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天皇制については、ときおりOKWeb/教えてgoo!にも、時折
質問が上がりますが、たいていは賛成意見と反対意見が激しく
激突する結果となります。

しかし現実論として、現在の日本国憲法に天皇の規定がある
以上、天皇制を廃止するには憲法改正が絶対に必要です。

現在の日本国憲法は、細部を調べるとあちこちに矛盾があり
ますし、また第二次世界大戦直後とは国際・国内情勢も大きく
変化していますのでいますので、憲法9条問題も含めて改正
の議論をしなくてはいけないと思うのですが、これについて
どう思いますか。

1.天皇制についてだけ、憲法改正をすればよい。
2.9条問題・憲法問題も含めて憲法改正をすべきである。
3.GHQが草案を作成した現在の憲法を手直しするのでは
  なく、まったく新しい憲法を作成すべきである。
4.憲法改正は、しばらく見送るべきだ。
5.その他(具体的な内容を記述してください)

また1~5を選ぶにあたっては、仮に数年以内に実施される
として、実現のめどがどれくらいあるかの推測の記述も、
お願いします。

天皇制反対論者だけでなく、賛成論者の方、またその他の
意見の方からの回答も歓迎します。

A 回答 (17件中1~10件)

1番を変え後はしばらく見送るべきだ。

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天皇をめぐる誤解や短慮の多くは、


近代的な価値観で天皇を説明しようとする為に生じています。
そんな理屈では、天皇の謎は解けません。

古事記をどう解釈するか、特に、神話時代の伝承についてどう解釈するか、
戦前は、これを天皇の神格化に利用し、戦後は、絵空事として無視してきました。

縄文時代について学べば、学ぶほど、「縄文の心と魂」は、
古事記の物語の中に、
そして天皇の御心の中に、
脈々と活き続けていると思えてきます。

天皇は、縄文と弥生の結び目に位置する存在。
そう考えながら、古事記を読み解くと、新しい解釈ができます。

奈良盆地における縄文時代の末期に、開拓者として入り、
周囲の縄文人達と協力関係を築きながら、
水田稲作を広めた中心人物が、初代天皇とされる神武天皇だったのでは。
縄文の心と魂を、水田稲作の技術や文化に融合させることに成功したからこそ、
水田稲作の適地にも非適地にも影響力を広げていけたものと推察します。

縄文と弥生の結び目に位置するからこそ、
天皇は、古代から広範な部族に支持を広げることが可能だったに違いなく、
現代においても、国民統合の象徴に最も相応しいと考えます。

だから天皇は、一見、庶民から最も遠そうな存在でありながらも、
逆に、庶民の心に最も近く、
庶民の心の奥底にも鎮座している「縄文の心と魂」に寄り添っていらっしゃる。
東日本大震災の被災者を見舞うお姿にも見られるように、
誰よりも、庶民の心に寄り添う事がおできになる。

人類史の中でも、奇跡的な存在でいらっしゃると思います。
憲法において、どのように規定されようが、存在自体は否定できないと思います。

<参考URL>
縄文の心と魂 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page047.html
古事記の解釈・編纂方針と背景 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page048.html
古事記の解釈・神代 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page049.html
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私は、2に賛成です。

天皇制の改正は難しいでしょうね。なんたって、日本の神道は、天皇制を元にできた宗教ですから。
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.      *** 神話が憲法条文になる元で凶悪犯罪や詐欺事件を裁けるのか ***



天皇制廃止を主張する最大の理由、それは人間集団が社会を構成させるうえでの最も基本的な相互規範である
憲法については、そこには人間の素朴心情からも信頼され得る、純粋理性によって成立しなければなりません。

しかし天皇制の成立の起源は、西欧の王族のように隣国からの侵略に対して “ その戦いの先頭に立つ “ といった、
民衆からの要請や契約としての民衆への貢献などといった、歴史上の事実が全く存在しない。
天皇制は “ 現人神 “ と称することで平民から租税や年貢を騙し取るという、極めて悪質な意図による制度です。

この “ 現人神 “ と称する詐欺的制度が、徳川幕府からの政権移譲の混乱期に、明治政府が国内の安定化を狙って
急遽祭り上げたというのが真相でしょう。 しかしそれは負の要因となり、太平洋戦争では多くの国民が犠牲になりました。
人間集団が " まともな社会を維持 " するのなら、この天皇制の是非について国民が審判をするべきです。

" 神格あるいは国の象徴が一つの家系と一人の個人に代々継承されていく "、といった不条理が憲法の条文になって
いるのでは、日本国憲法とその論旨からなる刑法の元で、凶悪犯罪や詐欺事件などを公平に裁くことはできません。
このままでは法律が持つべき理性的整合性と信頼性は崩壊してしまいます。
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最近とみにご活躍のこととお慶び申し上げます。



撤収にあたり、昔の自分の回答を見返していたところ、たくさんの干物化した質問・回答が見つかりまして、そのほとんどは質問者さまがもはやこのサイトにおられないようなものだったのですが、珍しいことに現役でご活躍中の方が3年間も保存しておられる質問がありましたので、懐かしくなり、無為な投稿をさせていただきました。

このような質問をされていたということを、お忘れなきよう、よろしくお願いいたします。
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こんにちは。



憲法改正、大いに結構です。

しかし、憲法の大部分を改正しようが、新たに一から作り直そうが、天皇制はなくなりません。天皇主権復活と象徴天皇制廃止とを比べても、むしろ、天皇主権復活の方が実現可能性が高いです。

理由は、具体的には書けませんが(私も危険かもしれないので)、現在日本には『言論の自由』『行動の自由』は厳密な意味で言うとないからです。『思想・良心の自由』はあるので、天皇についていかなる感情を抱いていても自由です。ただし、それを外部に向けて発表もしくは反対運動などしようものなら、それこそ命がけです。

それで何かあっても警察も司法も頼れません。マスコミも無理です。ってことは、世論も無理です。インターネットって手段もありますが、ネットは信憑性に乏しく、また、そこに対しての対策もしているでしょうし、何より、国民一人一人が、敬愛か怖れの念を抱いています。そういう人々、もしくは全くの無知無関心の人々は安全ですが、天皇制存続云々している、特に反対派の人たちは非常に危険な状態にあるといえます。

このように根本が成り立っていないわけですから、現行憲法は戦後50年間、単なるお飾りとして機能してきたわけです。だから、憲法は改正すべきです。ただし、天皇制を堅持した上で、自然法思想に則り、かつ不穏分子を都合よく排除できるようにすることは、難しいですね。日本国憲法は自然法思想に則ったものではありません。と言うしかないでしょう。

だから、天皇制についての議論は不要です。仮にどんなに優秀で、実行力のある天皇制不要論者が議員や大臣あるいは、官僚や総理大臣になったとしても無理です。何百年、何万年経っても無理です。趣味として議論するのはいいですが、時間と労力の無駄ですよ。
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天皇の位置づけの変遷について、浅学ながら考えてみたいと思います。



>ただ明治憲法は欽定憲法ですよね。
>建前と実質が食い違っているかと思いますが、君主である天皇が国民(臣
>民)に与えたということになっています。

明治憲法までの日本国家は、常に天皇が権力の頂点にあったと思います。
実際の権力行使を行ってきたのは、「摂政」であり「関白」であり「征夷大将軍」であり「内閣総理大臣」であったりしたわけですが、常にその権力が誰から与えられたか、といえば、「天皇」に行き着くのです。
時の権力者が、天皇を置き換えることもありましたが、自らが権力の頂点に立つことはありませんでした。
まさに、天皇が主権者であり、時の権力者はその授権を受けることで国の権力者たりうるという構造があったのです。
建前と実質、というか、「権力」の所有者は天皇なんだけれど、それを時の権力者に貸して使わせている、というイメージです。
(そのなかで、明治憲法は、「権力」の所有も使用も天皇が行う、とした点で、日本史の中でも親政色の強いものであったと理解しています。実際の政策形成を誰が行ったか、ということとは、また違うレベルの話です。)

しかし、日本国憲法第1条の意義は、天皇による国家権力の所有を否定し、その地位を国民の総意に基づくものとしたところにあります。
「権力」の所有者は日本国民です。実際の行使は国民が選んだ人々が行い、日本国民の総意を示すような儀式的な場面においてのみ、天皇が、二人羽織の表側の人のように、「権力」を扱うことを許されるに過ぎません。
(その所作自体は、歴史的に天皇の行ってきたものと大きく変わりません。ただ、国の権力の源として行っているのか、そうではないのか、という点が異なるのです)

天皇制、という言葉をどのように考えるかについては、いろいろな意見があると思いますが、明治憲法以前の権力の淵源としての天皇をイメージするのであれば、それは既に制度的には廃止されています。
天皇制反対論者が問題としているのは、むしろ、制度的には否定されているはずの天皇の権力を肯定しようとする動きと、象徴天皇がそれに利用されるおそれではないかと思います。
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憲法改正ではなくて新憲法作成派です。



天皇制は現状のままで良いと考えます。長い日本の歴史のなかで、天皇の地位を現在の位置にとどめておくことは理想的ではないでしょうか。

「憲法改正」という意見にさえ聞く耳を持たない政治家が多いですが、思考停止状態もいいところです。「改正(新規作成)」の必要があるかという議論さえ出来ない現状は政治家の責務を果たしていませんし、国民の権利を踏みにじるものでもあります。

実施時期に関してですが、9条の改正が目玉になると思いますが、北朝鮮の問題が消えると当面は議論の必要がないという風潮になると思います。

ここ3~5年で改正がなされない場合は20~30年後も今のままだと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなりました。

天皇制・憲法改正、まったく同感です。
国内外の情勢が戦後直後と現在では相当異なっているのに、
憲法だけはそのままということが不自然ですよね。

大日本国帝国憲法を『不磨の大典』としていっさい改正せず、
後の禍根となった過ちがわからないのでしょうか。

ただここ数年で改正しないと、このままずるずるっと先延ばし
してしまいそうな雰囲気は、たしかにあると思います。

補足日時:2003/08/12 11:39
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東京天皇の廃止をすれば京都の人が喜んで「天皇」の位と地位を取り戻そうとするでしょうし、日本から「天皇」は無くならならい(神道を国内から抹殺しない限り)。

 当然、無くす必要もない、それは一部の宗教団体の儀式・制度の問題でしかない。

ですから天皇制廃止とは

時代の武力権力(実権)との関わり方ですから国家神道として廃止する必要があるか否かであって「政教分離の原則」からすれば廃止しても良いのではないでしょうか。

ただ「天皇」を理由にして、現有の実権とは別に統治権力の正当性を主張する人達が現れて国民が支持すれば大混乱になる

ですから政府が「天皇」を恐れて、無視できなければ基本的な意味では改正できないでしょう(一部可?)

法的には、玉虫色解釈を大きくして(象徴)の意味を強化するだけでしょか?
難しいことはわかりませんのでごめんなさい

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
改正はいらないというご意見でしょうか。


>ですから天皇制廃止とは
>時代の武力権力(実権)との関わり方ですから国家神道
>として廃止する必要があるか否かであって「政教分離の
>原則」からすれば廃止しても良いのではないでしょうか。

神道という宗教をどう考えるかという話になってくるかと思います。
(一部の)神道と天皇家の関係は切っても切り離せないかと思いますが、それは歴史的な成立過程にあるので
あって、今の天皇家自体が神道という宗教に対する影響はそれほど無いと私は考えています。
(過去はともかく現在は、ローマ教皇のように神道の信者たちに対する影響力がないという意味です)

天皇家自体は政治に直接関与していませんし、十分政教分離になっていると思います。
|日本国憲法における政教分離というのは、政府が特定の宗教組織の活動に関与しないということを
|言っているだけはないかと。

補足日時:2003/07/31 14:08
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1.憲法1条の改正について


現行憲法は、現在の日本社会における天皇の存在意義について、比較的正確に記述していると思います。
何らかの象徴であるとともに、決して政治的存在ではない。
それは、明治期あるいは建武新政期などごく特殊な一時期を除いて、天皇が占めてきた位置とも符合するものです。

また、日本を立憲君主制であるという見解もありますが、たとえばイギリスの国王と日本の天皇とはまったく違います。
イギリスにおける君主は、国民の要求に応じ、国民に権利を与える存在であり、政治的な意味のある存在です。
日本の天皇は、自ら国民に権利を与えているわけではありません。完全な共和政とはいいませんが、天皇は政治や権力から超然とした存在であり、極端な話、天皇がいなくなったとしても、権力の淵源は国民にあるわけですから、国家権力の正統性には何の影響もありません。

憲法1条は、天皇を非政治的な存在として奉ることで、日本国のアイデンティティを保持しながら、国民主権を実現するための現実的な方策であると考えます。

昭和天皇の戦争責任の問題はあるとおもいますが、それは、現行憲法の規定とは別に、検討すべき問題だと思います。
また、天皇を象徴として統一される日本という国家像自体が虚像であるという考えもあるかもしれません。ただ、それは、国家分割も含めて考えられるべき問題であり、憲法改正というレベルの話ではありません。

2.憲法9条の改正について
改正後のビジョンが不明確です。
現在9条改正を論ずるのであれば、日本が保有すべき戦力は、何をするための戦力なのか、その目標を明確にしなければなりません。
自衛のためだけであれば、9条の改正は不要だと考えます。
他国に先制攻撃するためであれば、改正が必要です。また、他国への積極的な自衛隊派遣を行うのであれば、別の観点からの改正の必要もあるでしょう。
憲法9条ができてから、もう50年を優に超える期間が過ぎています。いまさら実態との乖離を言い出すのは無意味だと思います。


>ただ核弾頭までいかなくても、北朝鮮がノドン・テポドンを日本に撃ち込んでくれば、一気に議論が加速するかと
>思われます。

……。

この回答への補足

はっきりとは書いてありませんが、
「4.憲法改正は、しばらく見送るべきだ」
のご意見かと思います。


>1.憲法1条の改正について
>現行憲法は、現在の日本社会における天皇の存在意義について、比較的正確に記述していると思います。
>何らかの象徴であるとともに、決して政治的存在ではない。 それは、明治期あるいは建武新政期など
>ごく特殊な一時期を除いて、天皇が占めてきた位置とも符合するものです。

古代以降、建武の親政など歴史の一時期を除けば、天皇はずっと国の象徴であったという歴史観については、
私も同意見です。
ただ明治時代についても、天皇が直接政治をしていたというのは、やはり建前でしかないと思います。
実際の政治の実権は明治維新の元勲(薩長の藩閥出身の政治家)が握っており、天皇が意見することはあっても
実際に政治を動かしていたのは、やはり藩閥政治家でしたから。
(下級武士出身の彼らが実際に政治を行う上で、天皇の権威を利用したというのが、より正確な見方でしょう)


>また、日本を立憲君主制であるという見解もありますが、たとえばイギリスの国王と日本の天皇とは
>まったく違います。
>イギリスにおける君主は、国民の要求に応じ、国民に権利を与える存在であり、政治的な意味のある存在です。
>日本の天皇は、自ら国民に権利を与えているわけではありません。完全な共和政とはいいませんが、
>天皇は政治や権力から超然とした存在であり、極端な話、天皇がいなくなったとしても、
>権力の淵源は国民にあるわけですから、国家権力の正統性には何の影響もありません。

イギリスの王制と日本の天皇制が一致しないという意見は、正しいと思います。
ただ明治憲法は欽定憲法ですよね。
建前と実質が食い違っているかと思いますが、君主である天皇が国民(臣民)に与えたということになっています。
実際には国民(天皇家以外の日本人)が政治権力を握ってきたのですが、この辺の建前と実際の乖離を
どう埋めるかが、議論のポイントであるかもしれません。


>2.憲法9条の改正について
>改正後のビジョンが不明確です。
>現在9条改正を論ずるのであれば、日本が保有すべき戦力は、何をするための戦力なのか、
>その目標を明確にしなければなりません。
>自衛のためだけであれば、9条の改正は不要だと考えます。

確かに改正後のビジョンが不明ですね。
自衛権の行使だけであれば、現行憲法の政府解釈だけで間に合っています。
現在の専守防衛という防衛理念は、国民の間でかなり浸透していると思われます。
百年先はともかく、今後10年くらいは変化しないかと思います。(北朝鮮の暴発があれば別です)

ただ現行の法体系では、やはり自衛隊の海外派遣がネックとなります。
落し所としては、国際協力との兼ね合いでしょう。
特別立法を成立させなくても、一定の制約の元で自衛隊を海外に派遣できる仕組みは必要だと思います。


>憲法9条ができてから、もう50年を優に超える期間が過ぎています。
>いまさら実態との乖離を言い出すのは無意味だと思います。

私なんかは、50年もたっているから改正した方がいいんじゃないかと思うんですけどね。(;^^)
いつまでも太平洋戦争の呪縛から解けない政治家たちには早く引退してもらって、21世紀を担う人材が
政治の場で活躍できることを期待しています。

補足日時:2003/07/29 14:15
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