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As silly or meaningless as sports can seem in certain lights,
there's no question that they can also be singularly expressive of the cultural moment.

(1)「形+as+SV」の譲歩用法を「As+形+as+SV」にするのは一般的ですか?

(2)「形+as+SV」の元の形は、「As+SV+形容詞, ~」=「Sは形容詞だが、~だ。」で、それが「形+as+SV」になったんですよね?
上記の文で言うと
As silly or meaningless sports can seem in certain lights,→Silly or meaningless as sports can seem in certain lights,

そう考えると、一番上に挙げた「As+形+as+SV」の文頭のAsが余分に見えるんですが、どういう役割なんですか?

つまり、形+as+SVのasが譲歩を表す接続詞なので、それに更にAsを付け加えた、「As+形+as+SV」の文頭のasは余分にしか見えないということです。

A 回答 (17件中1~10件)

まず,接続詞 as 自体に「~だけれども」という譲歩の意味はありまさえん。



もともと,Being as young as he was という分詞構文+比較構文でした。

形容詞が前に出ているのはもともと,このような比較構文だからです。
「実際彼がそうだったのと同じくらい若くして」
この分詞構文が譲歩として感じられて,
前の部分が省略されて
Young as he was が残って,
「彼は若かったけれども」という意味になる。

譲歩の意味は as でなく,分詞構文に由来します。
今では慣用的にこの形で譲歩を表すことになります。

そして,もともとの as ~ as を残しているのが
as 形 as SV の形で,主にアメリカ英語です。

オックスフォード英英辞典には as の4つめの項目に even though とありますが,この意味があるわけではありません。
形 as SV の場合だけに,慣用的に譲歩の意味になります。

この辞書の記述だけをもとに as a young man という英語を譲歩と説明した専門家の回答を見たことがありますが,これは「若い時に」という意味です。

英英辞典は日本人のためにはできていません。
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英語としてちょっと変なんじゃないですか。


文頭のasは後ろのasにくっついてas~asになりますから、後半の文と繋げるためには別の接続詞(Thoughとか)が必要なように思います。
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>ありまさえん。


すみません,あわてていました。

ついでに,
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=as&st …

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=as&dt …

いずれの辞書にも,as 形 as の例がアメリカ英語として載っています。
(中には Yahoo 辞書ごとき,という権威のある回答者の方もいらっしゃるようですので,参考程度に)
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 ご質問者もご承知のようですが、「形容詞+as+SV」は譲歩を表し、書きかえれば「Though+SV+形容詞」となります。



 それと同じ意味を米国では「As+形容詞+as+SV」で表すことがあります。お尋ねの英文がその用法であることは間違いありません。

 ただし、もう一つのご質問である『文頭の「as」がどのような働きをしているか』という疑問に対しては明快なお答えを出すのは難しいと言わざると得ません。
 
 一部の参考書などに書かれている『この構文で用いられている文頭の「as」は同等比較を表す「as ... as ~」の「as」で、前に分詞構文の「Being」が省略されている』という説は、なるほどと思わせる部分もあります。

 しかし、この説には「?」がつく部分もあります。それは、同じような意味を持つ「名詞(または動詞)+as+SV」を考えればすぐに分かることです。

 例えば、下記のような英文を「分詞構文」で表すことは不可能です。(例文は、どちらもプログレッシブ英和中辞典」からのものです。)

(1) Child as he was, he was brave.
(2) Try as she would, she could never remember a word of what he said.

 (1)については「Being (a) child as he was,」としても「Being (as a) child as he was,」としても意味が通りません。それは「as」が全く意味をなさないからです。また(2)については「Try」という動詞の前に「分詞」を補うこと自体ができません。

 このような英文の場合、『「分詞構文」の省略ではない。』と考える人もいます。それは、もともと「be動詞」の補語であった「(a) child」や、「would」という助動詞に続いていた「try」という語が文頭に出されたという考え方です。

 すなわち、(1)では、元の英文として「Though he was a child,」があり、それが強調のために「(A) Child though he was,」となり、最後に「Child as he was,」となったという考え方です。

 分詞構文とか「as ... as~」の構文を持ちだすより、こちらの方が自然な感じがします。途中で用いた「名詞+though+SV」という表現は辞書にも載っているものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 Ill though he was (=Though he was ill), he went to work as usual.
彼は病気だったがいつものように仕事に行った([語法]この文では, 強調のため語順が転換されている)

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=thoug …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (2)では、「Though she would try,」が強調のために「Try though she would,」となり、最後に「Try as she would,」となったと考えられます。こちらの途中経過の「動詞+though+SV」も辞書に書かれています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 Millionaire though he was [=Though he was a millionaire], he never let an opportunity slip.
百万長者だが金もうけの機会は決して逃さなかった(▼補語が強調された形;冠詞の省略に注意)

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=thoug …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 すなわち、譲歩を表す「形容詞(名詞・動詞)+as+SV」の構文では、本来「SV」の後に合った補語(形容詞・名詞)や「V」の部分にあった動詞の原形が倒置されて文頭に出たことによって「as」自体が「though」の意味を持つことになったと考えるわけです。

 このように考えると、譲歩を表す「形容詞(名詞・動詞)+as+SV」の構文は、決して「分詞構文」だったから譲歩の意味を表すわけではないことが分かるでしょう。

 外国の辞書だけでなく日本の辞書にも「as」自体に「though(= ~だけれども)」という意味が明示されています。(決して、この「as」が「同等比較」だと書かれてはいません。)

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=as&st …

 このように、倒置という条件がつくとはいえ「as」自体に「though」の意味があるということは、米国で用いられる「As+形容詞+as+SV」の中の「as ... as ~」が同等比較を表すという説との整合性がつかなくなります。

 お尋ねの英文についても、もし「分詞構文」だったとしたら、次のような英文を想定しなければなりませんが、それは少々不自然な英文のように思われます。

(3) Being as silly or meaningless as sports can seem in certain lights, ...
  = Though sports are as silly or meaningless as they can seem in certain lights, ...

 この英文だと、「スポーツはある視点から見た場合、見た目と同様に頭を使わないもので無意味なものであるが、」となり、後半の「スポーツが文化的に特に重要であることに疑問はない。」とい結論と矛盾した内容になります。「Though」が導く節の動詞が「are」だと「頭を使わないもので無意味だ。」と断定することになるので、後半の内容と矛盾するわけです。

  それよりも、「Thoguh sports can seem (as) silly or meaningless in ceratin lights,」という英文の補語であった「(as) silly or meaningless」が文頭に出されて「(As) Silly or meaningless as/though sports can seem in ceratain lights.」となったと考えた方がシンプルで無理がないように思います。

 この場合の意味は「ある視点から見ればスポーツは頭を使わないもので無意味であるように見えるかもしれないが、スポーツが文化的に特に重要であることに疑問はない。」という極めて自然なものになります。「Though節」の動詞が「can seem」という断定を避ける表現であれば、後半の内容と整合性が出てくるわけです。

 「形容詞(名詞・動詞)」を機械的に「分詞構文」の省略と考えない方が良いでしょう。

 ただし、それでもお尋ねの(米国で用いられる)文頭に置かれた「as」の説明はつきません。何か別の理由があると考えるしかありません。それを説明することはなかなか難しいことです。一つの用法として理解するべきでしょう。

 ご参考になれば・・・。
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>(2)では、「Though she would try,」が強調のために「Try though she would,」となり、最後に「Try as she would,」となったと考えられます。

こちらの途中経過の「動詞+though+SV」も辞書に書かれています。

 「動詞」を用いた例文のつもりが「名詞」を用いたものになってしまいました。「動詞」を用いた例文としては下記のものが良いでしょう。

【新グローバル英和辞典】
 Look as I might, nowhere could I find my lost watch.
 「どんなに捜してもなくした時計はどこにも見つからなかった。」

【プログレッシブ英語中辞典】
 Try as she would, she could never remember a word of what he said.
 「彼女はどうしても彼の言ったことを一言も思い出せなかった。」

>お尋ねの英文についても、もし「分詞構文」だったとしたら、次のような英文を想定しなければなりませんが、それは少々不自然な英文のように思われます。

【分詞構文だったと考えた場合の元の英文】
 Being as silly or meaninglessas as sports can seem in certain lights, there's ...
 = Though sports are as silly or meaningless as they can seem in certain lights, there's ...

【補語が文頭に出されたと考えた場合の元の英文】
 Though sports can seem (as) silly or meaningless in certain lights, there's ...

 この2通りの元の英文が表す意味は微妙に異なるものです。「分詞構文」を用いた前者では「being = are」という動詞によって「スポーツ=頭を使わない無意味なもの」という断定がなされてしまいますが、後者では「can seem」という「可能性」を表す表現によって断定が避けられています。

 「スポーツが文化的に特に重要であることに疑問はない。」という結論にふさわしい前置きは、「can seem」を用いて「スポーツは見方によっては頭を使わない無意味なものに思われるかもしれないが、」という意味を表す後者の方であることは明白でしょう。

 「スポーツは(見た目と同様に)頭を使わない無意味なものである(が、・・・)」と決めつけしまっては、後でいくら「文化的に重要だ。」とフォローしても無駄であるというか、支離滅裂な論理展開になってしまいます。

 形式にとらわれすぎて内容をおろそかにすると、とんでもない解釈をしてしまうことがあります。この「As silly or meaningless as sports can seem in certain lights, ...」という英文を「分詞構文」の省略だと考えることにはかなりの無理がありそうです。
 
 繰り返しになりますが、「As+形容詞(名詞・動詞)+as+SV」および「形容詞(名詞・動詞)+as+SV」の構文の成り立ちを解明することはかなり難しいと思われます。(いろいろな説があり、そのどれにも一長一短があるように思います。)

 大切なことは、どちらも「譲歩」を表す表現であるということが理解することです。少々特殊な表現のために自分で用いることはあまりないと思われますが、相手が述べていることの意味が分かれば良いのではないかと思います。

 ご参考になれば・・・。
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私も #3 で同じ辞書を引用しました。


人の回答に反論するのなら,しっかりと見てください。
英和辞典の as に「~だけれども」とあったとしても,
それはあくまでも「形など as SV」という形でのみ
という制限つきなのです。
項目としては as に入れるしかない。
辞書をよく見てもらえばわかると思いますが,
必ず,形 as SV という形でのみこの意味なのです。
そういう意味で as 自体に「~だけれども」の意味があるわけではないと言いたいわけです。

とにかく,
>As+SV+形,の譲歩用法なら分かる
このような誤解は避けた方がいいのです。
これはよくない,という意味で as に「~だけれども」の意味があるわけではない,ということです。

as がもともと何なのかはどうでもいいと思います。
私はあくまでも一つの考え方を言っただけで,結果的に慣用的に
形 as SV で譲歩になる,米では as 形 as SV になる
それだけで十分です。

形 as SV という形が慣用的に定着してから名詞や動詞のパターンへ応用されていったなど,いくらでも考えることができます。

ただ,名詞については無冠詞になるように,形容詞化した名詞だと思います。
無冠詞で形容詞的な名詞になることはおわかりですよね。
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しかし不思議なのは,あれだけ展開して


>「形容詞(名詞・動詞)」を機械的に「分詞構文」の省略と考えない方が良いでしょう。
としたあげく,
>ただし、それでもお尋ねの(米国で用いられる)文頭に置かれた「as」の説明はつきません。

人の回答に嫌がらせをするだけの回答としか思えません。

私としては分詞構文だの,同等比較だの,どうでもいいです。
結果として慣用的にで十分です。

ただ,一応,as 形 as SV の説明がつくわけですから,それでいいとも思います。

形 as SV の as が同等比較と辞書に書いてなくて当然ですよ。
でもこの辞書の記述を見て as に「~だけれども」の意味があると感じますか?
感じるのなら,どちらかに問題があるのではないですか。

これは独り言ですので,削除依頼出していただいて結構です。
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 本当の専門家に登場いただきましょう。

名著「現代英文法講義」で有名な安藤貞雄氏は、その著書の中で次のように述べています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
27.5.3譲歩の副詞節
(D)「Naked as/though I wasのタイプ」

 かなり格式的なスタイルで、as/thoughで導かれる譲歩節において、述語が【文頭に移動】している構文がある。though移動(though-movement)、またはthough牽引(though-attraction)と呼ばれる。

a. Genius though she was, she was quite unasssuming.
b. Naked as I was, I braved the storm.
c. Fail though I did, I would not abandon my goal.
d. Change your mind as you will, you will not gain no additional support.

 thoughの場合には前置は随意的であるが、【asの場合は(前置は)義務的】である。

 thatにも【主格補語を前置】して「譲歩」を表す用法がある。

(12) Fool that he was, he managed to evade his pursuers.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 英文法の巨人は、「形容詞(名詞・動詞)+as+SV」の構文は「形容詞(名詞・動詞)」が文頭に前置された結果だという認識をお持ちのようです。(分詞構文の「ぶ」の字も出てきていません。)

 「that」の譲歩の用法については私も知らなかったので、「新グローバル英和辞典」で確認してみました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
[13]〈譲歩を表す節〉..だけれども
   (主格補語がthat の直前に置かれる)

 Poor that she was, she gave money to the church.
 「彼女は貧しかったが, 教会にお金を寄付した。」
 [語法]ただし, 文脈によっては理由に近い意味に用いることもあるのは「as」6の場合と同じ。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=that& …

 この辞書も「主格補語が文頭に前置される」という解釈のようです。語学では何が正しいのかを判断することは難しいものです。いつも少しでも真実に近づければと思っています。以上、ご参考になれば・・・。
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残念ながら,その巨人とやらも as 形 as SV については思い及んでいないですね。



(being) as 形 as SV という表現は,
「S が実際そうあるのと同じだけ(形)だけれども」という非常にわかりづらいものです。

しかし,実際に13世紀から18世紀に用いられていた表現だということが市河三喜氏の「英文法研究」で説明されています。

その後,as が落ちた形で慣用的に用いられるようになったのでしょう。
といっても,今では堅い文語的表現です。
アメリカではその元の形である as 形 as SV という形が残っているのです。

ためしに "being as * as * was" で検索してみてください。
中には動名詞の being と思われる例も多いですが,かなり譲歩の分詞構文だと思われる例が見つかります。
(being をとるとかなり幅が出るので,こうしました。この方がより分詞構文から由来していることが明確になるからとも言えます)

この質問もすでにヒットしますが,"being as young as he was" というかなり限定した内容のものでも相当ヒットします。
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>いつも少しでも真実に近づければと思っています。



 できるだけ真実に近づこうとする結果、どうもwind-sky-windさんのお考えと反対の意見を述べるようなことになってしまうことが多いのは残念なことです。

 「文頭のAsが余分に見えるんですが、どういう役割なんですか?」というご質問に対して「同等比較」の「as」だというご意見が出された場合、そうではないと思っている人間は「そうではない。」という意見を述べるしかありません。

 だからといって、代替案として100%正しい答えが担保されているわけではないのですが、思考を重ねていくうちに真実に近づくきっかけがつかめるかもしれません。それまでは異なると思われる候補を一つずつ排除していくしかありません。

 自分の意見と反対の意見が出されたらという理由で気分を害することは、ある意味自然な反応かもしれません。しかし、異論が出たからと言ってその都度不快の念を抱いていたら、真実に近づくことはできません。反対の意見を書き込む相手にいら立ちをぶつけても始まらないことです。

 大切なことは、その主張と根拠に妥当性があるかどうかということです。自分の意見が正しいと思うのならば、私たちはその根拠を文章で示すしかありません。

 逆に自分の意見が間違いではないかと思ったなら、そのことを認めるしかありません。この掲示板(?)で私たちができることは、この2つしかないだろうと思います。(沈黙を保つという方法もありますが・・・。)

 この場を利用している多くの英語を学ぼうとしている方々のために、できるだけ真実に近づくようにしていきたいものです。ご質問の内容から離れた回答になってしまいました。すみません。



 
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