると主張します。いうなれば過去の事実を再構成するわけで、歴史学の営みと非常に良く似かよっています。これを当事者主義訴訟構造と云いますが、その主張の当否を判断するのは裁判官です。裁判官は神ではありませんから、争いのない事実と証拠とをベースに最も確からしい事実を抽出して限りなく絶対的真実に近いであろう訴訟的真実を見極めるのです。しかし、それでも絶対的な真実とは異なります。なので、別の証拠が発見されれば、裁判の結果はひっくり返るのです。

これは科学でも同じです。科学とは、実験や観察などを通してある現象のメカニズムを説明しようとする営みのことですが、その理論は「すべて」仮説とされます。たとえば、地動説を疑う科学者がいないのと同様に、生物が進化したことを疑う生物学者はいないと云ってもいいと思いますが、地動説と同様に進化学(論)も仮説(ただし最も確からしい仮説です)とされます。また、歴史を扱う科学というと他にも天文学や地質学もありますが、これらの科学理論もすべて仮説です。なので、反証があれば、即座に今までの理論は棄却されて新理論が打ちたてられるのです。

さて、歴史学や考古学のことです。

歴史学や考古学も科学です。科学である以上、その理論や研究成果はすべて仮説です。
ではなぜ何百年も前のことを「何年何月何日、何々があったと断言出来るのか」と云うと、その時点で最も確からしい学問上の仮説だからです。地動説の確からしさは日々観測されています。それゆえ、事実上「地球が太陽の周りをまわっている」と断言して差し支えないでしょう。あるいは、カラスの黒さは日々観測されています。なので、カラスは黒いと断言して差し支えないでしょう。同様に、強固な証拠があれば、「何年何月何日、何々があった」と断言して差し支えないのです。ただし、仮説は仮説ですから、反証があれば直ちに棄却されなければならないのは当然です。野心的な歴史学者や考古学者は、むしろ断言された学問上の真実(絶対的真実とは違う)を反証すべく、日夜虎視眈々と研究を積み重ねているのです。

とはいえ、神の手事件などの教訓からすると、この分野の研究者はもう少し慎重な言い回しをした方が良いのかもと思います。
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この回答へのお礼

hakkeiさん

遅くなりまして申し訳ありません。
「歴史学や考古学も科学です。」そうです。でも、これに思想・信条を持ち込んでいける学問も歴史。う~~む、私は単純に思想・信条を排除した純粋な科学のみで組み立てられた歴史というものはそもそもどういうものなのか、難しいと感じています。

お礼日時:2009/04/18 16:56

「歴史」が現実におきた事件の記録と解釈の体系だとすると、読者が「仮想現実」感を抱くのは当然みたいです。



「何年何月何日、何々があったと断言」できるのは、大事件だと多数の記録がのこされるため、いやでも期日がはっきりわかるから。
はなしが事件の経過や解釈に及ぶと、だんだん怪しくなるのはよくあることです。
期日ほどは、はっきりと断言できなくなるのでしょう。

現今のマスコミが大事件を報道する場合でも、似たような印象を受けます。
今回の人工衛星騒動での当事国内の報道も、何かを発射したこと以外、科学的検証が困難(反証も困難?)な発表内容でしたね。
 
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この回答へのお礼

178tallさん

遅くなりまして申し訳ありません。
人工衛星騒動の話から、アポロ計画はウソだったという話を思い出しました。アポロは実際に月に行っていないということを科学的に論証しようとしていた話題がありました。(個人的には、そういう壮大なウソをつけることはあり得ないと思っています。月へ行ったのが正しい事実は当然と思う。)前回の回答者さんのおっしゃっている通り事実の持つあいまいさ、難しさを感じています。

お礼日時:2009/04/18 16:48

 質問者さんとちょいと違う内容ですが、学問といわれる、知識体系との歴史認識の異質性については感じております。


 近代学問には入らないでしょうが、中国などの所謂る正史は、現王朝のジャスティファイに繋がるものであった面もあるそうです。
 今の国の専門官制度での専門職ではないが、そういう人は一応の権威と誇り、そして伝統を守って仕事をしていたでしょうが、やはりお思いの知識認識の構成と体系では必ずしも無かったでしょう。
 多くの正史というものの性格の共通するところでしょう。
 一定の歴史と、国情、アイデンティ(例えば、敗戦以前の日本のみんなの歴史感覚での歴史観)では、それはそれなりの歴史が構想され、編集されるより仕方が無かったのでしょう。
 現在から考えれば、否定される面もあり、否定しては成らないこともありますね。
 日本人としての、世界と世界の中の日本をどう捉えるのが正しいかについては、今の捉え方から、敗戦以前の日本人としての把捉の仕方の全部を否定するのは、甚だ軽はずみだと存じます。
 だから、戦前の歴史と歴史論の全部を、今のそれで置き換えることは日本人としては、意識の継続ばかりではなく、事実の妥当性(正しいという意味とは違う。正しいと事実だということも違う。真理や真実という意味とも違う)の面から認めることは、私は出来ません。
 
 事実が事実であっても、それがどういう脈絡の事実かで、意味と事実性は違ってきます。
 本筋ではない横の、たんなる言葉尻のフレーズを中心的に、独立に抜き出すことは報道者の宿命ですが、これは事実も真実もはずれることがあります。
 ことほど作用に脈絡を外した伝えと受け取りは、局外のものが関る歴史認識では避けられないことで、ここから事実の歪曲というか霞がもうかかるのでしょう。
 当事者だけにしかわからない、いえ当事者も当事者だからこそ、わからない。これが歴史の要素ではないでしょうか。
 そして脈絡を探り、辿り、意味づけの中で編集していく作業、これが歴史の事実認識なのでしょう。
 その探り方、辿り方、そして意味づけのどこをとっても、時代と国や国の中の立場、そして個人の生きてきた事情と意識や哲学、影響している思想などが絡まないことは全くありません。
 歴史はどなたかが言われているように、こういう意味でhis storyであることが宿命です。
 正にそれぞれ、人がここに居ること自体がもうそれぞれのhis storyであり、世界構成、小説でしかない。
 と極言してあまり間違いは無いでしょう。
 事実とは何か、認識とは、真理とは、真実とは、実在とは。
 これを真正面から扱うのは心理学、哲学、医学、宗教でしょう。
 歴史学はまともにその問題の中で働き、もたらしている。
 それが歴史だということではないでしょうか。
 どのくらい論議があるか、どのくらい納得させるか
 どんくらい同意してもらえるか。それだけのことというと、小さいことのようですが、そういうものが歴史学の認識と構成、正に作成なのではないですか。
 歴史だけではなく(知的)認識に絶対はない、受け取りだけである。
 あるのは知的認識のカオスなる全体があるだけである。ということだと存じます。科学といえども。
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この回答へのお礼

krya1998さん

遅くなりまして申し訳ありません。
鋭い論評どうもありがとうございます。至極もっともその通りだと思います。「知的認識のカオスなる全体があるだけ」が響きました。
いや難しいことですね。

お礼日時:2009/04/18 16:41

インディージョーンズのセリフにこういうのがあります。


「考古学とは事実の積み重ねであり、真実とは違う」、と

ファクターとして手がかりを積み重ねてもっとも妥当である答えを
推察するのが歴史学や考古学ではないのかというインディジョーンズの
ありがたいお言葉。
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この回答へのお礼

hopepepepeさん

遅くなりまして申し訳ありません。
「考古学とは事実の積み重ねであり、真実とは違う」
この格言ありがとうございます。そうですね。そうして、積み重ねてもっとも妥当な答えを推察なんですね。その通りだと思います。

お礼日時:2009/04/18 16:36

普通, 「歴史」というものは「今存在するもの」をもとに組み立てていきます. だから, (ある意味で) 「大雑把なことしかわからない」というのはもちろんその通りです. とはいえ, 多くのものが現存すれば「大雑把」レベルが低くなる (つまりより精緻になる) というのも事実で, 例えば日本では「日記文学」という形でもいろいろ残っていますし, 西洋でも教会の記録はそれなりに批判に耐えるものとなっています. これらの記録をつなぎ合わせていって, 「何年何月何日、何々があったと断言出来る」わけです. ただ, この辺は「どこまで客観的に記録として残しているか」の勝負でもあって, 「科学的な学問としての歴史」ではなるべく感情を含まないで客観的に掘り下げていきます.


なお, 「歴代の中国王朝最後の皇帝は必ず暴君」というのは「最後の皇帝の記録は次の王朝で書かれる」ということから, 自らの王朝の正当性をしるすためにそうしなければならないということでもあります. その背景はもちろん「天命」という考え方で,
・王朝をたてるのは天命による
・王朝の交替は天命の変化による (これが「天命が革まる」=「革命」)
・なぜ天命が変わるかといえば「皇帝がダメダメ」だから
ということで, 正史の基本線は
「先の王朝は, 最初は良かった (←この辺で先の王朝の正当性を主張しておく) けどそのうち乱れていって最後はもうダメダメだったので天に見捨てられ (←ここいらで『革命』を書いておく) 徳を持った自分たちの王朝に受け継がれた (←だから今の王朝は正当なんだよ)」
です. ああ, 隋みたいに「そのうち」がないときもあるけど, 歴史的には「隋と唐で 1セット」とすることも多いです. もともと一族のようなものだし.
ただ, 「history = His story」はわりと珍しい見解だと思う. 「history という単語が先にあって, そこから story が生まれた」というのが普通じゃないかな.
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この回答へのお礼

Tacosanさん

遅くなりまして申し訳ありません。
うんうん、長い解説ありがとうございます。historyってどうなんでしょうね。。特に記することありませんが、Tacosanさんの内容が良かったです。

お礼日時:2009/04/18 16:33

西洋では History = His Story で「彼」とは神の事です。


中国周辺で「歴史」とは歴代の「正史」の事で、「正史」とは覇者若しくはその後継者の作ったStoryです。
歴代の中国王朝最後の皇帝は必ず暴君ですが、為政者が全ての人間に「善い人」である筈も無く、書き様でどうにでもなるから統一しようとするのです。
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この回答へのお礼

aburakuniさん

遅くなりまして申し訳ありません。
>西洋では History = His Story で「彼」とは神の事です。
なるほど、そういうことでしたか。ありがとうございます。

中国ってまさに闘いの連続の歴史ですね。次々と皇帝が変わるし、変わったら前皇帝の文明の破壊。。この繰り返し。中国は歴史が長いというけど、実際は短い歴史の繰り返しですね。。

お礼日時:2009/04/18 16:29

> よく太古の昔の何年何月何日に何々があったということがよく分かるのが信じられないです。



書簡に日付(当然、当時の暦ですが)が記載されていればわかるでしょ。
納税(租庸調など)された時は、その日付が記録されます。
役所の文書には、何をいつ執り行ったかが記録されます。
現代であれば、国会で審議されたことが議事録として残されます。
昔の執政でも、同じことが行われたことは明らかです。
遣隋使などの航海が行われれば、航海日誌を付けたことでしょう。
戦があったときも書状が飛び交います。
これにも日付が記録されます。
間諜活動でも密書が届きます。
これにも日付が記録されます。
その他にも、色々なところで色々な文献が残されています。
もちろん、紙は非常に高価なモノであったので、全ての人が気楽に記録(日記など)を残せる訳ではありませんが、村長(むらおさ)クラスなら村の記録を残すこと(気象・天候・天変地異や農林水産業の収穫、村にとって重要なできごとなど)が業務となっていても不思議ではありません。
「記録を取る」とは、そう云うことです。
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この回答へのお礼

okazaki0koさん

遅くなりまして申し訳ありません。
確かに「記録を取る」ということはありますが、そこに人為的な操作が加えられる要素もあるでしょう。政策上、立場上等色々あると思うが人為的に情報操作が行われていることは昔からあったと思いますが、その中でどれが信用できる資料かを判断するのは、人間の頭の中で信じるものですから難しいね。学会発表と、学会発表に疑義を唱える学者がいる訳ですから。
でも正解に近い形に近づける努力を妨げる人種もいますから、話がややこしくなっている面はあります。
歴史って難しいと感じています。

お礼日時:2009/04/18 16:23

>科学的な歴史の考察は出来るのだろうか?という質問に限定します。

よく太古の昔の何年何月何日に何々があったということがよく分かるのが信じられないです。
 考古学ではなく、「有史以来」という意味で歴史は確定されていくので、あくまで記録があるのです。それが法隆寺であれば木材の年輪パターンからとしても、記録となるのです。
 確かに、変更されるものはあるにしても、基本的には記録から読み取られるものでなければ、学会では承認されないでしょう。学会というフィルターを通すのはなかなかですよ。歴史小説家でも、参考文献を記載している人は沢山いますし、現地での取材を綿密にしています。
 「歴史読本」などでは、歴史研究家の論文を読むと嫌になるくらい細かな資料に当たっています。

>「民族を滅ぼすには、その民族の歴史を抹殺すればいい」という格言があって、GHQが日本の歴史の抹殺を図ったために、今の腐敗堕落した日本に陥ったと。ですから、正しい日本の歴史を取り戻して、本来の日本を取り戻すしかないという主張があります。
 日本では「焚書坑儒」が行われなかったので、中国、韓国で失われた名著が日本で発見されることが少なくありません。中国など、王朝が新しくなるたびに前の王朝の歴史を抹殺しています。GHQが歴史の抹殺を図ったというのは初耳です。今回の論点ではないようですが、教えてください。歴史を抹殺できるのは一部の独裁者で、少なくとも民主主義を掲げる国は歴史の抹殺を図ることは、自殺をはかるようなものと考えています。
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この回答へのお礼

q1241xさん

遅くなりまして申し訳ありません。
学会の発表に疑念をもつ者もいて、この反論を述べる歴史研究家もいる訳ですから、やはり論理性でどちらが妥当かを判断するのはそれぞれ個人の人間ですから難しいですね。

「GHQが歴史の抹殺」で有名なのは「真相はかうだ」というNHK番組ですが、これ以上の発言は控えます。(言葉を選ぶのが難しいので。。)

そういうことですが、歴史は難しいものだと感じています。宗教と同じく。。

お礼日時:2009/04/18 16:09

正確な歴史とか科学的に検証された歴史とは一体なんなんでしょうね。



歴史なんて「俺達の国や民族マンセー」を言いたいがためにあるようなものです。
歴史という概念を最初に導入したと言われる古代ギリシャがそうだったように現代もそれは変わりありません。
結局のところ、ニーチェが「事実と言うものは存在しない。存在するのは解釈だけ。」というように「どう解釈、評価するか」の話になります。

解釈や評価の世界の話に「正確」なんてものは存在しないでしょう。
あるとすれば、「こういう文献(など)が残されていた」だけでしょうね。
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この回答へのお礼

tandeさん

遅くなりまして申し訳ありません。
考え方の1つをどうもありがとうございます。

そういうものだろうね。

お礼日時:2009/04/18 15:57

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