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もし秀吉の実子なら北の政所は豊臣家を見捨てなかったと思います、
大野修理の子だとの落書きが有りますが、その場合、秀吉は知らなかったのか、または指示か黙認か、当時の資料、噂は有るのでしょうか、
歴史に関心をお持ちの方はどの様に考えられますか。

A 回答 (2件)

秀吉以外に考えられない。

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この回答へのお礼

どうしてその様に思われるのか、確信の理由は何処に在るのでしょうか

お礼日時:2009/09/27 22:03

私は、『実子説』又は『秀吉は淀君に騙されていた説』


をとりたいと思います。
とにかく秀吉は秀頼を自分の子供だと思っていたと考えます。

秀吉は下賤の身から這い上がってきて、天下人になったので、
自分の子供には苦労させたくなかったと思います。

だから、養子の秀次(関白)を政争に陥れて、切腹させたり
秀頼の安泰を画策したのではないでしょうか。

晩年の秀吉は信長並の酷いことを行ったり
朝鮮出兵等々、権力ボケしていたので
北の政所は秀吉に愛想を尽かしていたのかも知れません。

また、北の政所は
三成などが中心勢力になって、官僚的だったのが気に入らず
家康に懐柔されてしまってたのではないでしょうか。
北の政所は肥えていたので、三成のやり方が好かなかったのでしょう。

*遠藤周作『男の一生』や司馬遼太郎『関ヶ原』を参考にしています。
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この回答へのお礼

早々の回答有難うございます、深夜だったので今拝見しました、
秀吉が秀頼を溺愛していたのは間違いないでしょう、
私が疑問を持つのは医学的観点からです、多くの側室を持ちながら
淀君のみ2人続けては不自然です、奇跡的に相性が良かったのか、
裏の歴史なので正史を扱う側に立てば表面的事実を解釈するしか無い
のではないでしょうか。
「淀君に騙されていた」と言うのはどの様な事でしょうか、
不倫をして産んだと解釈すれば納得出来ますが。

お礼日時:2009/09/24 10:07

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