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今日、「儒教を宗教とみなせるかどうか」という議論が行われています。

否定意見、すなわち「儒教は宗教ではなく、一思想だ」という立場の方は、
「儒教を宗教として扱った場合、教義に平等思想が無い事と死後の世界の観念が無い事による死後の再評価ができない事も問題視されている。何よりも、神の存在を完全に否定している事から、宗教として扱われる思想ではない」(引用:Wikipedia)
ということを専ら主張しているみたいです。

そこで、肯定派「儒教は宗教とみなしてよい」と考える方の意見が聞きたいです。どなたか考えがある方、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

・「死後の世界の観念が無い」「神の存在を完全に否定している」





 は、これは、どこの国の儒教の話ですか、少なくとも我々の知っている孔子の儒教ではないですね。せめて、諸星大二郎「孔子暗黒伝」程度の入門書読めば、儒教は「死後の世界」「神々」に関連する宗教であることは、誰でも、わかるはずです。
 孔子は周王朝と周公を慕っているが周王朝は祭政一致の王朝であったし、周公はその最高位の神官であった。その孔子は礼を復興しようとした。礼とは行儀作法だけではなく、その第一義は祭礼であろう。示偏は神事に係るものに付いている。孔子が復興しようとした周礼とはとりもなおざず周の祭礼なのである。夏王朝があったとするとの礼も祭礼であるはずだ。殷王朝は甲骨文から分かるように上帝を祭る祭政一致の国家であったので殷の礼も祭礼である。

 孔子は孝を重んじた。孝とは親に仕えることだが親の親である祖先にも仕えるのである。祖先を祭ることでもある。儒教は三年間の喪を唱えていたが、三年を過ぎてしまえば位牌も捨ててしまうことはないだろう。祖霊となった父を三年以降も祭ることは間違いがないだろう。それが『論語』の「礼をもって喪し、礼をもって祭る」にあたる。孔子は政治・道徳を説いて宗教でないと云われようが、その政治は祭政一致の宗教政治に外ならない、それが礼を興す意味である。そして宗教はキリスト教でもイスラム教でも仏教でも道徳を説くものである。仁義礼智信は儒教が説く道徳であるが、孝は宗教道徳そのものである。孝とは中国の宗族社会から来ていいる宗教徳目だろう。宗族とは男系の血族の大家族制度である。血統を絶やさず代々の祖先霊を祭るのが子の務め「孝」であるだろう。それが『論語』のセリフ「孝は鬼神を致す」なのである。孝は殷王朝の時代にもさかのぼることができる。殷の主神は帝・上帝とよばれた。それは祖先神と解釈されている。実際、殷王は歴代の祖先王の霊を祭っていたことが知られている

 儒教はいつの時代も個人には祖先を祭り父に仕える道徳を説く宗教であり、 国には祭政一致の神権政治また暦を調える天道(占星)神秘主義また呪術で、くわえて富国強兵などの唯物論ではなく、君臣の義などの道義の唯心論を説く宗教であることが分かる。儒教とは宗教の中では、道義を教えるシャーマニズムと分類できるだろう。
 中国はもとより、韓国にも少数ながら今でも宗教としての儒教信徒はいるし、日本でも湯島聖堂で儒教の宗教儀式は、行われている。

※「教義にに平等思想が無い」宗教など珍しくない。
だからこそ「平等思想」を唱える新興宗教の仏教やキリスト教が、インパクトあるものとして世界宗教に発展できたのだが・・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても詳しい解説、感激いたしました。
熟読させてもらい、参考にさせて頂きます。

お礼日時:2009/07/11 17:14

儒教は「天」と「祖先」を崇めていますので、宗教ではないとは言い切れないと思います。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、儒教では崇める対象が他の宗教(例えばイスラム教やキリスト教)とは違うのですね。

お礼日時:2009/07/11 17:13

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