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The first machine that could properly be called a computer was not put into operation until 1950. In the few years since then, these machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one ( ) they would be used.

先日接した上の英文の( )内は次の1でしたが、2でも意味を成すように思います。
1.could have imagined
2.could imagine

1と2ではどのように意味・ニュアンスが違うのでしょうか?そしてその違いはどこから生まれるのでしょうか。ご教示ください。

A 回答 (6件)

#5です。



御質問の主旨が少し分かってきたように思います。

>私自身は、そもそも「could+have+過去分詞」のパターンは
(あ)いわゆる認識的[推量]用法(日本語では「ひょっとして…したのかもしれない」で認識的可能性を示す)
(い)いわゆる根源的用法(日本語では「~することができた」で能力や状況的可能性を示す)
のうち、(あ)のみの解釈が許され、(い)の解釈は許されないもののような気がしています。

そのとおりだと思います。全く異論ありません。

ただ、念のため確認しておきたいのですが、「ひょっとして…のかもしれない」の意味は「could+have+過去分詞」というセットの言い方が持っているものではなく、could自身がそれ1語だけで持っているものです。例えば、次のようです。
(a)He could come.(ひょっとして来れるのかもしれない。)
(b)He could have come.(ひょっとして来れたのかもしれない。)

「ひょっとして…のかもしれない」ではなく「ひょっとして…したのかもしれない」であれば、couldではなく「could+have+過去分詞」というセットが持つことになります。

>この点で、can(could)はmustやmay(might)についても同じで、過去時制の文脈で用いられる「must/may(might)+have+過去分詞」のパターンは(い)のいわゆる根源的用法は許されず、(い)のいわゆる認識的[推量]用法のみが許されるのと同じ傾向があるような気がしています。

(c)過去時制の助動詞(could、might)は、その直後に「have+過去分詞」があるか「現在形の不定詞」があるかに関わらず、(あ)の意味(「ひょっとして…のかもしれない」の意味)です。つまり、そのようである可能性が殆どないと話し手が感じていることを表します。例えば、次のようです。
(α)could(ひょっとして...できるかもしれない)
(β)might(ひょっとして...かもしれない)

(d)現在時制の助動詞(can、may、must)は、その直後に「have+過去分詞」があるか「現在形の不定詞」があるかに関わらず、(い)の意味(「きっと…だ」の意味)です。つまり、そのようである可能性がかなり高いと話し手が感じていることを表します。例えば、次のようです。
(α)can(きっと...できる)
(β)may(きっと...かもしれない)
(γ)must(きっと...ねばならない)

文中に過去時制の助動詞があった場合に、それが「現在時制であったものが時制の一致によって過去時制になったもの」ではなく「元々過去時制であったもの」であれば、(c)に当たるので、(あ)の意味(「ひょっとして…のかもしれない」の意味)です。
文中に過去時制の助動詞があった場合に、それが「元々過去時制であったもの」ではなく「現在時制であったものが時制の一致によって過去時制になったもの」であれば、(d)に当たるので、(い)の意味(「きっと…だ」の意味)です。

文中に過去時制の助動詞があった場合に、それが「現在時制であったものが時制の一致によって過去時制になったもの」なのか「元々過去時制であったもの」なのかは、聞き手が文の前後関係から推測するしかありません。

>意味・和訳は次のどちらがより適当なのでしょうか?

#1も#2も全く同じ意味であり、どちらも全く同様に適当です。

#1では、「完了」と表現していますが、これはcouldとhave imaginedの2つの動作の時間的前後関係を明確に表すためにそうしたものです。このcouldは(あ)の意味です。したがって、このcouldの意味がよく伝わるように訳すと#2のようになります。#1は、時間的前後関係を簡単明瞭に表すために、敢えて(あ)の意味つまり「ひょっとして…のかもしれない」の意味を殺して言ったものです。

#2では、「想像した」と過去形を用いておられますが、この「想像した」という過去形が、#1の「完了」という言葉で言いたかったことです。「想像した」という過去形はhave imaginedという完了形不定詞が表しており、「はずがない」という(あ)の意味つまり「ひょっとして…のかもしれない」の意味はcouldという過去時制の助動詞が表しています。仰るとおりです。

この回答への補足

今回の私の質問にご回答をいただいた皆さま、ありがとうございました。

今回の私の質問は焦点がはっきりとしませんでしたが、皆さまのご回答のおかげで私の疑問が少し整理されましたので、改めて質問を立て直します。そちらの方にご回答をお寄せくださるとうれしいです。

補足日時:2009/12/28 19:22
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この回答へのお礼

改めてのご回答ありがとうございます。

以下に書き出した2つの●部分を読ませていただく限り、私の区分(あ)と(い)の理解は残念ながらyoohoo_7さんのご理解とは同じではないようです。この質問は閉じることにして改めて質問を立て直します。

● (c)過去時制の助動詞(could、might)は、その直後に「have+過去分詞」があるか「現在形の不定詞」があるかに関わらず、(あ)の意味(「ひょっとして…のかもしれない」の意味)です。つまり、そのようである可能性が殆どないと話し手が感じていることを表します。例えば、次のようです。
(α)could(ひょっとして...できるかもしれない)⇒ (ひょっとして...かもしれない)
(β)might(ひょっとして...かもしれない)

● (d)現在時制の助動詞(can、may、must)は、その直後に「have+過去分詞」があるか「現在形の不定詞」があるかに関わらず、(い)の意味(「きっと…だ」の意味)です。つまり、そのようである可能性がかなり高いと話し手が感じていることを表します。例えば、次のようです。
(α)can(きっと...できる)
(β)may(きっと...かもしれない)⇒ (
(γ)must(きっと...ねばならない)

⇒ 特にこちらは私の考えと大きく食い違っているように思います。

お礼日時:2009/12/28 19:22

#4です。



>全文を日本語にしていただけますか?
>1. could have imagined

それから数年間のうちに、これらの機械はそれが用いられるだろうと誰もが思いもよらなかった何百という目的のためにどこにでも設置されたように思える。

>2. could imagine

それから数年間のうちに、これらの機械はそれが用いられるだろうと誰もが思いもよらない何百という目的のためにどこにでも設置されたように思える。

1の「思いもよらなかった」は、「当時いくら考えても思いよることを完了し得なかった」、「ありとあらゆることを考えて、考える動作は完了してしまったが、それでも思いつくことができなかった」という意味です。機械が設置される度に、人々が「そんな目的のために使われるとはimagineできていなかった」と思ったという意味、つまり「完了」の意味を表します。

2の「思いもよらない」は、「当時いくら考えても思いよれない」、「ありとあらゆることを考えて、考える動作をし続けたが、それでも思いつくことができない」という意味です。機械が設置される度に、人々が「そんな目的のために使われるとはimagineできない」と思ったという意味、つまり「現在」の意味を表します。

上記1、2の違いは、couldが「元はcanであった」のか「元々couldであった」のかによりません。どちらの場合でも上記のようになります。
「元はcanであった」のか「元々couldであった」のかによる違いは、「元はcanであった」のであれば「単にし得ない/し得なかった」、「単に想像できない/できなかった」という意味であり、「元々couldであった」のであれば「根を限りに考え巡らしたがそれでもし得ない/し得なかった」、「夢にも思いつかない/つかなかった」という意味です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

(1)
以下の#5のご説明を読ませていただいて、yoohoo_7さんのお考えがわかってきたような気がします。

「>1. could have imagined
それから数年間のうちに、これらの機械はそれが用いられるだろうと誰もが思いもよらなかった何百という目的のためにどこにでも設置されたように思える。

1の「思いもよらなかった」は、「当時いくら考えても思いよることを完了し得なかった」、「ありとあらゆることを考えて、考える動作は完了してしまったが、それでも思いつくことができなかった」という意味です。機械が設置される度に、人々が「そんな目的のために使われるとはimagineできていなかった」と思ったという意味、つまり「完了」の意味を表します。」

このご説明は私の前回の質問に対するyoohoo_7さんのご回答(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5532958.htmlのご回答#4)にも見られるものです。

実は、私のある友人の該当部分の説明もyoohoo_7さんのこのお考えと同じでした。今回の質問の直接の契機はこの私の友人の説明に私がいまひとつ腑に落ちなかったからでした。


(2)
私自身は、そもそも「could+have+過去分詞」のパターンは
(あ)いわゆる認識的[推量]用法(日本語では「ひょっとして…したのかもしれない」で認識的可能性を示す)
(い)いわゆる根源的用法(日本語では「~することができた」で能力や状況的可能性を示す)
のうち、(あ)のみの解釈が許され、(い)の解釈は許されないもののような気がしています。

この点で、can(could)はmustやmay(might)についても同じで、過去時制の文脈で用いられる「must/may(might)+have+過去分詞」のパターンは(い)のいわゆる根源的用法は許されず、(い)のいわゆる認識的[推量]用法のみが許されるのと同じ傾向があるような気がしています。


(3)
今さらで申し訳ないのですが、ここまできてやっと私の疑問が少しはっきりしてきました。

In the few years since then, these machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one could have imagined they would be used.
の意味・和訳は次のどちらがより適当なのでしょうか?

(#1)
「それから数年間のうちに、これらの機械はそれが用いられるだろうと誰もが想像できなかった数多くの用途でどこにでも設置されたように思える。」
(補足)
この「想像できなかった」は、「当時いくら考えても想像することを完了し得なかった」、「ありとあらゆることを考えて、考える動作は完了してしまったが、それでも想像することができなかった」という意味。機械が設置される度に、人々が「そんな目的のために使われるとはimagineできていなかった」と思ったという意味、つまり「完了」の意味を表す。

(#2)
「それから数年間のうちに、これらの機械はそれらが用いられるだろうと誰もが想像したはずのない数多くの用途でどこにでも設置されたように思える。」
(補足)
この「could have 過去分詞」は過去時の事態に対する話し手[あるいは書き手]にとっての現在から見た認識的可能性を示して、「ひょっとして…したのかもしれない」の意味。ここでは否定形で「..したはずがない」という意味。


● 上の最後の(3)はいまさらの質問ですので、お答えがしにくいようであれば改めて新たに質問の項目を立て直してお尋ねするかもしれません。

補足日時:2009/12/28 16:03
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>1と2ではどのように意味・ニュアンスが違うのでしょうか?そしてその違いはどこから生まれるのでしょうか。



前回の御質問
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5532958.html
のいずれの方の御回答に対するコメントもないこともあり、今回の御質問の主旨が理解できておらず、完全に的はずれであることを覚悟で回答させていただきます。笑止と思し召しの時はお打ち捨て置きください。

「1. could have imagined」は、「想像することができた」という意味です。
「2. could imagine」は、「想像することができる」という意味です。

「た」と「る」の違いは、「have imagined」という完了形の不定詞であるか「imagine」という現在形の不定詞であるかの違いから生まれます。

これは次の(1)~(4)の違いなどと同じです。
(1)There may be some snow.(雪が降るかもしれない。)
(2)There might be some snow.(雪が降るかもしれない。)
(3)There may have been some snow.(雪が降ったかもしれない。)
(4)There might have been some snow.(雪が降ったかもしれない。)

ただ、そのような日本語の字面上の違い以外に、「could」が「元はcanであった」のであればその「could」は「「できる」可能性が高い」ことを表し、「元々couldであった」のであれば「「できる」可能性が低い」ことを表します。この違いは、「元はcanであった」のであればこの「could」はcanつまり直接法であり、「元々couldであった」のであればこの「could」はcouldつまり仮定法であるということから生まれます。

「元はcanであった」のか「元々couldであった」のかは御質問の英文からだけでは分からず、これはは読み手が判断せざるを得ません。別の言い方をすると、その部分は曖昧なまま残されています。

*****************************
以下、蛇足です。

以上が御質問への回答ですが、質問者様の意図はそのようなところにはないのではないかと思います。「時制の一致」をどのように考えたらよいか、「seem」という現在時制と「to have been」という完了形不定詞とのいずれに一致させたらいいのか、あるいは完了形の不定詞でも時制の一致をしなければならないのかとお考えではないかと思います。

「時制の一致」というと何かと何かを一致させなければならない(御質問の場合だとseemあるいはto have beenという時制とcan/couldあるいはimagine/have imaginedの時制とを一致させなければならない)のような印象を受けますが、「時制の一致」はそのようなことを言っているのではなく、「現在の時点から見て、時制をその前後関係に関して矛盾なく表すように調整しなければならない」という意味です。

例えば、次の(5)に(6)を付けると(7)のようになります。
(5)He makes baloons.
(6)She said.
(7)She said he made baloons.

この理由は一般に「「時制の一致」で、makeをsaidという過去時制に一致させなければならないから」と説明されていますが、この説明自体が誤りです。正しくは、「現在の時点(つまり、話し手が(7)の文を言っている時点)から見て、時制をその前後関係に関して矛盾なく表すように調整しなければならないから」です。つまり、「現在の時点から見れば、makeという動作をしたのもsayという動作をしたのもいずれも過去なので過去形にしなければならないから」です。「sayという動作が「現在の時点」から見ると過去のことであるからという理由でsaidにしているのに同じ過去の動作を表すmakeを現在時制のままにしておくのは理屈に合わないから」です。決して何かと何かを一致させなければならないからではありません。

現に、次の(8)に(6)を付けると(9)のようになります。
(8)He made baloons.
(9)She said he had made baloons.

(9)のsaidは過去でありhad madeは過去完了であり、全く一致していません。「現在の時点(つまり、話し手が(9)の文を言っている時点)から見て、時制がその前後関係に関して矛盾なく表すように調整されているだけです。

そのように考えると、御質問のcan/couldについては、元はcan(つまり、直説法)であったのであれば現在の時点から見れば過去のことなので過去形にしなければならないのでcouldにしなければならないということです。もし、元々could(つまり、仮定法)であったのであればcouldは(少なくとも字面上は)過去時制なのでそれ以上変える必要がないのでcouldのままで残しておくということです。それだけのことです。

imagine/have imaginedについては、時制の一致とは別の問題です。これは「couldという助動詞の時制」と同じ時を表したいのであればimagineという現在形の不定詞にし、「couldという助動詞の時制より前の時」を表したいのであればhave imaginedという完了形の不定詞にしなければなりません。これは、助動詞とその直後の動詞との関係の問題であり、時制の一致とは無関係、別問題です。

「時制の一致」は「sequence of tenses」ですが、「sequense」は「連続して起きるもの」、「連続して起きるものの順序」という意味であり、決して「一致」という意味ではありません。

御質問の英文の場合、「連続して起きるもの」は「seem、install、can、imagine」の4つであり、imagineの時制は上記のようにして自動的に決まるので「時制の一致」に関して考えなければならないのは「seem、install、can」の3つになります。このうち、seemは話し手の好みで現在時制にしているのでそれはそれで受け入れるしかありません。installは完了形の不定詞になっているので「seemより前の時」つまり「過去」を表します。canは「installと同じ時」つまり「過去」に行われた動作なのでinstallが「過去」に行われた動作である限りは「過去」にしなければなりません。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私がyoohoo_7さんのご説明を正確に理解できているかどうかを確かめるために、恐れ入りますが次の部分の空所が
1. could have imagined
2. could imagine
の場合のそれぞれについて、時間が許せば、全文を日本語にしていただけますか?

In the few years since then, these machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one ( ) they would be used.

お礼日時:2009/12/28 11:37

> it seems that these machines 【was】 installed everywhere ...



 訂正です。(見直したつもりですが、思いこみがあると駄目ですね。)

→ it seems that these machines 【were】 installed everywhere ...
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 「seem to」を用いた英文は、特に「to ...」の部分の時間の判断が難しい場合があるのですが、仮主語の「it」を用いて書き換えてみると分かりやすくなります。



 it seems that these machines 【was】 installed everywhere ...

 この英文でお分かりのように、that節の中の「these machines」で始まる英文は「過去」のことを表しています。「1950年以後の数年間、どこでも設置されるようになった(と思われる)。」ということでしょう。

 また、問題のポイントである「 for hundreds of purposes for which no one ( ) they would be used」の部分は「それらが使われると誰も想像していなかったであろう数多くの目的のために」という過去(または過去完了)の意味になります。

 したがって、当然のことながら(  )内には「過去」を表す動詞が入ることになります。

 さて、選択肢の(1)と(2)の違いについて考えましょう。

 (1)の「could+完了形」は「過去の推量(~だったであろう。)」を表すのに対して、 (2)の「could+原形」は「現在の推量(~であるだろう。)」を表します。

 「could+原形」が「過去の推量」を表すこともありますが、その場合の意味は「時には~することもあり得た」という意味ですので、ここではふさわしくありません。

 したがって、お尋ねの問題の正解は(2)の「could have imagined」となります。

 ご質問の回答は以上ですが、fwkk8769さんのご質問ですからひょっとしたら私の気づかないもっと深い部分でのお尋ねかもしれません。

【蛇足】:なお、お尋ねの英文の「In the few years since then」と「seem」の関係が今ひとつ分かりません。「In the few years since then」は明らかに過去を表していますので主節の動詞は「seemed」と過去形にするか、または「In the few years since then」を「seem to have been installed everywhere」の後に置く方が良いのではないかと思いました。(あくまで個人的な感想です。)

 もしご参考になれば・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「お尋ねの問題の正解は(2)の「could have imagined」となります」とお書きになっていますが、私は、

1. could have imagined
2. could imagine

の2を用いると、

「それらが使われると誰も想像できなかった数多くの目的のために[使途に]」

という1950年代当時の人たちには思いもよらなかった(想像することができなかった)という意味・ニュアンスで「意味を成す」ように思いました。

この理解は間違いでしょうか?もう一度ご回答いただくと助かります。

お礼日時:2009/12/28 11:29

例文は過去時制で、時制の一致を受けています。

現在時制になおすと解りやすいかもしれません。
(1)for which no one could imagine they will be used
(2)for which no one can imagine they will be used
になると思います。(2)は単純な可能性ですね。(1)は学校文法的にいえば条件節の省略された仮定法の帰結節で、「(試みたとしても)想像できないであろう」といったニュアンスでしょう。全体の時制が過去になるとthey could have imaginedで「想像できなかったであろう」です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。よく理解できないところがありますので以下に率直に書きます。もしご説明いただけるのでしたらよろしくお願いいたします。

(あ)
ただ、「例文は過去時制」とおっしゃっていますが、these machines seem to have been installed everywhere...
ですので時制は現在だと思いますが。

(い)
1. for which no one could have imagined they would be used 
  これの現在時制が
  ⇒ (1) for which no one could imagine they will be used
とおっしゃるのでしょうか? だとすれば私には理解できません。

お礼日時:2009/12/26 20:28

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