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江戸時代中期の古文書で、「白銀百枚」もらったというものがありました。
白銀百枚とは何でしょうか?
白は美称でしょうか?
銀は丁銀のことですか?
小判になおすとどれくらいになりますか。
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

No.2です。


文化年間に草間伊助の書いた「三貨図彙」に家康は43匁の銀大判をつくり、儀礼的な贈答に用いたとあります。
これが江戸時代の白銀1枚の初めです。   それ以前にも白銀1枚の語はありますが詳細は不明。
これは江戸初期の話で、中期まで続いたかは問題です。
明和以降は長方形の定額銀貨が出回り、綺麗に「包み銀」として贈答用にも使えました。
丁銀を43匁になるよう端を切り揃えたとの本もあり、江戸中期はこの可能性が大です。
丁銀には43匁以上のものもあります。(たとえば200g)

43匁の数字は慶長大判が44匁であるのに合わせました。   金大判は強度を保つため、金の含有率が低く、銀の含有率の高い銀大判は少し軽くしたのでしょうか。
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>儀礼用のもので、通用貨幣の丁銀とは異なります。



これよくある説ですね。
いわゆる刻印を持たない偽金説ですね。

こには、
賞賜目的には銀一枚(43匁)、および商取引などには500匁毎にまとめ、和紙で包み封印をした、「包銀」の形で取引に使用されるようになった。

とあります。
両方とも幕府の刻印があり、こちらの方が説得力があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7% …
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No.2です。


白銀は贈答、儀礼用のもので、通用貨幣の丁銀とは異なります。
丁銀は銀の含有比率が低く(20~80%)形も不揃い、重さも一定ではありませんが、白銀は純度も高く、形も揃え、重さも43匁と決まっています。
 角川「古語辞典」ほかより。
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>銀は丁銀のことですか?


百枚であればそう言う事になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E9%8A%80

>白は美称でしょうか?
「しろがね」であれば日本ではこう呼ばれていた。
となります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80

ウイキペディアに重量が記載されていないのはこう言う理由です。
http://homepage3.nifty.com/harupii/cyomame.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E9%8A%80

>「白銀百枚」もらったというものがありました。
4300匁もらったと言う意味です。

>小判になおすとどれくらいになりますか。

品位が違いますので(六品銀交易一覧参照)
何ともいいようがありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E4%BF%9D% …
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銀相場は時代により変動します。

(一両が約56~82もんめ)
江戸中期(元文)は61.57もんめで、白銀一枚は0.7両になります。
100枚は約70両です。
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日銀のホームページで白銀の写真を見つけました。


銀一枚は43匁(161g)で、枚は儀礼・贈答用に用いられた単位なんだそうです。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1- …
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Q江戸時代の銀五百枚とはいかほどのものでしょうか?

文化年間の江戸日本橋の高札に、
 切したん宗門は累年御制禁たり。 自然不審成者これあらば申出べし。 御ほうびとして、
   ばてれんの訴人 銀五百枚
   いるまんの訴人 銀三百枚
   立かへり者の訴人 同断
   同宿并宗門の訴人 銀百枚
 右之通下さるべし。
とあります。
銀1枚とは何でしょうか?
一分銀のことでしょうか?
銀五百枚の価値はどれくらいになりますか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銀1枚=43匁というのをたまに見かけるのですが、ある種の基準値だったようですね。
1匁=3.75gなので、銀1枚=43匁=約161gとなります。
価値については、もともと相場物ですし、金との交換比率が現在とも同時代の諸外国とも江戸・大阪でも異なっていたようですので、私はコメントする能力を持ち合わせておりません。

参考URL:http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1-10.htm

Q江戸時代の貨幣単位と実質額について

江戸時代の貨幣単位と実質額について

天明年間(1780年代)の石塔に次のような奉納銘がありました。

金 百匹 Aさん
白銀一片  Bさん
一貫百文  Cさん
五百文  AAさん
二貫二百文 Dさん
白銀一片  Eさん
白銀一片  EEさん
白銀一片   Fさん

それなりに立派な石塔なのですが、貨幣?単位がバラバラで、
トータルでいくらなのかがよく判りません。全部で一両くらいにはなっているのでしょうか。
もし可能であれば、ここの貨幣?単位がどういう関係になるのかなどもお教え頂けると嬉しいです。
金一両=銀六十匁=銭四貫のレートでしょうか。

Aベストアンサー

諸賢の答えが出そろったようで、まとめて見ます。   関東の話とします。
匹(疋)、白銀、貫文別にまとめると、
百匹、 三貫八百文、 白銀四片になります。
1匹は古来10文で、幕末1文の価値がさがり1匹が25文になりましたが、このころは10文の筈です。    それで百匹は1000文。
三貫八百文は3800文です。   計4800文。
元禄の公定相場で、1両4000文と決められましたが、実際は変動相場で
「両替年代記」によると、元文期(1736~1817)は1両が銀61.57匁、銭5貫287文とあります。    貨幣改鋳を境に江戸期を十期にわけています。

4800文は約0.9両になります。

白銀は丁銀をいう事もありますが、丁銀は普通何枚と言います。   量目が不定のため小粒銀を加え、定量にした紙包みで通用します。    白銀何片と言えば当時流通が始まった二朱銀(八分の一両)のことと思います。    一片の価値が決まる定位貨幣が関東では好まれました。

白銀4片は0.5両     合計約1.4両になります。
いまの価値に換算は難しいのですが、1両が12~15万円でしょうか。   大雑把に見て約20万円です。

諸賢の答えが出そろったようで、まとめて見ます。   関東の話とします。
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1匹は古来10文で、幕末1文の価値がさがり1匹が25文になりましたが、このころは10文の筈です。    それで百匹は1000文。
三貫八百文は3800文です。   計4800文。
元禄の公定相場で、1両4000文と決められましたが、実際は変動相場で
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Q日本の金、銀は枯れたの?

黄金の国ジパングとか言われた時代もあったくらいに昔は採掘されたてのですか?

それらは今はほぼ枯れたのですか?

今からはイメージ出来ません

Aベストアンサー

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。
当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて
しまいました。あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。

現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索
技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。
一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、
大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が
発見されています。
下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。
http://www.iforum.jp/okuchika/t5713.html

菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない
と言われています。

さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか
は次の理由からです。
掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には
投資に合うメリットは無いのだそうです。それで現在の菱刈が枯れたら
次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。
金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも
ありません。

例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から
増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を
行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」
に成るかもしれません。
現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
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この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代...続きを読む

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q天保年間の五百疋とはいくらぐらいの価値がありますか?

天保年間の五百疋とはどれくらいの価値がありましたか?
某手紙にある俳句の添削の料金です。
場所は埼玉県です。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

金一匹は江戸時代の大部分では十文です。
幕末少時期25文になり、明治になり貨幣改革で25銭になりました。   これは昭和中期まで続き皇室からの、御下賜金は金xx匹でした。
江戸期一両は時期により変動し、四千~六千文でした。
天保年間は五千文と見られ、金五百匹は五千文で添削料一両ですが、上品に匹を使いました。
いまの価値に換算は難しいのですが、幕末の一両は万延の粗悪金貨への改鋳で今の3~4万円と見られるので、天保期でしたら一両が10万円前後かも知れません。   高い添削料ですね。

金一匹十文は室町時代、犬追物に使う犬を一匹十文で買い上げた事に基づくとの説があります。
平安時代の匹は(絹)織物の単位で馬に関係する長さといわれています。


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