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以下のように否定されたら、どう反論しますか?
オカルトを批判する際によく使われるやり方です。

・文書や碑文などを発見した! 
      当時の人が妄想小説を書いたものが見つかっただけ
      発見した調査団が全員グルで捏造した
      当時の権力者による捏造
・遺構を発見した!
      当時の人がたまたま穴を規則的に掘ったり柱を埋めただけ
      発見した調査団が全員グルで捏造した
      当時の権力者による捏造
      自然作用の偶然で遺跡っぽい石組などができた
・古代文明を発見した!(複数文献で散見)
      各地の人間が書いた小説の内容がたまたま一致した
      各地の調査団が全員グルで捏造した
・人形や壁画などによる文化考察をしてみた!
      当時遊んでた子供がでたらめに作ったもので意味は無い
      胸とお腹が大きいから地母神ではなくて作った人の女性趣味
      発見した調査団が全員グルで捏造した
・ローマ帝国というものがあって・・(多くの遺物や文献などとの一致で)
      すべて各地の遺物が偶然一致しただけ
      過去の権力者や芸術家や神職者や詩人がグルになって大量に捏造資料をばらまいただけ
・たとえば日本史について
      もしかすると50年前に出来た国かもしれない
      50年以前の資料や建築物などは世界中のマスコミと政権が全て捏造したものかもしれない
      全国の50歳以上の人は命令で嘘を言っているのかもしれない
      

A 回答 (13件中1~10件)

私は歴史好きな理系の研究者です。


従って、歴史学の学会や検証手法は良く知らないのですが、ある程度理系のスタイルと共通部分が有ると思うので回答してみます。

質問者の想定されるケースは、おおむね次の3種類にまとめられると思います。

1.「当時の人がたまたまxxxしたものが見つかっただけ。」
 見つけた資料が1,2件だけだと、そういう危険性は十分に有ると思います。おそらく歴史学者達も、その点は考慮した上で資料の信頼性を評価していると思いますよ。
 それは理系の実験でも同じ事で、再現性が不十分な結果に関しては、それなりの信頼性を考慮して評価しますから。
 従って、特別な信頼性を有しないような歴史的資料(一般生活で得られるような遺物等)は、ある程度の数が得られて初めて信頼されるのでは?三角縁神獣鏡や土偶なども、1,2カ所で見つかっただけでは発見場所での特異的な祭器と見られて、その時代を特徴付ける製造物とは考えられなかったでしょう。何十カ所、何百カ所もの場所で見つかった資料を、無意味に作ったモノが偶然全て一致した、とは言えないですよね。
それは、理系の実験結果の統計処理や社会学での標本調査の信頼性評価でも同じことです。
 また、例え1,2個であっても、氏素性がはっきりしている資料、ツタンカーメンの副葬品など、は重要資料としての評価が与えられるのではないでしょうか。
歴史資料も(正しい)理系の実験結果も、サンプリング資料の間に恣意的な相関が無く、独立事象と見なせるということです。その結果、複数の事象が偶然重なる確率は乗数で減少していくので、ある程度の個数を集めれば「偶然同じになった」確率は、ほぼゼロと見なせるわけです。
一方、オカルト現象の場合は、たいていの場合が、意図的かあるいは類似情報による影響を受けるために、数多くの結果が報告されても「独立事象」とは見なせないのです。

2.「発見した調査団が全員グルで捏造した」
 これは、理系の結果報告でもあり得る話で、実際に大きな問題にもなっています。「グル」とまで言わないまでも、調査団全員が画期的な成果で有って欲しいという希望に引きずられた結論を出す傾向は否めません。
 しかし、これも、発見した資料を公開して、任意の他の研究者による調査を受け入れる、あるいは詳細な客観的な事実報告を含めた成果報告をすることで、ある程度は防げると思います。
 その調査結果が大きな成果であればあるほど、当然多くの関連研究者が興味の対象にしますから、ねつ造を通しきることは難しくなるでしょう。重要な資料や成果というのは、その後も非常に多くの研究者が多角的な研究対象にしますから、調査団がグルになるだけではウソは続きません。
 確かに、簡単に資料が得られないような場合には、神の手事件のようなケースが出てきますが、それでも結局はねつ造は露見してしまいます。
 理系分野でも、有機超電導でのシェーン事件と呼ばれる有名なねつ造事件が有り、彼はあわやノーベル賞まで取りかねないところでした。
ねつ造で作った大成果のウソを突き通すことは、奇跡的な幸運が無いと難しいと思いますよ。
 ただし、素晴らしい結果は多くの研究者による洗礼を受けてねつ造が発覚する可能性が高いですが、地味な研究成果ではねつ造がなされても簡単には発覚しない可能性が有ります。これは、理系でも難しい問題となっています。

3.「当時の権力者による捏造」
 これは、歴史学では避けられない難問でしょうね。「歴史は勝者によって作られる」の言葉どおりに、当時の公式記録ほど権力者による歪曲が強くなりますから。
 しかし、当然歴史研究者もそのことは分かっていますから、公式記録を鵜呑みにして解釈はしていませんよ。
 出来るだけ同時代の独立性の高い別の記録や、物的な資料を含めて検討を加えています。
 そのような別資料が無い場合には、権力者による歪曲がある程度含まれているものとして、資料を参考にしているようです。

50年前の歴史は、生存者がたくさんおられますから、彼ら全てに(彼らにとって何もメリットが無い)綿密な口裏合わせをさせてみせる権力者が居るのなら....世界を支配する「トモダチ」になれるんじゃないですか?(笑)
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
やはり理系の人じゃないとこういった議論は駄目ですね。文系の人は「水掛け論だ」「無視されておしまい」といった、あまりに拙い思考停止した紋切り型反応しか見せないのでつまらないです。

お礼日時:2009/12/17 19:38

反論する必要ないんでは?


お互い水掛け論になります。例えばキリスト教ではイエスは実在した人物ですが無心論者は架空の人物だと主張します。
現在明らかにならないことも後世証明される可能性もあります。
それぞれがそれぞれの信じる説を主張すればいいでしょう。
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>一分野の一学派が結託すれば容易なことである事は違いないですよ。


この必然性が全くありません。
なぜ一分野の一学派が結託する必要があるのでしょうか?
どんな分野にも反対派は存在しますし、既存の学説に疑問を持つ人も必ず存在します。
そういった人は、捏造を暴く事により、名声を得ようとします。
一学派が結託すれば、必ずそのような人の耳にも話は入ります。
さらに、その結託した一学派以外の学派により、反証が提示されたときに、対処しようがなくなります。
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この回答へのお礼

たとえば韓国の歴史学会で日本海や竹島や大清属国の史料を出したらどうなるか想像つきますか?暴く事が許されない場面なんて幾らでも想像がつきます。
あなたは「必然性」を語る前に狭い範囲でものを見すぎです。歴史学とは非常に広範な人々や権力の関心の対象になっています。

お礼日時:2009/12/17 13:20

現在正しいとされていることを批判するのなら、その根拠が存在するはずだ。


だから、そう主張する者にその根拠となる資料を先に出してもらう。
出せないのなら根拠が怪しいということで却下。
出してくればそれを調査して、その上で反論を考える。

もし「いかなる年代測定法も、過去のいかなる資料も信じられない、捏造だ!」と根拠も無く主張するのなら、「あなたの言っていることも信じられませんね、捏造じゃないですか?」と根拠も無く言って終わり。

これで十分。

質問文等にあるものだけでは抽象的すぎて反論する対象がわからないのだから、それに対する具体的な反論ができないのはおかしくない。
もし私のこの主張がおかしいというのなら、その根拠を述べよ。
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この回答へのお礼

>主張がおかしいというのなら、その根拠を述べよ

>「あなたの言っていることも信じられませんね、捏造じゃないですか?」
こちらは疑問を唱えているだけであって物証を出しているわけじゃないので↑の決め台詞が意味不明です。

お礼日時:2009/12/17 13:17

まず、すべてのhistory(歴史)は、story(物語)であるという言葉を申し上げておきます。


storyということは、fictionも含まれるわけで、まぁ言ってみれば「全ての歴史はノンフィクション小説である」ともいえるかもしれません。
これは、「歴史(学)」の持つ特性でもあり、この辺は自然科学と歴史学(もっと広くとると社会科学・人文科学)の違いでもありましょうか。(まぁ、高度な物理理論なんかもフィクションくさい説(仮説)も多々ありますけど)

さてさて、本題ですがオカルト歴史(?)と学問の大きな違いは、「史料批判」が「あるか・ないか」という点です。
歴史叙述を現在の歴史学の地位まで引き上げた、所謂「現代歴史学の祖」というのにレオポルト・フォン・ランケという大家がいますが、彼は次のように言っています。

  「史料をして語らしめよ」

この言葉の意味するところは、(現代)歴史学というのは「史料(資料ではない)」を徹底的に批判的に見ていくことから始まるとういことです。
そして、そうした批判に耐えうるモノこそが「真の歴史を語っている」として採用し研究を進めていくわけです。
「史料批判」するためには、当然「批判するための道具(知識や他の史料)」がなくてはなりません。
例えば、Aさんの日記には「ソクラテスは嘘つきだ」と載っていたとします。
これは本当なのかな?と疑いと期待とに胸をふくらませBさんが書いた年代記を観てみると「ソクラテスは正直者だ」と書かれていたとします。
すると、AさんとBさんの書いた内容に食い違いが出てきます。
そして、もう少し踏み込んで研究するためにAさんについて調べていきます。
すると、「Aさんは嘘つきだ」ということを示す史料が多数出てきました。
こうなると、「Aさんの書いた日記は信用できないB級史料だ」として、今回は採用を見送ろうと判断したりします。
とまぁ、歴史学というのは幾つもの「史料」と「史料」を突き詰めていくことで「歴史的事実」に迫ろうとする学問です。

ただ、確かに「歴史学はどこまで客観的になれるか?」というのは、なかなか難しい問題です。
というのも、歴史学(というより社会科学や人文科学など)は「実験室での再現性」が無いので「誰の目にも明らかだ」という「真実」は見つかりにくい学問です。
私が冒頭にかいた「ノンフィクション小説」という比喩は、「史料」というある程度「史料批判」に耐えた史料に書かれている事実を踏まえつつも、どうしても筆者の主観(フィクション)が含まれるからで、歴史叙述とはまるでノンフィクション小説を書くのに似ていると思ったからです。


さて、本題のオカルト批判にさらされた場合の反論ですが、結局のところ「史料批判」に耐えられた史料の多寡や、そこから導き出された「仮説」を述べることですかね。
当然、徹底的に「史料批判」をした証拠を突きつけるわけで、それを否定する側が「たまたま」や「偶然の一致」など曖昧な批判では学問の世界では生きていけません。
所詮、オカルトもオカルト批判も同根と言うことですね。
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この回答へのお礼

歴史学の着地点は「妥当性」でしかないという事ですね。
国家が歴史学研究を恣意的に運用した場合はあっけなく崩れ去るレベルの、学者の良心に裏打ちされた程度の妥当性なのですね。

お礼日時:2009/12/17 13:24

>・文書や碑文などを発見した!


>・古代文明を発見した!
これについては、科学的検証を行えばすむことです。
文書などの年代測定をおこなえば、かなりの確立で判断できます。

>当時の人がたまたま穴を規則的に掘ったり柱を埋めただけ
それを遺跡といいます。
住居跡でなくても、当時の人が分けの分からない物を造っていたらそれは遺跡です。ストーンヘッジなどが良い例です。

>発見した調査団が全員グルで捏造した
>当時の権力者による捏造
これも、いずれわかります。権力者がなぜ捏造する必要があるのか理解できませんが、それに関わった人すべての口をふさぐことはできません。

>自然作用の偶然で遺跡っぽい石組などができた
>各地の調査団が全員グルで捏造した
人工物か自然にできたものかを見分けられないほど現在の科学はひどいものではありません。

>各地の人間が書いた小説の内容がたまたま一致した
それは遺跡です。トロイなどがその例です。
>当時遊んでた子供がでたらめに作ったもので意味は無い
それは十分意味があります。その当時の子供が書いたものですよ。
>胸とお腹が大きいから地母神ではなくて作った人の女性趣味
それはよくある事です。
>すべて各地の遺物が偶然一致しただけ
偶然一致するという事は、そこに文化的共通性があるかどうかが、分かるはずです。ローマで発見された資料に、ブリタニアの事が書かれていてそれと全く同じものがロンドン近郊で発見されたら、共通項としてよいのではないのでしょうか。

>過去の権力者や芸術家や神職者や詩人がグルになって大量に捏造資料をばらまいただけ
その権力者以前の資料との整合性がとれなくなりますから、それは必ず分かります。

>50年以前の資料や建築物などは世界中のマスコミと政権が全て捏造したものかもしれない
全国の50歳以上の人は命令で嘘を言っているのかもしれない
現在の日本国が50年前にできたとしても、それ以前から日本という国は、体制が異なっても存在していたはずです。
まさか50年前に突然海中から浮上したとは考えられません。
もしそんなことがあれば、世界中の記録に残っているはずです。

権力者や芸術家などが、グルになる必然性が全くありません。
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この回答へのお礼

うーん、仰られてる反論は、すべて偶然性やグルになって作られた可能性を否定しきれるものではないですねえ。
世界中の記録?大学の科学研究データの捏造なんてしょっちゅうありますし、日本では神の手事件、世界では全世界の情勢を動かす温暖化データまで捏造されていたのが現実ですよ?一分野の一学派が結託すれば容易なことである事は違いないですよ。

お礼日時:2009/12/16 22:06

「そうですか・・・・、では、質疑応答を。




特に質問は、ないようですので、お疲れ様でした。
ハイ、次の発表者の方、どうぞ(@^^)/~~~。」

学会では、よく あることです。

考古学では、日本の数十万年前の新発見が軒並み、自称発見者の自作自演捏造
だったなんて、ありましたからね_(‥ )
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この回答へのお礼

考古学の理論の正当性の無さを認めるような反応ですね。
言ったもん勝ち、派閥の大きいもん勝ち、っていうのが実際のところなのでしょうね。

お礼日時:2009/12/16 22:15

歴史的事実というものは、新しい発見があるごとに変わっているものです。


確かに学者さん達がその時代に生きていたわけでも、事件の目撃者であるわけでもありません。
資料・文献等を総合して一番納得がいく説明がとりあえず歴史的事実とされているに過ぎません。

しかし、逆に言えば、その定説を覆すには、それ以上の説明・解釈・物的証拠が必要であるわけです。

これを法律学では「立証責任は告発者側にある」といいます。

たとえば
・文書や碑文などを発見した! 
      当時の人が妄想小説を書いたものが見つかっただけ

1:内容が妄想であるという証拠はありますか? 
        ↓     
    反論:事実だという証拠もない

証拠がないなら、この時点で「悪魔の証明」です。   
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この回答へのお礼

悪魔の証明は「それが存在し無いかどうか証明せよ」というお話であって、全然話が違います。
考古学に対しては、その通説の認定に至る論理的経緯を否定できればいいだけの話ですから。「その解釈の経緯が合ってるかどうか」というだけの話。

お礼日時:2009/12/16 22:18

説得力に乏しく、証拠と根拠のまるで無い説ですので、


誰も相手にする事は無いと思います。

逆に、
説得力に乏しく、証拠と根拠のまるで無い説を歴史の真実として
回答なさる方がきわめて多いので

オカルトはお互い様。
ではあります。
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この回答へのお礼

証拠と根拠の無い説という意味ではどっちもどっちだと思いますが・・・邪馬台国の所在にしても、各派で言い争いしてますよね。学会で言い争いが存在するという時点で、そもそもアプローチが理論的な学問ではないのではないですか。理系学会なら証明出来るか出来ないかで全て正しい決着が着きますから。
遺物の解釈の可能性なんて無数にある筈なのに、何でこうなったの、という事を調べると、やはり学会で多数派を占めたから、立場の強い学者の意見だから、というようなどうしようもないレベルだったりします。

お礼日時:2009/12/16 22:22

 学説ってのは「有名な学者である誰かが唱えたから正しいんだ」っていうもんじゃないです。

それこそ質問に挙げられたような物まで含めていろいろな仮説を出し、現状で最も説得力のあるものが受け入れられているだけ。

 大体、従来の説の知られていない明らかな欠点を指摘したり、新たに定説となれるような説を出せたりしたら、歴史に名が残ります。研究者が寄ってたかって従来の説を検証し、欠点がないかあら捜ししていると思っていいでしょう。それでも反論できずに残ったのが「定説」となっている。

 だから、従来の説に並ぶか超えるだけの根拠がない仮定など対抗することすらできません。従って反論は#1で十分なのです。
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この回答へのお礼

学者さん達が頷かないだけで、質問文のツッコミには答えられないのが事実という事ですよね。
考古学者さん達に組織だったデータ捏造(年代測定データや別学派の史料捏造)を暴く能力などありませんし。そんな事はありえ無いはずだ、で片付ける事しか出来ないのが事実ですよね。

お礼日時:2009/12/16 22:24

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