カテ違いでしたらすみません。

先日護国寺というお寺に行ったのですが
寺内にとても大きな鳥居があり、
その先にはお墓がありました。
ちなみに護国寺出てすぐに音羽富士があり
こちらも神社です。

この近くに鬼子母神があるのですが
こちらにも境内内に鳥居があり稲荷を
祀っていました。(武芳稲荷といいます)

神仏分離があったと思うのですが
なぜこれらの場所は併存しているのでしょうか?
興味深かったので知っている方がおられたら
教えてください。宜しくお願い致します。

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A 回答 (6件)

>神仏分離があったと思うのですがなぜこれらの場所は併存しているのでしょうか?



明治政府による、神仏分離令により(一部寺社を除き)神社とお寺は強制的に分離する事になりました。
(香川県高松市の一宮寺は、江戸時代に藩主の命に寄り田村神社より分離)
奈良興福寺では、住職が翌日から全員春日大社の神職になり、興福寺は荒れていきます。
海の神様で有名な讃岐金毘羅宮も、松尾寺の住職が(金光院住職を除き)翌日から金毘羅宮神職になり、境内全てを松尾寺から奪い現在に至っています。
最後まで松尾寺住職として法灯を守った坊さんは、神式で金毘羅宮奥の院に祭られていますよ。体制に逆らった罪という説もありますね。
今でも、松尾寺本堂が旭社に、仁王門が大門と名前が代わっています。

仏教伝来後は、神さんよりも仏さんが偉い!という考えがあったのです。
ですから、お寺の中に神社が存在する事は普通の事でした。
ところが、明治政府の天皇制では「天皇は、天照大神の子孫で現人神である」という思想統制から、神社を優先した訳ですね。
(1945年の敗戦後、昭和天皇は自ら「朕も人間だ」と宣言しています)

また、お寺には「土地の神」が存在します。
家を建てる時は、地鎮祭を神式で行ないますよね。
お寺も同様です。
高野山等でも、土地の神が現れ「ここにお堂を建てよ」と高僧に命じていますよね。
ですから、土地を守護する事を目的に「この土地の神」を祭っているのです。
この神は、天照系の神でなく、狸・狐・その他地神の神です。
明治時代でも、神仏分離令とは無関係に「土地神を祭る」事は暗黙の了解でした。
「お寺に鳥居の不思議。」の回答画像2
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても丁寧な説明、興味深く拝見しました。
そうですか、土地の神様、ですか。
写真もありがとうございます。
これはどちらですか?

先程とても面白いお寺を発見したのですがその名も
最上稲荷です。稲荷といいながらお寺だそうです。

>明治の神仏分離令の際、「神仏習合」の祭祀形態が許されました。

とあります。とすると護国寺も鬼子母神も
政府から許されたのかもしれませんね...。
仏教と神道が融合した習慣等が色々あって
調べると興味はつきませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/17 18:11

神仏分離は神社から仏教色が排除された、つまり神社境内の仏堂や仏像の廃棄、祭祀における仏教儀礼、仏教用語の排除、寺院や僧侶による神社の維持・管理の廃止などです。


また、神仏混淆の霊場では、神社か寺院かどちらかに統一する。山岳信仰の霊場での多くは仏教色が廃止されて神社化され、縁起や祭祀が中央集権的な国家祭祀へと改変・捏造されることもありました。
金刀比羅宮も松尾寺の鎮守堂「金毘羅大権現」であったのが、仏教が排除されて神社へと改変された例です。また寺院の境内鎮守が村落の氏神として信仰されていた場合も、鎮守社が寺院の管理から分離された場合もあります。

対して岡山の最上稲荷や豊川稲荷、高尾山などは、神道風な祭祀が行われているが、あくまでも本尊は仏尊であるとして、神道化さぜに寺院のままで信仰を続けました。
また吉野山金峯山寺も一時的に神社化しましたが、すぐに寺院になりました。そもそも修験系の山岳霊場で神道・仏教と明確に分離すること自体が、むちゃくちゃな方針です。

ですから神仏分離は神道から仏教色を排除したのであって、寺院から神道色を排除したのではありません。また一時的に過激に神仏分離が行われても、しばらくして寺院がかつての遺構を復する場合もあります。
寺院に神道的なものがあるのはありふれています。逆に神社に仏堂が現存している方が珍しいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
私、少し勘違いして理解していた様なんですが
神仏分離とは神社、寺と完璧に分けてしまった物だと
思っていました。
みなさまの回答を見させていただき、理解させて頂きました。

>神仏分離は神道から仏教色を排除したのであって、寺院から神道色を排除したのではありません。
そうなんですね、だから寺院には神道色が残っているんですね。

>逆に神社に仏堂が現存している方が珍しいです。
これ、あったら是非訪れてみたいです。
神仏分離で貴重な仏教の資料等が失われてしまったのは
本当に残念ですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/20 18:53

ご質問を読むと、鳥居の先に墓があるとのことですが…



もしかしたら、それは墓の鳥居ではないでしょうか?
「墓に鳥居」というと奇妙に思うかもしれませんが、これは古代の墓の様式を汲むものです。
古代の墓では、死者の穢れが外部に影響を及ぼさないようにと、周囲を囲む「モガリ」という様式がありました。
この周囲を取り囲むという様式が仏教化され、墓石の四面を石柱などで取り囲み、その内部を弥勒浄土とみなす「四十九院墓」という形式が作られます。
そして四方あるいは、正面に門を作りますが、この門が鳥居の形です。

このように墓に作られた鳥居は聖俗を区切る結界の役割を果たします。高野山奥之院の大名の供養塔は、この形態を色濃く残し、石塔の正面に鳥居が作られます。
また各地の霊廟形式の墓地にも鳥居が用いられます。そこには仏式の祭祀を行いながらも、同時に死者を神とみなす信仰が影響しているのかもしれません。

参考「お墓の鳥居」
http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/Contents/7D …

ですから、「鳥居=神道・神社」という固定観念をいったん捨てましょう。鳥居には「原始的な門の形態」と見た方がいいかもしれません。

なお、寺院の門に鳥居を用いる場合もあります。
大阪市の四天王寺の西門は鳥居です。また、山岳信仰の寺院では一の門に鳥居、二の門に楼門という二門形式が多くみられます。
しかし、時代が下がるにつれて鳥居を寺院の門に使う様式は、山岳信仰の寺院を除いて減っていきます。

なお、神社から仏教色は廃されましたが、寺院内の鎮守社や祠まではあまり関係ありません。神道側が一方的に仏教色を廃したのです。
また明治初期は過激に行われましたが、それも一時的なもので、その後は以前通りに寺院境内に、神式風の祠を祀るようになりました。
なお、鬼子母神は仏教守護神です。それを神式の祠で祀っているのであって、神仏分離とかはあまり関係ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございいます!
URLも興味深く拝見させて頂きました。
神仏習合とはいえあまりに立派な鳥居が寺の中に
堂々といくつもあるので、本当に興味深く見てきました。

>それは墓の鳥居ではないでしょうか?

はい、そのようです。見つけました^^
江戸幕末の盛岡藩主、南部利剛の神式の墓だそうです。
護国寺には他にもたくさん大きな鳥居がありました。
http://pddlib.v.wol.ne.jp/photo/gokokuji/nanbu/i …

>「鳥居=神道・神社」という固定観念をいったん捨てましょう。鳥居には「原始的な門の形態」と見た方がいいかもしれません。

本当にそうですね、私自身は特に仏教、神道わけて信仰している
訳では無いのですが、違いと信仰がくっついている物を
探すのが面白くて神社仏閣回りをたまにしています。
お寺に神道のお墓がある、面白いですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/20 18:35

実は「稲荷」の中には神道系と仏教系の両方があります.


ちと調べると Wikipedia の「稲荷神」のところにちょろっと書いてありますね. 神仏習合の過程で稲荷神と荼吉尼天が同一視されるようになったのかな?
なお最上稲荷と同様, 豊川稲荷もお寺です.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
Wikipedia 、読んでいたのですが見落としていました....。
稲荷って聞いただけでまず思い浮かぶには神社ですよね、
本当に面白いです。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/20 18:12

神仏分離が、明治にあり、ほとんどの寺院では、鳥居などは、移されました、(例外は、あります。

)戦後になってから神社や鳥居をまた戻した場合が、多いです。神仏分離のせいで現代の一般人は、神と仏は別物と考える人はいますが、現代の僧侶や信者には、神と仏は同じようなものだと考える人もいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
戻された物も多いんですね。
>神と仏は同じようなものだと考える人もいます。
私もそうかもしれないです。
自然に神道、仏教の行為をしているので。
別かどうかもわからない若い人も多いそうですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/20 18:00

お説の通りです。



明治時代に神仏分離令が出るまで、お寺の中に神社があり神社の中にお寺がありました。

神様と仏様は神代の昔から平和共存していたのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>明治時代に神仏分離令が出るまで、お寺の中に神社があり
神社の中にお寺がありました。

これは知っているのですが、なぜここは残っているのかな?
と思い疑問に思ったのです。神仏分離令を逃れたのか....

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/17 17:54

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Aベストアンサー

お辞儀は日本人だけのものではありません。ヨーロッパで発達した握手が世界の主流になった感がありますが、世界の民族約3,000が全て握手をするわけではありません。握手が主流の欧米でも場に応じていろいろなお辞儀の仕方があります。片一方の足を後へ引いて体を低くする、スネをつくなど、日本式に腰は折らないがお辞儀としては同じ流れです。

日本のお辞儀は日本古来の習慣に中国の流儀が加わり室町時代ごろに日本式が完成されたものと思われます。細かくいつからというのは、お辞儀が国民大多数に広まった時点がいつか明確ではないので難しいでしょう。(5~600年前か?)

蛇足ながら西欧の握手の歴史も同じぐらいのようです。
元々は敵対するもの同士が会合などで出会った時に武器を隠し持っていないことを示すために手を握ったといわれます。したがって親しい人間(家族など)や毎日会っているもの同士は握手をしないのが普通です。又男性が女性に握手を求めるのが礼儀違反なのは理にかなっています。(レディが武器を隠し持っているかどうか検査はしない)海外でいつまでも握手しか知らない(しない)日本人は違和感を与えます(TPOが必要)

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/manner/5shou/22setu.html

お辞儀は日本人だけのものではありません。ヨーロッパで発達した握手が世界の主流になった感がありますが、世界の民族約3,000が全て握手をするわけではありません。握手が主流の欧米でも場に応じていろいろなお辞儀の仕方があります。片一方の足を後へ引いて体を低くする、スネをつくなど、日本式に腰は折らないがお辞儀としては同じ流れです。

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Q神社には鳥居があって、お寺には鳥居がない?

お寺なのに鳥居があって、
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わかりづらい質問ですいません。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

>お寺なのに鳥居があって、神社なのに鳥居がない所もありますか?

多くありますよ。
他にも回答がありますが、明治政府の「神仏分離令」までは「神仏習合」でした。
つまり、多くの神社の管理は「お寺」が管理していたのですね。
讃岐の金毘羅さんは、金光院松尾寺。
春日大社は、奈良興福寺。
名残として、安芸宮島の厳島神社には五重塔がありますよね。

お寺なのに鳥居があるので有名なのは・・・。
徳島県三好市にある「箸蔵寺」ですね。
今でも、神仏習合時の面影が残っています。
仁王門をくぐって参道を進むと、第一の鳥居があります。
鳥居を過ぎてテクテク歩くと、山門に到着。
山門前には方丈があり、方丈を横に歩くと狛犬が迎えてくれます。
第二の鳥居をくぐって220段の石段を登ると、正面に狛犬。その向こうに本殿(金毘羅大権現が祀られています)に到着。
ここに、観音堂・薬師堂・護摩殿など仏教施設があります。

神社なのに鳥居がないので有名なのは・・・。
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Q 日本人がしきりにお辞儀をするのは欧米人にはおかしく見えるとか,オバマ

 日本人がしきりにお辞儀をするのは欧米人にはおかしく見えるとか,オバマ大統領が来日した際,天皇陛下にお辞儀をしたのが批判されたりしていますが,コンサートなどでは彼らも舞台から深々とお辞儀をよくしています.欧米人はどのような時のお辞儀だったらおかしくないと感じているのでしょうか?

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まず西洋人がコンサートなどで頭を下げるのは、お辞儀ではありません。

日本のお辞儀も、西洋の頭を下げるもの「自分より相手を(礼儀上)高い位置に置くために、自分の頭を低くする」というところから来ているのは一緒ですが、西洋の場合は主に相手の賞賛(またはブーイング)を受けるために、頭を下げるのであって、日本のように相互に儀礼として頭を下げあうのとは違います。
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日本人からすれば、男同士が抱き合ってキスしあうなんて、非常に奇妙に感じるでしょう。欧米人がお辞儀に感じる違和感もこれと同じようなレベルだとおもいます。
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つまり。、日本人のように相互にお辞儀をするのがとても奇異に映るのです。たとえば天皇陛下ですら誰かと話をすれば(会釈程度ですが)お辞儀をします。
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欧米人が奇異に映らないのは、上下の差がはっきりしていて、下のものしか頭を下げない場合だけでしょう。

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Q 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀

 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀られ受験生の参拝の対象となったのでしょうか。

 かつては、京の重職を左遷されたことで怨霊となり、事ある毎に災害や異変が起きると京都の人々は、菅原道真の怨霊だと恐れていましたが、怨霊封じで神社を建立し、英霊とすることで怨霊封じから学問の神様という流れになってきたとも思いますがどうでしょうか。

 分かる方おりましたらご回答ください。

Aベストアンサー

学問の神様と広く言われるようになったのは江戸時代からです。
徳川綱吉が湯島に学問所を作って以来、学問所の近くに元々からあった湯島天神が、学者さんや学生さんに信仰されるようになりました。その後、寺子屋でも祀られて庶民にまで浸透しました。

ちなみに湯島の学問所では、公式には孔子を祀っていました。

Q日常生活で、どういうときお辞儀をしますか?

日本語を勉強している外国の学生です。日本に行ったことないし、
今、日本のお辞儀について卒論を書きたいと思います。

1.日常生活で、どういうときお辞儀をしますか?

2.学校や会社で、どういうときお辞儀をしますか?

3.お店で、店員が「いらっしゃいませ」 「ありがとうござました」と言いながら、お辞儀をしますね。意味がありますか?

4.ネットで写真を見たことがあります。駅員は電車にお辞儀をしています。なぜですか?

ちなみに、最近お辞儀をしない日本人が増えているとネットで読んだことがあります。
お辞儀について、いろいろ教えてください

よろしくお願いします

Aベストアンサー

まずお辞儀を含む日本の挨拶はすべて「敵意の無いことを現すこと」から来ていることを知っておいてください。

欧米人が握手をするのも「敵意がない」つまり「私は武器を何ももっていないから、こうしてあなたと握手することもできるし、あなたが武器をもっていないと信用するから近づいて手を差し出すよ」という意味があるのです。
日本のお辞儀も、この武装解除が様式化したものだといえます。

日本のお辞儀はまず「相手から目をそらす」という行為が前提になります。昔の武器は刀や剣であり、日本の武士や西洋の騎士などは常時武器を身につけていましたから、武器をもっている相手を見ない、ということはいきなり切りつけられたら、すぐに致命傷をおってしまうことになります。

このように「相手から目をそらす」のを目礼とよび「あなたを信頼しているので目をそらして挨拶(礼)をします」ということになります。

この次の段階がいわゆるお辞儀です。お辞儀は相手に対して首を差し出す動作になります。この際に、相手を見ることはしません。なぜなら「あなたを信頼して、無防備な姿を晒して礼をします」ということだからです。

だからこそお辞儀の角度が深く、腰を折れるほうがより礼儀的に強いお辞儀になるわけです。

これが原則です。
これが様式化されたのが現代のお辞儀です。西洋の挨拶と対比しながら状況ごとにお辞儀の種類を書きます。西洋式の基本はアメリカ式とします。


アメリカ式(以下米式):ハイ、と声をかける(少しはなれた場所で声を掛け合いそのままあまり止まらないで行き過ぎる場合)
日本式(以下日式):「こんにちは」と声をかけ、相手がこちらをむいたら「首を曲げる程度」にお辞儀する。腰はあまり曲げない。

米式:近づいて握手をし、すぐに手を離すような場合
日式:お互い止まった位置でお辞儀をする。最近は30度ぐらいのお辞儀が普通だが、年長者またはクライアント側はより軽く、若輩者やサービス側はより深く長くお辞儀をする。ただし、1回程度で話に戻る。

米式:握手をしたまま、社交辞令を交わすような場合
日式:止まった位置でまず一度お辞儀をし、そのまままたは目を合わせて社交辞令を交わす。社交辞令にお礼すべきこと感謝すべきことがあれば、そのつど「ありがとうございます」などの言葉と共にお礼を混めてお辞儀をする。この場合は何度下げてもよいし、お礼の深さによって、深くてもよい。

以上が1,2の場合で、学校の場合は先生に対するお辞儀の深さや友達同士でのお辞儀の深さが決めてある場合もあれば、暗黙の了解でこのくらいとなっている場合もある。

3.お店で、店員が「いらっしゃいませ」 「ありがとうござました」と言いながら、お辞儀をしますね。意味がありますか?
先ほど書いたようにお辞儀は「感謝」でもありますので「来店してくれてありがとう」という意味で軽くお辞儀をします。ただしコンビニなどの日常的な店は軽く、百貨店や高級ホテルなどは深いお辞儀になります。
こちらも軽く会釈(目礼と首を軽く曲げる)するとよりよいでしょう。外人なら「ハイ」と手を上げても失礼にはなりません。なぜなら無視するのが一番無礼だからです。

なお、店舗やホテルなどでその店から出るお客を何時までもお辞儀をして見送るものがありますが、あれはある意味周りに対するアピールです。つまり「私たちは来店してくれたお客様を見送るぐらい大切におもてなしします」という意味だからです。

4.ネットで写真を見たことがあります。駅員は電車にお辞儀をしています。なぜですか?
日本人にとって「場所」というのは常に意味をもちます。他の方も道場は神聖な場所だから入口でお辞儀をする、と書いておられますがすべての「場所」に意味があるのです。

電車に職員がお辞儀をするのは「電車」が自分たちの生活の糧であり、電車に乗っているお客様に対する感謝と、安全運行をしている運転手と車掌をねぎらう意味があるからです。
ただし、鉄道職員は運行管理上お辞儀をしてはダメなとき(目をそらしたら、危険を察知できないとき)も多いので、あまりお辞儀をすることはありません。
むしろ新幹線の清掃職員とか車内販売員などは、これから職場になる電車という「場所」に対して、それを利用して入れるお客様、そして安全運行を担っている鉄道職員に対して「感謝」を現すためにお辞儀をして電車を迎い入れ、また送り出すのです。

たとえば日本では学校の授業の前、それも各時限ごとに起立してお辞儀をおこないます。これは教師も同じように行いますが、これも授業という「場所」を共有するすべての生徒・教師がお互いの意識を共有し、さらにいえばそれを感謝するために行うものです。

このような意識があるので、日本人は家に帰れば「ただいま」「お帰りなさい」、家を出るときは「言ってきます」「いってらっしゃい」と礼を行い、ご飯の前には「いただきます」食べ終わって「ご馳走様」と礼を行うのです。

さて、質問者様が欧米人であれば、日本やアジア諸国に来たときに困ることがひとつあります。それは「目を合わせたときに微笑んでくれない」ということです。

実はこの欧米人の(特にアメリカ人の)目が合ったときに微笑むのも「私はあなたに敵意をもっていません」というジェスチャーなのです。

日本を含むアジア人にはお辞儀などの様式化した礼(つまり敵意を持っていないことを現す方法)があるので、目が合っても微笑むことはしません。

一般的な欧米人にはこれが非常に怖いようで「あいつら(アジア人)は何を考えているか分からない」と人が多いところでは不安になるようです。

ではアジア人にとって欧米人の「微笑み」に相当するのはなにかというと、それは「目を合わせないこと」そのものになります。

一番最初に書いたように、目を合わせないというのは「相手のしぐさを観察しない」ということであり、周りにいる、誰かがいきなり武器を出しても対応できないことになります。

西洋人は対応できるように常に目を合わせて観察しながら、お互いに「敵意は無いよ」と確認しあい、アジア人はそもそも目を合わせないことで「敵意が無い」ことを証明しているので、行動の基準がまったく逆でそこに欧米人は不安を感じるわけです。

日本でも年齢差による礼の重要性はだいぶ薄れてきており、お辞儀がまともにできない若者も増えています。かれらの言い分では「西洋式の礼のほうがフランクでかっこいい」ということなのですが、彼らは欧米式の礼の厳密さを知らないからそういえるのです。

日本の礼は非常にアジア的であり、それは儒教の影響を受けているからです。儒教は礼に始まり礼に終わるもので、日本だけでなく中国なども儒教の影響を受け礼が発達しています。

最後にブルース・リーの映画をご紹介しておきましょう。有名な「死亡遊戯:Game of Death」です。この中で、若い弟子がブルース・リーに対してお辞儀(中国式のお辞儀)をしようとして、リーから目を離し「常に相手から目を離すな」と教えられるシーンがあります。

武術家としては正しい流儀なのでしょうが、これは日本でも中国でも失礼にあたる行為です。なぜなら「相手を信用していない」という意味になるからです。

「相手を信用していない」で思い出したのでもうひとつ。
以外に知られていませんが、韓国もお辞儀をする国のひとつで、様式も日本とほぼ同じ、もしくはもう少し年齢に合わせての基準が厳しくなります。

さて、思い出したのはビル・ゲイツ氏が韓国の朴大統領と握手をした際です。このときゲイツ氏は片手をポケットに入れたまま握手し、韓国人から「非常に無礼である」と非難を浴びました。日本人である私も礼の本質からいえば「無礼」であると思います。これがアメリカであったなら、アメリカの常識で住んだのでしょうが、場所が韓国だったため配慮にかける礼になってしまったのです。

そして、なぜ無礼なのか、誰も本質を書きませんし、なんとなく「ポケットに手を入れたまま握手をするなんて信じられない」と欠いてある程度ですが、本質をいうと「ポケットの中に武器を隠し持っていたらどうするんだ」ということなのです。

もちろん、本当に武器をもっているとは100%の人が思いませんが、お辞儀・礼というものが「相手に敵意を見せない」ことである以上「武器を持っているかもしれない」と疑われる行為は「無礼」で不愉快な印象を与えるだけなのです。
お辞儀や礼にはこういう根本的な要素と様式があり、様式を知らないと分かりにくいのですが「敵意を見せないようにする方法」がお辞儀であり礼であると知っていれば、ポケットに手を入れて握手するのが、どういう印象を相手に与えるのか、理解できるのではないでしょうか。

礼やお辞儀は「相手を信用する」ことから始まるものであり、長い伝統のなかで様式が固まってきたものであり、文化であるともいえるのです。

まずお辞儀を含む日本の挨拶はすべて「敵意の無いことを現すこと」から来ていることを知っておいてください。

欧米人が握手をするのも「敵意がない」つまり「私は武器を何ももっていないから、こうしてあなたと握手することもできるし、あなたが武器をもっていないと信用するから近づいて手を差し出すよ」という意味があるのです。
日本のお辞儀も、この武装解除が様式化したものだといえます。

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Q芦ノ湖の鳥居と浜名湖の鳥居の歴史について

芦ノ湖の鳥居(箱根神社?)と浜名湖の鳥居(弁天島)の歴史や由来
について外国人の友人に聞かれて困っています。
いろいろネットで検索してみたものの、いまひとつこれというものが
見つけられなかったので、教えていただけませんか?

彼は東海道五十三次に興味があり、彼が言うには、
弁天島の鳥居は地震で湖が開けたことへの記念で作られた
というのですが、私が調べていくと、芦ノ湖の方が
カルデラ湖なので噴火と関係してそうな気がするのです。

どちらか片方でも教えていただければ幸いです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>弁天島の鳥居は地震で湖が開けたことへの記念で作られた
こちらのサイトの2つの話がごっちゃになっているようです。
http://www5.ocn.ne.jp/~maisaka/shiseki.html
弁天神社-今切渡船の渡海守-
今切口-地震・津波によって誕生した浜名湖口-


芦ノ湖のほうは「鳥居焼まつり」というのがあるようです。
http://www.izuhakone.co.jp/guide/asp/event/shousai.asp?area_cd=10&tiiki_cd=10&index=0004
http://www.izuhakone.co.jp/guide/asp/topix/hakone/1248.htm

参考URL:http://www5.ocn.ne.jp/~maisaka/shiseki.html

Q長友のお辞儀の仕方について

インテルの長友がゴール後に普通のお辞儀のパフォーマンスをしましたが
スポーツに限らず 外国人は日本人に対してお辞儀の時合掌しますが
私は どうも違和感を感じます いままで合掌しながらお辞儀をした事はありません
皆さんは どうですか? 

Aベストアンサー

あれは長友がやるのではなく外国人が日本人にするんです。
それも親しい人が好意を持ってするんです。
何度もやられるとなんとなく(そうしてやらないと悪いのかな)と思っちゃうんでしょう。
私は17年間海外で暮らしましたが一度もやったことはありません。やられたことは何度かありますが。やられるたびに「日本人はそんなことはしない。お辞儀だけだ」と言ってました。ただ、ぼくのような日本人は外人には受けないでしょう。

Q鬼子母神について

この前、東京の鬼子母に行ってきました。それで今写真を整理していてふと疑問に思ったんです。ご存知のかた教えてください。

鬼子母の「鬼」という字ですが、上の点がないんです(書き順でいうと一画目の点)。これは歴史的にどういう意味があるんですか?教えてください。

Aベストアンサー

改心して、鬼ではなくなったので、鬼という字の頭のツノを取ってあるんだそうです

参考URL:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/04/post_734d.html

Qお辞儀の仕方

カテゴリーに迷ったのですが、「その他(教育)」にしました。

子供の発表会などで子供が舞台からお辞儀をするのを見て、違和感を持ちました。

お辞儀って、両手を体の横に固定した状態で、頭を下げると、上体だけでなく、両腕もひじから曲がった状態になると思うのですが、子供の多くは、頭を下げたとき、両腕がダラ~ンと下がり、まるで立位体前屈(?)のような感じなのです。テレビのバラエティ番組などで同様なシーンが出てきたのですが、多くの子供はそうでした。

最近は子供に正しいお辞儀の仕方を教えないのでしょうか?もちろん、基本的には親が教えるべきなのですが、正しくないお辞儀をした場合、教師は子供に指摘しないのでしょうか?

あるいは、もしかして、私が「正しい」と思っているお辞儀が実は間違っており、子供たちの方が正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者さんのおっしゃる状況、確かに最近よく見かけますね。
私も、質問者さんのお辞儀のやり方が「好き」です。ただし、「正しい」かどうかは、別問題です。
1.まず「両手を脇につけて・・・」という方式は日本の伝統作法でも何でもありません。あれは、明治以降の軍隊の礼式です。江戸時代の武家でしたら両手を軽くこぶしにして、太ももの前に置き、頭を下げます。商家でしたら手のひらを前で合わせて下腹部に置き、頭を下げます。
2.お辞儀という作法そのものが、アジアも含めて一般的ではありません。仕事柄色々な国の人と会いますが、「日本人は本当に頭を下げて挨拶するんだな」と驚かれる(握手の時につい頭を下げてしまって)ことが、しばしばあります。また、日本人と分かると、ふざけて頭を下げるまねをする人が結構います。
3.そもそも舞台挨拶を立ってする、という習慣自体が日本にはありません。歌舞伎などでは座って挨拶ですし、能や狂言ではそれもない。

ということを承知の上で、「やっぱりこういうお辞儀をした方がいいんじゃない?」ということを教えた方が良いと思います。学校ではどうして教えないんだ、ということですが、教えます。ただ、発表会の舞台だったら内容の指導にいっぱいで、そこまで見る余裕がなかったのだろうと思います。卒業式など式関係の時には、かなり厳しく指導をします。

質問者さんのおっしゃる状況、確かに最近よく見かけますね。
私も、質問者さんのお辞儀のやり方が「好き」です。ただし、「正しい」かどうかは、別問題です。
1.まず「両手を脇につけて・・・」という方式は日本の伝統作法でも何でもありません。あれは、明治以降の軍隊の礼式です。江戸時代の武家でしたら両手を軽くこぶしにして、太ももの前に置き、頭を下げます。商家でしたら手のひらを前で合わせて下腹部に置き、頭を下げます。
2.お辞儀という作法そのものが、アジアも含めて一般的ではありません。...続きを読む

Q蘇我氏を祀る神社

蘇我氏を祀っている神社はあるのでしょうか?

Aベストアンサー

宗我坐宗我都比古神社

推古天皇の御宇(6世紀末から7世紀前葉)に当地を拠点とする蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀ったことを起源とする。『延喜式神名帳』では大社(官幣大社)に列し、朝廷からの崇敬を受けていた。


蘇我比咩神社

千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。

創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏は春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。

ただしこれには別の伝承もあり、浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫であり、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったともいう。


入鹿神社

入鹿入鹿神社(いるかじんじゃ)は、奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)にある神社である。

蘇我入鹿とスサノオを祀る。スサノオは明治時代より祀られたものである。


蘇我神社

安芸国虎のご先祖は、壬申の乱で敗北したので土佐に流された蘇我赤兄だといわれています。 安芸氏の祖先を祀った。

宗我坐宗我都比古神社

推古天皇の御宇(6世紀末から7世紀前葉)に当地を拠点とする蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀ったことを起源とする。『延喜式神名帳』では大社(官幣大社)に列し、朝廷からの崇敬を受けていた。


蘇我比咩神社

千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神...続きを読む


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