出産前後の痔にはご注意!

ベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなものがあるでしょうか?
M16やAK47などのメジャー処は知っているのですが、もっとマニアックな銃が知りたいです。
URLだけ貼るというのはナシでお願いします…

乱文失礼しました

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A 回答 (7件)

北ヴェトナム軍が使用していた消音器内蔵の中国製拳銃「六四式微声手槍」はどうでしょう。



中国の人民解放軍特殊部隊に1964年に制式採用され、専用の7.65ミリ弾を採用。
音を極力出さないことを主眼に設計されたため、ほとんど音を出さないとか。
ベトナム戦争でアメリカ軍に捕獲されて、初めてその存在が知られました。
のちに小型軽量化された六七式微声手槍も開発されました。

中折れ式のグレネードランチャーM79もヴェトナム戦争がデビュー戦です。

小ネタとして、AK47のマガジンが不足気味だったため韓国でも製造されていたそうです。
アメリカ側に兵士を送り、ソ連側に武器を供給してたわけですな。
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この回答へのお礼

おお、マニアックですね…!
回答ありがとうございます

お礼日時:2010/04/29 19:03

わが日本製の三八式歩兵銃を、北ベトナム側が狙撃銃として使っています。


弾丸の性能がよく、初速が早いので発砲音より弾丸が先に来ます。スゴクいやです。
ちなみに狙撃で、殺してしまう必要性はありません。けが人にしてしまった方が、やられた方は迷惑だからです(死体はそれっきり。負傷者は人手がかかり、かつ味方の士気を下げる)。
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この回答へのお礼

なんと… 旧軍の武器を使っていたとは驚きました!
回答ありがとうございます

お礼日時:2010/04/30 19:17

米兵が私物の散弾銃を持ち込んで使っていたという話は聞きますが…。

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この回答へのお礼

そのころの散弾銃っていうとどんなのが主流だったのでしょうか…
すごく興味深いです

お礼日時:2010/04/29 19:08

こんにちは



> ベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれ
> どんなものがあるでしょうか?
> もっとマニアックな銃が知りたいです。

えーーっと銃、ってことですと
映画(スターリングラードとか山猫は眠らない(だったかな?))でも登場
したロシア製ボルトアクションライフル"モシナン・ガン(M1891)"です
かね。
いかにも「これで狙われたら もうおしまいだぜ フフッ」的な、あの独特
なたたずまいがたまりません。

他の兵器だと北ベトナム軍のPT-76水陸両用軽戦車かなぁ、これまでの
"いちおー渡河出来ますが"的な両用戦車に比べると格段にパフォーマンス
高かったようですし・・・、でも装甲ペナペナなのがタマにキズですが。(--;)

さて、極めつけはやはり、米軍の「対人臭気センサー"People Sniffer"」
ではないでしょうか?
こいつはジャングルに潜むベトコンを探知するためのもので、人間の出す
臭い(どうもアンモニアらしいのですが)を検知して警告を出す、という
シロモノです。

それだけ聞いても"うさん臭さ"充分なのですが、なんとコイツ
・型番XM-2:可搬型。兵士が機械一式を担いで使う
・型番XM-3:航空機搭載型。主にヘリに搭載し、広域の探知に使う
の"2種類"が開発・使用されているのです!!(@_@)

で肝心の結果(成果)は、と言うと。
「味方兵や動物(爆笑 にも反応してしまい、信頼性はいまひとつ」
ということでほどなくして廃れていったみたいですね。
まぁ、ちょっと考えれば事前に気がつくだろうに、よほど当時の米軍も
切羽詰まっていたんですねぇ。(^^ゞ

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/People_sniffer
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この回答へのお礼

なんだか凄い物を米は開発してたんですね…
回答ありがとうございました

お礼日時:2010/04/29 19:07

>URLだけ貼るというのはナシでお願いします…



ほれ。(^_^)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3% …(%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AB)


>もっとマニアックな
M551シェリダン。^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/M551
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この回答へのお礼

いじわるだなあ^^;

でもだいぶ参考になりました!
回答ありがとうございます

お礼日時:2010/04/29 19:05

XM-177E2なんてのはどうでしょう。

M4A1が登場するまでは、AR15(M16)系のショートモデルといえばモデルガンでもエアガンでもXM-177E2が定番でした。今の若いモンは知らんらしいがのう。
そのXM177-E2のフロント部分がちょっと違うタイプのモデルが映画「プラトーン」でバーンズ曹長が持っていたモデルです。これは映画用の小道具だったのか、世間じゃ「バーンズモデル」と呼ばれていましたね。
あとベトナム戦争前半では海兵隊はM14を使っていました。ジャングルでの近距離戦闘が多かったベトナム戦争では重くて長くて7.62ミリ銃弾を使っていたM14は「使いづらい」と評判が悪くてすぐM16にとって変わられ、長い間「時代遅れの重厚銃」と不遇をかこってきたのですが、砂漠の広大な大地が広がるソマリアやイラクでは射程が長くて一発当てれば相手を戦闘不能に陥らせられるパワーを持つM14が再評価され、今じゃ愛用する兵士が続出するという波乱の(銃)人生を送っています。
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そりゃあもう



M60を忘れてもらっては困ります。

M60は男の憧れですよ。

あと、士官クラスが持ったコルトガバメント

あのグリップと手ごたえが感動物。

ワルサーPPK、HALO部隊(特殊コマンド)が使った短銃。小型のため、
水平距離を保ち、遠距離においても応戦可能。映画007で標準装備は有名。

北ベトナム軍が使った、ワルサーP38。その完成度の高さから
ベトナム戦争に至るまで正式に使われていた。
フォルムが独特であり、ルパン三世が使ってたのは超有名。

まだまだありますが、
オタクと思われるので(もう思われているか?)
この変で。
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この回答へのお礼

M60は知ってますよ、軽機関銃ですよね!
詳しい情報、ありがとうございます

お礼日時:2010/04/29 19:02

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Q第二次大戦でのライフル装弾数は何故5発なのか?

第二次大戦における各国主力小銃を見ると、装弾数が数発しかありません。
38式(日)・99式(日)・M1903(米)・Kar98k(独)・MAS 36(仏)・M1891(ソ)
このあたりの主力小銃はみんな5発です。もっと装弾数を増やせば、弾込めにかかる手間も節約できて便利だと思うのですが、なぜ各国示し合わせたように5発なんでしょうか?

それにM1ガーランド(米)なんてオートマチックなのに僅か8発です。少なすぎですよね・・・

Aベストアンサー

 元の銃を真似て作ったから、という元も子も無い答えになっちゃうんだが(^_^;

>もっと装弾数を増やせば、弾込めにかかる手間も節約できて便利だと思うのですが

この手の質問をするんだからある程度の知識があると思うけど

5発マガジンに装填が5秒としよう
10発マガジンが倍の10秒とすると、10秒で弾込めがができるかというと、そうではなく、もっと掛かるんんですよ。

マガジンの中にはバネがあって、それが次の弾を押し上げてくるっていうのは理解してるよね?

1~5発までを事前にマガジンに装填するのは楽だけど、7発、8発となってくると、押し返してくるマガジンの中のバネも強くなって、ギューと押し込んでるにの弾が入らない状態で10発も入れると相当な時間が掛かります。

そのマガジンを沢山用意しておけば戦闘時に次から次へと交換していけばいいんだけど

戦闘は、今日の午後3時に開始しますから、よろしくー
って敵味方が打ち合わせがあって始まる物じゃないのは判るよね?

3時になったのに、えー?!まだ8発しか詰めていないよー、戦闘するのはちょっと待って、と言っても待ってくれないですし

で、5発ぐらいの楽に装填できるマガジン(素早く装填できるマガジン)を多数持って、という事になるわけですが、弾を沢山持てば(マガジンを沢山持てば)重いので移動に難があって、というのになります。

で、徴兵で集められた兵士は、元はパン屋だったり、障子の張替えとかしてる人だったりとかで、沢山のマガジンを持ち歩くだけの体力が無かったりするし

ちゃんと狙って撃っても弾は敵に当たらないという状態になって、逆に敵に撃ち殺されたりするわけで、装弾数はあまり必要ではなくなります。

30連マガジンができても30人の敵が殺せるかというと、そうではなく錬度の低い兵士だと30発撃っても一発も当たらないですから、それなら錬度の高い兵士に5発だけ与えても5人は倒してくれますから、そちらのほうが効率はよくなります。

30連発のマシンガンなんて沢山の人を殺せそうだけでど、実際は人と人の間に隙間があって、そこにも弾が飛んでいくので誰にも当たらなくて、数打ちゃ当たる、にはなら無いんです。

ということで、ちゃんと銃を使いこなせる人(職業軍人)になら、5発あれば、それで事足りるわけなので、5発や6発の装弾数の銃が偶然(まあ、元の銃をコピーしてるので似るのですが)同じように揃ったわけなんです。

M1ガーランドの8発は、錬度の低い徴用兵に合わせて数打ちゃ当たる作戦?で作られたんです、38でちゃんと撃てる人だったら、錬度の低い敵を5人は殺せて退治できましたからね。

 元の銃を真似て作ったから、という元も子も無い答えになっちゃうんだが(^_^;

>もっと装弾数を増やせば、弾込めにかかる手間も節約できて便利だと思うのですが

この手の質問をするんだからある程度の知識があると思うけど

5発マガジンに装填が5秒としよう
10発マガジンが倍の10秒とすると、10秒で弾込めがができるかというと、そうではなく、もっと掛かるんんですよ。

マガジンの中にはバネがあって、それが次の弾を押し上げてくるっていうのは理解してるよね?

1~5発までを事前にマガジンに装...続きを読む

Qベトナム戦争は、旧日本兵が支援した?

ベトナム戦争では、アメリカにベトナムが勝ったということになっています。ベトナムは、すごく小さい国なのによくアメリカに勝ったと思います。本当にすごいと思います。今でもびっくりです。 ふと・・・こんな話を聞いたことがあります。ベトナムを旧日本兵生き残りが支援していた? 太平洋戦争を生き残った日本人がベトナムを支援していたのでしょうか?  そう言われてみれば・・・洞窟に立てこもってのゲリラ戦法・・・

Aベストアンサー

ベトナム戦争は、第二次大戦後直ぐに起こった、フランスからの独立戦争と、その後の対アメリカ戦に分類されます。

日本兵が参戦していたのは、主にフランスからの独立戦争時で、戦術などを指導しました。
ただ数としてはそれほど多くなかった様です。

また第二次大戦時の日本軍の兵器が多数現地に残されて、それらを使用して初期の戦闘を行っていたのも事実です。
これらの兵器は対アメリカ戦の初期の頃まで使用されていた様です。

その後中国、ソ連の介入が深まるにつれ、兵器と共に軍事顧問団が派遣されたので、徐々に関わりが減ってきました。


外にも旧日本兵は各地に残留し、列強の植民地支配からの独立に寄与した様です。

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q空母のカタパルトは、米国でしか造れない?

ここしかないのでお訊きします。だいぶ前なので、現在は状況が違うかもしれないですが何度か空母のカタパルトについて、イギリスやフランス・ロシア等が開発しようとしたけど無理で米国だけだと本で見たような。これ自体は軍事や戦略等から見ると大した話ではないでしょうが、事実ですか?単に、米国以外は大型のジェット戦闘機を空母から飛ばそうとしなかったり目的・戦略が違っただけとか。それに何年か前に、フランスの今までの原・水爆実験で得た情報と米国の情報を交換するとニュースで見たり、エシュロンという世界規模の盗聴網で米・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスの白人クラブがあるとEUの議会で取り上げられたのを見るとカタパルトの技術くらい教えそうですが。
それに現在は、先進国間で留学等の知の交流があるし物質工学や工作機械や設計・加工技術等の差がそんなにあるのか疑問ですが。

Aベストアンサー

シャルル・ドゴールのカタパルトはアメリカ製のようですね。

というか、アメリカ以外の最近の空母でカタパルトで離艦するのってってシャルル・ドゴールだけじゃないでしょうか。
なお、フランスの旧艦ですが、クレマンソー級の蒸気カタパルトはイギリス製のようですから、アメリカでしか作れないと言うことではないようです。

ただ、現在、イギリスやロシアの空母はカタパルトではなく、スキージャンプを使った離艦です、おそらく、今後のアメリカ以外の空母はSTOL能力の高い機材で運用というのが世界的な流れでしょう。アメリカにしても、強襲揚陸艦などにはSTOL+スキージャンプというのが登場するかもしれません。

アメリカ以外で蒸気カタパルトを作らないのは、空母の思想が変わってアメリカ以外での需要がないからだと思いますよ。外国で作ったとしても売れなきゃどうしようもないですから。

Qベトナム戦争でヘリコプターは安全でしたか?

ベトナム戦争の映像や映画では、
米軍のヘリコプターがよく出てきます。
ヘリコプターが追撃される場面を見たことがないのですが、
安全だったのでしょうか?
敵に見つかっても、攻撃は受けなかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ベトナム戦争ではヘリ部隊は制空権を確保された空で活動したため、北ベトナム空軍機から攻撃を受けるというようなことはありませんでしたが、その代わりいわゆるベトコン(南ベトナム民族解放戦線)や北ベトナム軍の兵士などから手痛い攻撃を受け、相当の損害を受けています。

ヘリは本質的に低空を飛び、あらゆる場所に着陸できるというその性質がヘリをヘリたる価値を生み出しています。

つまり射程の短いライフルや軽機関銃の銃弾が十分届く高度を飛ぶヘリは、地上の敵からすればいいカモでした。とくに兵士を輸送する際がもっとも危険なときでした。

当時のベトナム戦争では着陸予定地に適当な空き地がない場合、空海軍の戦闘攻撃機がめぼしい場所に爆弾を落とし、そこを拓いて着陸地点を確保することが多々ありました。
これは敵にしてみれば何もないところに爆弾を落とすのを見れば、そこにヘリ部隊が程なくやってくるということはわかるので、しっかりとアンブッシュ(待ち伏せ)出来たということです。
その方法も小火器で攻撃するオーソドックスな方法から、あらかじめ着陸地点にワイヤーに連動させた手榴弾や爆弾などのトラップを仕掛け、着陸しようとするヘリがワイヤーを切ったときに爆発してヘリを損傷させるという方法もありました。

ヘリに限らず航空機は実際脆いもので、ジェット戦闘機でさえ低空を飛ぶときは地上からの小火器で撃ち落されます。特にヘリの場合は薄い機体を簡単に突き抜ける銃弾によるパイロットの消耗が激しく、軍はヘリパイロットに防弾ベスト(今で言うとボディアーマーですね)の着用を厳しく義務付けていました。

ただこの防弾ベストはパイロット同士の間ではチキンプレート、つまり弱虫が付ける板と呼んで、あえて付けずに任務に就くパイロットが多かったというエピソードもあります。

ベトナム戦争ではヘリ部隊は制空権を確保された空で活動したため、北ベトナム空軍機から攻撃を受けるというようなことはありませんでしたが、その代わりいわゆるベトコン(南ベトナム民族解放戦線)や北ベトナム軍の兵士などから手痛い攻撃を受け、相当の損害を受けています。

ヘリは本質的に低空を飛び、あらゆる場所に着陸できるというその性質がヘリをヘリたる価値を生み出しています。

つまり射程の短いライフルや軽機関銃の銃弾が十分届く高度を飛ぶヘリは、地上の敵からすればいいカモでした。とくに...続きを読む

Q日本陸軍将校の拳銃

「帝国陸軍の将校に軍制式の拳銃は支給されなかった」
「拳銃を私物として購入・携行することは許されていた。戦前の日本では今のように銃刀法の規制が厳しくなく、拳銃が街で販売されていた」
「将校の中で希望する者は、自分で拳銃を購入して戦地に持参した」
「将校の装備は、軍服、軍刀、軍靴など、全て私費購入であった。これは他国の軍隊でも19世紀以来同じ」

と聞いています。上記が事実とすると、

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」
「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」
「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」
といった疑問が湧きます。よろしくお願いいたします。

「帝国陸軍の将校に軍制式の拳銃は支給されなかった」
「拳銃を私物として購入・携行することは許されていた。戦前の日本では今のように銃刀法の規制が厳しくなく、拳銃が街で販売されていた」
「将校の中で希望する者は、自分で拳銃を購入して戦地に持参した」
「将校の装備は、軍服、軍刀、軍靴など、全て私費購入であった。これは他国の軍隊でも19世紀以来同じ」

と聞いています。上記が事実とすると、

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは
旧日本軍の制式拳銃に関しては、小銃に比べるとかなり資料が限られており、いくつかの専門誌や文献に点在した形であるのはあるのですが、
体系的に研究された文献もほとんど存在しませんので、多少記憶に頼った回答になることをお許しいただきたいと思ます。

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」

 これまでに他の回答者さんが回答なさっているように、将校の拳銃は原則自己調達でした。ということは予備弾薬もそれに準じて自己調達していたということになります。都合よく旧日本軍の制式拳銃の弾薬と同じ物を使う拳銃を購入すれば流用も考えられます。ただ8ミリボルトネック弾は世界的に見ても稀な実包だけに、流用できるものは当時の軍の将校の間で最も好まれていたモーゼル社にもなく、いったん戦場に出れば補給は不可能でした。
 さて旧日本軍の制式拳銃は明治以降3種類が存在します。つまり制式第1号の二十六年式、第2号の十四年式、そして最後の制式拳銃となった九四式です。明治26年制式化された二十六年式は別にしても、太平洋戦争を戦った十四年式と九四式の弾薬や消耗部品の補充は?ということですが、基本的に旧日本軍は拳銃に対して兵器という概念はかなり希薄なところがありました。つまり拳銃は兵器といった存在よりは、将校や准士官と呼ばれることもあった下士官(特務曹長)たちの象徴的な存在であり、かつ他の回答者さんが言われたようにいざというときの自決用といった存在であったと考えても良かったのです。
 そういうこともあり、弾薬や消耗部品の補充もめったに使うこともないのですから、必要性も少ないということでかなりおざなりにされていたと考えても決して間違いではありません。
 めったに使うこともないということのひとつの証明的なエピソードとしては、部隊が玉砕するほかないといった場合、指揮官のほとんどが自決をした例がありますが、その際十四年式や九四式を携えた多くの指揮官が、必ず試射を行ってちゃんと弾が発射されるかどうかを確かめたという事例が多く残っています。いかに普段使っていないかという良い例ですが、それだけ自軍の拳銃に信頼を置いていなかったということなんですね(^_^;)

「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」

 これも前の回答に重複したお答えになるのですが、ただ日本軍が将校に拳銃を支給しなかったということは正確ではありません。制式拳銃の主流であった十四年式に限って言えば、その生産数は269000挺という記録があるので、他の拳銃もあわせて考えれば数的には不足はなかったといえます。
 日本軍が最初の制式拳銃二十六年式拳銃を明治27年に支給した兵科の最初は実は憲兵隊でした。これは当時の憲兵隊が将校だけだったという事情もあります。その後騎兵部隊(騎兵は乗馬した状態で片手で撃つためという事情から)、砲兵部隊、そして輜重部隊の兵たちに順次装備されていきました。
 旧日本軍の制式拳銃の信頼性に関しては安全性やセーフティ機構という概念が薄かったためか、その性能や威力と同じくらい悲惨な状態だったというしかありません。それでもきちんと作っていたならまだましなんですが、戦争末期になるにしたがってその作りも粗雑乱雑になるしかありませんでした。アメリカ兵から下手に使えば撃つ方が死亡したり大怪我を負うといった意味から、スーサイドガンと呼んで馬鹿にされていたことからもわかります。九四式がその最たるもので、世界的に見ても例がないほどの稚拙な構造をしており、安全面に関しては致命的な欠陥を持っていました。ここで詳しく書くことは避けますが、簡単に言えば引き金を引かなくとも銃本体の左側面の露出しているある部分を叩くだけで発射できるといった具合です。
 ただ初期のきちんと作られた時代のものは命中率がなかなか良く(威力は最低評価ですが…)、アメリカのコレクターの間ではそれなりの評価を得ているのが救いといえば救いですが。

「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」

 これも軍刀を護身用と考えるのは無理があると思います。
 拳銃は第1次大戦の西部戦線での塹壕戦の教訓を得て、拳銃の存在意義が高められたのですが、旧日本軍では軍刀は拳銃と同じように象徴的な飾り物であり片手に軍刀、もう片手に拳銃を持って最後の玉砕突撃を行うといった光景が、太平洋の島々で繰り広げられていました。一般的に日本軍の将校は自身の身を守るという考えは薄く、常に部隊の先頭に立って指揮をすべきものとされていましたので(どの国の軍隊の将校もそう教育されていますが)、自己護身という概念はありえなかったと思います。ただそうは言っても例外的に臆病で卑怯な高級将校はたくさんいましたが、それはまた別の話ですので(-_-;)
 また他の回答者さんへの補足質問にお答えするのはルール違反かもしれませんが、8ミリJAPはアメリカの旧日本軍拳銃コレクターへの実弾の販売を行っていた弾薬メーカーが、その名称に戦争当時の日本人への蔑称であるジャップをそのままつけたものです。
 最も今ではその名称はあんまりだろう(笑)という意見がアメリカのコレクターの間に出てきて、その後は「8ミリNambu」に統一されています。旧日本軍の拳銃は当たり前のことですが日本では所有や撃つことも出来ませんが、アメリカでは結構な数のマニアが存在します。しかし8ミリのボルトネック弾は非常にレアな実包で、アメリカではオリジナルはかなりの高価で取引されているので、弾薬メーカーが他の実包を流用して生産していました。しかしそれも最近では生産もされなくなっていますので、マニアはリロードといって、自分で弾薬をしこしこ作っているのが現状です。
 長くなりましたがご参考になれば幸いです。

こんにちは
旧日本軍の制式拳銃に関しては、小銃に比べるとかなり資料が限られており、いくつかの専門誌や文献に点在した形であるのはあるのですが、
体系的に研究された文献もほとんど存在しませんので、多少記憶に頼った回答になることをお許しいただきたいと思ます。

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」

 これまでに他の回答者さんが回答なさっているように、...続きを読む

QモーゼルC96のような拳銃は何故廃れたの?

 1896年にドイツで開発されたモーゼルC96(後のモデルM712も含む)はトリガーの前にマガジンを持つ独特のスタイルを持つ拳銃として有名です。この銃は100万丁以上生産され世界中で使われたヒット作であるとされています。
 しかし世界の自動拳銃を見るとグリップにマガジンを挿入するタイプのものばかりで、C96のようなタイプの拳銃は他に殆どありません。何か欠点があるのでしょうか?

Aベストアンサー

 一般に、当時は先端でもやがてそれを超える物ができて旧式となるものですが、兵器はとくにその傾向が著しい分野です。

 モーゼル軍用拳銃は、試作、改良型完成したのが1895年ということですからまさに自動拳銃(オートマチック)の先駆け的存在で、これが1950年代ぐらいまで現用拳銃として世界各地で使用されていたこと自体、小銃と並んで信頼性の高い拳銃であったといえます。(1910年代には9ミリパラベラム弾タイプもあり。グリップに9の番号が彫られている)

 1890年代というと、騎兵戦(騎兵銃や槍で戦う)とか白兵戦(銃剣で格闘)という戦闘形態であり、槍や弓矢なども使われていました。そういう時代背景で誕生したのがモーゼル軍用拳銃で、

 戦闘状況に応じて単発、連射がつまみ一つで切り替えられる。弾切れを考慮して20連発カートリッジが装着できる、ショルダーストックを装着して馬上から射撃できる、格闘のときには銃身を持ってグリップで叩くというほか、なにより長銃身と重量が安定した命中率を保証したことが当時のニーズに合っていたわけです。

 しかし、開発当時から携帯性や重量といういうのが欠点と指摘されており、ドイツ(プロシア)陸軍は、すでにリボルバー式の拳銃を採用しており、制式としたのはトルコ陸軍でした。このようにモーゼル拳銃は『軍事後進国』とでもいいましょうか例えば中華民国陸軍などを中心に汎用されたことが特徴です。

 やがて戦闘形態が変わっていくにともない、また新型拳銃が開発されると消え去る運命になることは兵器の宿命であります。

 
 銃の薀蓄(うんちく)本でもあるライアルの『深夜プラス1』(76年)の主人公は、モーゼル拳銃の愛用者ですが、仲間のガンマンとの会話を引用しておきます。

>どんな銃だと、聞きかけたので「一九三二年型のモーゼルだ」と教えた。彼にしてはひじょうな驚きの表情なのであろう。表情が凍りついた。「あのでかいやつ? レバーを切り換えると全自動になる、あれか?」「そうだよ」彼はわずかに片方の眉をあげ、片方をさげた。私の正体が読めたらしい。私自身の銃に関する信念の一端を見せてしまったようだ。とんでない信念ではある。「トレイラーに乗せてひっぱっていくのか?」~ わたしはニャッと笑った。俗に「箒の柄」といわれたその旧式のモーゼル銃、特に全自動切り替え装置をつけた一九三二年型にまずい点は多々ある。目方は三ポンドもあって全長一フィートもある。握りの部分が不安定で、全自動で発射すると怒った猫のように手の中で跳ね廻る。しかし、長所もあるのだ。認める、認めないのは当人の勝手である。

 読んでいくと、ラストにモーゼル軍用拳銃の真価が出てくるのですが、この頃は既にマニアの拳銃となっていたんですね。

 資料:高橋昇「モーゼル軍用拳銃」 『GUN』1977年6月号所収 
   
    ギャビン・ライアル『深夜プラス1』 ハヤカワ・ミステリ文庫 1982年
 
 

 一般に、当時は先端でもやがてそれを超える物ができて旧式となるものですが、兵器はとくにその傾向が著しい分野です。

 モーゼル軍用拳銃は、試作、改良型完成したのが1895年ということですからまさに自動拳銃(オートマチック)の先駆け的存在で、これが1950年代ぐらいまで現用拳銃として世界各地で使用されていたこと自体、小銃と並んで信頼性の高い拳銃であったといえます。(1910年代には9ミリパラベラム弾タイプもあり。グリップに9の番号が彫られている)

 1890年代というと、騎兵戦...続きを読む

Q懲役2年6月、執行猶予5年ってどうゆうこと?

懲役2年6月、執行猶予5年って判決の意味がわかりません。
これって、実際に2年6ケ月牢屋にはいらなければいけないのですか?
執行猶予5年の意味もわかりません。

Aベストアンサー

懲役(2年6月)=(最長で2年6ヶ月の間)刑務所に入って所定の労働をしろ、ということ。
執行猶予(5年)=刑罰を直ちには執行しないで、執行猶予期間中(の5年の間に)罪を犯さなければ執行猶予期間が満了(となる5年が経過)した時点から刑そのものを帳消しにして無かったことにする、ということ。

執行猶予期間中に新たに罪を犯したりすると執行猶予が取消になることがあります。執行猶予が取消になると刑罰を執行することになるので刑務所行きになります。しかし、執行猶予期間中に新たに罪を犯したとしても、条件は厳しいですが執行猶予が取消にならないこともあります。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む


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