痔になりやすい生活習慣とは?

この3宗教の発祥地はいずれも乾燥地であることが共通点だと聞きました。教えてくれた人もその理由は知りませんでした。とても面白い共通点だと思いますが、乾燥地であることに何か特別な理由があるのでしょうか?

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A 回答 (5件)

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b …
このへんによると、メソポタミアは河川を管理しないと酷い目に遭う。そのひどいことをするのがすっごい存在だとということで、怒りの神になった。
んで、ナイルは静かに氾濫したから、多神教であったとか。
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この回答へのお礼

エジプトは乾燥地だが、多神教だということもひっかかっていた疑問でした。ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/12 09:13

何故ユダヤ教は乾燥地帯で発祥したかはわかりませんが、四季に恵まれた日本の自然環境と比較するとかなり過酷な環境下であることは想像がつきます。


ユダヤ教の原始的な発祥は今からさかのぼる事6千年以上も前からとも聞いたことがあります。


<キリスト教の発祥>
かなりアバウトですが、今から約2000年強前に、
キリスト教は、ユダヤ教の聖書(今で言う旧約聖書)の神が、その神のひとり子イエス(Jesus)をユダヤ人の救世主としてイスラエルの地に誕生(降誕)させました。
イエスを救世主と受け入れた大勢のユダヤ人達もおりましたが、それ以上にイエスを救い主と受け入れない大半のユダヤ人達に十字架に付けられて殺されました。
そしてイエスは自らの予言どおり処刑から三日後に復活を果たし、その「復活」を目の当たりにした弟子達は心からイエスが神の子であることを信じ、命がけで布教を行った結果、ユダヤ人達よりも、逆に多くの異邦人にイエスの教え(キリスト教)が瞬く間に広がりました。
イエスは復活後、40日間弟子たちの前に現れ、弟子達に布教に必要な神の御業を授け、イエスの父である神の元に戻りました。
このイエスの降誕の時期から書き記されたものが「新約聖書」です。

ですからキリスト教の発祥地(聖地)は同じくイスラエルのエルサレムになります。

余談ですが、全てのユダヤ人達がイエスをユダヤの救い主(神の子)として受け入れていたとしたら、キリスト教は今現在において存在しなかったでしょう。
ですから、ユダヤ教の人々は今現在も旧約聖書で予言されている救い主の出現を待ち続けていることになります。


<イスラム教の発祥>
イエスの降誕により、新たな神の時代という意味の紀元AD(Anno Domini)、いわゆる日本で言うところの西暦が始まってから遅れることAD7世紀頃にモハマド(モハメッド)によってイスラム教(モスリム教)がアラブの地で発祥します。
モハマドは旧約聖書に記される神の子の家系(アダムとエバ)の子孫です。
ざっくり過ぎますが次の系図になります。
(1)アダム→省略→(2)ノア→省略→(3)アブラハム→(4)アブラハムの息子イショマエル→省略→(5)モハマドと繋がります。
ここで(4)のイショマエルは(3)のアブラハムがそばめに生ませた子供です。このイショマエルが生まれて間も無くしてアブラハムの本妻サラとの間に息子イサクが誕生します。
このためイショマエルは居場所を失いアラブに渡ります。
旧約聖書では神の言葉として、そばめの子イショマエルと本妻の子イサクの二つの家系の子孫達が互いに後世においてライバルとなることをはっきりと予言(明言)されています。

ですからイスラム教の発祥地はアラブですが、モハマドは神の系図ですので聖地はイスラエルのエルサレムとなります。


<結論>
ユダヤ教が無ければ、キリスト教もイスラム教もありません。
同じ神の子の系図に含まれるからです。
神の子といってもやはり人間です。
即ち、アブラハムのそばめの子でアラブに渡ったイショマエルとアブラハムの本妻の子であるイサクとの本家争いが今も尚続いているのです。
イスラム教が発祥したのが先にも述べたAD7世紀頃ですから今日まで約1400年位争い続けていることになります。
どうしてお互いにいがみ合っているかの根源はここにあるのです。
旧約聖書に記された神の予言通りになっているのです。


但し、モハマドは神の子の家系である人間でありますが、イエスは父である神のひとり子、即ち神です。
ユダヤ人のみならず、人類の救世主として神であるイエスを人間の肉体を持ってこの世に遣わされた方でるというところが違います。


以上です、お分かり頂けましたでしょうか。
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この回答へのお礼

世界史的背景が把握できました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/12 09:11

> ユダヤ教・イスラム教・キリスト教



三つとも、元々同一の宗教です。
最初にユダヤ教があり、その宗教改革とギリシャ・ローマ世界への拡散の結果成立したのがキリスト教です。イスラム教は、マホメッドの時代にユダヤ教を下敷きにして作られた当時の新興宗教です。

もう一つの世界三大宗教である仏教はインドで成立しました。ここはそれほど乾燥した地域でもありません。


因みに、宗教が生まれるのは不条理な状況下、ということが言われています。そして強固な信仰は、滅ぼされない程度に過酷な環境から生まれます。
例えば、オウム真理教(現・アーレフ)の元々の信者は、今でも(昔よりも?)強固な信仰を持っています。
ユダヤ教はいわゆるバビロン捕囚など、イスラム教はヒジュラ(町からの追放+迫害)、キリスト教はローマ帝国の弾圧などを挙げることができます。
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この回答へのお礼

過酷な環境は連帯感を持つために必要ということですね。ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/12 09:09

私もそのような話を何かで読んだ覚えがありますが、ちょっと疑問があります。


私の想像ですが、
人びとは、もっとも住みやすい地を求めて、集まったはずです。
食糧を得やすい地であることが第一です。
そして、そこで、古代の人びとが最も怖れたのは、大量死につながる、何らかの細菌による疫病だと思います。
温暖で、じめじめした地は細菌が繁殖しますね。
最適の地は、軽度の「乾燥地」で、かつ農耕・牧畜に適した地です。
そこに多くの人々が集まると、都市が生まれ、さまざまな社会的な混乱、軋轢、争いが生じ、
人びとは悩み、苦しみ、あるいは憎むようになるでしょう。
そこに宗教が生まれる素地ができたと想像しています。

ユダヤ教もキリスト教も、今で言うイスラエルで誕生していますが、イェルサレムは、高度800mの地にある乾燥地で、その西部は地中海に面した温暖な気候の、肥沃な土地です。
イスラム教はメッカで誕生していますが、紅海に面した気候温暖な所です。

アラビア半島は、過酷な灼熱の砂漠地帯が大半を占めていますが、三つの宗教は、その砂漠地帯を背後にひかえた住みよい「古代都市」で誕生しています。
では、なぜアラビア半島の都市で宗教が誕生したのか、誕生したのは宗教ではなく、後年「神」と崇められる人物ですが、その理由は私にはとても想像できません。

イスラエル大使館HP 「国の紹介」の中の「国土について」
http://tokyo.mfa.gov.il/mfm/web/main/missionhome …
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この回答へのお礼

とても考えさせられるヒントでした。今後もいろんな文献等探してみたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/12 09:06

乾燥地域が発祥であるという共通点よりは


そもそもユダヤ教・キリスト教・イスラム教の根は同じで順次派生していったと考えるほうが自然かも知れません。
ですから発祥地も自然と、ユダヤ教発祥地の近くになり、現在に至って3宗教の聖地がエルサレムに存在している、ということだと思われます。
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この回答へのお礼

エルサレムの地勢学を検討すればヒントが見つかりそうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/12 09:01

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Aベストアンサー

ネパールのルンビニ村は、
ブッタ族の王国の都だったところで、
釈迦が生まれて
「天上天下火唯我独尊」と名乗られた所ですので、
仏教の発祥を、釈迦の誕生からとすれば、そうなります。


仏教界では、
釈迦が悟りを開かれた菩提樹のあるインドのガヤ村(ブッタガヤ)
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エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
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Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
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そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
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かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qイスラム教の聖地はエルサレム、メッカ?

イスラム教の聖地とはエルサレム、メッカ、どちらなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

どっちもです。

メッカ、メディナ、エルサレムの3つの都市が、イスラム教の三大聖地とされているようです。

メッカには、「神の館」であるカーバ神殿があり、また、預言者モハメッドの生誕地でもあります。

メディナには、モハメッドの墓所に建てられたモスクがあるらしいです。

エルサレムは、モハメッドが天に登った場所だそうです。

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
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