人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

私の母74才は脳梗塞で入院して2ヶ月半です。
一時は命が危ない状態でしたが、意識レベルが一番低い状態で落ち着きました。でも最近になって反応も以前より悪くなり、全身状態も悪く、むくみや拘縮も更に進み、先日より気管支炎を起こし、高熱をだすなど不安定な状態が続いています。私は今まで一日も欠かさず病院に通いましたが、このところ日々弱っていく母を見に行くのが辛くて、また怖くてたまりません。病院へ行きたくないのです。でも、そう思う自分をひどい娘だと責めてしまったり、わけがわからなくなります。いつ病院から電話がくるかと思うとパジャマに着替えて眠れません。
 私は一人っ子で、相談できる人も少なく、夫はいまいち
他人事で危機感がないのです。
親を看取るのは誰にでも訪れることとはわかっていますがその日が迫ってくるにつれて、どうやって自分の気持ちをコントロールすればいいのでしょうか。何も手につきません。私のような経験のある方のお話を伺えたらと思います。

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A 回答 (7件)

親として子供にできる最後の教育は「死を見せる事」だと思うんです。


つまり、子供は親が弱っていく過程や死を経験して、自分の人生をもう一度見つめなおす機会を得るのです。

お母様はあなたに何かを教えようとしているはずです。
それを受け取る事は、あなたにしかできません。

あなたをここまで育ててくださったお母様は、ご立派な方だと思います。
最後までしっかりと見とどけるべきです。
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この回答へのお礼

そんな風に考えた事、言われたことは一度もありませんでした。でも、母が私に死をもって教えたいとしているならば、素直に受け入れなければなりませんね。看取るということはとても辛いことですが、母からのメッセージだと思ってがんばります。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/10 22:02

こんばんは。



つらいお気持ち、わかります。

私は17歳の時に母を亡くしました。
闘病生活は長いような短いような一年でした。

どんどん衰えていく母を目の前にしても私には傍に居る事しか出来ませんでした。
夏休みの半分は父と交代で泊り込んだし、学校を休んだりして病院に行く事もありました。

怖くて、病院に行きたくない気持ちわかります。
自分を「ひどい娘」だなんて責めないでください。
自分の大切な人が苦しんでるのを、平気な顔して見れる方なんて居ないです。

 >私は一人っ子で、相談できる人も少なく、夫はいまいち他人事で危機感がないのです。

私は兄がいて一人っ子ではなかったけれど、バイトと彼女でいっぱいの兄には相談できなかったし、私よりも父の方が精神的に弱っていたので「私がしっかりしないと」と無理ばかりしてました。
毎日のように一人で泣いていました。
友達には迷惑かけたくなくて言えなかったし、身内からは頼りにされ「お父さんを支えて上げて」と言われ強がるしかなかった。

でも泣きたい時は泣いて、つらかったら旦那さまや誰かに聞いてもらった方が良いですよ。
旦那様も「自分がしっかりしないとnaminami007さんが余計落ち込む」と思って平気なふりしてませんか?

これからまだお母様の支えになってあげないといけません。
お母様の前でだけは少し笑ってあげてくださいね。
気持ちをコントロールするのは難しいし、自分が余計つらくなってしまうと思います。

無理はしないでくださいね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。私もお見舞いに来てくれる
親戚には、がんばってお母さんを看病してあげてね。と
口々に言われ、これ以上いったい何をがんばればいいの?
と泣きたくなってしまいます。でもみんなそうやって
親を看取っていくのですものね。辛いのは私だけじゃない、がんぱります。

お礼日時:2003/07/11 09:11

祖母を自宅で家族と共に、看取りました。


祖母は最後には、意識がなくなり、そばについていて上げることしかできませんでした。その当時、いろいろとできることはすべてやりました。でも、祖母がなくなってから、もっとしてあげられたのではないかとか、こうしてあげればよかったとか、後悔が残りました。一緒にいてあげることはつらいかもしれませんが、後でご自身で後悔をしないためにも、途中休息をはさみながら、できることをしてあげてください。(無理のない範囲で)
 お母様は、そばにいてくれるだけでも存在を感じてくれると思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。弱気になっていましたが
私だけじゃないんですよね。誰もが通る道ですよね。
後悔しないためにもがんばります。

お礼日時:2003/07/10 21:55

今は辛いと思いますが、後から後悔する事のない様、精一杯尽くしてあげて下さい。



人はいつかは亡くなるものです。
自分の娘が不安や苦しみを抱いているのを感じる事ほど、親にとって辛い事はないと思います。
例え、言葉や意識上ではもう疎通がない様に思えても、不思議な程感情等は伝わってしまうものです。

今までの感謝を込めて、あたたかい気持ちでお世話をして上げる事ができたら、とても素敵だと思います。

私にはまだ経験がないので、綺麗事だと思われるかもしれませんが、少しでもお役に立てばと思い、記入させて頂きました。
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この回答へのお礼

母が少しでも残された日々を安らかに過ごせるように
私も穏やかな気持ちで接しようと思います。私が年老いて亡くなったら、またあの世で母に会えると信じて。
お返事ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/10 22:08

私は25歳の時に、大好きだった父をガンで亡くしました。


結婚がきまり、夫を紹介して、幸せになりかけた
頃の悲報でした。
もう、結婚どころではなかったのです。

>病院へ行きたくないのです

気持ちはわかります。私も同じでした。
割と太って74キロもあった父が最終的には
50キロもなかったのです。
これが、つらくない子供はいません。
でも、病室では泣いちゃいけないし
くらくなってもいけない。
酷ですが、演技力が必要です。

あたりまえの事ですが
死んだら、もう二度と会えないのです。

今、がんばらなくて、いつがんばりますか。
確かに毎日の通院は疲れますよね。
病院って、何をする訳でもないのに
ほんとうに疲れます。

でも、二度と会えない事をかんがえれば
また、お母さんの苦しみを考えれば
自分の感情は後回しにするべきで、
そのつらさや、悲しみや、痛みは、
お母様が、楽になられた後にしてはいかがでしょうか。

がんばってください。
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この回答へのお礼

そうですよね、亡くなったら2度と会えないのですよね。
たとえ意識が薄れていっても、母には私のことがわかると
信じてそばについていようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/10 21:50

自分の場合のお話をします。


解決にはなるかわかりませんが、何かの役に立てば幸いです
自分は今学生をやっています。

大学受験の年父親が直腸癌と診断されました、受験真っ最中の2月に手術、私は志望大学に落ち浪人という道を選びました。
亡くなるまでに腸閉塞による緊急手術、院内感染、3度の転院etc
と一年経つ頃には面影が無いほどやせていました。
主に母が父の面倒をみていました。
自分も2日に1度は顔を見せていましたが、やはり父親が不安をもらす姿をあまり見たくないので、どこか母任せにしていた部分もありました。
役1年の闘病の結果、亡くなりましたが
最後の方では痛み故に自分で自分の首を締めようとしたり
意識を失い亡くなる日の昼に父が自分に言った一言が忘れられなかったりと今思っても心重いことがあります。
 でも、この1年で色々父と話した事も貴重な経験でしたし。
少なくともそれ自体は価値があったかなと思います。
やはり大事なのは後で後悔しないでいられるか?
だと思います。
 
そして、母ですが元々リュウマチを煩っており
この2年でかなり悪化しました。
手が十分に動かない為料理がほとんど出来ませんし。
歩くのも杖2本をつかってやっとの為、下でも色々苦労しています。
そんな状況で
2人暮らしで、しかも自分は就職や将来も考えないといけない
これから先母がどこまで悪化するか不安でもある
しかし、このままでは1人きりにも出来ないので就職も場所が限られてくるのではないか・・・・
etc....
こんな不安や不満でどうしても母にきつく言ってしまうことも多々あります。
誰かに不満を漏らすにも母本人には言えませんし
友人に話すにも話題が重過ぎて、相手に余計な重荷を課すことになるから・・・となかなか言えません
 
でもnaminami007は旦那さんもいらっしゃいますし
一度真剣に不安を打ち明けて見ればいかがでしょう?
ご自身の親で無いのでどうしても他人事になりがちなのは仕方が無いのかもしれませんが

PS.実際自分も父がそろそろ危ないと言う頃
自宅の電話や携帯電話の着信音にはかなりナーバスになっていました。
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この回答へのお礼

早々にお返事ありがとうございました。お辛い事をお話させてしまったようで申し訳ありません。後で後悔しないためにも、できるかぎりがんばります。乗り越えなければならない壁ですものね・・・

お礼日時:2003/07/10 12:29

昨年末、義父をガンで亡くしました。

そのときの夫は、今のnaminami007さんのような状態でした。週末ごとに病院に行くのですけれど、意識をなくし弱っていく義父を見るのがとても辛そうでした。そして、何もできないのにそばにいるのがイヤなのだとも言っていました。
多くの人が、自分の親をなくすかもしれないときには混乱するものです。naminami007さんが混乱し、何も手につかなくなるのはおかしいことではありません。今はその状態に流されても仕方のないことだと思います。行きたくない気持ちをおさえて無理に病院に行くことはないと思います。私は「ひどい娘だ」などとは思いません。
看病をして2ヵ月半、病気に振り回され、闇雲に突き進んでいた時期が終わって立ち止まってしまわれたのでしょうね。お母さんとの時間を、ゆったりと有意義に過ごせるよう落ち着いてください。
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この回答へのお礼

早々にお返事ありがとうございました。誰もわかってくれない私の気持ちをわかってもらえたようで、思わず涙が出てきました。

お礼日時:2003/07/10 12:15

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Q両親が病気で辛い

23歳の女で両親が病気です。
父親がうつ病になってもうすぐ9年。
母親が癌です。


母は人間ドッグへ行った際、癌がみつかりました。
早期発見だったのでよかったそうですが、
現在は数々の治療、薬の副作用等で
癌以外の病気も発症。
歩くだけで辛い状態で、悲鳴のような声をだします・・・・。

うつ病の父は役に立ちません。
うつ病を理解しているつもりでも、理解できません。
治す気がないのが目に見えてかなりイライラします。
毎日食べて寝るだけ。
母親が病院行く時間になっても寝てる…。
3年や4年だったらまぁ理解はできますが
9年って・・・・。さすがに腹立ちます。
お風呂も言われないと入らない不潔さ…。
うつ病を理解するって難しいですよね。
理解しろよ!と言われても難しい。自分がなったことないから。


今、仕事を退職しているので介護は出来ますが
毎日家にいると私まで気がおかしくなりそうです。

でも辛そうな母をみるのはつらいです(数日後病院につれていきます)

最近友人の結婚式があって、両親が元気で
ベールダウンや両親への花束贈呈を見ると感動はしましたが
自分の式ではできないかなと考えると悲しくなってきました…。
バージンロードを父親と歩くのも無理です。
ドレス姿と孫の顔だけは見せてあげたい…

悲しくて気がおかしくなりそう。

私と同じ年くらいで、両親が病気の方…。
辛いとき、どうやって乗り越えてますか?

誰にも相談できなくて辛いです・・・。

病気になった本人たちのほうが苦しいのは理解してます・・・・。

他人に明るくふるまって、仕事辞めた理由も誰にも言ってないので
「いいな、仕事辞めて。かわってよ」と言われても笑って聞き流してますが
心が痛いです。
両親が健康で家族とどこかへ行っただとか、そういう事を
facebookで近況報告しているのを見ると羨ましいなと思ってしまいます…。

23歳の女で両親が病気です。
父親がうつ病になってもうすぐ9年。
母親が癌です。


母は人間ドッグへ行った際、癌がみつかりました。
早期発見だったのでよかったそうですが、
現在は数々の治療、薬の副作用等で
癌以外の病気も発症。
歩くだけで辛い状態で、悲鳴のような声をだします・・・・。

うつ病の父は役に立ちません。
うつ病を理解しているつもりでも、理解できません。
治す気がないのが目に見えてかなりイライラします。
毎日食べて寝るだけ。
母親が病院行く時間になっても寝てる…。
3年や4年だ...続きを読む

Aベストアンサー

貴女は、一人っ子さんですか?

お若いのに辛いでしょうね、、、。

でも、受け入れるしかありませんよ。

将来のこと、未来のことを考えるのはやめましょう。

貴女が今考えることは、お母さんの病気のことです。

「今」「今」「今」今のことだけ考えましょう。

貴女は、まだ若い!! 結婚に憧れるお気持ちはわかりますが、

今は、ご両親のことを考えましょう!!

永遠に今の時間は続きません。

息抜きをする事も大事です。ご自分のホッとする時間もつくりましょうね。

気分が落ち込むと、変な宗教とか、◯◯を買うと幸せになる、、、と言った

謀に取り込まれることもあります。

辛いときほど、お腹の中から声を出して、無理してでも笑いましょう。

笑って笑って笑っていたら、物事は好転してきますよ。

生活は、出来るのですか?

あなたが働かなくても生活出来るだけでもありがたい事ですよ。

私も、癌で余命を告げられてます。が、夫や子供には、決して愚痴りません。

家族が、不愉快な思いをするので、、、。

たまに、数時間、逃げ出すことも大事ですよ。

人は、乗り越えられない問題は与えられません。

頑張りましょうね。

貴女は、一人っ子さんですか?

お若いのに辛いでしょうね、、、。

でも、受け入れるしかありませんよ。

将来のこと、未来のことを考えるのはやめましょう。

貴女が今考えることは、お母さんの病気のことです。

「今」「今」「今」今のことだけ考えましょう。

貴女は、まだ若い!! 結婚に憧れるお気持ちはわかりますが、

今は、ご両親のことを考えましょう!!

永遠に今の時間は続きません。

息抜きをする事も大事です。ご自分のホッとする時間もつくりましょうね。

気分が落ち込むと、変な宗教とか、...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
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意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q家族の死を受け入れるには

家族が残り僅かな命を宣告されて、それを受け入れる事ができずに毎日泣いてばかり。
かなりの高齢、しかも寝たきりなのでそろそろ...とはわかっていたつもりでも、いざ直面するとその時が来るのが辛くてつらくて堪りません。

迎える死を受け入れる、気持ちの整理をつけるはどうしたらできるものでしょうか。

(いただいたご回答の返事は遅れるかもしれませんが何卒よろしくお願いします)

Aベストアンサー

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は私が死んだらどうなるんだろう」とあなたを心配しないように泣き顔は見せない事です。

私の両親も娘の私を気遣い、辛い治療の泣き言は言いませんでした。末期の病気になっても娘を気遣う両親の気丈な姿を見て、愛しくて抱き締めたくて、一人になると泣いてました。私も辛かったけど、泣いてばかりだときっと両親は残された私の行く末を心配するだろうな…と泣いてる姿は見せないようにし、元気なふりして乗り切りました。旅立つ家族としては、自分の肉親が泣いてばかりだと「この子は自分が死んだあと一人で大丈夫だろうか?」ときっと心配したまま亡くなって、心残りになると思います。

私はガンと闘う毅然とした親の姿を見ていると、そんな親がとても誇らしく「自分も負けていられないな」と思うようになりました。その親の強い思いが、今の自分を支えているような気がします。ヘタレな私でしたが「親が子供にできる最後の教育」と思い、がん闘病中の親の姿が目に焼き付いて離れません。未だにその気丈な姿に勇気をもらってます。

私は、亡くなった人はきっと自分の生きざまを天国で見ていてくれる。あの世で再会したら「よく頑張ったね」と誉めてくれることを楽しみにして、毎日をすごしています。気持の整理なんて何年たってもできないけど、時々亡くなった人の気配を感じる時があります。だから「見守ってくれてるんだな…見ててね」と恥じない生き方をしようと思ってます。

受け入れる事はできないけど辛い記憶は時間が癒してくれます。ふと…思い出して涙する時もあるけど、きっとあの世で会えると…私は思うようにして毎日を生きてます。

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は...続きを読む

Q84才の父が食事を食べなくて衰弱する一方

父(84歳)が、この前の暑さでまいってしまったのか、食事を受け付けなくなり、一切食事を拒否します。意識はしっかりしていますが、しんどい様子で眠っている時間が多いようです。
医師に相談すると、食事をとらないほかにも、点滴もしても10分と長続きしなくて(自分で抜いてしまう)もうやめてしまったと言いましたので、当方がべったり付き添いで見守っていた所2本まで点滴が入りました。多少安心しました。(私が居なくなるとまただめかもしれません)
老人が食事を取らなくなる理由は何なんでしょうか?エンシュアという液体栄養物質も嫌がって口にしませんし・・。
父親が言うには、圧迫感があるというのです。
それだけで、食欲は無くなるものなのでしょうか?

聞くところによると、老衰の症状として、衰弱と食欲の減退から食事を取られなくなり、更に衰弱が進行し、死に至るケースが老衰であるという考えがありますが、どうなのでしょうか?(このケースは老衰によるものなのでしょうか)

医師も初めてのケースらしく戸惑っております。(処置する方法が見つからない) 頑なにここまで食事を拒むケースは見たことが無いようです。精神面からアプローチすべきか?  老人性痴呆を疑ってみるほうが良いのでしょうか?医師も病院を出て行ってほしがります。正直この状態で出て行けば、必ず死が目の前です。

身体は、がりがりで、生きているのが不思議な状態です。栄養経路を断絶し、このまま、家で見取って最後を迎える方が本人の為なのか、わかりません。

どうぞ、お知恵をお貸しください。

父(84歳)が、この前の暑さでまいってしまったのか、食事を受け付けなくなり、一切食事を拒否します。意識はしっかりしていますが、しんどい様子で眠っている時間が多いようです。
医師に相談すると、食事をとらないほかにも、点滴もしても10分と長続きしなくて(自分で抜いてしまう)もうやめてしまったと言いましたので、当方がべったり付き添いで見守っていた所2本まで点滴が入りました。多少安心しました。(私が居なくなるとまただめかもしれません)
老人が食事を取らなくなる理由は何なんでしょうか?エ...続きを読む

Aベストアンサー

僕の母は胃腸科の入院で点滴の限界を医師から告げられ、飢餓状態で命も危なく(飢餓と発熱)当院では手に負えないこと、そして胃ロウ手術の実績のある医師のいる救急病院の紹介をされ、待ったなしで父と僕の兄弟姉妹で相談して胃ロウ手術のできる病院に入院し、手術の内容と過去の手術実績、成功率の説明(インフォームドコンセプト)をうけ、手術承認書を書いて、手術室控え室の隣(カーテンを引いただけ)の手術室で手術をして貰いました。父、僕、妹が隣で手術が終わるのを待ちました。手術後は胃ロウの回りに肉や皮が盛り上がって外部と胃の内部が栓付きチューブでつながった状態になって内出血も無ければ10日~2週間位後(はっきり覚えていない)包帯をとって退院OKがでて、ホームへ一ヶ月以内に戻れました。
医療や介護が家族でできない以上、他人の医師や看護婦や介護士に任せるしかありません。できるだけ頼み込んで要望を入れてしまうしか無いですね。腹を立てていてもお父上の飢餓状態と命の危険が進むだけです。飢餓状態になると脳に十分なブドウ糖や酸素や血流量が確保されずお父上の正常な脳機能(判断能力)が無くなってしまい、栄養失調状態が続けば脳萎縮などが進行して痴呆が進行しないとも限りませんので、まず飢餓状態から脱出するために、早急な胃ロウ手術が必須となります。できるだけお父上の手術に絶えるだけの体力があるうちに手術をされた方がいいと思います。僕の母の場合が、手術病院から胃腸科医院に迎えにきてもらい、手術に耐えるだけの体力を確認して1~2日経過を見てから手術を行いました。
貴方のお父上の場合、お父上の体力があるうちに、胃ロウ手術をされた方がいいような気がします。精神科の治療は時間がかかりますし、飢餓状態が続くほど脳も萎縮して痴呆が進むのではと思います。
精神科は元気で十分な体力と痴呆もなくまともに精神科医師との会話が成立することが前提で、治療に半年以上かかるかと思います。その前に飢餓状態が進めば、命が危なくなってしまう恐れが十分あります。
飢餓状態を回復するには、精神科より、栄養を確保するための便法としての胃ロウ手術の方が良いかと思います。飢餓状態になるとお父上がまともに意思表示さえできなくなってうつろな状態になって、精神科どころでないと思います。
まず、生命を維持できるだけの栄養を身体に取り込むことが必須だと思います。精神科が必要なら命の危機がなくなったそのあとでよいのではないでしょうか?
胃ロウの手術できる病院の医師に一度お会いになって説明を受けたり、手術概要を書いたパンフレット(説明書)を貰ってこられたら如何でしょうか?

僕の母は胃腸科の入院で点滴の限界を医師から告げられ、飢餓状態で命も危なく(飢餓と発熱)当院では手に負えないこと、そして胃ロウ手術の実績のある医師のいる救急病院の紹介をされ、待ったなしで父と僕の兄弟姉妹で相談して胃ロウ手術のできる病院に入院し、手術の内容と過去の手術実績、成功率の説明(インフォームドコンセプト)をうけ、手術承認書を書いて、手術室控え室の隣(カーテンを引いただけ)の手術室で手術をして貰いました。父、僕、妹が隣で手術が終わるのを待ちました。手術後は胃ロウの回りに...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q親の容態が不安定な場合休みを貰うのは非常識でしょうか?

親の容態が不安定な場合休みを貰うのは非常識でしょうか?
仕事を休むべきか?出勤するべきか?悩んでいます。
一進一退の状態で、再起をかけて入院中の父の介護をしてきました。
特に、先週一週間、上司にお願いして、昼から休みを頂いて
午後から介護にあたってきましたが、昨日、主治医から
意識などは、現在ありますが、容態が急変して、急死する可能性もあります。
50/50の可能性です。覚悟しておいてください。と言われました。
他に家族もいなく、一人で病院において置くのは、あまりにもとも思いますが
意識不明とか、確実に死ぬという状態でもなく、どういった判断をするべきか
非常に悩んでいます。みなさんが同じ様な立場であったり
職場の人間だとすれば、どう思いますか?このような状態で
休みを貰いたいのは、甘え、非常識なことだと思われますか?

Aベストアンサー

職場側の立場です。建前論としては、有休を限度いっぱい申請し、それでも足りないなら無給の介護休暇・介護休職をとっても問題はないとの回答になります。
しかし、現実には、制度がしっかりしている大きな会社や公務員などと 仕事がいっぱいいっぱいの中小企業とでは異なります。前者なら 制度をフルに活用しても問題ありませんし、一人くらい欠けても支障を来たしません。ただし、後者では 一人が長期的に欠けるとなると仕事に支障を来たしてしまい、連続した休みには良い顔をしませんし、社内の人々も 表面はともかくとして内心では快く思っていません(あえて言えば 会社を辞めて看病に専念して欲しいと思っていたりします)
ということで 私も現実を言うだけで どうすべきかとは言えません。私は、親が亡くなった時は遠方のため死に目に会えませんでしたが、そういう人もいます。家族の全員が死に目に立ち会っているわけではありませんし、冷たいことを承知で言えば、死に行く人より これから長く生きるであろう人の状況を重視するという考えもあります。 

Q母がもうすぐ死にそうです。私はどんな心構えで生きれば良いのでしょう?

自分の母親を亡くす経験は誰でも一回だけしか無いので困ってしまいます。落ち着かないです。

母とはもう大分前から会話不可能な状態です。脳梗塞なので。医者は老衰だと言ってます。ひどくやせていて何も食べません。ただ苦しそうに息をしているだけです。

哲学者は「母の死」について、何か書き残しているでしょうか?あるいは身近な者の死について。

あなたは母の死を経験された事がありますか?その時、何を感じ、どう納得されましたか?

Aベストアンサー

つらいですね…。
もうぢき40歳になる独身女性です。

> 哲学者は「母の死」について、何か書き残しているでしょうか?あるいは身近な者の死について。

こちらについては、分かりませんので、

> あなたは母の死を経験された事がありますか?その時、何を感じ、どう納得されましたか?

こちらの立場から書き込みをしたいと思います。

私は2001年9月に母を亡くしました。
母は62歳、私が35歳の年でした。
私の誕生日の2日前に逝きましたので、あえて、私の誕生日に葬式をしてもらいました。

2001年3月に胃がんであることが分かり手術。
その後、細胞検査でスキルスであったこと、余命が半年であることを、医者は私に告げました。
その当時、家族は、父・母・私・弟・祖母(父の実母)・伯母(父の実姉)でしたが、祖母は入院しており、弟は勤務地が自宅から離れていたため勤務先の寮に入っていました。
父は定年退職した後で時間が自由に使えたことがせめてもの救いでした。
伯母も持病を患っていましたので、父と私の2人で、祖母と母の病院(別々の病院に入院していました)を1日に何度も行き来していましたね。
母の場合、肺梗塞を起こして5月に一度危険な状態がありました。
ですが、もちなおしてくれて退院もし、その後3度目の入院をし、病院で亡くなりました。
やはり食物を経口摂取することができませんでしたので、徐々に弱っていき、立てなくなり、亡くなる2日前、アメリカで同時多発テロが起こった9月11日から癌性昏睡に入り、13日の朝、亡くなりました。

12日から仕事を休み、父と2人で病室に泊まりこみ、2人で最期を看取りました。
鎮痛剤のおかげもあったのか、特に苦痛を訴えることもなく、最期が眠るようであったことだけは、せめてもの救いだったと思っています。

「ああ、いなくなっちゃったんだ。」と思いましたね。
納得-という点については、小学生の頃に祖父の死も見ておりますせいか、それとも、徐々に弱っていく母の姿を見ていたせいか、「母の死」も抵抗なく受け入れたカンジがします。
私にとって、「死」は「無」です。
母を思い出せるモノはたくさん残っていますが、母は「無」いんです。
特に、母の死後、自分が嬉しい体験や素敵な体験をするたびに、母がいないことを感じます。母にもこの体験をさせたかった-と感じて。

つらいですね…。
もうぢき40歳になる独身女性です。

> 哲学者は「母の死」について、何か書き残しているでしょうか?あるいは身近な者の死について。

こちらについては、分かりませんので、

> あなたは母の死を経験された事がありますか?その時、何を感じ、どう納得されましたか?

こちらの立場から書き込みをしたいと思います。

私は2001年9月に母を亡くしました。
母は62歳、私が35歳の年でした。
私の誕生日の2日前に逝きましたので、あえて、私の誕生日に葬式をしてもらいました。

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Q点滴だけでどれ位生きられるのでしょうか?

86歳の祖母が今月5月の17日から点滴のみで寝たきり状態です。
4月に酸素濃度が低いと言われ入院。
そのままご飯を飲み込むのが難しくなり、鼻から食事を取るようになりました。
5月の15日に胃ろうの手術を行う予定でしたが、体調が悪そうなので断念。
そして17日の朝に危篤と言われ、あと30分しかもたないでしょうと連絡があり、家族で病院に駆けつけました。
病院に着いた時は安定しつつあり、それでも2.3日が山でしょうと言われました。

今10日以上経ちましたが、変わらず点滴のみで酸素を鼻から送っています。
心拍数は70くらいで酸素濃度は時々80代まで下がってしまうようですが基本的に95以上はありますし、おしっこもちゃんと出ているようです。
血圧も標準です。
何を言っているか聞き取れないのですが、1日2.3回は口を動かして言葉を発します。
寝返りもうちます。
時々笑ってくれたりもします。
帰りたいのに帰れない、言葉も伝わらないことで怒って弱々しくですがパンチしたりもしたそうです。

それでも病院側はまた鼻から管を入れて食事するのは難しいでしょうと言います。
このまま点滴だけで...と言う感じです。

重度ではないですがもともとパーキンソン病も持っています。
身長140cmない位で体重は今25kgあるかないか位です。
今は歩くことは不可能です。

身内として見てるのも辛い、可哀想で仕方ありません。
私達の家から祖母のいる病院まで片道3時間程かかるので、次また危篤の連絡が来た時、最後一緒にいてあげられないんじゃないかと母といつもヒステリックになってしまってしまいます。
私も仕事が忙しく、母も父方の祖父祖母の世話をしていてずうっと付きっきりにはなれない状態です。
鼻からの管がこれから先出来ないと断定された時、点滴だけでどれ位生きられるのでしょうか?
昼間はKN3号と言う点滴を入れているようです。

どなたかお返事くだされば嬉しいです(;_;)

86歳の祖母が今月5月の17日から点滴のみで寝たきり状態です。
4月に酸素濃度が低いと言われ入院。
そのままご飯を飲み込むのが難しくなり、鼻から食事を取るようになりました。
5月の15日に胃ろうの手術を行う予定でしたが、体調が悪そうなので断念。
そして17日の朝に危篤と言われ、あと30分しかもたないでしょうと連絡があり、家族で病院に駆けつけました。
病院に着いた時は安定しつつあり、それでも2.3日が山でしょうと言われました。

今10日以上経ちましたが、変わらず点滴のみで酸素を鼻から送っています。...続きを読む

Aベストアンサー

水分と最低限の栄養素だけ点滴で賄えれば、何年も生きる方もいますよ。
自発で呼吸ができず人工呼吸器をつけ、点滴だけで数年生きて、数年ぶりに目覚めたといった話を聞いた事はありませんか?

KN3は維持薬ですね。水分の維持をする為のものです。これだけでも生きられますが、胃ろうができない方に高カロリーの点滴を使う事もありますが、高齢でその状態ではちょっと難しいかも知れませんね。

人間は、食事をせずとも点滴だけで生きていられるんですよ。

ただし高齢で体重も少ないですからどうしても感染症等の危険もあるでしょうし、臓器の状態、おそらく血液検査や胸部、腹部エコー等もされているでしょうが書かれていませんからなんとも。。
前日まで元気そうに見えていても、翌日急変してその数時間後にはという方もいれば、数か月の方もいますしね。

余命は、現場にいても医師でも数時間前~数日前まで判断できないものです。

残された時間を大事にお過ごしください。お大事に。

Q後期高齢者(83歳)で末期癌なのに、症状が無い!!

 私の祖父(83歳)が末期癌で、今日、「今年もてば良い方だ(余命4カ月弱)」を告げられたそうです。

 父はショックを受けていました。

 祖父はたまたま、他の病気の診察でCTを撮ったときに運良く別の科の医師が癌を発見してくれました。

 去年、肺気胸に2回もなり、市民病院で何度もレントゲンを撮ったり、CTも取ったのに。先週もペースメーカーの診察を受けてレントゲンを撮ったのですが、何も言われなかったそうです。なんか不思議です・・・。1年で全身にまで転移するのでしょうか?

 祖父はまだ頭もはっきりしているので、長生きしてほしいと思っていました。

 最近、「足の付け根が痛い!」と言い出しているそうです。
 父は癌からきているんじゃないか、骨にまで転移してるのではないかと思うそうです。
 これは初期症状のはずですか?
 
 紹介状を書いてもらって、9月6日に市民病院へ持って行くそうです。そして、検査をするか決めるそうです。
 検査も相当苦しいそうで、父はどうせ長く生きられないのなら、残りの時間を自宅で、今まで通りの普通の生活をさせてやりたいと思っているそうです。

 余命を告げられ、とてもショックでした(涙)今も頭がボーっとしています。毎日でも会いに行きたい気分です。

 末期癌で全身に転移しているのに、『症状が無い』ことってあるのでしょうか?20年以上前に胃癌の手術で、胃を半分取ったので、38キロ前後と細いですが、食欲も変わりないようです(主に栄養ドリンク)。足の痛みが出たのは最近ですが、外出もしたいようで元気です。

 これから苦しむことになるのでしょうか?

 祖父母は今、2人暮らしなので、心配です。祖母には、まだ癌のことは伝えていません。

 末期癌で余命4ヶ月でも、祖父のように、たまたまレントゲンを撮ったら”末期”そして”無症状”という方はおられるのでしょうか?
 あり得ないと思いますが、私は誤診であって欲しいです。

 長文ですみませんが・・・宜しくお願いします。

 私の祖父(83歳)が末期癌で、今日、「今年もてば良い方だ(余命4カ月弱)」を告げられたそうです。

 父はショックを受けていました。

 祖父はたまたま、他の病気の診察でCTを撮ったときに運良く別の科の医師が癌を発見してくれました。

 去年、肺気胸に2回もなり、市民病院で何度もレントゲンを撮ったり、CTも取ったのに。先週もペースメーカーの診察を受けてレントゲンを撮ったのですが、何も言われなかったそうです。なんか不思議です・・・。1年で全身にまで転移するのでしょうか?

 祖父は...続きを読む

Aベストアンサー

私の大切な母も御祖父様と同じような年齢で同じように病院の別の検査で癌が見つかりそして先日、天寿を全うされました。娘の私が体験したことは高齢者の末期癌は確実に死の宣告をされたも同じことです。藁にもすがる思いでできる限りの手を尽くしましたが癌の進行はあまりにも速いのが現実です。私たちの一日の時間と患者の一日の体力が落ちるスピードの速さは何百倍の速さで進行しているようでした。要するに昨日と今日では全く別の症状で患者も家族も苦しみます。現在、御祖父様の体に痛みが無いとのことですが確実に痛みは来ますし食事も食べれなくなります。体力が落ちれば体の機能も低下します。きつい言葉で書き記しましたが私も医師から告知を受けちょうど3カ月で他界しました。奇跡を信じてあれもこれもと手を尽くし高額の健康食品も健康飲料も結局は効きませんでした。飲みにくいのと飲むことのストレスで今想えば反省だらけです。癌に効く薬は抗がん剤だけのようです。母は持病のリウマチですでに強い薬を服用していることも有り免疫を上げる治療も難しく抗がん剤治療は出来ませんでした。御祖父様が自宅で闘病生活をされたいとのお考えなら要介護認定を受けているのでしたら早速、ケアーマネージャーを通して往診の医師と看護ケアの手続きをして下さい。少しでも普通の生活に近い生活をさせてあげる場合は家族の協力が無いと無理です。最終的に点滴の交換やら排泄など家族が手を掛けます。緩和ケア病棟をエントリーするのも大切だと思います。私の場合は緩和病棟(ホスピス)は県内14棟の内、受付不能病棟多数。1~2ヵ月先の外来予約待ち、その後空きがあれば入院可能と言われたのが13棟です。残り1棟は数日中には入所可能だがとても古く、病院まで距離も遠く、私の場合は母の最期は県立病院の個室で最後の一月を過ごしました。告知を受けて一月後に家族で1週間の沖縄旅行に行きました。この時まで体力もあり痛みもなく本当に奇跡を信じていました。帰宅後数日で体力は落ちて行きました。
今後の御家族の方向性に少しでも役立てて頂けると幸いです。

私の大切な母も御祖父様と同じような年齢で同じように病院の別の検査で癌が見つかりそして先日、天寿を全うされました。娘の私が体験したことは高齢者の末期癌は確実に死の宣告をされたも同じことです。藁にもすがる思いでできる限りの手を尽くしましたが癌の進行はあまりにも速いのが現実です。私たちの一日の時間と患者の一日の体力が落ちるスピードの速さは何百倍の速さで進行しているようでした。要するに昨日と今日では全く別の症状で患者も家族も苦しみます。現在、御祖父様の体に痛みが無いとのことですが...続きを読む


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