プロが教えるわが家の防犯対策術!

タイトルが少し変かもしれませんが。。

私のおばから話を聞いて、疑問に思った事があったので質問させて下さい。

私の祖先は、鹿児島で西郷さんと共に戦い、戦火に散ったそうなのですが、同じ一族で(兄弟で)敵側(日本軍?)に所属していた方がいたそうです。

私の祖先の方が長男 = 薩摩軍
次男、三男     = 官軍(日本軍?)

これって少し変じゃありませんか?同じ兄弟で違う軍に所属するって・・・。
おばの予想では、長男(私の祖先)が家督を継ぎ、それを快く思わなかったんじゃないかという推測を言っておりました。
薩摩からは、西郷さんの考え方に同意せずに官軍についた方もいるかもしれませんが、兄弟で敵味方にわかれるなんて、ちょっと信じられません。

すべてにおいて推測の域をでない返答になるかもしれませんが、歴史に詳しい方がいらっしゃたら是非教えて欲しいです。

A 回答 (5件)

兄弟でも親子でも敵味方に分かれた例は、歴史では枚挙しきれません。


それよりも兄弟で争ったり、親子で血を流しあうのも珍しいことではありません。
日本史だけでなく、中国史、世界史でも同じです。

西南戦争に限っていえば、明治維新で禄を失った下級武士が、官吏の道を求めて、巡査、警卒に多数なりました。巡査、警卒には薩摩の出身者が特に多かったのです。

それが西南戦争勃発で、熊本へ運ばれ、田原坂で互いに血を血で洗う戦闘に巻き込まれたのです。

始めから、兄弟が好んで、敵味方へ分かれて、血を流したのではありません。

官軍、反乱軍の区別は、後世の判断であって、当事者にはおのれの名誉と生死をかけた闘いであったはずです。
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この回答へのお礼

うーむ・・・そうなのですか・・・。
非常に参考になりました。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/20 22:38

そういうことは往々にしてありますよ。


ドラマではよくある構図ですし、実際もあります。
薩摩は何しろ官軍でしたから、省庁内での出世コースはあまた用意されている。下級武士などは、警察、近衛兵、省庁関係にとくに起用されました。西南戦争までの期間に、どっぷり政府側の人間として成熟していきます。西南戦争を起こす指導者も大体政府要人だったのであり、西郷の下野に従って鹿児島に入ります。
鹿児島の家督を継ぎ、新政府に起用された弟と戦火を交えると言うことも、全く珍しいことではないでしょう。
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西郷隆盛は反乱軍、一方の弟の西郷従道は官軍。

以降陸軍大臣海軍大臣と栄達します。また、いとこの大山巌は官軍で指揮を取ってます。
官軍側には、戊辰戦争で賊軍扱いされた人間も多くいたので、敵討ちだ~と激しかったそうです。
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 二男、三男は、御親兵もしくは、徴兵令で狩り出されたのでは、


ないでしょうか?
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戦国時代、関ヶ原の合戦のとき真田家では昌幸とその次男である幸村が西軍に、長男の信之が東軍に付きました。

似たようなことは他でもちょいちょいあって、つまりこうなればどっちが勝っても真田家の名前は残るというわけです。

武士にとって何よりも大切なのは家名を残すことです。現代人の感覚の個人の権利というようなものは当時の武家の考え方には一切ありません。だから、双方に味方することによってどちらにせよ家名を残そうと考えたのではないかと解釈することもできます。
また、西郷隆盛は鹿児島の地で絶大な人気を持っていたので、地元への配慮つまり世間体を考えて長男は西郷さんについて行くが次男三男は新政府についていくことを選択させたということもあったかもしれません。
兄弟の間で敵味方に分かれるなんて、歴史的に見れば珍しいことでもなんでもないです。
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