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 皆さんの見解によると、明治維新の頃、欧米の国々は既に先進国となっていて、それに比べて日本はかなり遅れていたという認識をされている方が多いように見受けられます。
 ただ、史実を見る限り、イギリスとフランスに限っては早くに近代化が進んでいたと思いますが、ドイツとアメリカについては日本とほぼ同時期に近代化が始まっており、「だから日本は遅れていた」と得意そうに説明する理由にはならないと思いますが、どうでしょうか。日独米は同時期に以下の通り同じようなプロセスを経て近代化しており、規模の大小はあるものの、遅れている進んでいるの差はほとんどないと思います。

19世紀半ばまで
日本:多数の藩が分立した封建制国家
ドイツ:多数の領邦国家が分立した国家連合
アメリカ:西部劇の時代

1860~70年代
日本:大政奉還、戊辰戦争を経て、廃藩置県(近代国家体制の成立)
ドイツ:普墺戦争を経て、ドイツ統一(ドイツ帝国の成立)
アメリカ:南北戦争を経て、レコンストラクション(近代アメリカの成立)

19世紀終わり
日本:日清、日露戦争の勝利による領土拡大
ドイツ:普仏戦争の勝利、海外植民地の獲得
アメリカ:米西戦争、米比戦争の勝利による植民地獲得

A 回答 (12件中1~10件)

ドイツというより、ドイツ語圏の覇者となるべくプロイセンとオーストリアが争っていた段階です。

参謀本部システムをもっていたプロイセンが最終的に勝利します。軍隊はシステム化され、鉄道を利用した動員が素早くできるようになっていました。

アメリカの南北戦争は、すでに電信、鉄道による軍隊の連携・戦略移動ができた国家同士の戦争です。焦土作戦で相手の経済を破壊することも行われた、最初の総力戦(後方の非戦闘員もふくむ)でした。

日本はこれらにくらべると、やはり遅れていたと思います。
ただ、資本の原始蓄積という概念、つまり大日本帝国つくるための資本は国全体としてカツカツですが持っており、また日本人が外国の諸物にたいして道具として割り切って国造りをした、都市インフラなどはできていた、という部分があり、列強に呑み込まれなかった点は、特記すべきでしょう。

この回答への補足

日本も戊辰戦争の段階で、近代化された艦隊は新政府軍、幕府軍ともに持っていましたよ。鉄道に関しては山がちな国土ということもあり、敷設が難しかったのではないでしょうか。他国の線路は標準軌が普通ですが、日本の場合は狭軌という特殊な規格が必要だったこともあると思います。

補足日時:2009/05/12 00:20
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おそれいります。



日本国、鋼鉄の量産ができていません。鉄は確かに行き渡っていますが、それで規格化された工業品がまだなかった。咸臨丸でアメリカに行った小栗忠順は、アメリカの工場見学の思い出に、とネジ持って帰って来ています。
また、艦隊のハードはそこそこ近代化されていましたが、ソフトがダメです。これは戊辰戦争のときの開陽丸以下、艦隊運用がうまく行かなかったのをみても、おわかりでしょう。南北戦争のときは、北部が南部各港に対して戦略封鎖をおこなったり、鋼鉄の自走砲艦、河川装甲艦、重要な海上兵器として両方が機雷を多用しています。潜水艦さえ登場したくらいですから。また、南北戦争のとき、特に連邦軍はミシンが普及していたので青い制服が全軍に行き渡りました。
ドイツも同様です。また米独は鉄道車両、それ以前に規格化されたレールを自国で建造していました。

日本の鉄道は、狭軌というより、英国の植民地ゲージなんです。なぜこれになったかは、実は真相は闇のなかですが、有力な説は、政府にお金がなかった、です。英国意外に、ドイツ、アメリカの鉄道技術も導入しているので、お雇い外国人が欧州人だったらもっと狭い欧州大陸の1000mm、アメリカ人だったら914mmの可能性が高いです。
いずれにせよ大隈はこのことを悔いており、日本の鉄道は延々とゲージ論争に突入するのですが、これは別の話なのでこのへんで。

歴史家のアーノルド・J・トインビーは、「人類の歴史の奇跡の一つは、日本の明治以降の近代化である」と言っています。これは正しいと、私も思います。ペリーがきて50年でバルチック艦隊殲滅するだけの海軍を持ったのですから。

日本は素質を持っていたけど、お家がまずしくて、ちょっとそのときまでは両親のアタマも固かった子供、でしょう。貧しくても両親の考えがかわって、実力を発揮し始めるわけです。
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何を基準に近代とするかによって、若干変わる。


通信や郵便制度などは、19世紀半ばからであり、ほぼタイムラグなく日本でも普及した。しかし普及は欧米の植民地もタイムラグ少なく導入されているので、それをもって基準とはならない。
質問者は政治史による近代化の測定としているが、
ドイツにおける統一国家成立
これは、ある意味偶然であり、ドイツ語圏が多いスイスやオーストリアの存在を考えると、統一国家成立を基準にするのはいささか無理がある。
政治史的に考えると、国民国家(一民族一国家という意味でなく)の成立を近代化の基準と考えると、分かり易い。基準は、農奴制の廃止や徴兵制・国民皆兵制度あるいは四民平等概念なり、職業選択の自由になるのではないかと。

イギリス
14-15世紀に 農奴制衰退
(アメリカもこれにある意味準じた)
フランス
18世紀末 フランス革命中に徴兵制
プロイセン
1807年、農奴解放
オーストリア
1848年 農奴解放
ロシア
1861年 農奴解放令
日本
1869年 平民の設定(四民平等)
1873年 徴兵制

こんな感じかなと思う
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ぶっちゃけ近代化って何なんでしょうね。


明確にコレが条件というものが無いんじゃないでしょうか。
統一すれば近代化、鉄道作れば近代化、議会ができれば近代化とするとか単純な定義じゃありませんよね。
軍のシステムとかソフトといっても、どうなれば近代化なのかもイマイチわかりません。
近代化という言葉はいっけんわかりやすいですが、古代、中世、近代などの時代区分のように少し曖昧な感じを受けます。

答えになってなくて申し訳ないですが。
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>日本とアメリカ、ドイツは同時期に近代化



この時期は隔絶した世界ではないので・・・同時発生的に!というより、

日本がアメリカやドイツの成長を手本として(又は技術を購入して)
必死で追いかけていった!って感じでは?
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ドイツもアメリカも、英仏が近代化するに伴い、その影響を、ほぼ同時期に受け続けてきた土台があります。

日本の場合、オランダを介してわずかな影響を受けただけですので、近代化に関わるソフト面での蓄積に、大きな差があって当然ではないかと考えます。

この回答への補足

日本の場合は英仏の真似だけでなく、江戸時代には経済など独自に発展を遂げており、場合によってはヨーロッパより進んでいた部分もあり、また文化の蓄積はヨーロッパに劣らぬもので、そういった面を考慮すれば、英仏には負けていたとしても、米独とは決して劣っていないと思います。

補足日時:2009/05/12 07:46
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何を持って近代化と言うかによって、いろいろな意見が出て来ると思います。



もし、国家の基幹を資本主義の本質である私有財産制に置くことことを宣言し、男女の相続権を対等とすると言う条項を憲法に成文化することを近代化と言うならば、日本の13世紀の鎌倉時代の貞永式目は西洋に遥かに先んじております。それどころか、私有財産制を人類で最初に成文化した憲法が、貞永式目だそうです。この貞永式目では私有財産制に関して「本領安堵」という言葉で表現しております。

また、宗教革命の経験を近代化の土台とするならば、やはり鎌倉時代の仏教革命は西洋の宗教革命より数百年先んじております。

また、資本主義に基づいて、有産階級が社会の中枢に影響力を与えると言うなら、16世紀の堺はヨーロッパよりも先んじております。この時代には現在の銀行制度の殆どを、クレジットカードを除いて日本人は発案していました。その頃はまだ、プラスチックが発明されていなかったので、さすがの日本人もクレジットカードを導入することが出来なかったようです。

もし、近代化を国民の識字率の増大と見るならば、江戸時代後期では日本人の識字率はイギリス、フランスを含めて、どの国よりも抜きん出ておりましたので、もちろん近代化はヨーロッパよりも遥かに進んでおりました。16世紀に来たポルトガルの宣教師達が、日本人の百姓の教養の高さに舌を巻いております。

一般生活の技術として近代化を定義するならば、江戸時代中期には既に不定時法といって、季節によって昼と夜の時間の区切り方を違って数える時間の計り方に関して、コンピューターチップを使わずに、全てを機械的に自動的に調節する時計を作り上げておりました。ただし、このような技術を軍事には使わなかったようです。この時計は歯車やカムの組み合わせで出来ているので、実生活ばかりでなく、余興等でカラクリ人形などに応用されて遊んでいたようです。そして、その土壌が合ったので、豊田佐吉がイギリスの紡績機を見た時にすぐにその機械を再生できたそうです。今のトヨタの始まりです。

もし近代化と言うのを、法体系の整備と言うのなら、裁判制度で禁治産者や未成年の刑事責任を成人よりも一等軽くする法体系を日本人は江戸の初期に達成していました。ヨーロッパがそのような人道的な制度を取り入れるのは、それより200年位後です。

また、もし近代化と言うのを人間の平等意識として捉えるなら、西洋人が神の下に平等と言う概念を、日本人は天皇の下に平等と言う概念で、鎌倉時代以降永々と認識しております。この平等意識がなかったら、江戸から明治への「大政奉還」という現象が理解できませんね。江戸幕府の将軍と言えども、天皇の下では一介の私人であると言う意識が常識化していたからこそ、こんな殆ど無血革命ができたのですね。

もし、近代化とは自然界を合理的に観察して、例えばダーウインの進化論等が唱えられるようになることだというのなら、ダーウインよりも50年も前に、江戸時代の石門心学の一派、鎌田柳泓や山形蟠桃などによって自然淘汰に基づいた進化論が唱えられておりました。精錬技術が進歩していなければ、戦国時代の中世以前に、刀や槍ばかりでなく、鍋かまが日本中の日用雑貨として普及してい事実を理解できませんね。

もし外国征服を近代化と言うのなら、徳川幕府の方針で、安土桃山時代には高度に発達していた外洋航路用の船舶が全て取り壊されてしまったので、外国征服に対してヨーロッパより遅れをとってしまったようです。

もし、近代化とはチョンマゲを結わず、西洋人と同じ服を来て、西洋人の真似をした制度を採用すると言うことなら、明治を待たなくてはなりません。ところで、明治維新をした指導者達の平均年齢が30才代だったと言うことをご存知ですか。そんな連中が、西洋をカッコいいと思ったとしても不思議は在りませんね。また、近代化とは自国の軍事力を強化して、西洋人のように弱小国をその支配下に置くことだと言うのなら、やはり明治時代を待たなくてはなりません。

ところで、質問者さんの言う近代化とはどういうことですか。多分、西洋人と同じ恰好をして、西洋人並みに軍事力を持つことを近代化と言っているのですか。
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何をもって近代化というのか難しいですが、工業的な近代化で欠かせないのはネジの量産というものがあります。


東洋ではネジというものが発明されませんでした。
そのために中世までは進んでいた東洋が一気に西洋に置いていかれることになります。
日本にネジが登場したのは鉄砲の伝来によってですが、鉄砲以外にネジは使われませんでした。
江戸時代にさまざまな工業製品は作られています。
それこそ時計や自転車なども。
しかしどれもネジは使われていません。
そのために簡単な量産が出来なかったそうです。

産業革命による工業化の成功を近代化と呼ぶとしたら明らかに日本は遅れたといえます。

それにアメリカは西部劇の時代にすでに蒸気機関車が走っています。
それを見てもアメリカのほうが先に進んでいますよ。

この回答への補足

ネジを発明できなかったからという事実をひとつとらえて近代化していないというのも無理な話ですよ。

たとえば現代、ICとかDRAMなどの電子部品は現代の高度情報化社会に欠かせないもので、発明したのはアメリカかもしれませんが、量産化したのは日本や韓国といった東アジア諸国です。
でも、これをもって欧米諸国は明らかに遅れているとは言わないでしょう。

補足日時:2009/05/12 21:35
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質問者さんの「ドイツとアメリカについては日本とほぼ同時期に近代化が始まっており」という仮定はいくら何でも無理ですよ。



日本の近代化の発端となったのは「ペリーの黒船の来航」です。この時点でアメリカは近代化(産業革命の進展)という点で日本より遥かに先を行っていますが?

ペリーの艦隊(蒸気軍鑑2隻、帆走軍鑑2隻)はいずれもアメリカで建造されたものです。この艦隊で、アメリカ東海岸のノーフォーク軍港を出航し、大西洋を渡って喜望峰・インド洋を経由して日本に達しています。当時の日本人には想像もつかない強力な軍鑑であり、壮大な航海です。

軍事力の背景として、19世紀半ばのアメリカ北部には既に各種の工業が発達しておりました。例を挙げるのに暇がないくらいです。この頃のアメリカで発明された近代工業の産物はいくつも挙げられます。
例:
ミシン
機関銃

南北戦争でイギリスが南部連合に好意的であったのは、アメリカ(南北戦争の北軍であるアメリカ合衆国)が既にイギリスの競争相手となっていたからです。

この回答への補足

明の鄭和も大艦隊を率いた航海をしていますよ。18世紀までは各種工業の発達に関し、中国も負けていなかったでしょう。
西欧文明のみが近代化という考えはいい加減にやめてほしいものです。

補足日時:2009/05/12 21:40
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この場合の近代化とは西欧化のことです。



では西欧とはどんなものかというと、地域的には西暦800年前後のカール大帝の領土(後のドイツ、フランス、イタリアの大部分)と、大陸と何かと行き来が多かったイングランドをひっくるめた領域にほぼ一致し、精神的にはキリスト教文化とギリシア・ローマ文化とを共通の基盤として独自に練り上げたもの、と要約することができるかと思います。

ですから主として三十年戦争後の荒廃に苦しんでいたドイツ地域が刻苦精励によって哲学、音楽、医学等の分野でたちまち他を圧倒する成果を挙げることができたのも、それほど奇異なことではありません。普仏戦争の勝利、敵地ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国ヴィルヘルム一世の戴冠は、ドイツの遅れを取り戻してあまりある象徴的な出来事となったのです。

また米国の歴史は、はじめフランス人、のちにイギリスの国をあげての入植により成立し、それがネイティヴ・アメリカンを圧迫しながら西進したものですから、根は西欧です。独立にしろ内戦にしろ、それによって立脚すべき根本が変質したわけではありません。

これらにひきかえ、わが国の事情がまったく異なることは明らかです。
「和魂洋才」の言葉が示すとおり、最初、西欧の進んだ技術のみを取り入れようとしました。
ところが西欧の技術というのは、西欧の文化とか制度と抜き差しならない形で結びついたものだったのです。これが西欧文明の特異なところです。

ひとつの技術を取り入れ、あるひとつの産業を興そうと思えば、それは資本主義ないし民主主義と呼ばれる思想と不可分に結びついています。
自由といい、平等といい、友愛といい、それらはみな西欧が長い間かかって培ってきた文化の中から導き出されたイデオロギーであるといえます。
技術を取り入れるとは、文明をまるまる一つ、否応なく受け入れることだったのです。


われわれはいま、一編の近現代小説を読み、一曲のクラシックを聴き、一枚の西洋絵画を鑑賞して何の違和感も感じません。むしろもっと理解したいと熱望さえしています。
しかしそれら一つ一つが、まぎれもない西欧イデオロギーの産物であることをうっかり忘れているか、まったく気づこうとさえしなくなっています。それほどわれわれはいま、西欧化された非西欧人なのです。

あるいはにわかには私の回答が納得できないかもしれません。
けれどももう一度、歴史なり現今の日本の仕組みなりを振り返ってみてください。
日本固有のものを一部強固に残しながら、原則は西欧由来の思想、価値観の上に成り立っていることが明らかになるのではないでしょうか。
これが非西欧圏における「近代化」です。

この回答への補足

>原則は西欧由来の思想、価値観の上に成り立っていることが明らかになる
それはないですね。西洋文明というのはキリスト教と一体となっていますが、日本のキリスト教徒は人口の1%もいなかったはずですから。

補足日時:2009/05/12 22:00
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