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現在大学1年生の者です。
「昔の上智なんて大したことなかったのにねえ」と母や母と同世代の人は思っているみたいなのですが、実際はどうだったのでしょうか?
当時のデータやエピソードをご存じの方、教えてください。

A 回答 (8件)

1970年代後半に上智外に在籍していた年配者OBです。

共通一次が始まる前の世代です。
自分で言うのもどうかとは思いますが、その当時一応上智は難関私大の一角に括られていました。
確かに外語は看板学部として就職などは比較的良かったのですが、他学部も急激に難易度が上がっていった時期だったようにも記憶しています。
うろ覚えですが文学部新聞学科などは当時でもすでに受験は難しく、外語よりも偏差値は実際高かったような気もします。
上智は1970年代前半あたりからまず人文科学系の右肩上がりが始まり、70年代後半には法や経などの社会科学系もそれに引っ張られる形で伸長していった気がします。一方、理工学部は当時からすこし影が薄かったような。(自分の周囲に理系の友達がいなかったせいかも知れませんが)

JAR(上智・青学・立教)という呼称も自分の在学中に既にありましたが、その意図するところとして在京ミッション系私大として特に女子受験生の間でブレイクしていた3大学をひとつのグループとして括ったまでの事かと思います。受験の偏差値も当時は少しばらついていた気もします。
実際その3大学間で何らかの交流があったわけでもないし、「早大vs 慶大」のようなある種の仲間意識やライバル意識も特にありませんでした。
カトリックとプロテスタントの教義の相違もあったのかもしれませんが、学校側も立教や青学に対しては淡白だったように思えます。(上智は名古屋の南山大学とは非常に仲良しでした)

実は自分は早大法と上智外にパスしてどちらに行こうか迷った際、早大OBの兄貴に「名よりも実を取るなら上智外だろう」と当時言われたのも参考にして身を振ったのですが、今でもあのアドバイスが適切だったのかどうか稀に思い返すこともあります。
ただ上智はその当時、そこら辺りの事を考慮する位置づけにあったのは事実かと思います。

自分は愛校精神など皆無なので卒業してから全く母校に顔を出したこともなければ、寄付なども全くしないダメOBです。そのために寧ろ最近の上智がどのような状況にあるのか良く知らないのですが、当時の淡い記憶に基づいてコメントしてみました。
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20~30年位前では「大したことない」とまでは言えないでしょうね。

その頃ではもうすでに入学難易度が高かったはずです。
それよりもさらに昔、上智大の就職課の職員が各企業へ「うちの学生を使って下さい」と回られたそうです。このことだけでも、当時の上智大は社会的にどうであったかが概ねわかるでしょう。
あなたのお母様位の世代ではすでに難易度は高かったはずです。受験バブル前後のはずですから。。。
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1980年代前半ですが


小学生に一時期をロンドンで暮らし、帰国後も英語は得意科目。
共通一次96%で京大法学部に合格した友人は同じ年の上智の国際関係法は不合格でした。東大に行った友人も上智を併願していたこともあり、私立では早慶と並ぶ学校という印象があります。
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あら、お母様はおいくつくらいでしょうか。

1980年代初めには「早慶上智」と言われるようになるほど既に難易度が高かったです。特に外国語学部の英語学科は別格でしたね。

ただ昭和一桁の私の父親あたりは、それを聞いて「??」だったみたいです。専門学校だった時代の印象が残っていたみたいでしたね。

大学になっても世間の評価は青山学院の方が上だったそうです。それが逆転したのは1970年代に入って。青山学院が学生運動を嫌って、新興宗教の●●●●を学内に入れたり、神学部を廃止したりして評判を落としました。

一方、上智が当時は進学にハンディのあった帰国子女を積極的に受け入れて「語学に強い」、就職課にやり手のスタッフを入れて「就職に強い」という評価を得て、学校の難易度は上がったわけです。
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 よく言われるのは、1979年の共通一次(現センター試験)導入を境に、


一部私立大学の格が上がったという説です。共通一次の導入に合わせて
国公立の一期校・二期校の制度が廃止され、旧二期校の凋落もここから
始まったと言われています。

 #2さんも言及していますが、共通一次以前に大学を受けた世代、
すなわち 1960 年(昭和35年)より前に生まれた世代では、早慶や
同志社以外の私立を低く見る傾向にあります。たとえば「 青学なんて
願書さえ出せば誰でも入れた 」なんて話もあります。

 rijicho さんのお母様の世代はおそらく、共通一次開始前後でしょう。
私の記憶では、1980 年代には上智はすでに難関の一角でした。とは言え
「 早慶上智 」という括りには違和感を感じる人も多かったでしょう。いま
ほどの評価を確立したのは平成に入ってからではと愚考します。
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1980年前後


JAL という学校の分け方があった。
上智 青学 立教
ミッション系で、英語に強くて、キャビンアテンダントになる人が多い(というイメージ)で、JAL
ちょうど1979年から共通一次(今のセンター試験)が始まりまして、全国的に東京の私立大学の難化が始まります。
変動というものは、小さいほど受けやすいものでして、この東京の私立大学の難化の影響をもっとも受けたのが上智大学ではないでしょうか。
私は79年の入試だったので、上智というとイメージ的には、早稲田・慶應のちょっと下というイメージでした。
家庭教師で、早稲田の付属校を目指している中学生を教えておりまして、本人が英語を将来勉強したいなので、早稲田の教育に進みたいと申しておりました。
なので、「英語だったら、上智とかどうなの?」(私の頭の中では、早稲田の方が難しいだろうというものがあった)
教え子曰く「上智なんか、難しすぎて行けません」
というので、街の本屋で偏差値を見たら、外国語学部以外でも、早稲田・慶應とどっこいでした。
あの辺の1980年代前半で、ガツンと変わってみたい。
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お母様の年代に寄りますが・・・


私は40代後半ですが、私の頃はもう早慶上智と言われる用になっていました。確かに外国語学部がずば抜けていて、それ以外は早慶よりは劣っていましたが、それでもMARCHクラスと同等かそれ以上って感じでしたよ。外国語学部以外の入試でも英語が難しくて英語が得意じゃないと入れないと言う感覚がありました。
私より年上だと、そんな感覚かも知れませんが。
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私の大学受験は今から40年近く前のことです。

正直なところ、上智大学で評判の高い学部は外国語学部だけでしたね。他の学部の偏差値は首都圏の大学の中でもそう高いほうではありませんでした。

今でこそ全ての学部が早慶に並ぶ難関大学の一つですが、少なくとも私の時代の上智大学はブランド大学ではありませんでした。私自身はある進学校で学んでいましたが、東京の大学受験者で上智大を受験する生徒は4人、全員外国語学部を目指していました。

上智大学を受験するなら外国語学部だけ、が当時の高校生や教師の常識でした。兄がいくつかの大学を受験しましたが、父から「受かっても上智だけはやめておけ。ただの滑り止めに過ぎないぞ」と言っていたことを覚えています。

上智大学の学生さんですか? 今は押しも押されぬ名門校ですよ。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。私は上智ではなく慶應の学生です。ただ、私の出身校は、カトリックの進学校だったためか、上智出身の先生が多くいました。

お礼日時:2009/05/14 18:30

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