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江戸時代の主要街道の道幅。
当然テレビの時代劇では参考にはなりません。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに・・・」
たとえばこの箱根越えに使っていた道の幅や様子。富士山の〇〇合目の登山道のようだとか、
たとえば一般的な街道の幅は、軽自動車が1台通れるくらいだとか・・・。
いやいや、現代の感覚では説明がし難いので、このような形容が近いとか。

地元の山道を歩いていると、江戸の時代の参勤交代に使用された道だとか、早馬が走る道だとか、どんな感じでどれくらいの道幅だったんだろうとよく考えます。
今の山道はほとんど車の轍があり、ほとんどが車基準となっているので想像し辛いです。

十数キロ離れた山道を歩いていると、まったく「文明の音」のしない場所を見つけたもので、徳川時代の感覚に浸りたくなってしまい質問させていただきました。

教えていただいた道を探してみて、自分なりの江戸時代を感じてみようと思います。

A 回答 (3件)

一言


1間は約1.8mだから3間ならば、5.4m
今、ほとんどの道路は1車線2.7~3.4m、歩道2.5m~3.0mだから普通の2車線道路は11.8m。
5.4mというと田舎の歩道がないちょっと狭目の道路ですね。
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この回答へのお礼

遅くなり申し訳ありません。

「一言」をありがとうございます。
私の父が大工だったもので、理解はできました。

おぅ~!。
今の道路で考えてみると実感し易いですな!。
・・・なるほど。
やはり思っていたほど狭くはないようです。
地元の山道とほぼ同じだと思うので、そう考えながら見てみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/20 20:09

箱根旧街道はハイキングコースになっていて


今でも江戸時代の気分が味わえますよ。
3時間くらいのコースで気軽に楽しめます。

参考
http://www.asahi-net.or.jp/~ma6t-nsd/kanagawa/20 …
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この回答へのお礼

遅くなり申し訳ありません。

参考URLを見させていただきました。
情緒ある写真が載っているURLを教えていただき、ありがとうございます。

当時の街道がこのように残っているとは知りませんでした。
何分にも田舎者でして・・・。

これから紅葉の時期なので、都合つけて一度行ってみようと思います。
そのときの記憶で、地元の道を見たらまた違った感覚が湧くかも知れませんねぇ。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/20 20:01

http://www.hodomatsu.net/matsu/main/matunamiki_r …

http://www.geocities.co.jp/Milano/1765/m2/1-1-1. …

というのがありました。

江戸時代は各藩が東海道にありました関係で道路幅は特段決まってなかったようです。

一番時代的に近いのが織田信長の道路整備でこれは道路幅がしっかり決まっていました。

織田信長の諸政策が江戸幕府にもほとんどそのまま使えるものは採用されている事を考えると、主要道路は道幅三間から三間二尺と規定していますので3Mくらいと考えられます。
また道路の両側に側溝を通し、道路を山なりに舗装する事で雨対策などもちゃんとしていたそうです。

並木道はちなみに奈良時代からすでにあり、平安京は柳と槐(えんじゅ)の並木道であったとされています。
江戸時代は火事が非常に多くあったため、火事で町が被害を受けるたびに道幅が広くなりましたので実際には街中では道路が広く取られていただろうと考えられます。
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この回答へのお礼

遅くなり申し訳ありません。

なかなか興味深い資料まで添付いただき、ありがとうございます。

>道幅三間から三間二尺・・・
思っていたほど狭くはないようですねえ。
大八車が余裕ですれ違いできるくらいの幅と考えればよさそうですね。

教えていただいている分際で大変恐縮ですが、私の父が大工だったので、メートル換算については、おや?と思いましたが、恐らく勘違いされたのだと思います。

火事の件など、他のことまで教えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/20 19:50

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